■No.10160「輝ける世代のために」
GM:星空めてお 担当マスター:竹本柑太

 このリアクションは選択肢160、120、20
0を選んだ一部の方に送られています。
───────────────────────
《あらすじ》
 エングラム技能<フォーサイト>の思わぬ副作用
が<ありえない転移>であると判断したプロジェク
ト<アガスティア>の面々は、太陽の超新星化に際
してヴァンダーベッケン転移計画を秘密裏に進める。
しかし超新星化に合わず、アガスティアの面々は見
切り発車の状態でヴァンダーベッケンの空間転移を
始めてしまう。だが、情報世界対策を怠っていたた
め、吸収と再生のループに填まった上、船体の部分
崩壊を招いてしまった。この転移はネイバーリンク
を活用した<ありえない転移>ではなかったのであ
る。
 あやふやに情報世界と物理世界を行き来を繰り返
するヴァンダーベッケンと父親たちの危機を知った
グローリアス2世王子。王子はヴァンダーベッケン
を引き寄せるべくネイバーリンクを活用し、見事、
自分たちのいるカラハリ砂漠まで引き寄せたのだっ
た。
 なお、太陽はまだ本格的な超新星化爆発を起こし
てはいない。一度は膨張し始めたのだが、今は不安
定ながら元の大きさまで収縮している。
 ───だが、それもそう長くは続きそうもない。


 ヴァンダーベッケン、ブリッジ。
 胸に手を当てながらブリッジに入ってくる宇宙開
発機構軍総司令、増田直樹。数ヵ月前からでは信じ
られないほどの大出世を果たしてしまった増田であ
るが、ブリッジに茂る幻影樹を不意に目に入れてし
まうと、今だに心臓がドキリとする。
 いいかげん慣れてもいい頃だと自分でも思う増田
だが、第一印象を持とうとしていたときに絶望的な
気分にさせられたことが深層心理に刻み込まれたら
しく、やはり不意に幻影樹を見てしまうと一瞬鼓動
が乱れることがあった。そんな増田の苦手とする幻
影樹は、情報世界からの帰還時に際し、また格段と
増えている。
 増田が呼吸を整えようとしていると、通信士が滑
舌のいい声で報告を伝えて来る。
「閣下、国連から通信が届きました」
 わずかに間をおいて増田は反応する。
「あ、……私のことだったな」
 幻影樹だけでなく、閣下と呼ばれることにも慣れ
ていない増田だった。
 増田がかつてグローリアス・ビクトリアヌス1世
の席であったシートに腰を掛けると、周囲を幻影樹
に覆われた3次元ホロモニターのスイッチが入る。
 モニターにはきっちりとした形の眉をした中年女
性が映っている。増田は自分の持つ知識を掘り返し、
目の前のホロに映る人物が、国連事務局員であるこ
とを思い出した。たしか、もともとは合衆国出身の
女性政治家だ。もしかすると、このどさくさに成り
上がろうとしているのかもしれないという邪推が浮
かび上がって来る。
 彼女は早速、昨日増田が国連に提示した事項の返
答結果を伝えて来る。正常に機能していない割りに
は異例の迅速さだ。
『───まず、閣下の申し出た指揮権の譲渡は認め
られません。特に、佐渡島への譲渡は絶対に認めま
せん』
「…………」
(なるほど、結果が早く出てしまう訳だ)
 ここから女性は増田を閣下と呼ぶことを止めてし
まう、彼女なりに親しみを込めているつもりらしい。
『私たちはあなたの軍事的指揮能力を高く評価し、
その地位に就けました。もし、あなたが本当に指揮
権を佐渡島に譲渡するというのなら、私たちは指揮
権をサドフォース以外の人物に与えます。そうなれ
ば当然、ヴァンダーベッケンで駐留中の機構軍兵士
たちには、そこから引き上げるよう命じることにな
るでしょう』
 かつての機構軍総司令ならば、絶対相手にこんな
ことを言わせはしないのだろうが、今はその権限も
大きく削られてしまっている。いわば、増田の雇い
主こそが宇宙開発機構及び国連なのだ。
 増田は精一杯の抵抗を試みる。
「……いいのですか? 我々サドフォースから兵力
を取り上げるということは、機構軍から重要な手札
を2枚、自ら捨て札の山へ置いてしまうことになる
のですよ」
『意外と分かってないのですね。機構軍全体からサ
ドフォースを切り捨てたしとても、いまさら大した
影響は出ません。ここで逆を言うならば、サドフォ
ースから機構軍をすべて削ってしまうということは、
サドフォース大半の兵力はもちろん、その装備も機
構軍に返還してもらうことになるのです。私たちは
あくまであなたという有能な指揮官を失うことが惜
しいのであって、ラウルに見捨てられたような人物
になどに、機構軍を託すつもりは微塵もないのです
よ───』
 増田は自分のことを誉められているのだが、その
心境は複雑で、素直には喜べない。
 さらに女性の言葉は続く。
『───君が佐渡島の傀儡に甘んじるつもりならば、
たとえあなたの口から出た案だとしても、彼の影が
見てとられる行動だと私たちが判断した場合、兵士
たちには関与をさせません。おそらくはあなたを信
頼している兵士たちも、同様の考えだとは思います
けど───』
 そして、女性は増田がいうところの重要な手札の
うちの1枚、ヴァンダーベッンについて続けてこう
語り始める。
『───確かに私たちもヴァンダーベッケンには興
味があります。しかし、残念ながら交渉の切札には
なりえないのです。終戦宣言が出て、我々が敗戦側
である以上、ヴァンダーベッケンにおいて以前から
あなた達が行なってきたような振る舞いは難しいと
考えるべきでしょう。フェデレーション側に危害が
及ぶような真似をして、注目を集めるようなことに
なれば、あなた達は追い出されることになるでしょ
うね。それが嫌ならフェデレーション側やグローリ
アス公を刺激しないことです。ひとこと出て行け、
と言われれば出て行くしかないのですから』
 増田は考えた末、やむなく指揮権の返還を撤回し
た。佐渡島・フォン・犯右衛門へ譲渡できなければ
何の意味もない。ここで変な意地を張ったとしても、
それは単にサドフォース解体へしか繋がらないのだ。
(くっ、状況はラウル存命の頃と何ら変わりはない
じゃないか。いや、むしろ難しくなっている)
 通信を終えた後、増田は佐渡島に連絡を入れる。
もちろん、機構軍総司令としての指揮権譲渡の失敗
を報せるためだ。正直、気は重い。
 ホロに映った佐渡島は愛人であるネヴァンを傍ら
に置き、機嫌よさげにしていた。だが、増田の持ち
込んできたその報告は、佐渡島の表情を一変させる。
彼の機嫌のベクトルを一気に真逆へと変更するには
指揮権譲渡失敗は、十分過ぎたからだ。
 佐渡島の激情を察知したネヴァンが、足元に気を
つけつつ、愛しい人から離れて行く。彼女の姿がモ
ニターから消えたその刹那、佐渡島は激昂して増田
を怒鳴る。
『貴様ッ、余に指揮権を譲るという話ではなかった
のかっ!』
(声を荒げられても、状況は変わらないのに)
 増田は冷静な態度を以ち、荒らぶる佐渡島を宥め
ることにする。
「総帥、落ち着いて下さい表向きはこの増田が機構
軍総司令でありますが、閣下に心酔させていただい
ている以上、事実上の指揮権は今この瞬間も総帥の
ものなのです。ともかく、今の我々に必要なのはサ
ドフォースで動かすことの出来る人員です。人員さ
えあれば、我々の計画<ARGHA>はまだ実行可能な
のですよッ!」
『───確かにな。では、当初の計画通り余はそち
らへ向かうこととする。空港機能は使用出来るのだ
ろうな?』
 増田がうなずくことで返答をすると、通信は佐渡
島側から切断された。
 増田は大きなため息を吐くと、シートに身を沈め
て少しでも安堵感を得ようと試みる。だが、どうや
っても体にしっくりとは来ない。
 理由は判っていた。このシート、所詮は他人のた
めに作られたシートであるからだ。
     @     @     @
 増田を始めとするサドフォース側の者たちは、ヴ
ァンダーベッンにおける自分たちの影響力を常に気
にしていた。だが、その一方でフェデレーションメ
ンバーたちはヴァンダーベッケンの外にいるメンバ
ーたちとも話し合い、太陽の超新星化に対する手立
てをいくつも立案し、それらの計画を実行するため
の準備を進めていたのである。
 現段階で上がっているのは、<ノア>、<Birth 
sol>、<スルト>、<太陽は腐ったリンゴなんか
じゃない>、そして<Double Earth>。
 視点の異なる計画が同時に立案されているが、太
陽系の形状維持という観点から計画実行優先順位が
何の言い争いもなくつけられた。
 その結果は以下の通り。
 太陽に干渉しようとするWG<Birth sol>、<
スルト>、<太陽は腐ったリンゴなんかじゃない>
の結果を待ち、地球の移動もしくは転移を考えてい
るプロジェクト<ノア>及び<Double Earth>。<
Double Earth>は<ノア>の一環として含まれるこ
ととなった。
 人類を救ってみせるという共通目標を持つフェデ
レーションメンバーたちにとって、互いに足を引っ
張り合うことなど頭になかった。そこに名声などと
いうものは存在していない。
 先月から実行に移されている<Eternal Blue>は、
マルチウェブを活用し、人々の不安を払拭すること
と超新星化阻止のために動く者たちのバックアップ
することで目的が継続している。<Eternal Blue>
を動かしているギーヴ・パラス・グラウコーピスは
若き企業家であり、フェデレーションメンバーでは
ないそうだが、人類は必ず救われるとの先を見越し
て動いている。
 そして、サドフォースも<ARGHA>という計画を
実行に移し始めていた。
 こうして太陽の超新星化から人類が生き残るため
の手立ては、いくつも動き始めているのである。
     @     @     @
 地球軌道上。
 機構軍との決戦に勝利したグアイヒアは、L5コ
ロニーから中古往還機やレストア中の往還機を借り
受け、すでに地球軌道上にあった。乗員が個人所有
している往還機と共にこれらの往還機をヴァンダー
ベッケンへと降下させることが目的だった。

 ワンダーネレイド号、操縦席。
「こちら<ワンダーネレイド>号船長、アハメイ・
耶摩杷でーす、ってアレ? 知ってる顔がどこにも
なーい」
 アハメイ・耶摩杷の今回の相棒であるシャンク・
ジャンガリアンは豪快に笑った後、アハメイの疑問
に答えてやる。
「まあ、そりゃあそうだろうよ。ヴァンダーベッケ
ンにはサドフォースが駐留しているんだからなあ。
おまえが前見た空港管制官の連中は、クローゼット
の中へこいつらに押し込まれているんだぜ、きっと。
儂にだってそれくらいの想像はできる。なあ、話を
聞いてる兵士の皆さん?」
 シャンクにそんな同意を求められてもどう答えて
いいのか分からない官制担当兵士。
『…………』
 無言になってしまった空港の管制担当兵士が口を
開こうとする前に、アハメイは言葉を続ける。
「まあいいや、とにかくヴァンダーベッケン着艦許
可を下さいな。超新星化対策プロジェクト及びWG
の参加人員及び必要器材を運んでまーす」
「荷物を山ほど積んでるんだ。早いところ許可を頼
むゼ。腐っちまうかもしれないからな」
「ええっ? ナマモノ積んでたっけ?」
「人間様のことだよ。狭いところに大勢突っ込むっ
てのは何かと良くない。人間でも何でもそうだが、
イライラして争いを始める。やっぱりあれかな、こ
ういうのって、今の流行でいうところのコギトンの
集中による何とかってヤツじゃあないのかな」
「アハメイ、よくわかんないなあ。そーゆーのって。
でも、人が一杯いるとイライラすることって……」
 アハメイたちの会話は止まる気配がない。そうこ
うしている間に、サドフォースからの許可はあっさ
り下りた。アハメイとシャンクのやりとりを聞きた
くないがばかりに、素早くサドフォースに連絡を取
ったからである。
 これからヴァンダーベッケンの王立空港には、ア
ハメイのワンダーネレイド号を先頭に、往還機が次
々と降下することになるのである。

 王邸、執務室。
 室内に数機設置されているのホロモニターは、空
港でグアイヒアへ向かおうとしている往還機の姿を
映し出している。往還機には各WGに参加しようと
する人員や機材が詰め込まれ、次々に宇宙へと昇っ
ていた。
 当初、往還機を降下させてきたアハメイ・耶摩覇
は、ヴァンダーベッケンに往還機を駐留させるつも
りだったが、グローリアスに降下させた往還機は全
て速やかに宇宙へ戻って欲しいと要請され、渋々グ
ワイヒアへ戻っている。

 グローリアスは座り慣れた愛用の椅子にもたれ、
ホロモニターの内の1機から投射されている祀里花
のバストアップ映像と話をしていた。
 室内にはグローリアスの他に、彼の警護に名乗り
出た大谷和美とウーノ・ラングレー、そして神代絵
理子が来客用のソファに座らされている。近衛兵で
もない和美たちを立たせておくのは悪いと、グロー
リアスが2人に座っているように頼んだからだ。も
っとも、絵理子は始めから座っていたのだが。
 里花と話すグローリアスを見て、和美は少しうら
やましそうに眺めているのだが、一方のウーノは表
情も変えず、部屋にあった前世紀に出版された学術
書に目を通しながら、たまにグローリアスの様子を
ちらりと見る程度。そして、絵理子は無関心を装っ
ていた。
「そうか。グワイヒアに乗るんだね、里花」
『はい。ここから去ることは寂しいですけれど、太
陽を元に戻せさえすれば、またここにいる人たちに
会えますから。だから、わたしは自分の出来ること
をやりに行ってきますね』
「うん、それはいいことだね。ところで、あの元気
な君の姪の由雁も一緒なのかな?」
『いいえ、まだ伝えていません。あの娘、きっと太
陽へ行くことを反対すると思うから』
 里花は自分の声のトーンが下がってきていること
に気付き、話題を変える。
『……あの、聞きましたよ。王子に壮大なウソをつ
かれていたんですってね。かわいそうですから謝っ
てあげて下さい!! 本当にもうッ#』
「むう、……はっはっは」
 少し困ったグローリアスは、とりあえず笑ってお
くことにした。笑いは人間関係における潤滑油なの
だ。だが、里花にごまかし笑いは通用しない。
『はっはっは、じゃあありません。どういうつもり
なんですかッ!』
 今まで2人のやりとりを聞き流しているようだっ
たウーノは、頁をめくる手を止めて、話に耳を傾け
ている。ウーノはグローリアスと王子という親子関
係を通し、自分と自分の父親との関係を見つめ直そ
うとしていたのだ。正直、サンプルとしてはかなり
特殊な部類に入る親子だが、正常であればその根底
に流れるものは似通っているはずだと考えていた。
 ウーノの注目を受けていることも知らず、グロー
リアスははちゃんとしたいつもの笑みを浮かべ、里
花に答え始める。
「そうだね、理由はいろいろあるけれど、宇宙に出
て自分自身の目で世界を視てほしかった、というの
があるかな」
 ソファに座ったままの絵理子が口を挟んできた。
「かつてグローリアス1世がそうしたように? だ
ったら、王子をまた宇宙へ送り出してあげてほしい。
今度もきっと彼女のためになる」
『その声は絵理子さんね。そこにいたんだ、人が悪
いわ。それはともかく、王子は女の子なのよ。今回
は結果的にうまく行っていたからいいようなものの、
普通はとても無理なんですからね』
「無理だったろうね、うん。王女としてお淑やかに
育てていたなら……。今世紀に新興したプレステル
は、血統と民族の国だ。格式には異常といっていい
ほどこだわる。私の幼い頃のVRを観たことがある
かい。まるでデルフト陶器の人形だよ、あれは。転
べば粉々に割れていた。隣に控えている儀仗兵を見
てもわかると思うが」
『陛下……』
 そしてグローリアスは、絵理子にも答えた。
「今回の事態が収まれば、きっと自分で決めてくれ
ると思うよ。ジュニアの人生はジュニアのものだか
らね」
 里花は理由がなんとなく分かりかけていたそのと
き、彼女の体が大きく振れ、ホロモニターから彼女
の姿が消える。
 再び里花がモニターにフレームインしてきたその
ときには、カメラに映ったとき、そこには里花に抱
きつく祀由雁の姿もあった。
『ひどいわ、里花伯母さん! あたしに何も言わな
いでさっ、グワイヒアなんかに乗るつもりだったな
んてっ!』
『こっ、こらっ。離れなさい、由雁。王様が見てい
るのよ、みっともないじゃないのッ!』
『だいたい、里花伯母さんはへい……モゴモゴ』
 里花は由雁の口を押さえた。何を言い出すのか分
かったもんじゃないからだ。そして、どうにも調子
が狂って決まらないわと思いつつ、グローリアスと
の通信を適当なあいさつで終えてしまった。
 グローリアスは、これから里花が往還機へ搭乗す
るまでの短い時間の大半は、由雁の説得に費やされ
るのだろうな、と確信していた。

 ブリッジ。
 増田は風鈴麗を呼び出し、増田が耳に挿んだ話の
確認を求める。
「グローリアスを起訴しようとしていると聞いた。
申し訳ないが中止してほしい」
「彼は各国保有の往還機を勝手に投棄してしまった
のですよ、法的訴えを起こすことなどいくらでも出
来るはずですわ。そうすれば彼の動きを封じ、総統
の計画に対する懸案がひとつ減るのですよ」
 鈴麗は馬鹿なことを言い出した増田に、自信をも
って説明してやったのだが、増田は大きくかぶりを
振った。
「いいや、減るどころか増殖する。しかも、その懸
案も消すことはできないだろう」
 鈴麗は大きくため息を吐き、やる気を削がれたと
いう顔で増田に訊ねる。
「なぜなのです?」
 増田自身も力なく鈴麗に理由の説明をし始めてや
る。
「ます、グローリアスがやったという証拠は何もな
い。仮に証拠があったとしても、各国が同調してく
れるかどうか」
 いぶかしげそうに増田の顔を見る鈴麗。
 増田は自分に向けられている鈴麗の心情をほぼ正
確に察知しつつ、理由を説明してやる。
「何といっても往還機を徴収したのは我々が属する
機構軍だ。実際に起訴すれば、機構軍は保管義務を
怠った、などと奴の側につく国が出てくるだろう。
フェデレーションを支持し続けたグローリアスの側
についた方が得策だからな。もう戦争は終結してい
る。我々サドフォースは勝者ではない。申し訳程度
に残っている権威を維持しつつ失った権威を取り戻
すため、慎重に動かなくてはならないんだ」
 言葉のない鈴麗に、増田はさらにはっきりと説明
してやる。
「ともかくグローリアスの機嫌だけは損ねるな。表
立っては感じられないだろうが、すでに立場は逆転
していると思っていい。我々は奴の寛大さに甘んじ
ている状況に置かれているんだ。総統の抱く計画を
進めたいのなら、私の言うことに従ってほしい」
「仕方ありませんね」
 渋々納得してブリッジを去ろうとする鈴麗。増田
は彼女を見送りながらこんなことを考えていた。
(実は総統の存在自体が計画の足枷になっていると
など、とても鈴麗には言えないな。こちらに向かっ
ている総統も、この船では大人しくしていただける
と助かるのだが……)

 カラハリ砂漠上空、V−TOL機内。
「さすがに戦争終結宣言が出ちゃうと、怪しい航空
機も見なくなるなあ」
 操縦士のヴェルネー・フォルパルトは機嫌良さ気
に呟いた。事実、先日までヴァンダーベッケンの周
囲を飛んでいた、おそらくは南半球連合の機体は一
切見られなかった。戦争の終盤では非公式に機構軍
と敵対していた南半球連合も、旧世紀的な概念でい
えば、今回の戦争での敗戦国側に違いないからであ
る。
 コンラート・モルツはこのV−TOL機に同乗者
として乗り込んでいた。というよりも、この機体は
彼のためにヴェルネーが飛ばしている。コンラート
は医師としての自分を最も活かせる医療活動をする
ために、暴動の発生した区域へ向かうことを希望し
たからだ。コンラートは無法地域と化した場所での
弱者たちのことが心配だったのである。
 コンラートは機を操縦するヴェルネーにこんなこ
とを訊ねる。
「私には理解出来ないよ。往還機を海に捨てて笑っ
ている陛下のことを。君はどう考える? できれば
意見を聞かせてもらいたい」
「そうですねえ───」
 実はグローリアスの往還機投棄計画に加担させら
れていたヴェルネーは、グローリアスのフォローを
しておく。自分が気に入っている人物が悪く思われ
ているというのは、やはり少し悲しいからだ。
「わたしは現場に居合わせたんじゃあないから、断
言はしませんけれど、陛下のすることにはすべて理
由があると思いますよお。そりゃあ、穿った見方を
すればいくらでも悪く取れますけれどね」

 王邸、執務室。
 グローリアスと同じ程の年頃の女性が訪れていた。
彼女の名は趙剛琴、すでに解散してしまってはいる
が、WG<RON>のリーダーであった女性だ。趙
はグローリアスにどうしても確認したいことがあっ
た。それは、往還機の投棄についてだった。
「また全ての往還機を飛ばしてしまうと聞きました。
なぜです? なぜ往還機を残そうとはしないのです?
 先日だって未来を担う子どもたちをわずかながら
宇宙へ避難させることが可能だったというのに」
 グローリアスは何の迷いもなく即答する。
「間違いなく争いの種になるからだよ。そして、人
が人の生死を選ぶような状況を作りたくはなかった
んだ」
「それがわかりません。たとえわずかでも人が生き
延びられる可能性があるのならば、追求しておくべ
きではなかったのでしょうか?」
 グローリアスは一瞬だけ笑みを消した。2人のや
りとりを眺めていた和美たちは、その瞬間、グロー
リアスの表情が哀しげに見えた。それは自分の真意
の伝わらない者がする表情だった。
「わからないかい? では、君がいつの日にかわか
ってくれることを強く願うよ」
 納得のできていない趙は反論を試みようとするの
だが、グローリアスの言葉はさらに続く。
「───それと、超新星化の阻止に全力を尽くすと
いうことは、そういうことじゃあなかったと私は思
うよ。我々の追求すべきことは、全ての者が生き延
びられるようにすることだろう。あのときも試すべ
き手立てはあったのだし、今だって手立てはある。
プロジェクト<ノア>があり、<Eternal Blue>や
<Double Earth>に参加する人々は君が逃げるべき
場所だと考えるこの地球に降りて活動しようとして
いる。サドフォースだって地球を救うために何かし
ようとしているらしい。やれることはいくらでもあ
るんだよ」

 事実、グローリアスは趙に告げた通り、既に動い
ていた。<ノア>のリーダーとなったエステーバン・
ギィェルモから、彼と<Double Earth>のリーダー
であるリンダ・イフェアが共同作成した要請草案を
受け取り、すでに許可を出している(別に私の許可
は必要ないんじゃないかな、と思いつつも)。
 <Eternal Blue>に対しは、今までのVRソフト
開発施設開放及びVR技術者の斡旋に加え、今回は
上層部にあるVR放送局を開放した。これらにより、
<Eternal Blue>はマルチウェブ網への干渉と、ウ
ェブチャンネルの複数同時放映機能が同一施設で可
能となったのである。
 更にいうのならば、サドフォースにさえ今だに好
きにさせているほどなのである(隠しブリッジから
のシステム干渉という切札は所持したままだが)。

 王邸、執務室。
 ホロモニターにはグワイヒアへとランデブーしよ
うとする最後の往還機が映っている。その往還機が
ヴァンダーベッケンから離れようとしている最中、
グローリアスはネイバーのひとりである祀里花にエ
ングラム交感を試みる。
 伝える言葉はたったひと言。
《また会おう、里花》
 心の壁を消していた里花の心に、この言葉はしっ
かりと届いた。
《はいッ、王様!》
 この日、グローリアスは誰に対してもはっきりと
した別れの言葉を使わなかった。
 彼のちょっとした思い込みなのであるが、別れの
言葉を使うことで因果律が生じ、本当の別れとなっ
てしまう気がしていたのだ。

 こうしてグワイヒアから降下した往還機は、太陽
の超新星爆発を阻止すべく動こうとする人々を、適
材適所に配置し、全て宇宙へと還ったのである。
     @     @     @
 太陽はまだある。太陽が太陽の姿でいられるよう
動いた人たちは、全て太陽が飲み込んだ。飲まれた
人たちは肉体を失い、それぞれの信じる死後の世界
へ向かうかと思われたが、それぞれの信じる何か達
はどうやら結託しているらしく、手厳しかった。太
陽に飲まれた人たちの精神は、それぞれの持つエン
グラムという名の一種の感覚器官の向こう側に存在
する世界、情報世界という名のへと送り込まれた。
 精神だけになっている人たちは、肉体を失う直前
まで続けていたこと、太陽をペルセウスミラーとい
う名の能力で覆うことを、この情報世界における太
陽に相当するものに対しても続けていた。太陽の超
新星化を阻止するために。奇しくもこの行動が太陽
超新星化の際に発した衝撃波を無害化してくれてい
たのである。
 その一方で、情報世界に対する表の世界であると
いえる、物理世界でも<Birth sol>や<HMM2S>と
いう名の作戦が行なわれようとしていた。だが、情
報世界でのペルセウスミラー展開が仇となって、物
理世界での太陽への干渉が出来なくなっている。懸
命に頑張っている者に対し冷や水を掛けるような真
似だけはできないと、精神だけの人たちは、太陽に
相当するものからペルセウスミラーを解除した。
 そして、ペルセウスミラーを展開していた人たち
は、誰が言うでもなく、太陽以外の守るべき場所を
情報世界から覆い始めてる。

 情報世界。
 イカロス号に乗っていて太陽に飲まれた男の精神
が漂っている。ペルセウスミラー展開者でもない彼
は、自らの思考力を極力落としていた。彼は余計な
ことを知り、因果力を高めたくはなかったのだ。
 だが、そんな彼を延々と呼び続けている者がいた。
思考力を落としている彼は、その声に関わろうとは
しなかったのだが、あまりのしつこさに関わろうと
しつつあった。
《ひろひろ》
 \?/
《ひろにいひろにい》
 ひろにい?
《ひろにいちゃんひろにいちゃん》
 ひろにいそうだおれはあもうひろ
《ヒロ兄ちゃんヒロ兄ちゃん……》
 天羽ヒロだ。
《ヒロ兄、ヒロ兄、いいかげんに返事をしてよ》
 呼んでいるのはネイバーのピム?
 ピム・ニルチェイドなのか?
《うん、そうだよ。やっと答えてくれたんだね、嬉
しいよボク》
「そうか。で、どうした? ……いいや、具体的な
理由は言わなくてもいい。太陽に引っ張られたくは
ないんだ」
 こうして、意識の回復を果たしてしまったヒロは、
ピムからある頼みごとをされるのである。
     @     @     @
 カラハリ砂漠。ヴァンダーベッケン周辺。
 太陽が白く激しく照りつける中、麦わら帽子をか
ぶる薄氷霞月と三神住梨緒は何か実験めいたことを
しようとしていた。なお、彼女たちの周囲には植物
が点在して繁殖している。砂漠なのに。
 少女たちは簡単に打ち合せを済ませた後、互いに
距離を取るべく、駆け出した。どちらも砂地は慣れ
てないのか、いつ転んでも不思議ではないような雰
囲気を醸し出している。そして数秒後、およそ10
0mほど離れた位置で足を止めた。すぐに霞月は振
り向き、梨緒に対して精一杯大きな声を出す。
「今度はこれくらいでいいよねえ?」
「ええ。じゃあ、飛ばしますねー」
 返事を返した梨緒は、手のひらに移したエングラ
ムを表に向けると、意識をエングラムへと集中させ
る。すると光の粒のようなものがエングラムから吹
き上がった。それは、<エヴァクリーン>技能によ
って創出された幻影樹の種とされている光の粒。
 梨緒たちの周囲の砂地にいま茂っている植物こそ、
梨緒がエングラムより作り上げた光の粒が成長した
ものなのである。
 梨緒が参加しているのは<Double Earth>、霞月
は<ビーム・アス・ホーム>だ。それぞれ参加して
いるグループは違うが、未知のエングラム技能であ
る<エヴァグリーン>の効力の実証を行なうという
同じ目的があった。
 光の粒は梨緒の身長の倍程度の高さまで昇ったか
と思うと、急に方向を変えて霞月の立っている場所
へと漂い始める。これは梨緒の意志の力だ。<エヴ
ァグリーン>によって創造された光の粒は、創造者
の思うままの方角へ飛ばすことが出来る。まるで長
い尾を引く彗星のようにだ。
 梨緒は光の粒が漂う高さを霞月の目線までゆっく
りと降下させ、そしてなおも前へと進める。そうし
ている間にも光の粒の集合体からこぼれ、砂漠の砂
の一粒に混じってゆく。
 やがて光の粒の固まりは、霞月の体を通過し、梨
緒の視界の限界まで飛んで行くと、その輝きは完全
に見えなくなった。消滅したのだ。
 砂に落ちた光の粒たちは、梨緒から霞月の後方ま
で一直線の光の道を作り上げた。夜ならば、美しく
幻想的に見えていただろう。しかし、あまりに強い
太陽からの日差しと暑さは、決して2人に夢の世界
を見せようとはしなかった。あれは世界破滅のシン
ボルなのだ。
 だから2人は淡々と実証を続ける。
「霞月さん、粒があるところまで下がって」
「わかったあ」
 霞月はやはり砂に足を取られながら、子どものよ
うにテテテと走る。そして、彼女は後方に位置して
いた砂山のてっぺんで足を止めると、ホビットを取
出した。ここからでは本当に相当の大声が出せない
と、梨緒に声を届けるのは無理だから。
 幾度かの実証でそのことが判っている梨緒は、す
でにホビットを取り出して霞月の声を待ち受けてい
る。
 霞月はホビットに話しかける。
「梨緒ちゃん、やっぱりダメだよお。僕の後に種は
一粒だって落ちていないやあ」
『そっかあ。やっぱり有効範囲はわたしの目、つま
り使用者の視界までなのね。だったら、高地から撒
けばより広範囲に種の散布が可能みたい』
「ってことは、種を動物に付着させて運ばせるって
やり方もダメなのかあ」
『仮に出来たとしても発芽の瞬間に情報化されちゃ
うんじゃあ、かわいそうですもの。でも、結果的に
はそうしてあける方がいいんだけれどね。───じ
ゃあ、念のためまた発芽させるね。それっ!』
 梨緒が発芽の意志を持った刹那、現存する彼女が
創造した光の粒すべてから、植物の芽が同時に生え
ると、急速な成長を始めるのである。
 霞月はその体に目一杯の光の粒を通したが、彼女
と彼女が身につけている物からは幻影樹の芽は発芽
しない。幻影樹はその成長課程中に生物無生物を問
わず、情報世界へと取り込むのだが、エングラム発
現者はその意志がない限り情報世界へは取り込まれ
ないということがすでに実証されているのだ。
 芽は止まることを知らずに成長を続ける。その課
程で隣接する苗の根の部分で融合し、場合によって
は苗自体が融合するケースもあった。より、太く大
きな幻影樹になるのである。ともかく、幻影樹の種
の一粒一粒がしっかりと成長し、霞月が立つ砂山の
てっぺんまで幻影樹が一列に並び生えたのである。

 この後、<エヴァグリーン>実証実験は続き、幻
影樹によって情報化され情報世界へ送り込まれた生
物の再構成化が可能なことも証明される(※)。
 <Double Earth>のオペレーションリーダーであ
るリンダは、同計画の実行と<エヴァグリーン>の
活用をこう宣言している。
『みんなで助かりましょう。人間だけでなく、この
地球上すべての生きものが助かるように』
 エヴァグリーンを使用して地球圏全土全施設を情
報世界へと取り込むのならば、一番理想的なのはエ
ングラム発現者が地球圏すべてに均等に散り、同時
に幻影樹を発芽させることが理想的である。だが、
エングラム発現者にエヴァグリーンを転写したとし
ても、人員不足で実現しないだろう。
 ただし、あらかじめ生活圏以外の地域を情報化し、
後に生活圏での情報化を実行するのならば、タイム
ラグなど問題なく地球圏全土を情報世界へ送ること
は可能である。ただし、情報化される人々が進んで
情報化を容認させる雰囲気を作り上げなければなら
ないだろう。正直、難しいことだ。
 だが、手がまったくないわけではなかった。人々
の意志統一(正確には思考性の類似化)に適した活
動グループがある。それは<Eternal Blue>だった。
(※ここまでて実証されている再構成化の条件〜オ
リジナルフェイドラの活用、ネイバーリンクの活用、
<スレッド>の熟練者による救出、などなど)

 ヴァンダーベッケン、VR放送施設ビル。
 赤毛の少年、ギーヴ・パニス・グラウコーピスは
<Eternal Blue>における核の部分といえるマルチ
ウェブ担当者である。彼は施設内の中枢と位置され
るマルチウェブ送信管理センターにいた。ギーヴは
複数方向から自分を撮影するホロカメラの前に立っ
ていた。送信先は<Eternal Blue>に関わるVRソ
フト制作企画者や報道担当者。そうした人々に向け、
ギーヴはメッセージを発し始める。
「あー、映っているか? 俺だ、ギーヴだ。(周囲
を見回す)悪くないな。さすが最先端を誇るプレス
テルの放送施設。腕利きのVRソフト技術者も揃っ
ているんだ、これでくだらないソフトを作るような
奴は制作者としては死んだ方がいいなあ。───そ
れと報道担当者、とにかく事実以外はいらない。持
ってくるな。ただし、得られる事実は素早く全て持
って来い。小賢しい編集を考えるなよ。フィルター
にかけるかどうかはこっちでやる。我々に影響を与
えるものは何もない。(正面のカメラに右手人差し
指をビシッと向ける)お前たちひとりひとりが民衆
にとっての真実を見る目であり、真実を伝える口と
なれ。───有占チャンネル総数で視聴率100%
以上取るつもりで取り掛かれッ! 以上、動け」
「OKでーす」
 ADに声をかけられたギーブだが、気を抜かぬま
ま、送信センターに居合わせている者たち全てに言
葉を続ける。
「───ソフトもニュースもチェックに際しては手
を抜くな。そして、急げ。常に互いを監視し、偏っ
た判定を下する奴を見付けたらこの部屋から、いや、
船自体から砂漠に放り出してやれ! ───討論生
中継でも無意味に悲観的な観測を口にする奴は即、
降ろせ。空いた席にはぬいぐるみでも置いておけ。
討論結果で有効な意見として扱えそうなものはすべ
て各作戦本部に通知することになってるんだからな。
───編成は、完成したソフトや入ってきたニュー
スを随時、各チャンネルへ投入しろ。番組内容系列
で内容を整えれば、視聴者は固定されてくるはずだ。
チャンネルは買取ってやれ、何でもぶち込め。無駄
な空きチャンネルを作るなよ。有料チャンネルも当
面は無料とする。全体視聴率の低下は編成である貴
様らの責任だ。世界破滅へのカウントダウンだと認
識しろッ! さあ、今すぐ全員動けッ!!」
 ギーヴの言葉は送信センター全体に響き渡り、居
合わせたほとんど全ての人間が動き始める。そのギ
ーブの言葉はまるで魔法の呪文のだったかのように
浸透したのだ。
 口を動かしている間にスタイリストから額や顔の
汗を拭かれたギーヴは、皆が動く中でただ立ってい
るだけのギルファードと京女美を見て怪訝な表情を
作る。
「何をしている?」
 ギルファードは冷静に言い返す。
「俺はあんたのボディガードとして雇われた」
「そうよ、ギーヴ。そういう話だったじゃないの。
あまりに忙しくて頭の容量、使い果しちゃったの?
 若いのに気の毒ねえ」
 年上の婚約者である女美にそう指摘されると、ギ
ーブは間違っていたと気づいて素直に頭を下げる。
これはギーヴの良いところだといえよう。
「……確かにそうだった、すまん。───が、今の
俺にはボディガードなどいらん。必要なのは優秀な
手足だ。ん、そうだ。仕事をやる。部下もくれてや
る。ボディガードなんかするより何十倍も金になる
ぞ」
「金か……」
 ギルファードの僅かな反応で全てを察知したギー
ヴは、ホビットの画面を指でトトトンと突きながら、
空に向かって口を開く。
「ようし、返事はそれで十分だ。すぐに手筈はつけ
てやる。ルーシェ、いま作成したデータをギルのホ
ビットへ放り込めッ!」
 1秒と経たないうちにギーヴの傍らにあったエン
グラムインターフェース機器から大人しそうな少女
のホログラムが現われた。ギーヴの所有するフェイ
ドラ、ルーシェだ。
『データ転送、完了いたしました』
「くーっ、やっぱりルーシェはかーいーねぇ☆」
 思わず拳を固めて身を震わせているギーヴ。この
瞬間、ギーヴは歳相応の中身に戻っていた。
「この、フェイフェチがあッ! 仮にも婚約者を前
にしてフェイドラにさかるんじゃあないっ!! あれ
だけ偉そうなことを山ほど言ったんだから、あなた
もきっちり仕事をしなさい、仕事をッ!」
 ギーヴの年上の婚約者である女美は、ギーヴを思
いっ切りグーで殴り倒した。そして、女美はギーヴ
の襟首をひっつかみ、ひきずったまま送信センター
から出て行こうとする。彼女は元々ギーヴのサポー
トをすることになっていたのだから、結果的にはこ
れでいい。
「じゃあね、ギル。一生懸命働くのよ」
「あ、ああ……」
 ギーヴの性格のギャップに呆然としているギルフ
ァードは、生返事しか返せなかった。
 そして数分後、何とか立直ったギルファードは、
ルーシェから受け取ったデータを見る。そこには彼
に与えられる部下の名前と、ホビットの買い占め指
示と、ホビットの普及率が低いであろう土地の地名
がつらつらと書かれていた。そして、最後にギーヴ
自身の言葉でこんなことが書かれている。
『与えた部下とお前自身でホビットの普及率が低い
各土地へ散り、ホビットの無料配布をしに行け。普
及率が高まれば<Eternal Blue>は成功へと確実に
近づく。さあ、動け』
     @     @     @
 地中海上空、小型専用旅客機内。
 浅石喜四朗はシシェル・上杉・エンデと共に諸外
国を回っていた。各グループが実行しようとしてい
るプロジェクトやワーキンググループの、承認と協
力を求めるためだ。
 シシェルが疲れて眠っている、喜四朗はその間に
口述方式でホビットに日記を作成していた。
『───私の失敗は国家首席クラスや有力者を対象
にしていたことだ。国家は残っているが、まとに機
能なんてしてはいなかったのだ。確かにあと半月も
しない間に全てが終わる可能性があるのに、年金の
支給年齢引き上げの是非等で、熱い論戦など繰り広
げているはずはなかったのだ。
 結局、私とシシェルが会えたのは、よくて若手議
員と呼ばれる人々で、あとは移動の途中で出会った
政治とは関係なさそうな人々ばかり。
 国連すら、辛うじてでしか話の出来る人しかいな
かったのだ。
 まだ動いている現場の人間(その大半がフェデレ
ーションメンバー)はとても協力的だ。だが、シシ
ェル・上杉・エンデが例の話を持ち出すと、皆揃っ
て怪訝な顔をする。言葉を交わした国連の職員です
らだ。例の話とはまとめるとこんな話───
「フェデレーションに対する地球の人々の対立感情
が戦争を招いた。それはフェデレーションにも責任
がある。戦争を止めるという努力を怠ったのだから」
 ───というものだ。彼女の意見はさほど的外れ
でもないような気が私はする。今回の問題が解決す
れば、必ず見直さねばならないことだからだ。フェ
デレーションメンバーも案外柔軟性がない。自分た
ちのことを悪く言われているからといい、理解しよ
うとしないのはよくない。同じメンバーとしてとて
も残念だ。
 ともかく、彼女が国連内組織として設立を目指す
<宇宙開発委員会>や太陽系内の自由競争体制が確
立されるといいのだが。
 それはともかく、彼らも基本的な部分では協力し
てくれるそうだ。話もいろいろ聞けた。
 そう、これが笑ってしまう。いや、不謹慎か。某
国の大統領はかつての開発競争時代のロートル往還
機を極秘で整備させているらしい。
 また、某国の首相も暴動を恐れて似たようなこと
をやってるらしい。だが、それを国民に聞き付けら
れて新たな暴動の発端となったそうだ。皮肉なこと
だ。
 いずれも使用目的は言うまでもない。いまさら宇
宙へ出てどうする? そうした人というのは、人の
上に立ちながら、覚悟というものがなさ過ぎるのだ』
 なお、喜四朗の日記に記されていた某国の首相は、
その後、別荘に隠し持っていた往還機の存在を、同
国の報道機関にスッパ抜かれてしまう。それを知っ
た人々は往還機を奪うべく首相の別荘を襲撃するの
だが、何かのはずみで燃料に引火し、往還機は別荘
と共に大破した。およそ1000人の人々を死傷者
として巻き込んで。

 ヴァンダーベッケン、VR放送施設ビル。
 シシェルから送られてきたVRソフトをチェック
していた担当者が、首をひねりながらギーヴの元に
やってきた。ウェブに流していいものかどうか彼の
意見をうかがいたいとのことである。
 ソフトの内容は、シシェル自身の演説だ。彼女は
今回の戦争での問題は、人類の総意が戦争の継続を
選択したんだと主張し、特に戦争を放置したフェデ
レーションが良くなかったのだと彼女は指摘してい
る。
 早送りで映像と音声を流し見終えたギーヴは、デ
ッキからディスクを抜くと、担当者に投げ返した。
「こんなもん流せるか。何考えてるんだ。フェデレ
ーションがどうだとかいうからじゃあない。それ以
前の問題だ。どうしても流したいとそいつが言うの
なら、この事態が収まってから勝手に好きなだけ流
せと言ってやれ。<Eternal Blue>の主旨わかって
るのかともな。───何、迷っているのはこいつが
フェデレーションのスポークスマンを名乗ってるか
らだと? 最初から別の意味で主旨が見え見えだ。
こんなソフトは突っ返しとけッ!」
 なお、シシェルのVRソフトは、数日後ギーヴら
の判断によって弾かれたその他のソフトと共にある
ウェブチャンネル局によって放映される。だが、そ
れらのソフトは大して視聴率も取れずに終わってし
まう。未曾有の危機が迫っている中、いま主張する
べきでないことばかりだっからだ。
     @     @     @
 ヴァンダーベッケン、空港施設滑走路。
 佐渡島・フォン・犯右衛門と彼のが乗る小型旅客
機が到着した。本来なら、旧世紀チックにタラップ
から送迎用のリムジンまでの間を兵士たちが並び、
佐渡島は軽く手をあげつつ、赤じゅうたんを歩くと
いう画が出来ていてもいいはずなのだ。しかし、実
際の画はリムジンこそはあるが、出迎えは警備のた
めの兵士たち数名と、タラップの下で待つ増田と警
備主任のヴラッド・ナカトだけだった。
 ヴァンダーベッケンの甲板部を踏み、リムジンに
乗り込んだ佐渡島の第一声、それは不満だった。
「出迎えが少ないな」
 と、ヴラッドを見る佐渡島。
(あ、いや、その……だから俺は言ったんだ。国連
とかそんなものは気にせず盛大に、総帥をお出迎え
すべきだったんだと)
 自分の心酔する対象にそう言われ、どう答えてい
いのか分からなくなっているヴラッドに対し、増田
は佐渡島にうやうやしく頭を下げた後、感情を表に
は見せず口を開く。
「派手なお出迎えをとも考えたのですが、開発機構
などに知られますと、後々、面倒なことになりそう
ですので」
 佐渡島はそれで納得したが、彼の傍を歩くネヴァ
ンは納得しなかった。
「まったく偉くなったものよね、誰のおかげなのか
理解出来ているのかしら」
(出来ていますとも。けれど、私はそれを望んでは
いなかった! 原因を作ったのは誰だ!)
 心の波を乱す増田だが、実際に口から出た言葉は
まったく異なる。
「これは手厳しいお言葉ですね」
「余裕あるのね、総司令とまで出世なさると」
(嫌いだ、この手の女は。たとえ優秀でも、権力者
の愛人になることで自分も同じような権力を得たと
錯覚する女は。恥ずかしいよ、同じ……)
 増田は心の中だけで唇を強く噛んで堪えた。

 リムジンの運転を担当していた兵士は、仲間の兵
士に対し自慢気に語る。
「やはり閣下はご立派だったよ。あれだけのことを
言われてもじっと堪えていたんだぞ」
 彼は増田に心酔しているクチの兵士だ。
 それを聞かされた別の兵士は、増田をこう評する。
「そりゃあ立派だが、俺たちが従って恥ずかしくな
いと思えた指揮官は、もう閣下呼ばれる地位となら
れているんだ。もうそんなことで堪えなくてもいい
と思うし、そろそろサドフォースの増田ではなく、
機構軍の増田という自覚がほしいもんだね」
     @     @     @
 まだ先のことは具体的には決まってないが、エン
グラム技能<エヴァグリーン>を活用し、地球圏を
情報世界へと送り込むことだけは決定されていた。
 すでに同技能保持者たちによる光の粒の散布実証
により、ヴァンダーベッケン周辺の砂漠は幻影樹で
覆われている。発芽成長中の融合を活用した効率的
な種の散布手法が確立されたのだ。
 だが、まだ問題は残っている。散布と発芽のタイ
ミング、転写による同技能の保持者拡大、否定的な
人々の説得、などなど。
 だが、現時点での絶対的な問題がひとつある。そ
れはヴァンダーベッケンから世界各地へ向かうため
の足が揃っていないということ。つまり、航空機が
足りないのだ。
 確かに、航空要員や個人が保持している機体やサ
ドフォースの機体(大半が機構軍のものだが)を活
用すれば、ある程度の人員をまとまって運びだせる。
そして、どこかの空港に降りた時点でそれぞれが世
界各地へ拡散し、それぞれのやり方で確実に幻影樹
が世界全体を覆えるよう、じっくりと活動を続けさ
えすればよいのだ。
 だがしかし、もはやそんな悠長な時間は残されて
はいないのだ。とにかく<エヴァグリーン>技能保
有者たちは世界へと拡散し、世界を情報化するため、
今から効率的に動き回らねばならないのである。だ。
そのために、どこへでも行ける足が今すぐにでも必
要だったのだ。
 だが、この問題は意外なところから解決がもたら
された。技能保持者たちが世界各地へ移動手段の提
供を要請する前に、向こうから側からヴァンダーベ
ッケンに対し、何10機もの航空機がやってきたの
である。
 これは<Eternal Blue>で所有するチャンネル内
で、地球情報化のキャンペーンが始まったというこ
ともあるのだが、やはり浅石喜四朗とシシェル・上
杉・エンデが早くから動いていたことが大きいだろ
う。
 喜四朗たちの外交は、当人らの目する部分での成
果はほとんどなかったが、ヴァンダーベッケンから
行なわれようとしている地球情報化の話が喜四朗か
ら、今もなお正しく動いている人々には伝わったら
しいのである。
 その結果、この後も航空機が続々とヴァンダーベ
ッケンへと到着し、船内にいた<エヴァグリーン>
技能保持者が1人に対して1機+操縦者付きという
最高の条件で、世界各地へと拡散することが出来る
ようになったのである。
     @     @     @
 こじし座20番星太陽系、エアレンディル号。
 レイル・谷崎は束ねた長い髪を揺らしながら、自
分のロッカーを覗き込んで中をあさっている。
 そのレイルの背後から、きれいな金色の髪を持つ
男BLUEが声をかけた。BLUEは彼に用がある
のだ。だが、実際に口から出たのは警官の職務質問
的な言葉。
「何をやっているんだ、君は」
 BLUEはレイルのネイバーリンクによって<あ
りえない転移>で情報世界へと共に向かう、レイル
の相棒的な存在だ。
「あれやこれやだよ。こじし座20番星太陽系のデ
ータを集めたり、その軌道上に転移させる計算をし
てもらったり、そして万が一のための浮き輪を探し
たりだ」
 掛けている眼鏡の位置を手で直しながら真面目に
そう答えたレイルに対し、あからさまに怪訝な顔を
するBLUE。
「そもそも浮き輪なんかを、わざわざここへ持って
きているのか?」
 はっと我にかえるレイル。
「そうか、しまった。だったら───」
     「他にすべきことが───」
 この瞬間、レイルとBLUEの体がエアレンディ
ル号から姿を消した。<ありえない転移>が始まり、
2人の体は情報世界へ消えた。

 情報世界内。
 エアレンディル号から姿を消したレイル・谷崎と
BLUEの体と精神は情報世界内にある。<名称不
明>技能を所持していないのが悪いのか、<エヴァ
グリーン>で体を情報世界向きの状態にしなかった
のが悪いのか、何も見えないし何も聞こえない。た
だ幸い、互いのエングラムがうまく作用しているの
か、意識が繋がった状態であるために会話めいたも
のは出来ている。
《《俺たちはどっちへ向かえばいいんだ?  右か
な左かな?  多分ネイバーリンクによって引き寄
せられているとは思うのだけれども実感はない  
そもそも情報世界に具体的な方角の概念は存在しな
いと私は聞いたことがあるな  このままここで朽
ち果てるという可能性もあるということか?  大
丈夫だろう  その根拠は?  情報世界には正し
い時間の概念もないと聞く常に変速的かつ流動的で
あるらしいつまり時間の経過による死はありえない
ということだ  だがなヴァンダーベッケンが情報
世界にはまった時船体の一部が原子崩壊のような状
態を起こしたそうだぞ  それは転移のやり方が違
っていたからでねえ  だから根拠は何だというん
だよ?  ふはははははああ!  誤魔化すなよ》》
 その時、2人の間に第3者の意識が届いた。それ
はどうやら女性、というよりも女の子の意識。
《こちらです》
《《えっ!  誰だ君は?》》
 唐突に届いた言葉にうろたえるレイルとBLUE。
《心配しないで下さい。わたくしは太陽に呑まれた
者たちのひとりです。あなた方を正しく導く道標と
して接触させていただいております》
 レイルは相手からの説明を受けて一応の納得をみ
せるのだが、BLUEは違った。落ち着くレイルと
は対称的に、興奮し始めている。
《《そうだったのか  \!?/  感謝するよあり
がとうBLUEも礼くらいは伝えた方が……  悪
いがここから太陽へは向かえないだろうか?  何
を言い出すんだ君は!  彼女が主張した通りだと
すればあいつ……征矢司もきっと……》》
 BLUEは感極まっている状態に達するのだが、
女の子の意識はBLUEを諭す。
《よした方がよろしいですわ。今のあなたは一緒に
いる方のネイバーによって牽引されているのですか
ら。たぶん、糸を切られた凧のように、自分でもわ
からぬまま、どこかへ行ってしまうことになるでし
ょう》
 こう言われてはあきらめるしかない。BLUEは
気持ちの中で肩を落とす。
《《仕方ないな  ……誘った私としては心苦しい
けれどもこのまま地球についてきてくれないだろう
か?  わかった同行しよう》》
 このとき、BLUEの肉体がはっきりしている状
態であるのならば、きっとため息を吐いただろう。
《《ところであなたの名前は?  せめて名前だけ
でも憶えておきたい》》
《ももせきりんです。征矢司さんはわたくしのネイ
バーの1人、彼は大丈夫ですよ。どこでどういった
状態にあるのかは不明ですが、死んではいません》
 BLUEは安堵した。少なくとも司が絶対的な死
を迎えているのではないことを知ったから。

 同じく情報世界。
 ただし物理世界においての時間は戻る。情報世界
での認識でいえば、ももせきりんがレイルたちと接
触するわずか前にだ。
 きりんのネイバーである祀夏生が、彼女の意識に
対しヴァンダーベッケンからエングラム交感で接触
している。夏生はBLUEと違い、先にきりんから
の交感により、太陽に呑まれた人々が完全に死んだ
わけではないという事実を知らされていたのだ。
 今回は夏生から交感を試み、きりんを地球へ引っ
張るつもりだったのだが、当のきりんからは断られ
てしまったのだ。
 夏生はきりんの気持ちを変えるべく訴える。
《君も彼らと一緒に戻るといいんですよ。どうして
嫌がるんだい?》
《そうよ、だったら私も同行させてよ……》
 大人の女性の意識が割り込んできた。これはマイ
エル・F・モーディションの意識。マイエルは仲間
の待つであろう地球へ戻りたかった。
 だが、きりんはかぶりを振ったつもりで夏生たち
にを説明する。
《お気持ちは嬉しいのですけれども、それは出来な
いことが判ったのです。今のわたくしでは実体化し
ようにも体がないのです。残念ですけれどもね》
《そうだった。私の体は蒸発してなくなっちゃった
んだっけ、あーあ》
 変わりようのない事実を思い出したマイエルは、
意識全体が青い染料液に浸かったような気分に陥っ
た。
《しかし、それでは君が……》
 夏生は食い下がってみるものの、頭の中に具体的
なプランはない。夏生はただネイバーリンクで引っ
張りさえすれば、きりんがこの世界に戻れるものだ
と思っていたのだから。
《でしたら、落ち着いたときにでも何か手を考えて
下さいな。今はあなたのそのお気持ちだけで》
《約束する、見付けしだい何とかしよう》
《あまりお気になさらないで。それまでの間、わた
くしは自分の出来ることをさせていただきますから》
 こうして、きりんは<ありえない転移>の道標と
しての役割を請け負ったのである。

 ヴァンダーベッケン、上層部。
 王立ホテル内にある室内プールでは、ニディ・ブ
ラスニーを始めとする<Double Earth>参加者たち
がプールサイドに立っていた。
 ニディのエングラムが位置している足の裏が、何
かを伝えてくる。
「来るよ、来るよ……ほら、来たッ!」 
 ニディが宣言した通り、プールの真上、何もない
空間に2人の人影が出現し、次の瞬間には大きな水
しぶきが2つでき上がった。
 プールの中を覗き込んだニディは2人の顔をじー
っくり見た後、ニッと笑って口を開く。
「ヴァンダーベッケンへようこそ。銀ぶち&パツキ
ン野郎」
 BLUEとレイルは顔を見合わせる。
「俺が悪かった」
「そうだろ、やっぱり浮き輪は必要だったんだ」

 こうして<Double Earth>はレイル・谷崎が持ち
込んできたこじし座20番星太陽系周辺の情報を手
に入れ、<Double Earth>その計画を確実に前進さ
せるのだった。
     @     @     @
 ヴァンダーベッケン内に本部を置いている大きな
プロジェクト<ノア>から派生している作戦<Doub
le Earth>の<エヴァグリーン>よる地球情報化計
画と、<Eternal Blue>によるマルチウェブ番組の
放送は順調に視聴率を稼いでいる。
 そして、サドフォースも<ARGHA>という計画を
進めているようだった。

 ヴァンダーベッケン、上層部。
 空きビルを丸々借り上げたプロジェクト<ノア>
本部では、<Double Earth>の目指すこじし座星系
における具体的な地球転移の位置を発表した。
 <ありえない転移>でこじし座星系から地球へと
帰還したレイル・谷崎とBLUEが、記者会見を行
なっている。太陽系からこじし座への転移は安全だ
ということをウェブを見ている視聴者に示し、<エ
ヴァグリーン>による情報化を促進させるための一
環でもあった。そんな思惑を知ってか知らずか、レ
イルの舌は絶好調だった。とても天文学者とは思え
ないしゃべりっぷりだった。
「───情報世界といってもそんなに辛い場所では
ありません。我々はエヴァグリーンを使用し損ねた
状態で情報世界へ向かったため、少々面食らいまし
た。しかし、エヴァグリーンを使用すれば、何の違
和感もなく情報世界へ移行し、こじし座星系への転
移は可能なものだと考えております。……とまあ、
詳しいことは近日発売予定の私の著作を読んでいた
だければ。とりあえず、来月あたり出そうかと」
「おいおい」
 暴走するレイルに対し、冷静に突っ込んでおくB
LUEであった。

 王邸、執務室。
 このところグローリアスは執務室に篭もりっぱな
しだった。皆が地球転移計画のために動いていると
いうのに、何をやっているのか心配になったアシュ
フォード・龍は、グローリアスの様子を見に執務室
へと訪れた。
 執務室の中には例によって警護の人間たちがそれ
ぞれの時間の過ごし方をしていた。中にいるのはウ
ーノ・ラングレー、大谷和美、神代絵理子、グウィ
ネス・スポール、そしてジォビネッタ・デ・ヴィオ
ネット、しかも自主的にいる女性ばかりという。ち
ょっとしたハーレム状態だ。
 とはいえ、先日も太陽の超新星化時期促進の責任
は<オペラツィオン・スクルド>を支持した増田と
グローリアスにあるとか言って、ここへ銃火器持参
で乗り込んできた暴徒1名に対し、あっさりとぶち
のめした上、治療を施したという実績がある。
 ただ、たむろしているわけでもない。
 そしてこの日、今日はこれまで隠しブリッジに篭
もっていた船長と、彼の妹である子ホーリックス・
アリストも居合わせていた。
 アシュフォードは、何にしてもこりゃあ王子が怒
りだすんじゃねぇかな、と思いつつグローリアスの
様子を見ながら声を掛ける。
「王さんよう、なんで表に出てこねーんだよ。みん
なあれこれ頑張ってんだぜ、何してんだよぉ?」
 グローリアスはアシュフォードに気づくまで、い
たずらっ子のような純真な笑みを浮かべつつ、船長
と共にウェブ端末の操作に夢中になっていた。
 顔を上げたグローリアスは楽しげに答える。
「ヴェルネー(・フォルパルト)からちょっといい
アイデアを貰ってね。今後のためにいろいろやって
いるんだよ」
「どうも、この頃の王さんはどうも消極的に見える
んだがなあ、違ってるかい?」
 それに首を傾げるグローリアス。
「そう見えるのかい? だが、これでも結構忙しい
つもりなんだよ。なあ、船長」
「そうですとも」
 船長はそううやうやしく返事をしたあと、ホーリ
ックスに顔を向ける。
「ホーリー、いい機会だ。こいつにも説明してやれ」
「はい、船長。ここに映っている資料を見ながらよ
く聞いてよね。これが、プレステルにある陛下の全
資産リストでね、こっちが船長の……案外、持って
たのよね(やりっ)。で、これをどうするのかとい
うと……」
 アシュフォードに耳打ちするホーリックス。そし
て、アシュフォードは絶句する。
「……なッ!」
「そう考えると今が底値なんだと思うのよね。状態
が状態で、場所が場所なんだしね」
 まだまだ絶句状態にあるアシュフォードに、グロ
ーリアスは告げる。
「悪いけど、これはまだ秘密にしてほしいな」

 新王立総合研究所(仮)。
 セブン・デイズ・システムの主任には1人の娘が
いた。クリエイターと呼ばれる特殊なエングラム技
能を持つ彼女と同技能を持つ男性と共に、実験の最
中の事故で植物状態に陥っている。
 彼女らの精神が情報世界内にあると信じて疑おう
ともしない水原奈乃は、様々な手法でクリエイター
たちの精神を情報世界から引き上げようと試みてい
る。
 だが、女性クリエイターの父親である主任は、奈
乃たちの奮闘ふりを見ても、ときおり感謝の表情を
みせるだけで、その大半を悲しげな表情で眺めてい
た。

 ピム・ニルチェイドはネイバーであり、現在情報
世界にいる天羽ヒロに捜索を頼んでいた。
《ヒロ兄ちゃん、クリエイターたちの意識はみつか
った?》
《悪い、ピム。俺なりに探してはみたんだが、まっ
たく見つからなかった》
 一方の西条潤一は、オリジナル・フェイドラ(O
F)に情報世界内を見回ってもらっていた。
「シルフェ、シルフェ。捜してくれよ、情報世界に
漂うクリエイターたちの精神をよう」
 OFに懇願する西条潤一。なんでもないことを頼
んでいるのだが、そのざまは、彼女がいなければ何
もできない駄目な男になっている。
 そしてOFは自然に首を振る。
「申し訳ありません。マスターがおっしゃる方々は
見当りませんでした」
 とても悲しげな表情を作るOF。潤一も
「いいんだ、シルフェ〜。悪いのは君じゃあないん
だぜ。それに君がそう言うのなら、やっぱりいない
に決まってる」
「西条さん、主任に失礼じゃないのッ!」
 奈乃は潤一を強く叱るが、潤一は知ったことかと
いう顔を作った後、トロンとした表情でOFを眺め
ている。彼は本当にOFを信頼し切っているようだ。
しかし、それはあまり良い光景ではない。
 主任は無理に笑みを作りながら言う。
「いいんだよ。実は彼の言う通りなんだ」
「そんなこと言わないで下さいよッ。どうしてそう
簡単に割り切ってしまえるんですか!?」
 奈乃は本気でそういうのだが、主任の表情は変わ
らない。
「君たちが私の娘たちの心配をしてくれるのは嬉し
い。だが、情報世界にはいないだろう。もしもいる
といるならば、やはりここだ」
 主任は自分の胸に手をあてた。
「主任の胸の中ということ?」
「ああ。私の胸の中にはいつだって娘は存在してい
る。産まれた日からあの事故の日までの娘がね」
 SDSの開発研究によって、主任は結果として情
報世界に関わり続けていた。そのおかげで主任は、
正しい時間の流れがないその世界から、娘たちにつ
いての悲しみを昇華させる概念を見出だしていたの
だ。
 だが、それは奈乃らには伝わりにくい。
「つまりそれは全て思い出の中にあるということで、
片付けてしまったのですか?」
「いいや、本当にあるのは彼女たち自身の頭の中な
んだと思う。私はそう信じている」
 主任はこう考えている、事故の時に彼女たちのエ
ングラムは発現していた。だが、治療の途中で消失
したそういうことだ。可能な考え方は2つ<脳髄と
いう名の迷宮に填まったか>、<本当に死んでいる
か>のいずれかである。
 もちろん主任が信じ続けて行くのは、おそらく前
項だろうと奈乃は思ったし、事実、その通りだった。
     @     @     @
 その頃、甲斐武人はいろいろあって人手が足りな
くなった整備員を率いて、そこらかしこの整備点検
を続けていた。
「みんな、手を抜かないで整備しなさいよね。この
先、船はどこへ行くのか分かったもんじゃあないん
だからねえ」
 ごく近い将来、武人の推測はみごと的中すること
になる。本当にだ。
     @     @     @
 佐渡島・フォン・犯右衛門は増田機構軍総司令の
口を借り、機構軍兵士たちを暴動などによる人的災
害が続いている地域へ向かわせていた。もちろん、
異常な事態を沈静化させるためだ。
 こうした動きは<Eternal Blue>にとって、世界
に伝えるべき事実であるため、機構軍の活動は撮影
されウェブニュースとして流された。
 これらの報道のおかげで機構軍のイメージは少し
づつ回復してゆくことになるのだが、佐渡島はその
ことを確認する前に次の行動へ出てしまった。
 彼は報道陣を独自にサドフォースが抱いている地
球転移計画である<ARGHA>をウェブ上という公の
場でぶちあげてしまったのである。
 しかも、今後の主導権を取るべく、同じ地球転移
計画である<Double Earth>を、転移後の状態に対
し配慮が足りないのでは、と批判しながらだ。
 <Double Earth>のリーダーである、リンダ・イ
フェアはこの佐渡島の行動に一瞬、カッとくるのだ
が、直ぐに悲しい気分となり、それはやがて困惑へ
と変わる。
 確かに自分たちのことを批判されたことには腹が
立ったが、この期に及んで主導権なんかに固執しよ
うとする者が出てくる人間の存在が悲しくて仕方な
かった。正直、転移計画を<ARGHA>に任せてしま
ってもよい気もしていた。
 だが、サドフォースが<ARGHA>を成功させられ
るのかどうか判らないし、これまで<Double Earth
>に協力してくれている大勢の人々のことや、あの
出発の日、バルカンでピュリア・ウル・リーフとニ
ナ・バーンスタインと自分で共に絶対成功させよう
と誓ったことを思い出すと<Double Earth>を投げ
出してしまうなんてことは、とてもリンダに出来る
はずはなかったのである。
 <Eternal Blue>では視聴者の混乱を押さえるた
め、この中継を中止。機構軍総司令の増田に対して
抗議文書を送りつける。だが、佐渡島の行動に対し
て一番困惑していたのが増田だった。予想こそされ
た事態であったが、これで佐渡島の存在が国連や開
発機構に知られ渡ってしまったからだ。
     @     @     @
 大西洋、公海上。
 エングラム技能<エヴァグリーン>による地球情
報化計画は始まっている。とにかく、光の粒を世界
中で発芽させなくては始まらないのだ。それも技能
使用者の視界範囲の中で。
 回転翼機に搭乗させてもらいこの海上を訪れてい
るカルロ・山家・メンデスは、効率的な手法で植樹
範囲を広げている。その発端は偶然だったのだが、
気づいてみれば実に簡単なことだった。エングラム
から放出された幻影樹の種である光の粒を、即発芽
させてやればいいのである。
 空中で発芽した幻影樹の芽は周囲に取り込むべき
物質が存在しないために、通常みせるような高速成
長を行なわないのだが、一旦物質に接触すれさえば、
通常通りに成長を始めてくれた。いちいち水面近く
を飛び回る必要はなく、高所から幻影樹の種を散布
することが可能となったのである。

 ヴァンダーベッケン、王邸、執務室。
 ニコニコとした笑顔で入室したインフルエンザは、
そのままの笑顔でこんなことを言う。
「グローリアス公、総合研究所所長として言わせて
いただきますわ。新生宇宙開発機構軍の承認をして
いただけませんでしょうか?」
 グローリアスも笑みを浮かべたまま、インフルエ
ンザにこう返答する。
「そんなことは私に承認を求めることじゃあない気
はするが、答えるとするなら多分、こうだろうね。
───絶対に、認めない」
 インフルエンザはグローリアスの非武装主義のこ
とを完全に失念していた。

 ブラジル、サンパウロ。
 ススだらけの制服を着た2人の機構軍兵士が、煙
草を銜えながらウェブを眺めている。
 この数日間、暴徒の沈静化に力を注ぎ過ぎてクタ
クタの状態にあった彼らにとって、この番組は脱力
感をもたらした。それはこの数日間の機構軍兵士た
ちの活躍をドキュメント風に撮っていたものだった
のだが、番組の最後にサドフォースと佐渡島を讃え
るシーンが盛り込まれていたのだ。
 ホビットをしまい込んだ兵士は、しらけた顔で相
棒にこう告げる。
「サドフォースなんだとよ。俺たちはいつのまにか
サドフォースに編入されたらしいぜ」
 問われた兵士は、煙草をぼろぼろとなったアスフ
ァルトに落としす。そして、底の厚い軍靴で踏み潰
しつつ口を歪めて開いた。
「サドフォースじゃあねえだろう。確かに指示を出
しているのは増田総司令閣下とヤツラだがな、実際、
煙にまかれ泥にまみれて働いているのは俺たち機構
軍兵士だ。くそっ、やってらんねえぞッ!」

 モンゴル、大草原。
 ロバート・アイルオットは出会った遊牧民に借り
た馬の背にまたがり、エングラムから光の粒を放出
し、すぐに発芽させて行く。馬が駆け抜けた後に幻
影樹の林ができてゆくため、これはちょっとした幻
想的な光景になっている。
 ロバートは、この分なら自分だけでも相当の範囲
を情報化することが出来るだろうと思った。しかも、
この辺りの遊牧民たちは、自分から快く技能転写を
受けてくれたのである。転写を受けてくれた人たち
は、また別の人に転写を行なってくれるはずだ。最
初は地球全土だなんて、と思ったロバートだったが、
この分ならまんざら不可能でもないな、と思えてく
る。
 だが、彼にもひとつだけ失敗したな、と思ってい
ることがある。それは、故郷である合衆国に残して
いる恋人のことだ。
「あいつを連れて来ればよかった。そうすれば、こ
のままヨーロッパまででも行けただろうに」

 ヴァンダーベッケン、放送送信センター。
 馬飼野小道星祀朗はギーヴから注意を受けていた。
それは星祀朗が制作したドキュメント番組の件であ
る。機構軍が世界各地暴動鎮圧のために尽力を尽く
していると伝える番組の最後に、彼はサドフォース
と佐渡島個人を讃えるシーンを入れてしまったので
ある。
 ギーヴは肩をすくめながら星祀朗へと告げる。
「まあ、出してしまったものは仕方ないな。俺たち
がサドフォースから多少の協力を受けている以上、
仕方のない部分ではある。───だが、見ている者
たちにとってそんなことは関係ない。やはりこれは
まずいことなのかもしれないぞ」
「何がなんです?」
「お前が言うところの頑張っている人たちの大半が
機構軍兵士であった以上、サドフォースではない。
ましてや軍属でもない佐渡島を讃えたのは失策だっ
たというんだ。再放送時にはあのシーンはカットし
て流すからな」
「そんな、心配なんていりませんよ。増田の背後に
佐渡島がいるというのは、周知の事実じゃないです
か。誰だって知ってる」
 あくまで問題を軽視している星祀朗に対し、深い
ため息を付く。
「どうして言い切れる? お前は軽く見ているかも
しれないが、当人らにとっては重大な問題だぞ。自
分の身に状況を置き変えて考えてみろ。───お前
が作った番組を、他の奴が作ったと勝手にスタッフ
ロールを入れられたようなもんだ。これで多少なり
とも問題が発生しないと思う方がどうかしていると
思うぞ」
 半ば呆れているギーヴなんだが、事態はギーヴが
考えるよりも軽くはなかったのである。
 サドフォースにとって。

 北極。
 <エヴァグリーン>による幻影樹の植樹は、北極
や南極でも行なわれている。
 光の粒はその温度とは関係なく発芽し、無機物、
有機物を問わず、その成長と引き替えに情報世界へ
と送り込んでいる。
 ただ、たとえ幻影とはいえ、極寒の地で幻影樹が
茂っているというのはなかなか面白い光景だ。

 ヴァンダーベッケン、ブリッジ。
 いつかの女性政治家が増田に通信をよこしている。
どうやら佐渡島の記者会見や星祀朗が制作した番組
を見てしまったらしい。
「聞いたところによると、佐渡島がそちらにいるそ
うですね」
 増田は無駄だと思いつつも精一杯シラを切る。
「いえ、佐渡島氏とは関わりありませんし、あの番
組は番組制作側の行き過ぎた表現でして、我々は関
与しておりません」
「だったらいいのですけれどね。多分このままじゃ
あ済みませんよ、きっと」
「はい……」
 多分、この女性はその事実のほとんどを知ってい
る。サドフォースから機構軍兵士が引き上げられる
可能性が出てきたのである。
 増田はもはや<ARGHA>の成功がなければ、サド
フォース存続は難しい、と頭によぎり始めてしまう。
だが、事態は増田の想像のやや上を行っていたので
ある。

 中央アフリカ、某所。
 ダニエル・ジョホールはいろいろあって、やっと
手に入れた大型トレーラーである高台までやってき
た。街が見える。ダニエルは車から降り、眼下に広
がる街を見下ろす。
「ふはははは、愚民どもめッ! この間撃墜された
恨みを、あっ、今こそっ、この」
「なに物騒なことを言ってるんですかッ!」
 こう突っ込んだのは都筑蘭子である。ダニエルが
トレーラーで<エヴァグリーン>転写の旅(中央ア
フリカ中心)に出るというので、ダニエルと合流し、
同行させてもらっているのである。やはり、いつに
なっても女性のアフリカ一人旅は危険なのだ(別に
アフリカに限った話ではないが)。なお、蘭子は<
エヴァグリーン>を所持していない。役割的には情
報化を望まない人たちに対する説得を担当すること
になるのだろう。
 そして、改めて口を開くダニエル。
「……じゃあなくて、平和そうでよい街のようです
ね。これなら転写を快く受けてもらえそうです。で
も、その前に……」
「何をするの?」
「まあ見ていて下さい」
 一旦、街を背にしたダニエルは、高台の反対側へ
向かい、手のひらに移したエングラムを果てしなく
広がっているように見える荒野へと突き出した。
 ダニエルは、エングラムから大量の光の粒を吹き
出させる。そして、粒を思い切り拡散せた後、目に
見えている全ての光の粒から幻影樹の芽を発芽させ
た。
 ダニエルの見た荒野は1分前と違った光景になっ
てしまった。荒野に幻影樹が茂り倒している風景が
出来上がったのである。
「まあ、すごい」
 素直に関心する蘭子に、ダニエルは言う。
「さあて、これからです。街を一気に情報化してし
まえば楽なんですけれど、そうは行かないですから
ねえ」

■エヴァグリーン転写キャンペーンCM
出演者〜
エディート・リンドナー(過去の女神)
イナ・マスタ(現在の未来)
狩野叶(未来の女神)
 時を越えて継がれる想い     ←歌詞
  (手を前に差し出すリンドナー)←画面内容
 今、この瞬間の息吹
  (イナの横顔アップ)
 終わることはありません
  (地球の模型アップ)
 女神はこの地球を、人を愛しているから
  (地球の模型を抱く叶)
 愛するものを守る力
  (地球の模型から樹木の模型が伸びている)
 さあ、手を伸ばして、きっと掴めるから
  (模型の周囲に3人のバストアップ)
 希望を未来に想いを永遠に
 忘れないであなたにも力はあるの
  (エヴァグリーン使用法説明文表示)
■CM終了

 ヴァンダーベッケン、アルバの部屋。
 CMを見た後、ホロモニターを切ったアルバは、
一度、3人の顔をまじまじと見る。そして、ゆっく
りと口を開く。
「……ねえ、あんたたち。どうも見ないと思ったら、
こんなことやってたのね」
 3人は声を揃えてアルバに答える。
「「「いやあ、つい調子に乗っちゃって」」」
「人が<エヴァグリーン>の種の散布をどうしよう
かって、悩んでいるときにそんなことを……」
 アルバは呆れ果ててしまい、本当に深いため息を
吐いてしまうのだった。

 合衆国、シアトル。
 自分の容姿に全くといっていいほど自信の持てな
い弓原・フローレンス・花子は迷っていた。<エヴ
ァグリーン>の転写を大勢の発現者に行なう役割を
買って出たのだが、いざとなったらなかなか勇気が
出てこないのだ。
 まず、握手だ。そして意志を伝えて、自分の持っ
ている<エヴァグリーン>を受け取ってもらおう。
悪いイメージを抱えたままだと、きっと顔に出てし
まう。とにかく笑顔を作り、前から歩いてくる男性
に声を掛ける花子。
「あ、あの……握手していただけませんか?」
「ん、別にいいけれど」
 そして、花子は事情を説明する。相手が発現者か
どうかを確認し、<エヴァグリーン>の転写をお願
いする。幸い、この男性は受取ってくれた。
 転写後、花子は確認する。
「嫌じゃなかったですか? 私、あまりみっともよ
くないですから」
「どうして? そんなことないよ。いい笑顔してた
じゃないのさ」
 異論のある人も多いだろうが、人の容姿は生きて
いる上でさほど関係はない。内面が美しい人は笑顔
を作ることで、その美しさを他人に伝えることが出
来るのだ。
 それよりも大切なのは、自分の意志を相手に正し
く伝えようとすることができるかどうかだ。そうい
った気持ちさえあれば、自分の内面を伝えることが
出来る。そして、それを続けていれさえすれば、い
つか内面だけでなく、外側だって自信がもてるよう
になるはずだろう。
 ───しかし、こうした性格で最初の1人目を異
性にするいうのは、花子は結構度胸のすわった人間
じゃあないのだろうか? 普通は……。

 ヴァンダーベッケン、ブリッジ。
 ブリッジから幻影樹が広がる様子を眺めていた増
田は、プレミア・ノーザスから声を掛けられる。
「増田総司令、いかがなさいましたか? 背中が淋
しい上、お顔もすぐれないようですけれども」
「総統があのような会見を行なわれて以来、どこの
機構軍兵士もなかなか従わなくなってしまった」
 プレミアは目を逸らし、頬に手を当てる。
「総統が常に前へと出ようとする性格であることは、
総司令もご存じでしょう? 引っ込んではいられな
い性分のお方ですから……」
 増田は小さく形のよい鼻からため息をもらすと、
プレミアに力なく訴える。
「あなたも総統の秘書ならば、もう少しなんとかし
てもらえないだろうか? 我々はもう、機構軍全体
を統括しているんだ」
 この訴えに対し、プレミアは貶むような目で増田
を見る。
「しっかりと兵士たちの管理をしない総司令ご自身
が悪いのであって、それをわたくしの所為になさる
のはどうかと思いますわね。そもそも機構軍兵など
どうでもよろしいのではありませんの? 国連や開
発機構に縛られているなんてナンセンス! サドフ
ォースは自由にして孤高、それこそが我々本来の姿
なのですから」
 増田は心の中で深いため息を吐いた。そして、プ
レミアに背を向けた。
(だめだ。この女もまともそうに見えて全く現状を
把握しちゃあいない。機構軍に取り込まれて以来、
結局、誰一人として、自分たちサドフォースの正確
な兵力を見失ってしまったんだ……)
 この瞬間、増田はあきらめの境地へと足を突っ込
んだのである。
 以後、サドフォースと機構軍兵士との関係は悪化
し続けることとなる。サドフォースは機構軍兵士を
軽視し、機構軍兵士はサドフォースからの指示に従
わない。
 これまではヴラッド・ナカトも増田と同様に機構
軍兵士たちとのパイプ役を果たしてはいたのだが、
国連との関係が悪化後、佐渡島への忠誠をあらため
て宣言してしまう。結果として機構軍兵士から唯一
の信頼を受けていた増田だけが奮闘することとなり、
最終的には心労で力尽きてしまうのだった。
 そして、これが何を意味するのかというと、ヴァ
ンダーベッケン内における現状認識が出来なくなる
ということである。そうなると、<Double Earth>
の動向を把握できなくなり、地球転移計画の主導権
を得ようとした<ARGHA>の失敗が確定するのであ
る。

■(PR)
(ジングル)エヴァグリ〜ン☆
 出演者〜20代前半女性、10歳前後の少女
 メイン女性、少女の背後に立ち、肩に手を置きな
がらにこやかに語り始める。
「エヴァグリーンをご存じですか?」
 少女、言葉の語尾を繰り返して言う。純真に(以
後、このパターンの繰り返し)。
「ご存じですか?」
「地球を安全確実に転移させるために必要確実な手
段です」
「手段です」
「エングラム発現者の方で協力を願える方はこちら
へご連絡下さい」
「下さい☆」
 少女、頭をペコリと下げる。〜テロップ・地域別
に連絡場所が表示〜
(ジングル)エヴァグリ〜ン☆
■(PR)終了

 日本、ナガノ。
 既に人生の意義を失っていた流悟は、星遥に無理
矢理日本まで引っ張られて<エヴァグリーン>の転
写を行なっていた。しかし、ある男に転写を拒否さ
れたことで、その男と言い争いになった挙げ句、遥
の仲裁に甘んじることとなってしまったのだ。
「もうよしなさいよ、悟さん。無理矢理じゃあ意味
がないのよ……」
「せっかくの故郷でああいう無理解な奴に出会うと
気分悪いんだよ。ちくしょう、なんて無気力な奴だ。
ああいう奴を見ると頭にくる!」
 その悟のひと言を聞き、遥はクスクスと笑う。
「何、笑ってんだよ?」
「えっ? だってそうじゃない。悟さん、ついこの
間まであの男の人と同じだったんだよ。───俺は
もういいんだ、このまま太陽に飲まれたって、とか
言っちゃってさ」
「あ、あん時は、あん時なんだよっ」
 と、恥ずかしそうに言い、プイとよそを向いてし
まう悟。
 何にしても悟がやる気を出してくれて良かったと
思う遥だった。

 アメリカ合衆国。
 リミュール・フォウは南部の某州にあるドライブ
インで皿洗いのバイトを続けていた。この辺りは比
較的平和だ。馬鹿をやろうにも周囲には何もない荒
野と岩山だけなのだ。安全に日銭をかせぐためには
適している。太陽が爆発し地球がなくなってしまう
のならそんな必要はない。だが、生き長らえてしま
えば、ああそんなこともあったよね、と生活を続け
るための日銭がいるのだ。
 事実、この辺りの人々は危機感が薄い。田舎であ
るが故に、自分たちは何も出来ないと思い込んでい
るのだ。
 そういった人たちと自分を比較する。なぜこんな
ことをしているのだろう? 自分に何かが出来る可
能性があったのに、皿洗いなんかをしている。問題
だ。店の中央にあるホロから<エヴァグリーン>転
写キャンペーンのCMが流れている。幻想的なやつ
だ。自分があれに出ていた可能性もあったのだ。だ
が、もう手遅れ。仲間たちを信じていますから、と
自分に言い訳しながらその時を待つ。
 その時、エングラム発現者だという常連客が、自
分のエングラムを見せびらかしながら店内に入って
くる。
「俺、さっきエヴァグリーンを転写してもらったん
だ。すごいんだぜ、こいつ。みんな、ちょっと表に
出てみろよ」
 その客が言うままにリミュールたちは表に出てみ
る。すると、ドライブインの駐車場前方の100m
四方が幻影樹で覆われている。
 この効果を見た他のエングラム発現者は、自分た
ちにも出来ることがある、とばかりに次々に<エヴ
ァグリーン>を転写する。そして、幻影樹の繁殖区
域を広げながら全米各地へ散っていった。
 だが、リミュールはまだ皿洗いを続けていた。自
分に対し、延々といい訳を続けながら。

 合衆国、ニューヨーク。
 世界一の都市は、幾度もの不況を乗り越え、繁栄
を誇り続けていた都市も、数か月に渡る暴動のおか
げでガタガタになっていた。しかしそれでも世界一
の都市には違いなかった。なぜなら他の大都市でも
暴動が起こっていたから。そして、都市から離れる
ことの出来ない人たちが大勢いたから。
 数名の男たちが大きな公園だった荒地で、正体を
偽りフェデレーション批判を続けている。
 だが、彼らの声に聞耳を立てる者はいない。
 それよりも街頭に設置されたホロモニターでウェ
ブ番組を眺めていた方が、現実の辛さを薄めること
が出来るからだ。

 合衆国、某州、某施設……。
 ひとりの青年が、薄暗い施設の中で取り調を受け
ている。
「───で、どうしてそんな所へ侵入しようとした
んだ?」
 取調べ官の質問に、青年は真っ白な笑顔を浮かべ
て答える。
「人類と地球と太陽を救うにはこれしかないんです
よ。ラウル閣下が目指した道を、我々も───」
 取調べ官は立ち上がり、背後の記録官に向き直っ
て小声でこう言う。
「駄目だ。完全にどうかしている。核を使って地球
上の人類を抹殺し、地球と人類を救うそうだ。無茶
苦茶だ」
「こういった人たちに道理を求めても仕方ない。こ
ういった状況下に置かれればこういう奴も出てくる。
そういうものさ」

『教えて、フェデレーション』
■子ども向けウェブ番組
 放送中に視聴者からウェブで質問を受け、有識者
がそれに答える。
◆出演者
 番組進行かつ有識者のお姉さん(?)〜鈴元桂
 お姉さんの声〜アオイ・オーガスタ
 ※アオイの声に、桂は動作を合わせます。
Q.「こじし座の辺りで見える星座は、いま見えて
いる星がどのように違って見えますか?」
A.「ごめんね、お姉さんも、どんな風に変わるの
かはまだわからないの。でも、もうすぐ実際に見る
ことが出来るから、一緒に楽しみにしていましょう
ね」
Q.「フェデレーションの人たちは自分たちの仲間
の大半はもう宇宙にいるのに、どうして地球の人た
ちを助けようとするのですか?」
A.「フェデレーションメンバーでもそうでなくて
も、すべての人にとっての故郷は地球なの。故郷を
大切に思う気持ちは誰にとっても同じよね。……あ、
でも中には故郷を憎んで飛び出してしまわれるなん
てことも、俺様耳にいたしまわね。そもそも狭い意
味での故郷といいますとね、閉鎖的で他者を寄せつ
けず……」
(桂、アオイの地に反応できずに硬直している)
 そのまま、番組終了。

 地球圏、某宇宙船内。
 プロジェクト<ノア>のリーダーを請け負ったエ
ステーバン・ギィエルモは、プロジェクトで行なう
べきことは全て行い、メンバーの配置も終えている。
これでいつ太陽が超新星化しても対応出来る。そし
て、やはり超新星化はごめんだ、と思いつつ操縦席
から守るべき地球を見下ろしてみる。
 すでに非居住地域の情報化はほとんど終了してい
るらしく、海も山も北極も南極も幻影樹の緑で覆わ
れていた。どうやらこんな光景を見られてある意味
幸せだとエステーバンは思えるのだが、同時に<ノ
ア>を指揮する者としてそんな感情には浸っていら
れなかった。なお、ヴィルジニア・ヴィンチェンツ
ォはナノマシンでシェルターを作ろうとしていたの
だが、ちょっと時間が足りなかった。
 その時、ウェブで通信が入る。3周りほど年齢の
違う<ノア>のメンバー、キャンディ・マウントバ
ッテンだ。
『アタシだよ、ギィエルモ。あんたのことだ、任務
のことばっかり考えてると思ってね』
「その通りですよ。驚きましたね」
 素直に認めてしまうエステーバン。
『わからいでか。正直、アタシは驚いたよ。あんた
みたいな慎重ぶった小心者がリーダーを請け負うっ
て言ったんだものね。あんまし考えすぎないで気楽
にやんなよ』
 思い切り12歳の少女に諭されてしまうエステー
バンだった。

 ルーファ・ブルーは<エヴァグリーン>の転写の
ため、ヨーロッパの都市部を中心に回った。古典芸
術の知人の伝手は本当にありがたかった。こうした
知人は学校関係者が多いため、一度の説明、一度の
転写で大抵の場合は片がついたのだ(学生同士で転
写を始めてくれるから)。
 本来なら、暴動で雰囲気の悪い街頭に立ち、待ち
行く人々のひとりひとりに声を掛け、エングラムの
有無を聞き、事情とその役割をしっかりと説明した
後、初めて技能の転写が出来るのだから。
 何かと泣けてしまう性分であるルーファは、これ
らのことを思い浮べるだけで何だか泣きたくなって
きた。
 とりあえず、こんなことでは泣けないな、とこじ
し座あたりで頑張っているニナ・バーンスタインの
ことを思い出し、励みにしようと思ったルーファだ
が、何だかどうしても余計に泣けてきて、ほんの少
しだけ泣いてしまった。

 ヴァンダーベッケン、王邸、執務室。
 地球の情報化が進む中、吉岡桂子はどうしても気
になることがあり、それをグローリアスに聞いてお
きたかった。
「わたくしたちはこじし座星20番太陽系へと向か
うのですよね。それはよいとして、そこで生活を続
ければ、コギトンがまたその太陽へと蓄積され、結
局はまた同じことの繰り返しになるのではないでし
ょうか? この点に感して陛下はどういったご意見
をお持ちですか」
「うん、まったくその通りだ。今回は人類誕生から
の蓄積だろうけれども、転移先では最初からこの総
人口だ。君が危惧する気持ちも理解できる。この危
機を無事乗り切ることができたその時から繰り返さ
ないよう、何らかの対策を練っておくべきだろうね。
───我々の後の世代のためにも」

 <Double Earth>本部。
 情報化は進んでいるとの報告が、続々とリンダ・
イフェアに伝わってくる。既に全体の60%を越え
た。残るは人類居住地域。完全情報化のタイミング
を周囲で設定しなくてはならない。<ノア>のエス
テーバンが宣言すれば、それはもう絶対の危機なの
で当然なのだけど、情報化が早く済むのなら早い方
がいいに決まっている。
 が、その前にやっておかねばならないことがあっ
た。既に取り込んでいる地球の物質の状態を確認す
る必要があった。リンダは祀夏生に彼のネイバーで
あるももせきりんに確認を取ってもらう。
 夏生は自分の言葉でリンダに説明をする。
「巨大な幻影樹(?)になっているそうですよ」
 リンダはンーという顔をした後、自分の考えを伝
えてみる。
「巨大な、ってヴァンダーベッケンの巨木程度なの
かな?」
 夏生はしばらく沈黙した後、口を開く。きりんと
交感していたのである。
「いやいや、ヴァンダーベッケンだからあの程度な
のですよ」
「というと、……まさかッ!?」
「そのまさかです。いい機会なのでエングラムイン
ターフェースから覗いて見てください。確か、<名
称不明>技能はお持ちでしたよね」
 リンダはうなずいてエングラムインターフェース
から情報世界を覗き込む。……が、何も見えない。
あるのは壁だけだ。これでは何がなんだか分からな
い。リンダは直ぐに覗くのを止めた。
「何にもなかったけど……活性率が低かったせいか
な、もしかして」
「そのようですね。では、僕が説明しましょう。幻
影樹により吸収された物質は、すべて同じ状態で保
存されます。生命体も同様で、これまでで<エヴァ
グリーン>による保存に同意した人々は、本当に低
いレベルの精神活動に抑えられ、ごくごく弱い生命
活動の状態で保存されることになります」
「つまり、冬眠ね」
「ええ。ですが例外はいくつかあります。それはエ
ングラム発現者は望むのなら中での活動は可能です。
活性率が高ければ高いほどよいそうですよ。で、こ
こからが肝心なのですが、もしも望むのなら一定の
空間を好きなように造り替えること可能です。要す
るに、オリジナル・フェイドラが作り上げた彗星動
乱世界と同様のことが可能なのです」
「悪いところじゃあないよね」
「ですが、保存に同意しないまま保存された非発現
者や、わずかでも自我を持つ生命体は悲惨です。エ
ングラムを持たないために、理論的な思考もできな
いばかりか、情報世界内での形状は<にぶい光>と
しか保存されないのですよ」
「これは、何としても同意してもらった上で情報世
界へ送らないと、まずいみたいね」
 リンダはあらためて強引なやり方は出来ないな、
と思い直した。
 さらに夏生の説明は続く。
「さっき、リンダさんは壁を見たとかおっしゃいま
したね?」
「ええ。それがなにか?」
「あれは樹なのです。それもとてつもなく大きな樹。
いや、これでもまだ表現は全然足りていないと思い
ます。───ともかく我々は情報世界にいる間、め
っ……ちゃっくちゃに巨大な樹、<世界樹>といっ
ても全然差し支えないと思います。その、世界樹に
実る果実の一部になるのす。そう考えていただけれ
ば間違いはありませんよ」

 <彗星動乱>最終回が始まった。
 外でホビットを手にしている者は足を止め、ホロ
モニターで物語に熱中する。そして、その熱中の様
子を見た通りすがりの者も、自分の愚かさに気づき、
自分のホビットだ立ち上げるか、どこかホロモニタ
ーのある場所を探すための奔走を始める。
     @     @     @
  憮然とした息をつくフェリックスを見て、隣に座
るマリアはわずかに笑った。二人が腰掛けるベンチ
の前の窓からは地球と、そして宇宙が広がっている。
マリアがゆっくりと口を開いた。
「こうやって星を見てると思い出すの。まだみんな
が火星にいたころね。マイケルが、初めてフェイド
ラにあわせてくれた時に、一緒に見せてくれたもの
を」
「マイケルが……」  フェリックスがつぶやく。ジ
ュノー沖海戦のさなかで戦死したマイケルの顔が浮
かぶ。その時の思い出とともに。ゆっくりと、まだ
記憶にも新しい過去をたどっていく──。

     @     @     @
 ヴァンダーベッケン、上層部。
 紀伊國屋いづなはあるビルの屋上に出ていた。こ
こは、ブリッジほどではないが、比較的高い位置に
あり、ヴァンダーベッケンの周囲遠方を見渡すこと
が出来る。
 ヴァンターベッケンの周囲は幻影樹で覆われてい
た。最初、この砂漠に情報世界から再出現した時に
は砂しか見えなかったのに、たった数日で今や幻影
樹しか見えなくなっている。ここだけではない。人
が暮らしていない場所には幻影樹が茂っている。そ
れらの場所は情報世界へと送られているのだ。
 あとは、人が暮らす地域の情報化を、タイミング
を取って一斉に行なえば、おそらく地球圏は救われ
ることとなるだろう。問題はそこなのだけれども。
ともかく、これらのことを自分を含めた大勢の仲間
たちが成し遂げたのだ。
「うん、日和見で参加してたけど、やっぱ参加して
良かったわ。───おっ<彗星動乱>もう始まって
るやん」
 いづなはホビットを取り出した。

 <彗星動乱>最終回の放映はは続いている。
 他ごとに熱中していた人々も、周囲の雰囲気の変
化に気づき、ホロモニターに意識を移す。
     @     @     @
  マイケルの手がコンソールの上をすべると、ラボ
の照明がつき、周囲のパネルが次々と点灯を始める。
そして、中央の台座の上にフェイドラがあらわれた。
『これがフェイドラ……?』  ビクトルがつぶやく。
ホログラフ、しかし、そこにいるかのような実体感。
ヒュアキントス計画によって生み出された少女を、
当時はまだ、関係者以外で見た者はほとんどいなか
った。
『そう。プロジェクトメンバーは、それぞれが自分
のフェイドラとペアを組むんだ。だから、彼女は僕
のパートナーにあたるわけ』  マイケルが説明する。
そして、少女に声をかけた。
『おはよう、フェイドラ』  わずかに顎をひいたう
つむき加減の彼女のふせられたまぶたが、ゆっくり
と開いていく。その口が流暢な発音で言葉を発する。
『おはようございます、マイケル。今日は早いんで
すね』
『へえ……』  フェリックスが声をもらした。それ
を見たマイケルが、デーモンの頭に手を置きながら
笑った。
『びっくりしたかい?  でも、彼女がフェイドラな
んだ。僕達みんなのパートナーになるんだ。僕達一
人一人の、そして、人類のね』
『人類の……』  エングラムグローブなど必要ない
右手を、フェリックスはにぎる。わずかに力を込め
て。それに気づいたマイケルが、フェリックスの方
を向いて言葉をかける。
『夢はあきらめていないよね?』
『え?  あ……、ああ!』  突然の問いかけ。それ
に対するフェリックスの答えを聞いて、マイケルは
笑った。
『きっとかなうよ、あきらめなければきっと。そし
て、かなえば次の夢はすぐ見つかるはずさ。だって
ほら』  マイケルがコンソールを操作する。ラボの
照明がすべて落ち、フェイドラがその暗闇の中に浮
かび上がる。そして、その足元の台座から広がるよ
うに、星空が浮かび上がる。フェリックス、ビクト
ル、マリア、マイケル、デーモン、ラボにいた全員
が宇宙の中に浮かぶように立っている。
『宇宙はまだまだ、僕らの前に広がっているんだか
らね』  マイケルの手のエングラムがやわらかな青
い光をたたえる。
『このたくさんの星は、みんなが共有する宝物だよ。
そう、みんな。フェデレーションだけでなく、開発
機構だけでなく、みんなが踏み出していくんだ、こ
の宇宙にね』

     @     @     @
 ヴァンダーベッケン、周辺。
 綾崎未有はまだ情報化されていない砂漠に降り、
絵筆を握り、懸命にヴァンダーベッケンを写生して
いた。もちろん、傍にはホビットが置かれ<彗星動
乱>が映っている。
 例によってカメラ片手に動き回っていたミラー・
マフィンは<彗星動乱>を横目で見て嫉妬はしつつ
(彼にとって自分以外で視聴率を稼ぐ番組は敵だ)、
興味をもって未有の描く絵をカメラと生身の目で覗
き込む。しかし、そこに描かれていた絵には幻影樹
は1本もなく、砂漠とヴァンダーベッケンしか描か
れてはいなかった。ミラーは未有に理由を訊ねてみ
る。
 すると未有は筆を動かしながらこう答える。
「見えているものは違いますが、描きたいものはい
ま描いているこの絵です。私はこの船を間近で見て
刺激を受けながら、この船から幻影樹が広がる起点
となったことを後の世まで伝えたい。身辺にあふれ
ているデジタルな形でなく、書き手の主観が伝わり
やすい、こうしたアナログな形で」
 未有が描いているのは砂漠の凹に収まっているヴ
ァンダーベッケンの絵だった。ちゃあんと情報世界
で原子崩壊を起こした部分が幻影樹となっていると
ころまでしっかりと描かれようとしていた。
「なるほど、私が常に行なっているやり方とは反対
のやり方なんですね。うん、確かにこういうやり方
も悪くはない」
 ミラーは交感など1度もしたことはないが、若者
たちをこんな風に正しく導くことに成功したリンダ・
イフェア嬢とネイバーであることが、少し誇らしく
思えた。

 これまでマルチウェブが普及していなかった地域
でも<彗星動乱>最終回は見られている。ギルファ
ードたちが世界中を動き回った成果である。
     @     @     @
  マイケルの言葉がモニターから流れ、番組を見る
者に伝わる。同時に、ネイバー網を通じて、彼の言
葉に乗せた想いが太陽系中に広がっていく。モニタ
ーの中の彼と同じ、穏やかで優しく、それでいて揺
るぎない想い。それはエングラム自体が語りかける
かのように見る者に広がっていった。

     @     @     @
 放送送信センター。
 呆れている女美をほったらかしにして、ギーヴの
目は彗星動乱本編と全体視聴率表示板を交互に見な
がら興奮ている。
「よしよしよし! 視聴率が上がりまくりだ。最終
回直前までの総集編を流したのが大正解だった。い
いぞ! そうだ、現行放送チャンネル全てを彗星動
乱に切り替えて行け。<Eternal Blue>の主旨にこ
れ以上沿う番組はない」
 女美は正直、ギーヴが若くして興奮のし過ぎで死
んじゃうんじゃないかと心配になってきていた。

 <彗星動乱>最終回も終盤にかかっている。
 ギーヴたちの保有するチャンネルの全体視聴率も
天井へと近付いている。
     @     @     @

『星空はどこまでも広がっていく。望めばどこまで
も進んでいける』  マイケルの言葉を聞きながら、
フェリックス達は頭上を瞬く星々を見上げていた。
太陽系の中の地球がクローズアップされる。月を伴
って大きな弧を描き、恒星の周囲を回る。太陽によ
く似た星。やがて、その恒星の向こう側からもう一
つの星があらわれる。それは地球と同じ軌道を辿り
ながら後を追うように回る。水をたたえ青く光る星。
恒星の周りを、二つの青き惑星が同じ円を描いて回
る。
『ケンタウリ座α星、バーナード星とかが、僕達が
最初に目指す星だね。そして、その中にはこんなふ
うに』  マイケルが頭上の天体を指し示す。
『太陽によく似た星もあるはずだよ』
『この星は……?』
『こじし座20番星です』  フェリックスの問いに
フェイドラが答えた。
『目指す、未来の、一つ』
  見てる者の目の前で、二つの水をたたえる惑星は
ゆっくりと回る。星の光がそれを照らし出す。その
イメージを補うように、情報はエングラムを伝わっ
ていく。その数字の意味などわからなくても、それ
は二つの星を形づけていく。再びモニターの中で、
フェリックスの声が響いた。

『……思えばきっと飛んでいけるんだ、この星まで。
そして、この星の向こうまで』  その言葉をマイケ
ルが継いだ。
『そう、どこまでも、ね。この太陽系からさらに先
に、歩いていくんだ。さあ、何を持っていこう?  
大切な人と歩む未来、目指す夢。誰もが進める道が
あるんだ、この星空に無限に。可能性と出会い、す
べてが待っているんだ。歩いていこう、ろうそくを
灯して』

     @     @     @
 <Double Earth>本部。
 情報化のタイミングを何時(いつ)にするべきか
迷いに迷っていたリンダ・イフェアだったが、答え
はリンダ自身が出すまでもなかった。まとまった情
報が整理立てていっぺんに届いた。ウェブも使わず
にだ。
 彗星動乱の終了直後から、情報化が進んでいると。
彗星動乱の内容は、人々に地球の転移は希望に満ち
ているものだと思わせることができたのだと。もち
ろん、地球だけの話ではなく、月や各コロニーでも
同様の反応が起っていると。やはりウェブ通信を使
わずに。彗星動乱のドラマ内でマイケルとフェイド
ラの気持ちが通じあった瞬間、<Eternal Blue>と
関連オペレーションは成功を治めたのだ。つまり、
地球・太陽系人類の意志が一つとなったのだと。
 その時の勢いがエングラム発現者同士の意識を繋
げたため、ウェブを使用しての報告も、現地へおも
むいて確認する必要もなくなったのだ。全てが交感
で済む。しかも、タイムラグもなくだ。
 そうなればリンダも迷う必要はない。技能保持者
たちに率先して情報化を行なうよう指示を出す。
 念のため、地球情報化がほぼ完了したのを確認し、
リンダを含めた<Double Earth>メンバーたち自身
も情報世界へと向かうべく、幻影樹の吸収に身を任
せるのだった。
     @     @     @
 情報世界。
 地球圏の全ては取り込まれた。
 その形状は球体でなく、世界樹という形状となっ
ている。人々のおよそ半分が冬眠状態として幹や枝
の中にあり、世界樹の枝に実る果実の一つ一つの中
身がエングラム発現者やオリジナルフェイドラ(O
F)が作り上げた閉鎖世界。時間の流れが何一つ一
定しない情報世界において、それぞれの果実の中身
には作られた時間が流れている。
 世界樹に連なる果実の中で、より大きな果実が存
在する。その実の中身はヴァンダーベッケン。史上
最大の船舶が丸々取り込まれている。空海光のOF
プリマベーラ、発現者同士のリンクによる活性率の
上昇、それぞれ個人同士の繋がり、世界構築のため
に必要な様々な好条件が重なったおかげ、ヴァンダ
ーベッケンは時間の流れと共に存在している。これ
自体はとても素晴らしいことだった。
 ───だが、<Double Earth>のメンバーを始め
とするフェデレーションメンバーが望んでいること
は情報世界に止まることではない。既に仲間のいる
こじし座20番星太陽系へ出ることだ。しかし、情
報世界から抜け出る気配はまったくない。時間を感
じるリンダたちにすればなおのことだ。
 意識のある発現者たちの混乱する意識を掻分けて、
リンダたちは有効な意見を出しあえる発現者たちで
即席の拡大可能なリンクを作り上げた。
 エングラムによる交感的会話が、ヴァンダーベッ
ケンを飛び交い始めた。
《うまくいった……のかな?》《きりん。どうなっ
ている? 外からなら見えますよね》《はい。でも、
動いてませんわね》/《やり直したら? リセット
&ロードで》《茶化さないで、ノウン》《あら、ノ
ウンは本気よ。別にいいけど》/《とにかくイメー
ジを固めて、こじし座を思い浮べて》《……やって
るけど、足りないのかな?》/《とぉぉぉーっ! 
はぁはぁ……》《睦五郎さん、なにしてたの? ま
ゆにも教えて》《とりあえず、余は想いに気合いを
っっ》《ダメだな》《全然ッ、ダメダメね》/《レ
イルさん、アドバイスはありませんか?》《私の時
とはケースが違う、そうだなBLUE》《ああ……
違うな》《銀ぶちの役たたず、パツキンのだんまり
野郎〜っ》
 空海光はともかくOFに答えを求める。
《お願い、プリム。原因を調査して(承知しました
マスター)》
 1分と経たない内に答えは出てきた。
《(判明しました。原因は……)どうしたのプリム?
 いいから言って。(では、原因はエングラム非発
現者です。全人口の47%の非発現者の存在が地球
を現在の軌道に居続けさせようとするため、転移先
への出現が出来ません。転移を成功させるには足枷
となるエングラム非発現者を───)》
 この先を聞きたくないリンダは怒鳴る。
《もういいわ、止めてッ!》
 しかし、リンダは彼女のマスターではない。
《(オペレーションリーダーから中断要請が出まし
た。マスター、要請に従いますか?)どうしよう?
 どうしたらいいと思う? プリム?(マスターか
らの指示なし。では、継続します)》
《止めてったら!》
《(再度の中断要請、……前判断に従い、継続しま
す。非発現者を即時切り捨てることで転移は容易に
完了します)》
 予想通りの答えにリンダは呆然とする。
《………大丈夫、リンダ?》
《ピム、何してる?》
《あ、ヒロ。実は───》
 現在は肉体のない天羽ヒロは、リンダにこう告げ
てやるしかない。
《そうか、リンダさっさと決めろ》
《どうして私が……》
《リーダーなんだろうが。お前が決めなけりゃあど
うにもならない》
 リンダはどうやっても残酷な答えしか出ない2択
問題に頭を悩ませる。
(───私は「みんなで助かろう」と誓った。でも、
それは出来ない。戻れば私のせいでみんな死んじゃ
う。だからといって、切り捨てなんか絶対にしたく
ない。私はそんなことを決めていい立派な人間じゃ
ないのに。どうして私が決めなくちゃならないの?
 ひどいよ、みんな。私だけに押しつけてっ! ど
う決めたって、後できっと責めるんだ。あーあ、あ
のとき、逆だったらよかったのに、って)
 考えれば考える度に逃避の度合いが強まって行く
リンダの思考。そんな彼女の前にグローリアスが姿
を見せる。
 今のリンダにとってグローリアスの存在は、迷走
中の船の中でやっと発見した羅針盤のように思えた。
自分に正しい道を示してくれそうな良識ある大人そ
のものに映って見えている。
《迷っているのかい?》
《グローリアス公! 教えて下さい。私、どうした
らいいんですか?》
《そうだねえ……まあ、ここはOFの案に従うべき
だね》
 期待したグローリアスの判断も、やはり2択のう
ちの一方だった。しかも、誰にでも口にできてしま
う凡庸な答え。リンダが彼に期待していたのはこん
な答えではないのだ。
《そんな、私できません》
《そうなのかい。でも君もわかっているんだろう?
 ここで転移を諦めて元に戻れば太陽に飲まれて全
員死亡。切り捨てさえすれば、およそ37億6千万
もの人々が無事安全な場所へと向かうことができる
んだ。 素晴らしい! 大丈夫、ラウル君のやろう
とした事に比べれば、全然問題ない。君は英雄的判
断を下した女性として、未来永劫語り継がれること
になるんだ、きっと》
 リンダはグローリアスの物の言い様に腹が立った。
自分が助かりたいだけなんだ。期待することを止め
た。ひととなりにも失望した。
 グローリアスに限らず、人に期待したって仕方が
ない。リンダは自分が決めなければ、どっちにも転
ばないということに、いま気づいた。ここで先送り
を狙ったって無意味なのだ。
《冗談ッ! とにかく私は人の犠牲の上に成り立っ
た幸福なんていらないのッ! みんな、ゴメンね。
私は自分が一生後悔しないと思う選択をするわね。
───光、あなたのプリムに地球を元の場所へ戻す
ようお願いして》
《あ、うん……》
 こうしてリンダの決断によって、こじし座20番
星太陽系への転移は中止された。これが<Double E
arth>失敗確定の瞬間である。

 同じ頃、ついに太陽の超新星化が再開されていた。
すでに金星までもが飲み込まれている。
 この事実を先に知った<ノア>のエステーバン・
ギィエルモは、地球圏の実体化開始を見てペルセウ
スミラーを展開し始めようとするのだが……。
 公転軌道上に再出現した地球の姿は、球体ではな
かった。巨大な、という言葉では形容できないよう
な巨大な樹。世界樹と表した方が絶対に正しい。
 そんな世界樹が宇宙に浮いているのだ。それも気
持ちちょっと傾き加減で。
 キャンディ・マウントバッテンは、素直な感想を
口にする。
『うーん、面白いわ。情報化されるってことはああ
いったことだったのか』
『で、展開位置は同じでいいんでしょうか?』
 操縦士のカヲル・ケレスファインはそう訊ねるの
だが、エステーバンはこう答えるしかない。そもそ
も形が違うのだ。
『今更、変えられないでしょうね。とにかく張りま
しょう』
 そして梢場美芹も確認する。
『ところで、このペルセウスミラーで大丈夫なんで
すか?』
『……余所ほど強化できてはいないですからね』
 エステーバンの返事を聞いて信田若菜は落胆する。
『だめなんじゃーん』
『そうなのかもしれないですね。いずれにせよ、太
陽がなくなったら、地球だけ残っても生きてはいら
れません』
 シェルター製作担当だったヴィルジニア・ヴィン
チェンツォは言う。
『ああなってしまっては、シェルターがどこにあっ
たのか判らないわよねえ。どの道、間に合わなかっ
たけれど』
 ヴィルジニアがぼやいてる間に、若菜はフェイド
ラに数値と情報を与え、超新星化の衝撃波が伝わる
時間を計算させる。すると答えは直ぐに出た。衝撃
波到達まであと、たった2分18秒という、本当に
わずかな時間しか残されてはいなかった。エステー
バンたちはさすがに対策の練りようはないと思い込
んでいたのだが、現在、太陽系の全ての発現者はネ
イバーリンクという形でつながっているのだという
ことを思い出した。
 エステーバンは、とにかくこのおよそ2分程度の
時間に賭けてみることにした。

 エングラム交感による会議が始められている。様
々な意見が述べられ、その計画の有効性が話し合わ
れる。時間はもう2分を完全に切っているが、交感
によってタイムラグもなく話し合われているため、
大量の提案と意見と異論がぶつかり合って消えてゆ
く。
 ───そして、ついに意見はまとまった。
     @     @     @
 張りつめられた糸が悲鳴をあげ、切れようとして
いた。
 地球はついに完全なる情報化を果たした。
 残るは、こじし座への転移を待つばかり。
 だが地球は、いまだ世界樹の姿をとって、その軌
道を周りつづけていた。
 超新星が放った死の光は、すでに金星を飲み込み
地球へとせまっている。
 情報世界に浮かび、つながれた何十億もの意識。
そのすべてが、ただ一点へと向けられていた。
 ヴァンダーベッケンの甲板の上で、地球そのもの
の舵をとる少女、リンダ=イフェアへ。
 血を吐く叫び。
《───ごめんなさい、ごめんなさいっ!
 ───私は、私にはどうしても、37億の人々を見
捨てるなんてことできない、できないよッ!》
 『Double Earth』に参じたすべての者へ、こじし
座と地球を結ぶネイバーたちへ、その悲愴な決意が
染みわたった。
 数えきれない疑念の矢が彼女を射る。
 リンダはそのすべてから逃れず、みずからむきだ
しにした心で受けとめた。
《それでも、私はみんなで助かりたい。
 みんなと生きていきたい!》
 救いあらば、張り裂けよ我が心と、慟哭にむせぶ
リンダ。
 オペレーション『Double Earth』は静止した。
 そののちに控える『ノア』も、ほんのわずかな時
間、地球を生き延びさせるにすぎない。
 やがて超新星は、銀河系全体の恒星が一時にうみ
だすよりも大きなエネルギーを爆散させ、太陽系を
死と熱の海へと変える。
 あらゆる策が徒労に終わった。
 人類の終末を指す時計の針は、残り二分を切って
いた。
 37億の非発現者は、情報世界に光を見いだすこと
ができず、ただとまどう。
 やがて戸惑いのさざなみは恐慌の津波となり、か
ろうじて拮抗していたバランスを押し崩し、惑星地
球を物理世界へと引き戻すだろう。ヴァンダーベッ
ケンが、その彷徨の果てに砂漠に現れた時のように。
 その瞬間、神の最後の慈悲ともいえる一瞬の死が
人類を見舞うのだ。
 ざわざわとエングラムをはしる悪寒。否応なく伝
わる恐慌の予感が、いまや発現者たちをも素早く確
実に覆い尽くそうとしている。

 審判の時。

《……“絶望”、ですか》
 風が吹いた。
 星の光を受けて舞う海鳥。
 頬を、翼を撫でゆく星風の感触。
 問いを発したのは、バルカンの整備士エルフリー
デ・ヴェレン。
《絶望───そんな悲しいものが、何万年もかけて
たどり着いたあたしたちの答えなんですか。
 違うと思う。
 あたしたちは生きてる。シルマリリオンのみんな
だって、まだ生きています。時間はあります。最後
の一秒だって、あたしたちには何かできることが、
きっとあるはずです!
 あたしたち人間は、いつかきっと死にます。それ
でも人間は生きようとする、なぜですか?
 そんなことは誰だって知っているはずです。人間
らしく生きることに、大好きな人たちと一緒に時を
過ごすことに、意味があるから!
 だから、だからッ、あきらめないでください!》
 ネットワークを吹き渡る風が、暗雲を切り裂き、
果てのない蒼穹で満たしていく。
 訪れる静寂。
 物理世界においてほんの一秒。
 やがて、呼応して新たな声があがる。
 澄み切った水面を伝わる波紋のように。
《───そうね。今、この時間を無為に過ごせば、
結局、人類は存在しなかったも同然といえるでしょ
う。数刻後に己が死ぬのだとしても、そんな屈辱を
受けるくらいなら“死んだほうがまし”》
 同バルカン、テレーゼ・ミュンヒハウゼン。
《───提案があります。結局のところ、最後まで
言葉をもてあそぶことしかできなかったわたくしを
許してください。
 すなわち、呼び起こされた想念───コギトンの
凝集が“ありえない転移”を呼び起こし、エングラ
ムの交感が、こうして地球と水星をも光の速度を超
えてむすびつけるというのなら、“時間”という我
々にとって絶対の規範すら、揺るがすことができる
のではなくて?
 現に、鏡の盾を張り、超新星と化した太陽をも防
ぎとめた人々は、直感的にそれを感じ、行っている。
わたくしたちは、ありえたかもしれない未来、いい
え、絶対にありえない未来さえも、“ここ”へ引き
寄せ、超新星爆発による破局という、最悪の事態を
避けることが出来るのでは───?》
 返答は即座にあった。
《同意する───『スクルド』『スルト』のユリウ
ス・フォン・シュテルナーだ。俺達にはもはや、シ
ルマリルもイカロスも残されていない。そそぐべき
“力”がない。
 しかし、望みはある。今、はっきりわかった。俺
が地球で行った愚かな行為が、ラクダの背に載せた
最後のワラの一本であり、その背骨を砕いたのだ。
俺が超新星化を招いた。すまない、謝罪する暇が今
はない。だが俺は、失敗から一つの確証を得た。
 超新星化を起こす“力”ならば、元へと戻すこと
もできる。今、この時なら、すべての人に伝えるこ
とができる。いまこそ再び、人々の想いの矢を、荒
くれる太陽へと射かける時だ》
《『Birth Sol』今岡形よ。誰が悪いってんじゃな
いわ。いずれ起きたことだもの───だけど、それ
はある意味、太陽を根本から作りかえ、新たな太陽
を産み出すということね。でもね、『エヴァグリー
ン』では間に合わなかった。すでに超新星化は起き
て、光の速さで広がっている。
 エングラム技能という手段もなく、ただ漠然と意
志を結ぶだけでは駄目よ! それでは何も変わらな
いわ。同じことの繰り返しになるだけ!》
《“力”の焦点を結ぶ“対称”を求めればいい。太
陽ではない、新しい対称を。その力点こそが“力”
を振るうだろう───失礼、L5『ディゾナンス』
未岡さとりだ。
 我々は、もうその対称を選んでいる。口にする必
要はないね。そう、みんなわかっているんだ。この
想いを託すべき相手を。
 ここに一人のエングラム研究者として、新しい概
念を提示したい。今、僕たちは史上最も強いネイバ
ーリンクで結ばれている。僕たちの意志が一つとな
り、精神の振幅が揃った時に発せられるコギトンは、
強力な一つの波となっているだろう。
 でたらめに発せられて、物理法則をかき乱す力じ
ゃない。人々の“希望”を現実のものにする、とて
も純粋な力だ! 
 直感的に置き換えられる言葉がある。そう。
 レーザーだ。コギトンレーザーだ!》
 未岡のエングラムを通して、明解なビジョンが伝
わった。幾重にも連なった意識の波が集束し、まば
ゆい一筋の光となる。
 すべての人々は、意識を一つに揃えるべく、祈り、
願った。
 莫大なコギトンの奔流は、おのずとその対称へと
集う。
 今を生き、最も多くの人の心に残ったであろう、
その少女のもとへ。
     @     @     @
 月面ディアナドームでその時を迎えた、『彗星動
乱』フェイドラ役のピュリア・ウル・リーフは、自
分の髪が、指先が、その身体のすべてが、神秘的な
光を散らしていることに気づき、驚嘆した。
「わたし、わたしが───?」
 戸惑いを隠せないピュリアを、一層の光芒が包み
こむ。監督やスタッフたちが目を見張るなか、爆発
とともに彼女の姿はかき消え、次の瞬間、水星“バ
ルカン”へと現れた。
 ───張り巡らされたペルセウスミラーをも貫い
て。
 バルカンのテラスは、もうひとつの超新星が生ま
れたかのように明るさを増した。
 現れたピュリアは、竜巻に翻弄されるかのように
舞い、輝く髪を高く巻きあげる。
 激しく励起したエングラムを見つめるピュリア。
《わたしがこの、力を、振るう、
 太陽を生まれ変わらせる、
 誰も死なせない、
 残されたわずかな時間、
 わたしにできること────》
 何十億もの人々が寄り添い、優しく、力強く語り
かける様がありありと感じられた。
 かぼそい指をにぎり、励まそうとしていた。
 活性率は五千億をかるく超える。
《そう、わかる、
 わたしが、わたししか出来ないこと、
 ───でも───でも────怖い────!》
 よぎる迷いに、エングラムの輪郭がぶれる。
 ピュリアを起点に、暗い色の水晶が爆発し結晶し
た。
 放射状に成長する結晶は、バルカンすべてを覆い
尽くし、なおも勢いを止めない。
《ああ……ああ……ああ……!》
 どうにもならぬまま、ピュリアは、押しつぶされ
そうな不安と苦しみを、周囲へと巻き散らした。
 反響しあいながら拡散する苦悶が、ネットワーク
を壊れんばかりに揺さぶる。
 殴りつけるような思考が彼女をとらえた。
《なんて下手くそなの!
 力を貸すわ。しっかり!》
 よわさと、強さの双方がないまぜになった思考が、
ピュリアにささやきかけた。
 ささやきは、彼女に一つのビジョンを与える。
 ピュリアは汗を浮かべながらも、暴走する結晶を、
必死に引き戻した。
 きん、と音を立てて、結晶は一つにまとまった。
 結晶はわすかに離れて宙に浮き、ピュリア自身の
エングラムと寸分の狂いもなく共振している。
 共振───レゾナンス!
 揺れうごくピュリアの瞳に、凛と、光がともった。
 瞳には、煌々ときらめく、一振りの大剣が映って
いた。彼女の背丈ほどもある、エングラムの剣だ。
 具象化されたコギトンレーザー。
 運命の糸を断ち切ろうとする、人間のつるぎ。
 彼女は、いまや完全にコギトンの流れを掌握し、
制御していた。
《ありがとう、みんな》
 残された時間はわずかだった。
 ピュリア・ウル・リーフは、あふれる想いと感謝
を、たった一つの言葉に込めて、太陽へと飛んだ。

《マム!》
 叫びを発したのは『シルマリリオン』征矢司。
《もうミラーはいらねえ。必要なのは俺たちじゃな
い!》
 寡黙をまもっていた『シルマリリオン』アネット・
バコは、その思考をネットワークへと投じた。
《……アレをやる気かい。もうあとは無いんだよ。
地球をまもる盾はなくなるんだ》
《できるよ! もう、一回やっていることだもん。
みんなの力を合わせれば、きっと出来る!》
 おなじく『シルマリリオン』の望月付足〜プラス
〜が請け合う。
 その明るさにあきれかえるアネットから、ほっと
する気持ちと、押し隠しながらもわかる誇らしい感
情が彼らに伝わってきた。
《わかった。シルマリリオンの総仕上げだ。抜かり
なくいくよ!》
 アネットの号令に『シルマリリオン』のペルセウ
スミラー展開者、ネイバー、すべてのメンバーたち
が口々に返事を返した。
 それは9月12日に彼らの起こした奇跡の再現だっ
た。
 ミラーを構成する彼らの思念は、光速で膨張する
太陽を追い越して進行し、その衝撃波を無効化した。
蒸発途中の物質を燃やし尽くした。生命の驚異とな
る電磁波を、無害なレベルになるまで吸収した。
 あとは、猛々しい反応をつづける太陽を、生まれ
変わらせるのみ。
 『シルマリリオン』『ノア』の蜜子・G・グラン
ディには、それまでミラーを満たしていた力が、急
速に衰えていくのがわかった。
 そこに残ったわずかな力と、彼らの獲得したミラ
ーを操る知識とを一つに集束させると、絶え間ない
コギトンの流れの示す先へ、そっと贈りだした。
 きらめくミラーを見送りながら蜜子はつぶやく。
《……あの時、私たちには、剣が無かった。
 人々が未来を求める意志こそが欠けていた。
 ピュリアさん、今、あなたには盾がない。
 ゴルゴーンの巣へ赴くあなたを、わたし達が護り
ます。どうか受けとってください…………》
     @     @     @
 荒れ狂う太陽へと飛び込んだ、ピュリア・ウル・
リーフ。
 因果力=ラプラビリティをも断ち切る剣を手にし
た彼女を待ちかまえていたのは、まったく予想もつ
かぬ光景だった。
 かつてなきほど活性化したエングラムを通して、
彼女には過去と未来が同時に見渡せた。
 彼女の瞳が見通す太陽は、過去から未来へと連綿
と続く光の柱であり、あくまでも貪欲に、地球を、
太陽系を飲み込もうとする暴竜だった。
 その竜と、自分が、互いに強くひきつけられてい
ることもわかる。
《望むところ》
 さらに接近して臨む竜は、うねりたくる無数の竜
の塊であり、際限なくつづく循環と回帰に彩られた、
揺るぎなき運命の象徴だった。
 ピュリアは、それらすべてが太陽系の崩壊へとつ
ながる“運命の糸そのもの”なのだと悟った。
 彼女に躍りかかり、運命のあぎとを突き立てんと
する竜を、ピュリアは一閃した。
 彼女に応え、剣は、自在に縦横にひらめく。
 竜の鎌首は、その斬り口から爆発的な光をともな
い四散していく。
 されども竜はきりなく現れる。
 どれだけのあいだ、彼女は死闘を演じていたこと
だろう。
 いつしか星は、輝きをやめ、挑む相手は、全き闇
の竜と化していた。
 雄々しく剣を振るいながらも、ピュリアは身震い
した。恐ろしいまでの喪失感。
《───美萌ちゃん! ザインさん! 光さん! 
西条さん! みどりちゃん!》
 彼女の心から、すっぽりと何かが抜け落ちていく。
《アトラスさん! 監督! ナディア! フェイド
ラ! わたしの、わたしの大事な人たち! ああっ、
もう顔も……思い出せないっ》
 それは彼女の大切な想い出。
 自ら断ち切っていく竜の首とともに、ピュリア自
身のラプラビティまでもが消失していくのだ。
《わたしは───わたしは、時間を逆行している─
──》
 彼女は過去を観ているのではない。
 運命をほどき進むことで、彼女自身が過去へと向
かっているのだ。
 でなければ運命を変えることはできない。
 その代償が、こんなにも大きいものだとは。
 彼女は衝撃に打たれた。
 絡まり合ったすべてのラプラビティを切りひらき、
目指す地へと辿り着いたとしても、自分はもはや自
分ではない。ましてや、自分を憶えているものなど、
誰もおりはしないのだ。
 力なく剣を降ろし、両手で顔を覆う、ピュリア。
《……ゆかりちゃん……ゆかり…………もう、ネイ
バーのあなたにも、届かないなんて…………》
 呆然と漂う彼女を、竜の吐く黒い炎がなめた。
 小枝のように突きとばされるピュリア。
 彼女がその歩みをとめれば、また次々と竜は蘇り、
破滅の未来へと突き進む。
 風化する心に、ただ、剣の輝きだけが止まるなと
訴える。
《駄目……これ以上は、進めない……》
 無限の孤独に包まれたピュリアは、我が身を抱き、
ほんのわずかな喪失の念にすらすがった。
 竜達は次々と喰らいつき、絶望の淵へとピュリア
をひきずりこむ。
 猛然と勢いを盛り返した竜が屠るたび、ピュリア
のまとう輝きは薄れ、彼女は傷ついていった。

 自分はもう、ここでおわりなんだと思った。
 やっぱり、自分は星空なんか夢見ちゃいけなくて、
地球でのうのうと暮らしていればよかった。
 今度みたいな、辛くて苦しいばっかりの話には関
わらないようにしているべきだった。
 誰か他の人が頑張ってるのを横目で見ながら、気
まぐれに応援してみたりするのが似合っていたんだ
と、そう、思った。

 ───ぐい、と彼女の肩をつかむ手があった。
 それは小さくて、でも暖かくて、とても懐かしい
感触の
《立て! 剣をとれ! ピュリア!》
 らんらんと輝くとび色の瞳が、彼女の肩を掴んで
言った。
《……リンダ! ニナ! どうして!?》
《あなたの呼ぶ声が聞こえた》
 間違いなくリンダ・イフェアだった。
 ニナ・バーンスタインは無言で、三人の前にミラ
ーをかざし、迫る竜の牙をしりぞけた。
 リンダは地球のヴァンダーベッケンに、ニナにい
たっては、こじし座で、転移してくる地球を待ち受
けていたはずだ。
 それぞれが『Double Earth』を務めあげるために
散り別れたのだ。
 しかし今、その手で抱きしめられる場所にいるの
は、まごうことない、彼女たちだった。
 リンダは、再び問いかけようとするピュリアの視
線を真っ向から受け止めた。
《拒むことも出来た、と思う。でも……》
 リンダ・イフェアは、涙をこらえ、ぐっと唇を噛
みしめた。
《誓ったんだ、鷹になるって。
 自分で決めて、自分の翼で飛ぶ。
 あの人に、自分に、そう誓ったんだ》
《みんなで助かろう。今を生きる人たちと、みんな
で生きていこう。そう決めたわよね、三人で》
 いやます絶望の竜の力を、ミラーを展開する腕に
受けながらニナは言った。
 少ない彼女の言葉には、震えが混じっていた。裏
切られ傷つくことを、深く怖れていた。だが、こら
え、必死に奮い立とうとしている。この二人と出会
えたことを誇りに思う。あなたがいれば、私は強く
なれる。だから、一歩遅れでもいい。ついていこう。
その時こそ、私は、私になれる。
 ピュリアの頬に、とめどなく涙が流れ落ちた。
《……二人とも馬鹿よ……本当に、無茶苦茶なんだ
から……》
 最後の抱擁をほどいたのは、ピュリア自身だった。
《これ以上、過去へ戻れば、私も、ニナもリンダも、
自分を失ってしまう。
 みんなの大切な人々も、消えてしまう。
 誰もわたしたちの事を思い出さない。
 いいえ、最初から居なかったことになるのよ。
 何も、何も残らないのよ……!》
 切々と、ピュリアは二人に語りかけた。
《きっと、お互いを感じることもなくなる。それが、
みんなで生きようとすることだ、って本当に言える
の?》
 身を削られるような沈黙の後に、
 リンダが、ふっと微笑んだ。
《ねえ、ピュリア?……ニナ……? 強情だと笑っ
てね……私は、まだあきらめていないんだ》
 二人が息をのむ。
《───三人で考えた『Double Earth』は失敗しち
ゃったけど、でもそれで終わりじゃない》

 鳥のように自由に羽ばたくことを夢みた心は、
  いつか、勇気ひとつを友に、
   大空を目指した兄弟となり、
    孤独と戦いながら大海を渡り、
     音の壁を打ち破り、
      夜空に瞬く一つの星に、
  長き夜を越えて、小さな一歩を記した。
 そして───

《私達はまだ、ここに、こうして居るんだもの。
 いつか必ず、私たちはたどりつく。
 こじし座20番星へ。
 もっと遠く、星の世界にだって。
 絶対、絶対、絶対に飛んでみせる。
 きっと、みんなにだって…………》
 それ以上は、言葉にならなかった。

 ピュリアの身体にまばゆい光が戻る。
 リンダは、ニナの持つミラーの一つを譲り受け、
張りめぐらせる。
 猛り狂う闇の暴竜とも、振りおろされる火鞭とも
つかぬ太陽深部へ進むたび、三人の意識は薄れ、渾
然となった。それでも、ただ一つの想いだけを胸に、
なおも彼女らがとどまることはなかった。
 剣が振るわれるたび、ミラーは輝き、大きく雄々
しいフォルムをかたちづくった。
 あたかもそれは────
     @     @     @
 『シルマリリオン』によって無害化された超新星
の光が太陽系を駆け抜け、『HMM2S』とランバージ
ャックのつくった輪状星雲を、いっそう明るく輝か
せた。
 太陽は生まれ変わった。
 我らの主星は、その失われた質量を、時間流を調
節することによって補っていた。太陽の寿命そのも
のも、おそらくは数億年単位で削られているはずだ。
しかし、太陽の反応そのものは一種の恒常性が働い
ているかのように、よく安定している。不可思議な
時間流の作用については、今後の観測が待たれるこ
ととなった。しかし、その基地のよりどころであっ
た水星はもう無い。
 ケイト・スペンサーとそのネイバー、グレイ・ス
トークの守護により、九死に一生を得た金星も、そ
の様相をがらりと変えていた。
 エヴァグリーンによって情報化され世界樹へと変
貌した地球や月は、再び物質化し、公転軌道へと立
ち戻った。同時に未曾有の規模のエングラムコンタ
クトも、終焉を告げる。
 すべてが終わった時、全人類にはエングラムが発
現していた。
     @     @     @
 太陽はもとの状態に戻った。
 プロジェクト<ノア>や<Eternal Blue>、
 映画<彗星動乱>のおかげでもある。
 ほかにも誉めるべき人たちは大勢いる。
 もちろん太陽に飲まれた人たちも、
 無事に自分の肉体を取り戻している。

 地球はもとあった場所で、
 あるべき形に戻った。

 全人類にエングラムが発現した。
 くだらない誤解の要因の1つが永久に消えた。

 役目を終えたエヴァグリーンの幻影樹たちは、あ
らゆる場所で大気の中へ昇りながら溶けてゆく。
 あらゆる場所とあらゆる人の前で、細かな光を放
ちながら人々の視界から消え去ってゆく。

 消えたのは幻影樹だけではなかった。
 オリジナルフェイドラたちもマスターたちの前か
ら消えようとしていた。
 優先命令権を持つイリオン=フェイドラが、永久
的な休眠を要請したのだ。
 西条潤一のシルフェも、空海光のプリマベーラも、
自発的に眠りについた。ぞれぞれがそれぞれのマス
ターを案じつつ。だが、彼女たち自身も自分たちが
マスターを駄目にしてしまうことも知っていた。だ
から本当は要請なんてものが出なくとも、遅かれ早
かれ眠ることを自ら選ぶだろう。
 そして、マスターたちが自分たちに依存しない強
い心を得たそのときには、きっと彼女らは目を覚ま
すことだろう。

 だが、消えてしまったことすら分からないことも
中にはある。
 綾崎未有は先日描いていたヴァンダーベッケンの
絵を見てもらおうと、ミラー・マフィンを見つけて
声をかけた。しかし、マフィンの表情には哀愁が漂
っていて、絵を見てもらうどころではなさそうだっ
た。
「どうしたんですか、ミラーさん?」
「いや、なんだか判らないが淋しいんだ。心の中に
ある何かが欠けて永久に見つからないような感覚が。
ふぅ……いかんな、私としたことが写実的でないこ
とを言っている」
 マフィンはいつものようにカメラのファインダー
を覗いた。現実をありのままに見られるように。

 ミラーだけでなく、こうした心境の人たちはヴァ
ンダーベッケンには大勢いる。多分、ヴァンダーベ
ッケンだけではないのだろう。グローリアスもやは
りそのうちのひとりとして、それらの人たちよりも
比較的深く、困惑し続けていた。

 ある人物にひどく嫌われるような真似をあえてし
たのだが、誰にしたのか覚えちゃいない。誰に聞い
ても誰も誰だか覚えていないのだ。そもそも自分は
どんな嫌われるようなことをしてしまったのか、そ
れすら覚えていないという有様なのだ。
 謝らずにはいられない。
 しかし、謝るへき相手はどこに?

 ヴァンダーベッケン、オーナー室。
「───いやあ、嫌われているんだろうなあ」
 これがこのところの、グローリアスがオーナー室
でよく呟く口癖だ。
「またですか、陛下」
「うん、またなんだ。ジォビネッタ」
 そして、グローリアスは新任の警備部部長に特別
な笑みを向ける。
「かまわないさ、僕は君さえいてくれれば誰に嫌わ
れていても別に問題はない、……と思う」
 果たして、グローリアスの疑問が解決する日は来
るのだろうか?

 プレステル沖。
 情報化が完全に解けた時、ヴァンダーベッケンは
カラハリ砂漠でなく、なぜかプレステル沖で再構成
されていた。様々な説が立てられたのだが、プレス
テルの国民たちがグローリアスを引き寄せたのだと、
無難なところでまとまった。
 ヴァンダーベッケンの各所に出現していた幻影の
植物たちもエヴァグリーンの幻影樹と共に、大気の
中へととけてしまっている。

 すでに国を追われた形となっているグローリアス
だが、王位復帰を希望する国民の声を聴くことはな
かった。グローリアスはこれまで通りヴァンダーベ
ッケンを生活の拠点として選んだのだ。しかも、ヴ
ァンダーベッケンをいつのまにか個人の所有資産と
した上で。
 ヴァンダーベッケンがカラハリ砂漠で身動き取れ
なくなっている状態から、グローリアスはプレステ
ル国内に所有していた資産を適当に処分し、ヴァン
ダーベッケンを個人の資産として買い取っていたの
である。後にグローリアスはこう語っている。
「───高い買物は底値で買うに限るね」
 確かに、あんな砂漠に放置去れたも同然だった状
態でなければ、空港として活用できる船を決して売
りはしないだろう。また、別の見方をすれば、一方
的に専制君主制を廃止した国会が、罪滅ぼしのつも
りで売ったという見方もできなくもない。
 なお、たとえ海上にあったとしてもグローリアス
は全財産を処分してもヴァンダーベッケンを買取っ
ただろう。ヴァンダーベッケンとはグローリアスに
とって、大切な船であり、場所なのである。
 こうしてヴァンダーベッケンは完全に個人の所有
物となり、これまで駐留を続けていたサドフォース
と機構軍兵士に、丁重に下船してもらっている。
 このとき、グローリアスとマブらしい青年はこう
語っている。
「───これで名実ともにヴァンダーベッケンは陛
下の所有物となったわけだ。もう、機構軍にはでか
い顔なンかさせねえゼ」
 今後のヴァンダーベッケンは国籍こそプレステル
だが<学術研究都市船>(ヴェルネー・フォルパル
ト提案)として、グローリアスと彼を慕う人々は、
これまで通り何の変わりもなく世界の海を好き勝手
にさまよい続けることだろう。
 宇宙を目指す者たちの背を、やさしく押してやる
ために。
                   (END)
───────────────────────
■重要遭遇者一覧
○プロジェクト<ノア>
/エステーバン・ギィエルモ(0829-04)
○オペレーション<Double Earth>
/リンダ=イフェア(6273-01)
○オペレーション<Eternal Blue>
/ギーヴ・パラス・グラウコービス(1682-01)

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