#01 学生の価値の決まるとき。


言わなくても皆知ってると思うが、学生の価値はテストの点数によって決まる。
私は思うのだが、人の価値とは点数化できるものなのだろうか?
世間一般的に、学校という場所は「勉強するところ」として認知されている。
それを否定はしない。 しかし、学校での成績というものは進学や就職などその人の人生
を左右することにまで影響してくる。
学校で取れた成績によってその人の価値を決め、
相当の所に送り出す、学校とはそう言うところなのである。
しかし、その人の人生にまでかかわってくる成績というものは、
学校での学力の数値化したものである。
「勉強をすれば点数を取れるんだ」「だから、点を取ればいい」と
教師は言う。確かに日ごろから地道に勉強したらテストで言い点を取ることは可能だろう
しかし2日前から必死で勉強すればテストで90点以上取ることもまた可能となる。
結果、出てきた成績は同じ=その二人の価値も似たように優秀となる。
オマケに付け焼刃でテストうけて言い点を取っても、そのとき勉強したことは
大体次の日にはきれいさっぱり忘れているのである。
コレでは、まじめにやってた方はたまったものではない。

また、通ってる学校でもその人間の価値は決まってしまう。
賢い学校に通っている=その子は賢い。というふうに、
通ってる学校ですら一種のステータスとなるのである。
学力だけを高めるのなら優秀な家庭教師につきっきりで勉強を教えてもらった方が
遥かに効率は良いだろう。

つまり、学力だけでその人の価値を図るのは不可能なのである。
たしかに、人間性も含めて成績をつくっていたのでは教師の手に余るし、
えこひいきの危険も出てくるので仕方ないといえば仕方ないのだが。

話がそれた、話を戻そう。学力でその人の価値を判断するのは不可能だ。
では何のために趣味も性格も違う同年代の人間40人余りをひとつの個室に放り込み
生活させるのだろうか?
それは、どんな教科書にも本にも載っていない人間同士のコミニケーションというものを
生で体験するためではないだろうか?
学校でもない限り簡単に他人と話しをしたりはしないだろう。
こういう人と人との繋がりというものは、おそらく教科書に載っている勉強よりも
人にとって大切だろう。

私は学校において勉強が不要だと言っているわけではない。
確かに、学校内で勉強というものを教えている以上、その理解し具合を確かめるために
テストは必要だろう。
だが勉強以外に光るものを持っている人がたくさんいるのは事実である。
実際学力に依存する才能などわずかしかない。
にもかかわらず学校という組織は学力のみでその人の価値を判断しようとする。
個性や、才能を尊重しようする努力も学生の目から見れば見られない。

学力で人の価値が決まるのは学校だけでなく社会全体にも言えることで、
なんとも嘆かわしいことだ。

私も、学校いう組織に所属している以上、その中でのとり決めには従うしかない。
勉強して不毛なテストに立ち向かうしかないのである。

私が学生の間には無理だろうが、個人の個性や才能も成績の一環として判断してもらえる
時代がくるといいなと思う、そうすればきっと社会にもっと優秀な人があふれるだろう。
おちこぼれも増えるかもしれないが・・・

最近なにもかもが「仕方がない」でまかり通ってるような気がする。
なんとかならんかなぁ