#03 何かの底で。


手を外気にさらしてみる。
冬の夜の冷たい外気に、晒してみる。
手の感覚が徐々に手は冷たくなっていき、やがて少しの熱を感じる。
手の温度が外気に近くなったせいだと思う。
感覚が無くなっていくのを知覚できる。
袖から上は寒くてたまらないのに、もはや手は寒さを感じることを放棄している。
もしかしたら、老衰なんかで死ぬときはこんな感じなのかもしれない。
以外だった。以外に苦しく無い。寒いけど。

私は、輪廻転生というものがあったら良いなと思う。
死んだらもう一度どこかで誰かの一生を体験する。
前世の記憶が無いのだから、別にそれを何度繰り返そうとも
苦痛では無いだろう。
キリスト教なんかでは天国に行けるのだろうが。
それは苦痛だと思う。人が100年足らずで死ぬのはちょうどいいと思う。
私的にはあと50年ほど色をつけて欲しいのが本音がだが。
いきて、経験をつむ。長く生きればその分たくさん経験をつむ。
甘い経験も苦い経験もあるだろう。しかし、恐らく生が長く続くのは
苦痛だろう、長く生きるには今の世の中は少しばかり厳しいと思う。

私は、あればいいとは思うだけで、輪廻転生は信じてはいない。
死んだら何も残らないと思う。『無』という表現が適当かもしれない。
もし、輪廻転生なんかが本当に存在するのなら命の価値はもっと下がってしまうと思う、
リセットできる人生、次がある人なんかに価値を見出すことが出来ない。
私の変な癖なんだが、物事すべてに価値を見出そうとする。
死んだら何も残らない。だから死ぬのがもったいない。
死ぬくらいなら、生きていたい。私はそう思う。
最近の青少年犯罪者なんかは一度殺されそうな目に合ってみればいいと思う。
きっと、人を殺そうなんて思わなくなるだろう。

夢はある。それを実現する力がない。
口では何とでも言える。けれどその発言すべてに責任を持つことは出来ない。
私にしては、珍しいことだ、今まで何かあれば「何とかなる」で切りぬけてきた私が、
最近ネガティブになっている。今のままで良いのかと自問している。
自分の進むべき方向は自分で決めた。けれどそれは数ある選択肢の中のひとつを
ただ、自分にもっともいいであろうものを選択しただけに過ぎない。
結局は目に見えない何か『枠』のようなものの中で生きていくしか出来ない。

小さいころ、祖母の家の近くに井戸があった、当然私の小さいころといっても、
どこの家でも水道があったのでその井戸を使うものはいなかった。
その井戸は恐らく落下防止のためであろう。いつもは蓋がされてた。
しかし、ある日、理由はわから無いが蓋が開いていた。井戸の中なんて見たことの無い
子供だった私は、井戸の上から覗いて見た。
井戸は意外なほど深く、 底には光が届かないため黒色に見える水がたまっていた。
この中に落ちたら上がってはこれないだろうなと思ったとき、
すごく、怖くなった。井戸が魔物か何のように見えた。
今思う。私たちはそんな暗い井戸の底に生きているのではないだろうか?
先も見えず、上ることもあきらめ、底で自分の出来る最善を尽くして、生きていく。

世の中の何が悪いのかなんて私にはわからないし、
それを何とかしてやろうなんて高尚さも、持ち合わせてはいない。
決して退廃思想を掲げて生きているわけじゃない、
ささやかな目標をかかげ自分と自分の周りの人の小さな幸せのために、
何かの底で僕たちはゆっくり生きている。
それはそれで悪くはない。

けれど、いつかこの『枠』を感じない所へ、底じゃないどこかへ行けたらいいと思う。