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最近あまりに忙しくて、文章を書く気も起こらなかったのだが、 数々の音楽や本に支えられて、また文章を書く気になった。 世の多くのクリエイターに感謝したい。 そういえば、不思議なものだがこうしてこのページをネットワーク上に 公開していると言うことは、私にはこの妙な文章を世の中の人に見てもらいたいという 願望があるからなのだろうが、そのためには大前提として人に見せたい私の思うところな文章が無くてはならない。 私は物書きになろうと思って生きているわけでは無いから、常にネタをさがして四苦八苦しているわけでは無い。 日常生活の中で湧き出したイマジネーションを文字にしているだけである。 イマジネーションを得るためには私の場合何らかの外からの刺激が必要となるわけだが、 忙しさに日常的な自由時間を著しく阻害されている今、 刺激を得るのはなかなか容易ではないが。 そのイマジネーションの泉を枯渇させまいとしているのは本と音楽の存在である。 人にイメージを与えてくれるものは人それぞれだが、私の場合は本や音楽などを読み聴きしたあとに残る後味のようなものがイメージの元になっているように思う。 本や、音楽は人によって与えるイメージが違う、その点はとても重要なもののように思える。 私は人の創造力こそ、人を人たらしめているものだと思っている。 そして、無知ゆえに生まれる想像力もあれば、 深い造詣によって形作られる想像力もあるだろう。 前者はともかく、後者はまさに学問といえないことも無い。 しかし、全ての人間を人間としたらめている想像力を養っているかと言えば、 必ずしもそうでは無い。 いや、心のそこには誰にでも自分の興味のあるものへの造詣を深めたいという願望があるはずだが 人の世にはその願望をかなえるうえで障害が存在する。『忙しさ』である。 人が身体的な充足感を得るためには、金が必ずしも必要になってくるのであり、それを得るために人は忙しさの中に身を置く。 だが、忙しさと言うものは『心を亡くす』と書くように、身体的な充足感は得られても精神的な充足感は得られることが少ない。 (このさい、仕事が生きがいとする人は例外とする。) つまり、身体的な充足感を得るために、精神的な充足感を犠牲にしているのである。 それを悪いとは言わない。 たしかに身体的な充足感は人にとって必要不可欠である。 先に言ったとうり精神的充足感の産物であるイマジネーションが人にもたらすものは多い。 むしろ、それこそ人の経験値と言えない事も無い。 では、そのイマジネーションを得るにはどうしたらいいのか?ということになる。 それは、人それぞれでいちがいにこれと言うことはできない。 ただ、その方法のひとつとして本があげられるのではないだろうか。 本と言うものはそもそも、著者のイマジネーションの塊であり、それが他者に理解しやすいように、 文字を媒体として発行されている。それを読むと言うことは、レモンからビタミンCをとるのではなく 錠剤からビタミンをとるようなものではないだろうか。 少ない時間で自分に必要なイマジネーションを的確に与えてくれる。 本はまさにすばらしい物質なのである。 作者からの意思伝達能力は落ちるが十分にイマジネーションを与えてくれる音楽や芸術もそのひとつに思う。 だが、最近本を読む子供が減ったと言う。芸術に関心のある子供も減ったように見える。 私はなにも本のすばらしさを延々と語ろうと言ってるのではない。 イマジネーションを最も敏感に得ることができるのは子供である。 しかし子供は本を捨て、芸術を捨て、音楽やTVゲームに自分の世界を狭めイマジネーションを得る機会が 少なくなっている。それでは0からの創造というものの楽しみを知らない子供が増えてしまう。 大部分の大人を見ていて思う。 忙しさに捕われてイマジネーションを得るこの少なくなった大人は停滞している。 肉体は衰えるだけで、精神な豊かさは増えず、要領だけが良くなっていく。 イマジネーションを得るということは自分で一からものを考える機会を得るということである。 思考の停滞した大人いや、人間は死んでいるのと同じである。 イマジネーションの重要性を知っている一部の人達によって進んでいく世の中からアンテナを閉ざした時点で 精神的な生命活動は終わったといえる。しかも、身体的な生命活動も下り坂である。 金とは現実的なものの象徴である。それに対し夢は仮想的なものの象徴である。 この二つの関係は、鏡の実像と虚像のようなもので、片方無くしては人は成り立たないが、 人は今そのうちの現実性を重視しすぎているのではないだろうか。 肉体が衰える、その衰えをカバーするために現実的なフォローがいる。 そのためには金が必要で、金をより多く手に入れようとするなら忙しくならざるをえない。 だがそれは、退行の進行をとどめているだけであって、なんの解決にもなっていない。 問題を先送りにしてるだけである。 精神は脳が正常に機能している限り、成長することができる。 しかし精神いや、夢や仮想というものはこの限主義な世界では軽視されている。 人類の歴史上から見ての大きな飛躍や発展は どこかの一個人のイマジネーションによることが多い。 人はもっと金を得ることに貪欲なように、 イマジネーションを得ることに貪欲になるべきではないだろうか。 だが、そこにある虚像の世界への扉は現実と事実に束縛され、それに重きをおく今の人間にははるか遠い扉なのかもしれない。 |

