「俺、誕生日なんすよ!」
昼休み、用もないのに(と秋丸は思っていたが口には出さない)三年の教室にやってきて、加具山を強引に引っ張り出した榛名は、屋上で長めの髪を風に弄らせながら、そんなことを言った。
うっかり寝坊して朝食を食べ損ねた加具山は、朝練の後に弁当を食べてしまったために、購買で調達した菓子パンを食べている。
二口目に言われたので、ごくりと飲み込んでから口を開く。
「へぇ、そうなんだ」
それからおもむろに三口目をかぶりついた。
空白の数秒。
「…俺、誕生日なんです」
「うん。よかったな」
「誕生日…」
菓子パン一つで腹の足しにもならない高校三年生は、袋をくしゃりと丸めるとポケットにつっこんだ。屋上にはゴミ箱がない。
「おめでとうの一言もないんですか〜」
とうとうこらえ切れなくて、榛名がとうてい高二の男子とは思えないような事を訴えた。
訴えられた加具山は、数度まばたきしてから。
「おめでとう」
と簡素な一言を付け加えた。
それら全てを目の前で仔細に観察せねばならなかった秋丸は、そっと視線を外した。
あまりにも痛々しい。
なにやら様子がおかしいので付いてきてはみたものの、この絶望的な温度差には、一体同情してやればいいのか、笑ってみてもいいものか、判断がつかない。
がくりと肩を後輩を、加具山が理解し難い表情で見ているのも、とても寒々しい。
「…あのさ、榛名。俺は昼飯代にも事欠くほど非常に切迫した状態なんだ。たかられても何も出せないぞ」
その見事なまでの的外れのフォローさえ、今の榛名には氷点下の世界に裸で放り出されたほどの痛々しさだ。
「…あ、しまった。そういや職員室に呼ばれてたんだ!それじゃあな、秋丸榛名。練習で」
そういって軽快に駆け出した加具山を見送るのは、秋丸の視線のみ。
かわいそうな二年生投手は、屋上のコンクリートの溝に釘付けだった。
「…あのな、榛名。慰める気なんか、ミジンコほどもないけど。普通はあんなもんだと思うぞ?」
これから梅雨入りするような季節だというのに、まるで武蔵野第一高校の屋上は、秋風が舞っているようだった。
午後の授業も立ち直れなかった本日17歳になった、大きな小学生榛名元希は、思い足を引きずるように部室に向かった。
榛名と違い、真面目に学校生活を送る秋丸は、本日は掃除当番であったために、ろくでもない状態の同級生兼チームメイトと行動を共にしたくないために、はりきって掃除中だ。
「…ちーす」
顔も上げずに、部室に入った榛名は、誰がいるのか当然確認しないまま、挨拶をした。
返された声に、溜まらず顔を上げる。
「おーす。…って、お前なんか背後が暗い」
すでに着替えの終わっていた加具山が、榛名を見て眉を寄せた。
よもや自分が原因だとは思いもよらないのだろう。
というよりも、自分が原因だなどとは普通は思わないだろう。
「なんでもないっす…」
部室に入って最初に目にしたのが、加具山の姿だというのを喜びたいのに素直に喜べない榛名は、さらにがくりとうなだれる。
「なんだか知らないけど…お前、そんなに誕生日祝ってもらえないのか?」
それもものすごく的外れな疑問だったが、加具山に理解できるはずもない。
誰にでも祝ってもらいたいのではなく、榛名が加具山一人に、徹底的に祝ってもらいたいのだということなど、今の加具山に理解させるには、榛名が犯罪行為にでも走らないと無理だろう。
泣き出しそうな榛名に、加具山はため息をついた。
「…本当に、お前って時々ものすごい子供だよな。えーっと、確か…あ、あった」
ぽいっと、加具山が放り投げたものを、野球部員としての性できちんと受け取る。
手のひらには、赤いリストバンド。
とてもではないが、加具山の好みだとは思えない代物だと思ってから、榛名はがばりと顔を上げた。
「それ、やるよ。本当に金無いから、後でなんか買ってやるのもできないけど。…しかも、もらいもんだけど」
「これ…」
「体育の時に使えって、妹から貰ったんだけどさ。これが意外と使わないんだよな〜…しかも似合わないし。だからやるよ。あ、一回使っちまったから、洗ったほうがいいかも…」
「ありがとうございます!」
「え?」
「もう、返せって言われても返しませんよ!一度貰ったんだから、俺のもんですよ!絶対!俺、一生大事にしますから!」
「いや…そんな…」
「一生!一生大事にしますから〜!」
戸惑う加具山を置いて、榛名は部室を飛び出した。
まだ、ユニフォームにも着替えていない。
よもやサボる事はないだろうが、あまりの勢いに加具山は言葉も無い。
「…すいませ〜ん、今榛名がなんかすごい勢いで…って、加具山さん、こんにちわ」
「おう」
「…ん?加具山さんが居るってことは…もしかして、榛名飛び出して行ったのって…ナニかありました?」
「いや、別に…何ってことも…」
やや慌てた様子の秋丸に、加具山は言いよどむ。
その上、秋丸の視線は加具山の全身を透視するように強い。
「あいつがあんまりしつこいから、使わないリストバンドをやっただけなんだけど…」
加具山の言葉に、中学からの付き合いである秋丸は、加具山が傷物になっていないかどうか調べようとしていた動きを止めた。
「それって、使用済みだったりしますか?」
「…そう都合よく未使用品が、カバンの中に入ってないだろう?昨日妹に貰って、今日の体育で使っただけだったから。まぁ、要らないなら捨てるだろうし」
「いや、それは無いと思いますよ。…それどころか、毎日枕元に置いておきそうな気がします」
「…あいつ、本当に友達居ないのか?」
秋丸のセリフに、加具山は当然正解にたどり着いていない言葉を呟いて、同情していた。
とりあえず、色々とまずいので、秋丸は親切に間違いを訂正してやろうとは思わなかった。
「まぁ、そんなようなそうでもないような…とりあえず、榛名の機嫌が良くなるのは、球を受けてる俺としてはありがたいですけどね」
「…それはいいけど、あいつどこまでいったんだ」
「気分だけなら、天国まででしょうねぇ…まぁ、気にしなくても戻ってきますよ。練習はサボらないでしょうし」
「まぁ、そうだな。あ、そういえば、お前は誕生日いつなんだ?」
「え?俺ですか?」
「ああ、覚えてたら祝ってやるよ」
「三月十二日ですよ」
「…来年か。あー、しかも卒業してるなぁ」
「あはは、覚えてたら祝いにきてください」
「そうだな、覚えてたら祝いに行ってやるよ。来年の榛名の誕生日も、覚えてたらちゃんとプレゼントくらいやるかな。さすがに、ちょっと今回のはなぁ…」
「いやぁ、アイツに気なんか遣うことないですよ。…というより、使用済みの方が絶対に喜ぶし」
「ん?なんか言ったか?」
「いえいえ。さぁ、練習に行きましょう!」
「おう」
そうして気分だけなら天国に舞い上がっていってしまった、本格派投手は、背番号12に出し抜かれそうになっていることに気付くまで、半年以上かかるのだった。