夜というのは、どうしてこう。
何もかも音を、吸い込んでしまったように静かなのだろう。
にもかかわらず。
僅かな音が。
やたらと、空気を震わせて。思っている以上に、騒がしい。
それでなくても、先刻から。
所在無げにぶらつかせた足が、ざりざりと土を蹴りつける音が響いている。
「…つーか、電源切ってんの信じらんねぇんすけど」
「バス乗ったときに、切ったままだったんだよ」
「俺から連絡あったらどうする気だったんすか」
「…留守電残しておけば良いだろう」
「…留守電残しても、聞いてないじゃないすか。いつも」
「聞いてるよ」
「だから、次の日に聞いても意味ないじゃないっすか」
「しょうがねぇだろう」
「しょうがなくないっすよ」
「だって、面倒なんだよ」
吐く息が白い。
もう、冬も終わりだというのに。
不満げに口元を尖らせた一学年下の後輩は、加具山の隣でぶつぶつとなにやら呟く。
プロ入りを目指していたはずの男は、ドラフトの下位指名が気に入らなかったのか、大学に進んでしまった。
入れれば良いということでもなかったのだろうか。
まぁ、確かに下位と上位では、待遇も違うだろう。
けれど、明確な上下関係のある大学よりは、社会人の方が性にあっていそうなものなのに、何故大学へ進んだのか、加具山には未だに理解できていない。
詳しく経緯を聞いたわけでもない。
ただ、冗談交じりに交わした会話で。
指名した球団が北の地にあって、寒そうだったからとかなんとか言ってはいたが。
…いきなり一軍登録されない限り、ファームは本州にあるのだから、全く関係の無い話のような気はする。しかも、北から南まで開催地があるリーグなら、ほぼホームのある地域には住んでいないだろう。ホテル暮らしが主なのではないだろうか。あげく、オフシーズンに実家に帰ってきたら、住む必要さえない。
卒業してから、意外に野球の話はしなくなった。
生活圏が変わってしまったせいもあるだろうし。
そもそも、野球との関わりかた自体も、榛名と加具山では大きく違うのだ。
うらやましいのかというと。実は高校のときほど、ねたましいとは思わない。
狭窄した視界は、あの夏。あの場所で啓かれた。
大学に入ってさらに、今度は生活圏が広がった。
そうなると、それが良いか悪いかといったものではなく、振り返って判断が出来るようになった。
自分の能力。
自分が努力すべきこと。
自分がもてる可能性。
野球を、やめてしまおうとは思わない。
実際、他にやりたいことがあるので、大学に野球部があるところに入学こそしなかったが。
野球というスポーツは、きっとまたいつでも始められるだろう。
楽しむ、というその方向においては。
そうした加具山の、変化というほどには変わってなどいない思考も、榛名には置いていかれた気分がするのだろう。
こうして、たびたび構ってほしいと強請るのだ。
置いていくのはお前だろうと、あの頃は思ったのに。
けれどこうして、縋るのは。
きっと榛名の優しさなのだろうとは、加具山も思うのだ。
恋人という名のカテゴリーには、ついぞ入りきれないでいるから。
だから、真似事をしてみたいのだ。
もうあと少しで、気づいてしまうから。もう、ほんとうは気づいているから。
そこにあるのが、恋や愛や執着や欲望ではなくて。
純粋に。
思慕と敬愛と尊敬と、まったく自覚するのも恥ずかしいほどの、友情であるということが。
ただ、それを信じたいのは加具山一人だけだと。
榛名はうんざりするほど、繰り返すのだけれど。
「だいたい。面倒って、なにが面倒なんですか。着信とかメールのチェックなんて、そんな面倒じゃねぇのに」
「だってお前。俺の彼女だと思われてるぞ?あと、ストーカーとか」
「は?」
「こないだ、いい加減しつこい女と別れたほうが良いとか言われたし」
「お、女?って、アンタそんなのいたんすか!」
「だーかーら、お前が女と間違われてんの」
「俺?」
「ま、ハルナって聞いてたら、誰だって下の名前だと思うよな。そんなんで、現在お前は、ダチの間でしつこくつきまとって別れ話を受け入れないストーカー女扱い。だから、面倒くさいんだよ」
「…ひ、酷ぇ。つか、誤解を解けば良いだけじゃないっすか」
「最初はやってたよ…高校の後輩だって。…それがどこをどうなったのか、さっきの誤解に高校で付き合ってた元カノとかいうのまで増えて…もう、どうでも良くなった。言えば言うほど、どこの昼メロだよって設定が増えてくから」
「…現在付き合ってる男だって言えば、簡単に収まると思うんだけどなぁ」
「さらに、面倒なことになりそうだから嫌だ」
「…面倒ってさぁ…」
隣に座った榛名が、ぶつぶつと文句を言うたびに、夜の冷たい空気が白く濁った。
「じゃ、キスでもするか?」
瞬きをした榛名に、加具山は「あ、まだ驚くんだ」とぼんやり思う。
ずいぶん付き合いも長くなって、ひょっとしたら加具山自身は、ときめいたりはしないだろうという随分と酷い自信があったが。
数度の瞬きの後、はぁ…と榛名はため息をつく。
「つか、加具山さん。酒くせぇもん」
「うっせぇな、お前だってにんにく臭ぇだろう」
「夕飯、餃子だったんすよ。…タバコ、吸いたいなら吸って良いっすよ。外で、副流煙とかなんとか言っても仕方ないし」
「ああ、さっき切れたから…気にしなくて良いぞ」
「…あーあ。俺も早く未成年から卒業してぇ…」
「別に…こんなもん。ただの、格好だけだろう」
「格好だけでも良いんですよ」
「…そんなもんか…?」
タバコの紫煙とは違う、白い息は夜の中で僅かに溶けた。
いい加減、冷えてきたかもしれないと、加具山は立ち上がった。それに促されたように、榛名も座っていたベンチから立つ。
残念ながら、夜空に月は輝いていない。
なにやら厚い雲の向こうに隠れたままだ。
だから、二人の足元を照らしているのは、風情のない街灯の明かり。
「ねぇ、加具山さん」
「ん?」
左右から照らされて、影はあちこちへと何重にも流れている。
「やっぱ、キスしませんか?」
ということで。
久々のハルカグです(笑)
そして、いつものようなハルカグです。
卒業して、二人とも大学行ってます。
まぁ、その辺りはなんというかかんというか。
甘いんだか、なんだか。
蛇足ですが、この後
「…お前、にんにく臭ぇって言っただろう」
「アンタだって、酒臭いんだから別に良いじゃないすか。いまさら、柑橘系の味なんて、期待してませんってば」
というような会話があったんですが。あまりなので、削除。
って、ここで書いたら意味ないですか?(笑)
一応、パラレル甲子園ハルカグの続きというか、こういう事になったかもしれないという話です。