怨念について
怨念とは「生命が生命であるために必要なもの」である。
全ての生命は怨念を内包して誕生し、それを触媒として生命反応を行う。
この反応によって発生するエネルギーの一部が生命エネルギー(注1)
であり、
怨念がそれを蓄える働きをする。綿のような感じになっていると思えば判り易いだろう。
生物は、この蓄えた生命エネルギーによってさらに生命反応を行い、また、それによって
生命エネルギーが発生する。
これは燃焼反応と似ている。つまり、熱によって燃焼反応が起き、熱を発生するのと近い。
あらゆる生物は生命エネルギーを用いて通常の物質には出来ないような現象を起こし、
あるいは、通常の物質でも起きるが弱い反応を促進する。
これらの反応も、内包された怨念が触媒としての機能を果たす。
なお、生命エネルギーを蓄える働きは生命に内包された怨念しか持たない。
生命に内包されていない怨念(”自由な”怨念)はいわばほぐされた綿の繊維と考えればいいだろう。
触媒としての機能は果たすが、その性質上、生命エネルギーを蓄える事は出来ない。
東京において”術”と呼ばれる能力は空間に生命エネルギーを投射し、自由な怨念を触媒として、
本来は生命の体内で行なわれる超常的な現象を引き起こすものである。と説明出来る。
また、自由な怨念はエネルギーを蓄える事が出来ないため、それらの現象の持続時間は短い。
やや特殊なのが”結界”と呼ばれるものである。
これは通常の術とは違い、非常に安定し、ほとんどのものは基本的に永続する。
結界とはおそらく、怨念に直接方向性を与え構成された、他の術とは異なるものなのだろう(注2)。
また、「変異」とは自由な怨念を、生命エネルギーによって生命に内包される怨念に組み込んでしまう
事であり、その新たな怨念の働きに対応すべく器官が発生したりする事である。
これは時に非常に極端な変化となる。
たとえば、変異前は、草食の小動物だったにもかかわらず大型の肉食獣に成ったり、あるいは、
足の数や、首の長さ目の位置や形状、などが大幅に変わったりする事も十分ありうる。
注1 天羅システムにおいて「気合」・「霊力」と呼ばれるものに相当する(という事にしておく)
なお、「霊力」とはこの場合、発生し、蓄えられている安定したエネルギーであり、
「気合」とは酸素が足りずに、充分な熱エネルギーがありながら炎が発生していない、
バックドラフト寸前のように、「何らかの理由で反応を起こせないでいるエネルギー」である。
注2 最初に生命エネルギーを与えて作られる点と、非常に安定している点から、最初に与えられたエネルギーによって
生命反応を起こし、あとはその反応でえられたエネルギーで自身を存続させる、一種の生物と言う見方も出来る。
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