なんどまばたきしても、それを思い出す事さえない。
 ぼんやりとした記憶が始まるのは、いつだって見上げた先にいる人影から。



「ここにいたんだ?」
 ちょっと困ったような声に、トリスは顔を上げた。
「ハヤト?」
「さすがに、いきなり治安が良くなったわけじゃないから、こんなとこに一人でいたら危ないよ」
「あ、ごめんね。探しにきてくれたんだ」
 立ち上がろうとしたトリスを制して、その隣にハヤトはすとんと腰を下ろす。それからかかえた紙袋の中から、ドーナツを取り出してトリスに渡した。
「ごめん、探しに来たのはついででさ。お使いの途中に見掛けたら声かけろって、リプレが。はい、どうぞ。パン屋のおじさんが、おまけしてくれたやつだから遠慮しないで食べて」
「ありがとう」
 トリスは笑って、そのドーナツを受け取った。その笑顔に、ハヤトは照れたように鼻の頭をかく。
「まぁ、君なら大丈夫だろけどな。でもやっぱりあぶないからさ。あのメガネの・・・ネスティだっけ、きっと心配するよ」
「あはは、そうだね。本当は、今ハヤトじゃなくてネスが迎えに来たのかと思っちゃった。ネスなら今ごろ、日が暮れるまでお説教だよ」
「そりゃ大変だ」
 ぱくりと、トリスはドーナツに噛りついた。ハヤトも紙袋の中から、スティック状のパンを出してかぶりつく。暫くの間、二人は黙って食べていた。
「あのね、ハヤト」
「うん」
 ドーナツを食べ終えたトリスが、呟くように話し始めた。
「すごく懐かしい気持ちになるの、ここ。良く知ってるような不思議な気持ち。でもあたしは、サイジェントに来た事もないんだから変なんだけどね。・・・懐かしくて、それでちょっと苦しい」
 ぎゅうっと胸もとを掴むようにして、トリスはうつむいた。必死で思い出そうとしているようで、何かに耐えているようなその姿を、ハヤトは黙って見つめていた。
「ネスには秘密ね?」
「・・・わかった」
 トリスは笑って、ありがとうと言った。
「あたしが召喚術を暴走させちゃった街がどうなったか、あたし知らないんだよ。ううん、どんな街だったかも覚えてない。気づいたら知らない人たちが、あたしを見下ろしてて、なんだかすごく恐かった。多分、今も恐い」
 堅くつむった瞼をそっと開いて、トリスは整備されてないスラムを見つめる。ほったて小屋のような家屋、瓦礫の散乱した道。
「こんな場所だったのかな・・・そこに誰かいたのかな・・・」
「トリス・・・」
「でも、もう逃げ出すのは止めようって思う。起こってしまった事はやりなおせないけど、あたしが考えて行動する事はこれからいくらでもできると思うし」
 そう言うと、トリスは勢い良く立ち上がって、ハヤトに手を差し出した。
「だからここに、ちょっと決意表明にきてたんだよ」
 差し出された手につかまるようにして、ハヤトも立ち上がった。
「余計なお世話だったかな」
「ううん、聞いてくれてありがとう。やっぱり他の人なら言えなかったかも。恥ずかしいしね」
「でも、ネスティには言っても良かったんじゃないのか?決意表明ならさ」
「・・・うう、秘密だからね。ネスには」
「いいけど、問題ないと思うなぁ・・・」
「甘えちゃうから。ネスには甘えてばっかりいるから、迷惑もいっぱいかけてるし」
「多分いくら甘えられても、平気なんだと思うけど・・・」
「なんか言った?」
「あ〜・・・あ、なんでもない・・うん」
「ソウ?それじゃ、帰りましょうか」
「そうだな。ひょっとしたらガゼルも心配してるかもしれないし。意外に心配症なんだよ。・・・あ、俺が言ったって言わないでくれよ」
「あはは、秘密ね。ヒミツ」
「そうそう、秘密」





 いつか思い出せるだろうか?
 寂しかった事も悲しかった事も辛かった事も。
 それとも、それすら感じる事がなかったのかもしれないという事を。
 目を逸らさずに、後ろを振り返らずに、自分の足で歩いていって、自分の手で出来る事を精いっぱいにやっていこうとすれば、つむっていた瞳と塞いでいた耳に、それは甦るのかもしれない。




 そうしてやっと、あたしはあたしになれる気がする。










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