| いにしゃるDくんの 作例 |
「いにしゃるD」と名乗る筆者の友人が、メールに写真を添付して送ってきた。
筆者の車模型の作例にはロクな物が無く、その写真を使いたいと思っていたところ、向こうから載せてほしいと言ってきた。(「渡りに船」もしくは「鴨が葱しょって……」)
筆者と違い非常に丁寧な作例である。
1つの作品に最短でも1ヶ月はかけるヤツで、じっくりと作る。
パーティングラインを消したりとかグレードアップパーツを組み入れたりとかはしないが、1つのボディの塗装にタミヤの缶スプレー1本を使い切るそうな。
車の模型はボディの塗装が命で、そこが妥協が命の筆者があまり車を作らない理由なのだが、彼は好きでその道を進む。
かつてのガンプラ少年(近所の模型コンテストで何度か優勝している)、今はすっかり車中年に。
なお、文章は筆者が書いている。知らない車が多いので、結構適当。
彼から注文が来たら直そうと思う。
縮尺 |
車 種 |
掲載日 |
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| NEW! | 1/24 | 三菱ランサーエボリューションX | 2004年02月13日 | NEW! |
| NEW! | 1/24 | トヨタ・スプリンタートレノ(TE71) | 2004年02月13日 | NEW! |
| 1/24 | スカイラインGT TURBO | 2004年01月22日 | ||
| 1/24 | ランチアデルタHFインテグラーレ16V (1991年1000湖ラリー仕様) |
2002年05月12日 | ||
| 1/24 | PEUGEOT 205TURBO16 | 2001年12月13日 | ||
| 1/24 | JAGUAR XJR-9LM | 2001年12月13日 |
三菱ランサーエボリューションX
(1998年カタルニアラリー仕様)
1/24、田宮






D君最もお気に入りのランサーとのこと。
ランサーと言われて連想するのは、数あるエボリューションの中でこのXでありドライバーのトミ・マキネンだという程の惚れ込みようで、当然これはその仕様。
かつてFR駆動時代のランサーは「通好み」の車で、一般的にはともかく車好きの間では非常に高い評価を得ていた。運転する車としてのバランスが非常に高く、旧ランサーは走り屋よりもプライベート・ラリーストに愛された車だった。
ワークスとしても、1974年のサファリラリーにおいてWRCデビューだった1600GSRが、ケニア人ドライバーであるジョギンダ・シンの手により初優勝。わずか1600ccのマシンが2600ccを誇るポルシェ911をはじめとする強豪を相手にしての勝利だった。
「走りのランサー」は実績に裏付けされ、そして車好き達に愛されたマシンだったのだ。
しかし時代はFF駆動全盛、そして合理化の時代になる。
ランサーもその大きな波に飲まれ、単なるミラージュのバッチ違いでしか無くなった。ランサーを愛する人たちはその事を悲しんだ。
ところが、三菱はランサーを生き返らせる。走りの車として。
4WDターボという強力な武器を与えられて蘇った戦闘機には、エボリューションというグレードが与えられる。ベースであるランサーのモデルチェンジに伴いランエボもベース車両を変更するが、W〜Yが同じベースモデルらしい。
最初この車を見たとき、Dくんは決して好印象を持たなかったそうだ。彼の言葉を引用しよう。
「最初、東京モーターショーでXが公開された時、Wまでの戦闘的なフロントマスクに対して、ややライト周りが地味な感じがして”なんだこの顔は!ランサーじゃなくカリスマじゃねーか?これならWの方がかっこいいなぁ”とあまり良い印象は無かった(後で普通のランサーがマイナーチェンジで、この顔に変更してたことを知った。)んだけど、このXって競技車両としてのベースが飛躍的に上がってて、知人が競技車として購入してその凄さに触れたり、国内のイベントで活躍してる姿を見てかなりお気に入りになってしまった。
この車は車体のサイズと性能のバランスが高く、信頼性も格段に高い為か、[まで進化した現在においても、時として最新のエボリューションを食ってしまう位の高いポテンシャルを維持している。
WRCの方はっていうと、時代はWRカーに移行しつつある中、それらの強力なライバルを相手にグループAとして一線級の戦闘力を誇っていた。
一番最初のエボリューションが出た時に、ギャランのコンポーネントを一回り小さい車に搭載することにより、大きなアドバンテージが発揮されるというのがコンセプトだったと記憶してるが、その思想は代々継承されてきたと思うし競技車として軽量コンパクトに拘るのは当然なんだけど、このXは車幅は1700mm以上の3ナンバークラスになってることから、やっぱりアベレージスピードが高いWRCでは、安定性と戦闘力のバランス点はこれくらいのサイズなのかな?と勝手に想像したりしてた。」
キットは田宮製とのこと。
色が白赤の2色になってるところはスプレー塗装らしい。前後のバンパーは田宮のキットらしく細かい気配り?で別部品になっていたため、そのままスプレー。ボディ本体の下側はマスキングしてスプレーとのこと。
「一応気に入った車なんで、時間はかけて作りました。」
というが、実際模型作りにはじっくり時間と手間暇を掛ける以上に完成度を上げる方法は無いんだろうなぁとか思った。
トヨタ・スプリンタートレノ(TE71)
1/24、メーカー不明(多分フジミ)



D君が中学生なりたてくらいの頃に作ったプラモデルである。
当時彼の父親が1ヶ月ほど乗っていた車であるそうで、彼の家の車としては初のDOHCエンジンの車だったそうだ。彼の父親というのが大の車好きで、若い頃はボロボロの中古車(どのくらいボロかというと、運転席の足下に地面が見えたそうだ・・・・・・錆びて穴が空いてて。)で、父親(D君にとってはおじいさん)をナビに、ラリーに出場したりした経歴を持っている。還暦を過ぎてなおかっとんだ車を好み、セリカGT4を愛車にする不良親父だ。
そんな父親から、遺伝の所為かやはり車好きであるDくんは良く聞かされたそうだ。「トヨタのDOHCは、凄い。」と。
本人いわく「かつてのトヨタのGT(DOHCとソレックスの組み合わせ)はそりゃ凄い車だと刷り込まれた」。
イメージとしては「じゃじゃ馬」27レビン・トレノを思い浮かべていたのではないかと予想されるが、とにかくその「トヨタのDOHC車」が彼の家にやってきたのである。
1ヶ月くらいで手放すことになった理由というのが不明だが、その車は中古で、以前のオーナーがチューニングしていたのが原因ではないかと思われる。「この手の車にありがちな若干いじられた車でフライホイールを削って軽くしてた為にアイドリングが安定してなくて、停車中にミラーがブルブル震えてるくらいの車だった」そうだから、一家に一台の車としてはきつかっただろう。
それでこの車を手放して、同じTE71トレノのマイナーチェンジ後の後期型を新車購入。
しかし、後期型の2T-GEUは低速トルクは出てたものの、DOHCの売りである上の伸びが思ったほどでも無かったそうだ。
このTE71の一つ前の型から排ガス規制対応のためキャブレターではなく燃料噴射の2T−GEUが搭載された。この当時の燃料噴射は排ガス規制のパスと燃費向上が主眼である。結果として低速トルク重視の、高回転の伸びやパンチのないエンジンだったそうだ。
もしかしたら、この車をバランスを崩してまでチューニングした前オーナーもその辺を何とかしたくて改造したのかも知れないし、そうでないノーマルな前期型TE71なら彼もそんなに思い入れる事はなかったのかも知れない。既に真実は闇の中だ。
しかし彼の家に来たのはこの車であり、僅か1ヶ月で彼に印象を焼き付けた。そしてこのキットは、それを再現するべくもの凄い気合いを入れて彼が作った、彼にとってのメモリアル・モデルである。
ちなみにこの車の後継が、今、豆腐運びで大活躍中の「ハチロク」だ。
ところでこのキット、前回のスカイラインと同じく、今年の正月に彼が帰省したときに、私の所に持ってきた物だが・・・・・・
凄まじい埃にまみれていた(笑)
かれこれ20年以上、ケースなどにしまわれることなくただひたすらに埃にまみれていたのだから、その状態や推して知るべし。習字の筆で丁寧に埃を払ったが、完全には取りきれない。埃というのは湿気を吸うことでこびり付くのだ。
悪いことにこのキットはドアウインドウがない。従って外を綺麗にした後中も掃除する。掃除して、グレーに塗装していると思ったところが未塗装の黒だったことに気が付いたときは笑った。
写真ではかなり綺麗に仕上がっているように見えるこのキットも、実は手塗りである。スプレーが如何に高嶺の花だったかは前回のスカイラインの記事を参照されたい。筆塗りではあるのだが、実に綺麗に塗れている。ムラはほとんど無い。筆の跡も照明に当ててよく見ないと解らない。メタリック塗料でよくもまあ塗れた物だ。彼に確認したところ、これはラッカー系塗料レベルカラー(現Mr.カラー)のメタリックグリーンだという。丁度この色だと思って買い、そのまま筆塗りしたそうだ。
ラッカー系塗料でメタリックカラーを、 しかも自動車ボディ塗装なのに筆塗りする。いかにも当時らしいエピソードだし、当時でなければここまでの筆塗りは出来なかっただろう。
しかしその代償に塗膜が厚くぼてっとしている。これは仕方がない。筆塗りはどうしてもスプレーよりも一回に載せる塗料の量が多くなり、載せた塗料の中で沈殿が起こる。それを何度も塗り重ねて発色させたのだからこうなるのは当然なのだ。スプレー、特に塗料の吐出量やエア圧を自由に変えられるエアブラシ塗装の最大の利点は薄い塗膜で十分な発色を得られるというのもあるのだ。
デカールは一切使われていない。サイドの黒ライン中の「DOHC EFI」と言う文字は彼が爪楊枝で書いた物。リアのエンブレム、室内のメーターパネルも凸モールドに爪楊枝で色を載せた物だ。

実は当時の彼は結構改造している。フロントウインドウ・リアウインドウは、わざわざ薄い透明プラパンで作り直している。リアウインドウにはカッターで電熱線も彫り込んである。この透明プラパンは、私の記憶に寄ればたしか高級なお菓子の包装に使われていた物だったような気がする(当時彼がそんなことを言っていた記憶がある。)
ドアの内張もキットには無いのでプラパンとランナーで自作している。そして、前席足下がそのまま地面なので、そこを堅くて薄い黒いゴム(塩ビ?)を貼り付けて塞いでいる。
モーターライズキットだったので後輪にはでかくて白い駆動用ギアがあったはずだが、それも取り去っている。タイヤとほぼ同系の白いギアはかなり目立ちので、それを嫌って取り去ったのだろう。ただ、そのあと何もしていないので支えが無く、後輪が1センチくらい左右に動くのはご愛敬。
ホイールはワタナベのホイールを、わざわざ模型屋で買った物だそうだ。そういえばそんなキットがあったなぁと、話を聞いて思い出した(ドレスアップパーツとかいうシリーズじゃなかっただろうか?)。オリジナルは童夢零が履いてたのと同じデザインのホイールだったそうで、当時は何だかこの車に全然合ってないなぁと、このホイールを買って付け替えたそうだ。。
ナンバープレートには油性マジックでナンバーを書き込んだようだが、流石にほとんど消えかけていた。


ところで長い年月放置されていたこのキット、欠品パーツがあった。
フロント・運転席側ライト下のウインカーランプ、フェンダーミラー両方、運転席側ワイパー、リアワイパーが消えていた。
また、ヘッドライトはただの透明パーツだけで、裏には何もない。
それらを私が補修することにした。
ワイパーは比較的楽だった。ハセガワのランエヴォを作ったとき、付属ののエッチングパーツを使ったためプラ製のワイパーが2つ余っていたのだ。1つを、生き残っているワイパーに合わせて形状変更し、リアはそのまま使った。
ウインカーランプはちょっと面倒だった。結構な厚みがあるのだ。仕方なくジャンクパーツの中から厚めの透明パーツを探して、それから削りだした。縦横のモールドが入っているのでそれもデザインカッターで適当に彫り込んだ。
フェンダーミラーはどうしようかと思った。既製品のディティールアップパーツがないかと、Dくんと一緒にホビーショップてづかさんに探しに行ったが、そんな物はない。家でジャンクパーツを漁ると、さっきのハセガワ・ランエヴォの余りドアミラーが有ったので、それを利用して自作することにした。
方法は簡単。余計な部分(ドアへの接続部分)をニッパーで切り離し、ミラー面の反対側をヤスリで真っ平らに削る。削ったらそこに1.2mmプラパンを大きめに切った物を3枚積層して貼り付け、接着剤の完全乾燥を待つ。乾燥したらニッパーで大まかに形を切り出し、ヤスリで仕上げる。支柱はランナーから削りだし、接着面をヤスリで整える。それだけ。
ミラー面のえぐれを彫り込むより遙かに楽なのでオススメだ。
本当はこれ以上手を付ける気はなかったのだが、ヘッドライトの裏に何もないのがいかにも異様だった。だからといって裏から銀を塗ったら非常に平面的になり、ヘッドライトっぽさが無くなる。そこで、ジャンクパーツの中から幅の近い、えぐれたパーツを探して銀色に塗り貼り付けた。もう少しえぐれがキツイほうが良かったと思うが、これしかないのだから仕方ない。それでも前より余程良い。
そうやって軽く修復しただけだが、立派な完成品となった。
100円ショップで200円で買ったプラケースに入れると、もの凄く良い。
GWに帰省するらしい?Dくんもきっと楽しみなことだろう。
(1/24:メーカー不明(エルエス?))

今回の正月休み、D君が「こんなのあるよ」と持ってきた懐かしのプラモ。
ああ、そういえば中学の時にコイツの部屋で一緒に作ったよなぁと思い出す。
もちろん、エアブラシだのスプレーだのは一切使っていない。
完全筆塗りだ。
当時(特に我々は貧乏中学生だったし)の缶スプレーは、今ならエアコンプレッサーを塗装の度に使い捨てるくらいの贅沢品だった。(いや、小遣い千円の当時はマジでそんな感じだった。小さいサイズの缶スプレーも出ていなかったし、缶スプレー買う金で他のキットが余裕で買えた時代だ。)
車について
スカイラインとしては6代目であり、久々にヒットしたスカイラインだと記憶している。先代ジャパンの面影を残しつつ、ジャパンとは違い直線で尻上がりのシャープなラインでデザインされている。
有名なのはこの車ではなくRSというグレードだろう。
4気筒直列DOHCエンジン搭載で、他のグレードとはフロントマスクが異なるRSは、シルエット・フォーミュラなどのレースでの活躍と相まって「帰ってきたスカイライン」という印象を世間に強くアピールしていた。
なお当時は「DOHC(またはTWINCAM)」だの「ターボ」だのは現在のようにありふれた物ではなかった。単なるカタログスペックではなく、その車種の最高級グレードにしか採用されない強力なウェポンだったのだ。
なのでメーカーも車のサイドにデカデカとステッカーが貼ってそれを誇示し、また客もそれを喜んだ。
今にして思えば「ガソリンエンジン搭載」とか「12ボルトバッテリー」とか貼るような間抜けさだが、排ガス規制以来牙を抜かれた国産車に、久々に獣が戻ってきた事に興奮しての集団トリップだったのだろう。
日産のDOHCはスカイラインRSによって実に鮮烈な印象を我々に与えた。
もはやL型は古い、公然とそう囁かれた。
まさか21世紀になってもL型エンジンで湾岸最速とうたわれるZがもてはやされるなど、当時は誰も想像していなかったのだ(笑)
さて、華々しいRSに対して普通のスカイラインもあった。
普通と言っても名器L型6気筒エンジン(ただし当時は名器ではなく古くさいエンジン扱いだった)を積んでいる。
このL型エンジン搭載車にもターボ付きモデルが発売された(というか、ジャパンの頃からターボ付きL型はあったので、その後継だろう。)
そのプラモ化がこれである。
そうは言っても、エンジンが再現されているわけでもなく、フロントグリルとサイド等のステッカーしか違いは無いのだが。
キットについて
D君曰く、「これは田宮製ではなかった。」
・・・・・・なら、どこよ?!
というわけで、可能な限り調査してみた。
ただ、すでに実物が手元にない状態なので、調査は結構難しい。
特命リサーチ社の社員の気持ちが少し解ったような気もする。
RSのプラモは各メーカーほとんどが出している。
しかし、この車となると、かなり少なくなる。
モーターライズキットだったので、確かに田宮は除外のような気がする。
とすると、怪しいのはアオシマ、ニチモ、フジミ、そしてエルエス。
このうちこの車種のキット化が確認できたのは田宮とエルエスだった。
なので、エルエス製ではないかと思っている。
当時の我々の作成といえば、車だろうと戦車だろうとガンプラだろうと塗装と言えば筆塗りである。スプレー迷彩などは夢のまた夢だ。田宮ニュースだったかに「綿を使ってマスキングをすればスプレー缶でも迷彩塗装が出来る」と書いてあったのでDくんは挑戦したそうだが、塗料が綿にしみこんで本体にくっついてしまったそうな。
そもそも今のように小さいスプレー缶などは存在せず、大きい缶をこのキットくらいなら買えてしまう価格で買わなければならなかった時代。小中学生にそんな出費は余程思い詰めないと無理だろう。
というわけで、これも当然筆塗りだ。
よく見ると筆ムラが見えるが、でも良く塗れていると思う。基本に忠実に、縦→横→縦と塗る向きを変えて塗ったのが伺える。エナメル系塗料ならもっと目立たないのだろうが、貧乏な我々にはエナメルよりも同じ価格で内容量の多かったラッカー系塗料の方を選んだ。
今回、ダイソーで買ってきた200円ケースに入れると、もう筆ムラなんかは全く気にならなくなった。
当時のキットはほぼすべてそうだったが、メーターパネルは凸モールド表現、デカールではない。
なので当時の彼は爪楊枝で慎重にモールドに塗料を載せていったのを思いだし、覗いてみるとやっぱり手塗りだった。
よくもまあ、塗れた物だ(笑)


更に、ドアの内張をプラパンで自作していた。
今のキットならコクピットはドアの内張込みで箱状に組み上がるが、当時のキットはまず内張が付いてくる方が珍しい。
それでこだわり派の彼は0.5mm厚プラパンとランナー(当時はプラパンとランナーくらいしか自作の素材は無かった。今みたいにエッチングパーツとかホワイトメタルとか何でも有りの状況とは違うのだ。)とパテ(もちろんプラパテだ)で内張を作った。
当時のキットを今の技術で徹底工作というのも良いが、当時の最高レベルの出来の物がほぼ無傷で見つかったなら、こうして埃を取り去りケースに入れて飾るのもおつな感じである。
ランチアデルタHFインテグラーレ16V(1991年1000湖ラリー仕様)
私のHP更新も久しぶりなのだが、いにしゃるDくんも、久々にプラモの写真を送ってくれた。
車種は『ランチアデルタHFインテグラーレ16V』(1991年1000湖ラリー仕様)。
ご存じの方も多いと思うが、デルタは『怪物マシン』だらけのグループBが終わってグループAとなった数年の間、ほとんど無敵を誇った車だ。
この車はターマックって言うよりはグラベルの印象が強くて、この1000湖仕様って言うのがDくんは「ちょっと気に入ってる」らしい。
(1000湖ラリーとは、WRCの中で最もハイスピードなラリーの一つで、車がジャンプしまくるらしい。
ただし、何年か前からフィンランドラリーって名前になってしまって、ちょっと残念、とのこと。)
当時からちょっと前まで、この車の市販車は、評論家や『いわゆるエンスー』って方々からかなり持てはやされていた。
「国産では味わえ無い魅力」、「人を楽しませる事を目的に作られた車」等々、ランエボやインプレッサが出てきても、その人達は「あくまでデルタ」で、ちょっと鼻についていた。
しかし、一方では「俺もちょっと欲しいな」と思う車でもあり、いろいろと話を聞いた。
Dくんの知り合いの人が中古で買ったらしく、それに乗せてもらったところ、
「馬力とかのスペックは国産でも全然上の車がごろごろ出てきて目立たなくなってたものの、実際の走りは確かにスペック以上に強烈な部分がある車ではあった。」
と言う。
ただ、
「でも、良く壊れてたけど・・・・・・」
壊れると言うことに関しては、『あのイタリア車』だけに私も逸話を聞いたことがある。
何でも、デルタを新車購入した人が、ディーラーを出て500mほど走っただけで動かなくなり、再びディーラーの車庫に戻ったとか・・・・・
ただ、車としての魅力は多く、以下にDくんのインプレッションを引用する。
「競技のための車としての濃さって観点で見ると、ランサーやインプレッサの方が圧倒的にだね!
逆にいうとデルタはそこまでなりふりかまわずって訳でもなく(それでも当時は「なりふりかまわず」ってよく書かれてた)
そこらへんが、あんまり詳しくは知らないがイタリアでは高級イメージが確立されてるらしいランチァのブランドの車だってことなんだろうね。
ちなみに俺は好きだったかといわれれば、売られてるデルタは書いたとおり、欲しいなと思うくらい好きだったけど、競技車両のワークスカーは強すぎることもあったし、形自体もアルピーヌA110、ストラトス、ラリー037、FORD
RS200、セリカというように見るからにスポーツカーってやつのほうが好きだったのであんまり好きではなかったな〜」
で、作例である。
キットはハセガワ製の物。
例によって非常に丁寧に作った彼らしい作品なのだが・・・・・・・・
日当たりの良い窓の側に置いていたらしく、デカールが思いっきり退色している。
太陽には勝てないので、皆さんも作品の保存場所には気を付けましょう。
また、今回の写真はどうも露光がおかしく、写真がおもちゃっぽい。
彼に問い合わせると、どうもデジカメの所為らしい。
なるほど、ガンプラコンテストとかでデジカメ禁止になる訳だなぁ、とか思った。
(まあ、最近のデジカメは凄いらしいけど。私やDくんの使っているデジカメはそう言う高級品ではないので)
この車、筆者は知らないので、いにしゃるDくんに問い合わせた。
解ったのは、この車は消えて久しいグループBというカテゴリーのチャンピオンカーだということ。
彼は中学生のころ、(今は休刊になった)モーターファンという雑誌を毎月読んでいた。
特にラリーの記事が好きで、ランチァラリーやデルタS4が大好きだったそうだ。
そのランチアを苦しめてたのがこの205らしい。
当時(ひょっとしたら今も)WRCは認知度が低い。
すごいモンスターマシンが一杯走っていたグループB時代の、彼のお気に入りの車
(ランチァとかFORD RS200とかセリカツインカムターボとか...)は一切キット化されず、
あまり好きでなかったこの205やアウディクワトロのキットがあっただけだった。
ということで、彼にとってさほど好きではない(憎んでまではいないようだが)車種らしい。
本人によれば、全く気合いを入れず、さっと組んだらしい。
その割に制作に1ヶ月かけたり、相変わらず缶スプレー1本使い切ったりと、筆者からみれば十分気合い入りまくりである。
ところで、彼の本命ランチア・ラリーはハセガワからキットが出て久しいが、彼はまだ買っていないらしい。
いざキットが出ると、「いつでも買える」と思って、買いそびれているらしい。(笑)
彼が大学生の時に購入し、製作開始。完成は就職数年目。
たしか、軽く7年くらいかけた大作である。
もうすぐ完成と言うときの深夜、筆者宅に電話をかけてきて、「あのドライバーのナンバーどっちだっけ?」と確認してきた。
ブレーキディスクの穴を爪楊枝で一つ一つ書き入れたのに、完成したら全く見えなくなってしまったとか、 タミヤの製品なのに変なパーツ分割で組むだけでもえらい苦労したとか、いろいろな苦労もあったようだ。
彼にこの車のことを聞いた。
購入の動機は、当時無敵を誇っていた銀色のメルセデスに対し、
なんだかちょっと華奢なんだけどカッコ良かったジャガーがお気に入りだったってことで選んだらしい。
その辺、メジャー路線大好きの筆者とは異なる、彼のひねた人生観が感じられて面白い。
ルマンは伝統のレースではあるが、日本では人気がない。
この車はグループCというカテゴリーだったらしいが、次のプジョーのグループBと並んで、負けず劣らず「日本では」知名度が低い。
というより、日本で人気が出たのはF1のみだと筆者は思う。
キット自体も、そんな訳でそんなに売れなかったんじゃないかと彼は言った。
とにかく、その作例が下である。
筆者と違い、良いカメラを使っているので作品の良さも伝わると思う。
素組でもここまでできるのだという、良い例である。