聖騎士エイリスの憂鬱な日々







 彼女の機嫌は日毎に悪くなっていた。

 相棒の怠け癖が,回ってこない仕事が,そしてこの流浪の生活が,彼女の不満を作る原材料だった。そして,どうしようもないことに,これらのほとんどは彼女の機嫌によって解決する類の物ではなかった。



 彼女の名はエイリス=ジェスティライン。剣,盾に鎧兜とどれも純白の聖なる装備に身を包み,腰まで伸びた綺麗な蒼い髪と人目を引かずにはいられない整った容姿、そしてずば抜けた剣の腕で、一昔前は一軍を率いて戦う指揮官だった。現在は上層部の陰謀によって隊が壊滅したために流れの冒険者となっている。

 相棒の名はクルスト=エグゼスト。彼女の隊の唯一の生き残りだった彼は,たまに見せる異常なほどの頭の切れと腹立たしいほどの剣の腕を除けば,彼女に言わせれば”ただのロクデナシ”ということだった。どこからか拾ってきた(本人は人から貰ったと言っていたが)安物のペンキを塗ったような白と水色の鎧を身に纏い,こちらは本当にペンキで色を塗った水色の盾を持ち,柄も刀身も鞘も闇のように黒い(あの悪名高い魔王の剣と同じ配色なのだが)剣を腰に差している。兜だけは一級品として通る代物だったが,時間によって奇妙に色が変化するという,どちらかと言えば手品の種として重宝されそうな兜だった。

 彼は隊が壊滅した後一時行方が知れなかったが,彼女が本格的に冒険者生活に入るとしばらくして姿を見せた。現在は何の因果か彼女の相棒に収まっている。







「おい!!いい加減にしろ!とっとと起きろ!!」

 宿の主人が両手を組んで時間を計っている。延滞料金までの時間はあと二十分。だが彼女の相棒は布団にくるまったまま動こうとしない。布団の中から声だけ出す。

「・・・どうしても起きなきゃ駄目か?」

「延滞料金をお前が払うのなら別に寝ていても良いぞ。」

「そんな金はない。」

「なら起きろ。」

「・・・・・目覚めのキス・・・・」

「・・・・・・どうしても延滞料金が払いたいらしいな。」

 エイリスが鞘に入ったままの剣を振りかぶる気配を察したのか,相棒は未練たっぷりにベッドから上体をおこした。

 ボサボサの髪の毛を右手でかきながら,左手で着替えをたぐり寄せる。

「隊長,朝が早いんだな。」

「私を隊長と呼ぶな。もう隊は解散した。それと,朝は私が早いのではなくお前が遅いんだ。」

「・・・少しくらい親しく話してくれても罰は当たらないと思うけどな,隊長。」

「それは私の問題だ,お前には関係ないな,平隊員。」

「・・・・・・・・・」

「あと十七分だからな。」

 容赦なくカウントする宿の主人を見て,彼は手を早めた。が,口も動いている。

「仕事、あったっけ?」

「ない。」

 にべもない彼女の返事にも全く堪えた様子を見せず,シャツに体を通している。

「じゃあ,この間俺が取ってきた仕事で決まりだな。」

「・・・・・・・それ以外になさそうだ。」

 無念さを体から滲ませながら,彼女は唸るように言った。

 彼は度が過ぎるほど仕事内容を選ばないために,持ってきた依頼はロクな物がない。彼女は自分が仕事を選んだのでは何一つ残らない事もよく分かっていたが,それ以上に彼の選んだ仕事には抵抗があった。

「まあ、別に魔獣を退治したりするわけじゃない。単なる時間つぶしだ。」

「・・・・・私には魔獣退治の方がよかった・・・。」

「依頼が少ないからなぁ。」

 ペンキで塗りたくったような鎧を身につけて,剣を腰に差す。盾は鎧の腰の部分のフックに引っかけて,相棒は立ち上がった。

「忘れてる物は・・・・ないな。」

「さっさと行くぞ。」

 そそくさと二人が出ていった後には,宿の主人が残り二分のカウントをして口惜しそうに佇んでいた。







 その街の大通りは今日も人が大勢通っていた。大体日が落ちるまでは道の色さえ分からなくなる大通りは,商人、街の人、冒険者と千差万別である。

 彼女はその通りでも一際道幅の大きな場所の中央にある噴水の端に腰掛けていた。剣は腰に差しているがそれ以外は普通の服で,鎧も着ていない。仕事には邪魔だということで預けてきたのだ。彼女は相棒を待っていた。宿から出てきてから約三時間ほど,彼女は座ったままである。相棒はここで待っているように言った後,依頼人と話をつけに行った。

 彼女の不満はそれこそ掃いて捨てる程あったが,今はその最たるものが彼女の隣で行われている会話だった。

「ねえ,マーク。私が今何を考えているか、分かる?」

「勿論だよメリー。僕はいつも君のことを考えているんだよ,君が何を考えているのか分からないわけがない。」

(ああ、そうか。それは結構なことだ。)

 何度追い散らそうかと,もしくは自分がここから離れようかと思った。が,この場所は待ち合わせの場所だし,かといって追い散らすと自分がいかにも無粋で粗野な感じがする。彼女の不満は募っていった。



 太陽が真上に訪れ,彼女が内心で愚痴を百回と少しこぼした頃,彼女の相棒は現れた。両手に中身のぎっしり詰まった紙袋を持ち,相変わらず何を考えているのか今一つよく分からない表情をして,しかし声だけは極めて明るく言ったものだ。

「隊長,お待たせ。」

「お前、私が今何を考えているか分かるか?」

「いや、俺は隊長じゃないから。自分以外の考えなんて分からないな。」

「・・・・・そうか。そうだよな。」

「さ、これが隊長のノルマだ。」

 癇癪を起こさないのが自分でも不思議な程だった。

「ここに来るのがお前でなく,お前の稼いだ金だけだったらな。」

「酷い言い草だな。金がないのはお互い様。だからこうして働いている。」

「・・・お前がいなければ私はもう少しマシな仕事に就けたと思うのだが?」

 それ以上の会話は無駄だと思ったのか,相棒は黙って紙袋の片方を彼女に差し出してきた。彼女はあくまで受け取りたくないという内心を態度で示した。つまり,受け取らなかったのである。

「働かざる者,食うべからず。」

 一言呟くと,相棒は紙袋を地面に置いて自分の紙袋から厚い紙の束を取り出した。そのまま一息つくと歩いている人々に片っ端から配り始める。

(何が悲しくて私がビラ配りなどしなければならないんだ!?)

 先程の二人組の顔が浮かび,自分の立場が更に悲しくなる。

 すると彼女の内心を読んだかのように,相棒が口を開いた。

「ノルマこなさなきゃ報酬は貰えないぞ。」

 ため息を一つ吐くと,彼女は紙袋の中から一束ビラを取り出した。

”驚異の切れ味!これで貴方も切り裂き魔!! byランドール刀剣店”

 自分が今からこんな物を配るのかと思うと天を仰ぎたくなる。

 彼女はもう一度ため息をついた。







「どうぞ。」

 にこやかに差し出した一枚のビラは,しかし受け取られなかった。

(我慢我慢。ビラ配りは忍耐力だ。)

 気を取り直して,取りあえず目に映った若い男ににこやかにビラを差し出す。

「どうぞ。」

 しかし,その男はビラを受け取らずに彼女に顔を寄せてくる。

「君,名前教えてくんない?」

「どうぞ!」

「・・名前教えてくれない?」

「ど・う・ぞ!!」

 渋々ビラを受け取った男には見向きもしないで,彼女はビラを片手に周りを見始めた。その男は彼女に言い寄っても無駄だと悟ったのか,もの悲しそうな顔で歩み去る。

(ビラ一枚配るのにこれほど苦労しなければならない物なんだろうか?)

 何となく釈然としない顔で振り向くと,相棒は一目で兄弟と分かる幼い子供達に一人一枚紙を配っている。子供達は,この年頃の子供の特長として,自分に物が貰えたのが嬉しいらしく,喜んで貰っている。紙に大きく描いてある剣の絵も気に入ったようだった。

「おい!!」

「何?隊長。」

「せこい真似をするな!!」

「でも,こうでもしないとノルマ達成は無理だ。」

 ビラを貰った子供はしばらくその紙を眺めていたが,興味を失ったのかつまらなそうな顔をしてビラを丸めて捨ててしまった。よく見ると丸まったビラはあちこちに転がっている。丸まった物,破れた物,紙飛行機になった物,千差万別だ。

 彼女は思わず指をさす。

「ああなってもか?」

「まあ、ノルマ不達成よりは良いんじゃないか?」

 少しもこたえない相棒に彼女はため息をつくと,再びビラを配り始めた。







 夕日が大通りを照らす頃になると,人通りが割と少なくなる。

 二人の足下には捨てられたビラが道路を埋め尽くさんばかりに広がって,このビラの宣伝効果がどの程度のものか明確に物語っている。

「後何枚あるんだ?」

「枚数より厚みで計った方が賢明だと思うよ,隊長。」

「・・・・こんな仕事,本当に終わるのか?」

「まあ、終わるはずだけど・・・・」

 人が見あたらなくなった頃を見計らって,彼女は噴水の端に腰を下ろした。

「何故私はこんな事をしているんだろうか。」

「隊長。仕事は前向きに取り組むのが肝心だ。」

「そう思うなら前向きに取り組めるような仕事を持ってこい。」



 その時だった。”ガガガンッ”という耳を塞ぎたくなるような音を立てて,大通りの一角の壁が崩れ落ちた。

 エイリスは目を見張る。

 崩れ落ちた壁から,牛の二頭分はあろうかという巨大な蛙の様な生き物が飛び出してきたのだ。太陽の光を見た蛙は感極まった様な鳴き声を上げ,手当たり次第に大通りの店舗や建物を破壊し始めた。

「ぎゃああああ!!!」

「ひいぃ,こっちに来るなぁ!!」

「誰か,何とかしろぉ!!」

 つい先程までの平和な大通りはたちまち大騒ぎになった。

 その中でも際だって顔色の悪くなった商人風の男が,声の限りに叫んだ。

「あの化け物を退治してくれた奴には,金貨二十枚をやる!!」

 その声を聞きつけて,計ったようなタイミングで四、五人の冒険者が一グループ飛び出てきた。既に武装を完全に終えているところを見ると,誰かがその台詞を言うのを待っていたようだ。

「私達も行くか?」

 彼女は相棒に一言訪ねたが,もう既に飛び出す準備はできていた。

 金貨二十枚あれば,庶民が半年は食うに困らない。何かと金のかかる旅暮らしでも,二ヶ月強は食いつなげる量だ。これだけあれば,ビラ配りなどという地味な仕事をする必要はなくなる。

 だが彼女の相棒は黙って首を振った。

「あの魔獣,何か変だ。あいつらの様子を見よう。」

 その焦れったい案に乗れないくらいまでストレスの溜まっていた彼女は構わず飛びだそうとしたが,いつの間にか相棒の手が腕をがっちりとつかんで離さない。

 彼女は焦りながらも目の前の攻防を見守ることになった。



 冒険者達は剣士二人と弓士一人と魔術師が二人の構成で,剣士二人が前衛を,魔術師二人が後衛を守り,弓士は離れた位置を移動しながら矢を放っている。

「でやあぁぁぁ!!」

 気合いと共に,剣士二人の剣が魔獣の背中と前足を切り裂いた。二人とも腕の立つ剣士らしく,背中からは魔獣の体液らしき物が溢れて止まらず,魔獣の左の前足は根本から切り落とされている。更に弓士が放った矢が右目に突き刺さり,駄目押しに魔術師二人が放った魔法が稲妻となって魔獣の身を包んだ。

 凄まじい轟音が鳴り響き,光が消えた後には黒く焦げ付いた魔獣が姿を見せた。

 盛大な歓声が上がる。

 彼女は思わず舌打ちをした。

「見ろ,私達が出ないから奴らが倒してしまったじゃないか。」

 だが,クルストは腕を離すと呟いた。

「隊長の兜はどこにある?」

「兜?兜なら酒場の預け場にあると思うが・・・・。」

 訝しげな顔をしたエイリスに,彼女の相棒は続けた。

「今すぐ取って来てくれないか?」

「今!?一体何に使うんだ?」

「あれを倒すつもりなら多分必要だ。」

「何?」

 魔獣の方を向いた彼女は,思わず絶句した。

 黒焦げになっていた筈の魔獣は再び動き始めていた。焦げも,背中の傷も,切り落とされた左の前足さえ何事もなかったかのように元に戻っている。

 あり得ることではなかった。

 当の冒険者達もあまりのことに呆然としていたが,さすがに見ているだけというわけにもいかず,再び攻撃にかかった。

 彼らは気合いを十分に込めて振るった剣の効果に驚愕することになった。剣では傷もつかない体になってしまったようで,いくら突き刺しても斬りつけても棒で分厚いゴムを叩くように弾いてしまうのだ。弓矢も然り,魔術も然りであった。

 こうなってしまっては勝負にならない。だが,急遽逃げにかかった冒険者達に魔獣が襲いかかった。

 獣特有の素早さで剣士二人は前足で反対側の壁まで跳ね飛ばされ,ぶつかって動かなくなった。鎧の形が奇妙に押しつぶされるように曲がっている。恐ろしい力だった。魔術師と弓士も同じく弾き飛ばされ,動かなくなる。

「と言うわけだ。隊長,急いで兜を取ってきてくれ。」

「分かった。」

 幾分深刻な顔でエイリスは走り去り,その場に残ったクルストは腰掛けていた噴水からゆっくりと立ち上がった。

 ここから酒場まで往復するにはエイリスの足でも十分程かかる。魔獣が逃げる様子なら彼は足止めをするつもりだった。

 魔獣は建物を壊すのをやめた。動かない建物を壊すより先に,自分にとってより危険なものから排除しようと思ったのかも知れない。

 魔獣は手近な人間を襲い始めた。

「・・・・止めるべきだよな,やっぱり。」

 クルストはボソリと呟くと,腰に差していた漆黒の鞘から剣を抜く。鞘と同じく刀身も黒く,それは鉄の色というより闇そのものが剣の形をしているようにも見えた。







 兜を片手に急いでその場に戻ったエイリスが見たものは,魔獣の目前で残ったビラを盛大にまき散らしている相棒の姿だった。

(何をやっているんだか・・・・あいつは。)

 だが,彼女が考えているよりもクルストの行動は効果があった。その魔獣の知能はあまり高くないらしく,視界が閉ざされると本能的に動かなくなるのだ。無論,攻撃されれば反撃をするが,足止めだけなら魔獣の目の前でビラを撒き続ければいい。

 クルストがビラを撒き終わる頃には,魔獣の頭はビラに埋もれていた。頭を紙で埋めた魔獣が動く気配はない。

 逃げ遅れた人々から歓声が上がる。クルストはそれを魔獣に刺激を与えると危険だからやめるように言うと,エイリスの方を向いた。

「早かったな,隊長。」

「私の出番はなかったのではないか?」

「いや,俺の剣ではあの魔獣にとどめを刺すことができない。」

「で,これは何に使うんだ?」

「被ってみたら分かる。」

 彼女は自分の純白の兜を被る。鎧を着ていないために格好がいいとは言えないが,マントをつけてきたのでそれほど不格好には見えない。

「・・・!!これは!!」

 兜の面から見た魔獣は巨大ではなかった。それどころか魔獣にすら見えなかった。

(ただの蛙じゃないか!!)

 彼女の目には踏みつければ潰れそうな蛙と,その直上に浮かんでいる赤く光る石が映っていた。赤い石は宝石の原石と言っても通用しそうな代物だったが,放つ光が不気味で商品になるとは彼女には思えなかった。

(なるほど・・・・・。あの魔獣は蛙を赤い石の力で増幅でもさせていた訳だ。道具を媒介として生成された魔獣は一種の幻術だからな。斬っても灼いても効かぬ筈だ。)

 彼女は密かに舌打ちをした。彼女の相棒は肉眼で見ただけでそれを見破り,魔獣の核とも言える赤い石の場所を知るために彼女に兜を持ってこさせたのだ。彼女の兜は,魔術や幻術を見破りその本質を装着者に映し出す”聖なる兜”という代物だった。

 装備について一言も語ったことのない相棒が,この兜の能力を知っているとは驚きだったが,今は驚いてばかりはいられない。

 彼女は剣を水平に構えると,赤い石を狙って走り始めた。

「てやあぁぁぁ!!!」

 拳大の石の中央に狙い違わず剣は突き刺さり,差し貫いた。硬い手ごたえが伝わってくる。石の砕ける音と共に辺りを眩しい光が包む。

 その瞬間,魔獣は消えた。

 再び周りから歓声が上がる。

 魔獣がどこへ行ったのか見えているのは彼女一人だけのはずだった。

 原寸大に戻った蛙は,ビラの下から這い出てくると小刻みに跳ねながら離れていく。

「ふぅ,終わったか。」

 彼女が兜を脱いで周りを見回している間に,さりげなく彼女の相棒は跳ねている蛙を踏み潰した。

「人を殺した魔獣は処分,だ。」

 その呟きは彼以外には聞こえなかった。







 金貨を払うと言った商人は死んでいたことは,僅かしか残っていなかった彼女の労働意欲を根こそぎ奪うには十分だった。

 魔獣の頭に張り付いた多くのビラは人々の目に焼き付いたらしく,宣伝効果としては十二分だったようで報酬は貰えたが、金貨二十枚には及ぶべくもない。

 彼女の機嫌は直らない。



「酷いじゃないマーク!!私の考えていることは何でも分かるって言ったのに!!」

「で、でもメリー。金貨二十枚なんて大金、僕にはとても払えないよ!!」

「言い訳なんか聞きたくないわ。どうせ貴方は、私にあの真珠のネックレスを買いたくないんでしょう!!」

 今のエイリスにはその会話は何故か耳に心地よかった。

(他人の不幸は何とやら、というやつだな。)

「隊長、お待たせ。」

 声の方を振り向くと、そこには看板を二つ持った相棒が立っていた。

看板には”この薬一つで天国行き!!回復薬ならラインズ道具店へ!!”と言う文字が正気とは思えないカラーリングで書かれている。

 内心とは裏腹にニッコリ微笑むと、彼女は言った。

「お前、私に真珠のネックレスを買ってくれる気はあるか?」

「そんな金はない。」

 即答した相棒の表情は大真面目である。



 彼女の機嫌はまだ当分直りそうになかった。





 了