世の全てに意味はない。
意味がないからこそ愛おしい。
──新城直江
機動戦艦ナデシコ
異話 The Prince Of Darkness
第一三章【境界の光芒】
一心に【ナデシコb】を操るルリ。被弾による漏電によって室内灯が落ちた艦橋で、IFSを全力起動させているルリが仄かに輝いている。
振動
2種類の振動が【ナデシコb】を揺らす。
一つは被弾によって【ナデシコb】が壊れゆく振動。
そしてもう一つは死にかけた【ナデシコb】と云う凶器の上げる咆吼であった。
度重なる被弾、損傷によって殆どの戦闘力を喪失した【ナデシコb】であったが、その牙を完全に抜かれた訳では無かった。
激震
振動が激しさを増す。
それが射撃によるものなのか、或いは被弾によるものなのか、渾然一体となって響く振動からは最早判別の仕様も無く、只、ルリの手元に開かれたウィンドウだけが【ナデシコb】の身に刻まれゆく被害を教えていた。
ウィンドウ、【ナデシコb】の艦内状況表示板が凄まじい速度で赤い機能不全を示す表示に塗り上げられてゆく。
撃ち合いを行っている【ナデシコb】。その【四不象】に曝している左舷は最早廃艦の様相すらも呈してきていた。此までの被害の度合いから、もしこのまま殴り合いを続けたならば【ナデシコb】が、連合宇宙軍の艦籍簿に名を連ね続ける事は不可能に近い。
それどころか爆沈、そしてルリの死すらも容易に予想できる様な状態であった。
既に艦橋周辺の不沈化処置による閉鎖を行わずに機能を残された区域の脱出艇にも被害が出ており又、其処へ至る通路も大半が火に包まれていた。
【オモイカネ】が退避を勧告してくる。
確かに危険であった。戦闘は激しさを増しつつ地球へと、その大気の腕(かいな)へと2隻を誘っていた。もし今、大気圏突入を行えば船殻のみならず船の骨格と言うべき竜骨まで傷ついた【ナデシコb】は耐えられず船体が分解してしまうだろう。
正しく潮時であった。
電子音
新しいウィンドウが展開する。高度計。それは【オモイカネ】がルリに示した退避勧告の論拠、その提示であった。
〈【ナデシコb】は私が操ります。その間に──〉
囮となる。そう続けようとした【オモイカネ】。だがルリは、【オモイカネ】の言葉を一言の元に否定していた。
「駄目」
〈何故〉
反射的に問い返した【オモイカネ】。奇しくもそれはハーリーやジュンの発した言葉と同じ言葉であった。
〈何故です、ルリ〉
重ねて問う【オモイカネ】。其処には焦燥があった。ハーリーやジュンの提案をルリが拒否した事に関しては理解出来ていた。その時に退避──退艦する事は選択肢として最良にして唯一ではなかったのだから。
だが今は違う。
船体は激しく傷つき、ゆっくりと重力の井戸へと落ち行きつつあり、今退避せずして何時船を下りると云うのか、【オモイカネ】にはルリの考えが全く理解できなかった。
振動
砲撃戦以外の原因による振動。即ち、大気圏の抵抗によって艦が揺れ始めた。
数値ではない、直接その身へと感じられる危険。
だがルリはIFS端末を兼ねる艦長席より離れる事無く、【オモイカネ】へと冷静に指揮を下していく。それは自殺願望でも無ければ自らの危険を軽く見ている訳では無かった。
そう、勝算が在ったのだ。
【サウス・ボア】航空中隊第2小隊。乗艦である【アマリリス】と共に手酷い被害を受けた【サウス・ボア】航空中隊であったが、第2小隊はその時当直としてH戦隊の最外殻部CAP(戦闘航空哨戒)を行っていたが為に無傷であり、そしてもう直ぐにこの位置へと到達する筈であった。
通常装備のCAP(戦闘航空哨戒)で在ったならば対空兵装主体であり、対艦兵装を装備してはいない。だが今回のCAP(戦闘航空哨戒)任務で第2小隊は大型機動兵器や地上兵器、そして小型艦艇の撃破を目的に開発された多目的誘導弾を両肩部増加装甲に片側3発の計6発装備して出撃しているのだ。
この多目的誘導弾の威力は通常の大型巡航艦や戦艦を撃破する事は難しいが、装甲の薄い穏行艦である【四不象】ならば威力の不足も問題にはならない。
このままの調子で撃ち合えば、【ナデシコb】が沈むよりも早く【サウス・ボア】航空中隊第2小隊が到着する。ルリはそう計算していた。
艦橋から望む宇宙。
正確には、艦橋の窓枠が少しだけ赤い色に染まり始めていた。
衝撃
激しい衝撃が艦橋を襲い、ウィンドウボールのウィンドウ群の大半が一瞬だけ薄くなる。
〈艦橋、第2区画被弾!第2区画並びに第4区画緊急閉鎖。同区画を使用する電子ケーブル不通〉
それは艦橋右後方の、まだ閉鎖されていなかった区画への被害であった。
「機能回復の見通しは?」
〈物理的断線の為、不可能。3号、7号11号脱出艇使用不能。ルリ、御願いです退避をっ!〉
【オモイカネ】の言葉に切迫感が増す。
電子音
その時であった。ルリの待ち望んでいた情報がウィンドウに表示されたのは。
『お待たせしました!』
溌剌とした若々しい声。
キサナ・チュミナ少尉の指揮する【サウス・ボア】航空中隊第2小隊が漸くの事で戦闘域に入ったのだった。
『宜しく』
短く返されたルリからの言葉。キサナはその言葉を口の中で幾度と無く繰り返していた。
胸に沸き上がる歓喜。或いは衝動。キサナはその衝動に突き動かされる様に【ステルンクーゲル】を操っていた。
火線
針鼠の如き様相をもって打ち上げてくる砲火。それは濃厚ではあったが、万全なものではない。
【ナデシコb】との撃ち合いによって少なからぬ被害を被り、【四不象】の防空兵装は幾つもの対空砲座が沈黙した結果、もはや強固な防壁とは言い難いものとなったのであった。
火線の死角を縫って【四不象】へと迫るキサナら4機の【ステルンクーゲル】。その動きは激しく、緻密であった。
振動、そして火花。
ディストーションフィールドに触れた対空砲弾が砕け、その曲面に沿って流れる。
只々、疾駆する【ステルンクーゲル】。
機体が【四不象】に近づくにつれ至近弾が多発するが、4機の動きに乱れは無い。
閃光
唐突に閃光が小隊3番機を貫通し、機体は姿勢を崩し数秒で光球と化す。
無論、パイロットの脱出する様な余裕は無い。
距離が近づき、機体をやや直線的な対艦攻撃進路に乗せたが故に、機動予測が容易になり着弾が集中しはじめたのだ。
だがキサナら残された3機の進路に乱れは無い。
キサナ等第2小隊機が装備する多目的誘導弾は、その汎用性の代償として宇宙空間での対艦兵器として使用するには些か射程が短く、又、誘導装置の精度も甘いが為、巡航艦以上の大きさの船を沈めようとすれば肉薄攻撃を行うしかない。その事は予め判っていたことだった。
ルリが求めた事は【四不象】の無力化であり、被害が出る事が予想できる撃沈では無かったのだが、元木連軍人として極めて真面目な性格をしたキサナは自らの手で【四不象】を沈めるつもりであった。
激震
断続的な着弾によってコクピットが激しく揺さぶられる。キサナは強く操縦桿を掴んで踏ん張る。
「うおぉぉぉっ!」
自らを鼓舞する様に吼えるキサナ。
コクピット前部に設けられた固定式複合ディスプレイがカウントしている【四不象】との相対距離が凄まじい勢いで減少していき、鋭角的な【四不象】の船殻がメイン・ディスプレイ一杯に広がっていく。
電子音
澄んだ響きが、【四不象】を多目的誘導弾の必中圏内に収めた事を告げる。
射撃。躊躇無く引き絞られた引き金──意志によって、【ステルンクーゲル】両肩に架けられた6発の中型誘導弾が放たれる。
軋音
機体フレームが上げる微かな悲鳴を無視し、キサナは【ステルンクーゲル】をそれまでの直線的な機動から不規則な回避運動へと一変させる。
火線が投射を終えた3機の【ステルンクーゲル】をつけ狙うが、それも数秒の事だった。
唐突に途切れる火線。そして閃光。
巨大な火球が、コクピット後部のディスプレイに映し出される。
歓声
沸騰させる様な歓声が、H戦隊の通信系に木霊する。
一瞬だけ振り返ったキサナ。其処には火球に包まれた【四不象】の姿があった。
「しゃぁっ!」
思わず、右腕で握り拳を作るキサナ。
【四不象】から生まれた火球が、ゆっくりと燃え尽きてゆく。
危機は脱した。
誰もがそう思っていた。
だが、祖国を奪われた男達の執念は尋常なものではかった。
『なっ!?』
誰かの叫び声が聞こえた。その意味をキサナが理解するよりも早く後方より降り注ぐ火線。
閃光
キサナ機の直ぐ後方を飛んでいた2番機が火球へと成り果てる。
「くっ!」
口惜しさに唇を噛みしめながら、慌てて機体を回避運動に入れるキサナ。
沈めた思ったのに!
基本的には小型艦艇用とは云え、都合18発もの多目的誘導弾を喰らったのだ。まず健在である筈は無かった。
だが現実の【四不象】は沈まず、被弾する前よりも更に激しく砲火を吹き上げてくる。
必死になって逃げるキサナ。
一瞬の気の弛みが、攻守を入れ替える結果をもたらしていた。
激震
ディストーションフィールドにぶつかる砲弾によって機体は激しく揺さぶられる。
「ちくしょうっ!」
叫ぶキサナ。その瞳には、【ナデシコb】への突進を開始した【四不象】だけが映し出されていた。
壁に展開したウィンドウには、火線を吐き散らしながら迫り来る【四不象】の姿が映し出されていた。
「最悪ですね………」
呟くルリ。
場所は艦橋後部に設けられた気密室。其処でルリは【ナデシコb】を退艦する準備と兼ねて軟式宇宙服を着込んでいたのだった。
手酷く被害を受けた【ナデシコb】であったが、【オモイカネ】の計算では緩やかな適正角度による大気圏突入によって何とか無事に地表へと到達出来ると予測していたが、それは人に対する配慮を行わない──艦内が無人であることを前提とした手荒い操艦が必要であり、故にルリは脱出艇にて艦を離れる用意を行っていたのだった。
激震
着弾の衝撃に【ナデシコb】が揺れる。
「っ!」
慌てて近くの手摺に手を伸ばし、衝撃に耐えるルリ。機関出力の低下から重力制御システムを切っていた為、艦内が出鱈目に揺さぶられていく。
〈第一(右)機関部、被弾。排熱システムに異常発生。第一(右)機関緊急停止。推力、17%にまで低下〉
釣瓶撃ちに打ち込まれてくる砲弾。その尽くが【ナデシコb】の装甲を食い破り、その身を痛めつける。
【四不象】が火球に包まれ、一応の安全が確保したとの判断から、ルリは【ナデシコb】を無事、大気圏へと降下させようとして【オモイカネ】に命じ船体へと様々な処置を施した事が裏目に出ていたのだった。
危険な動力配管の閉鎖や誘爆防止策として推進材を必要最低限量を残しての破棄や、非常過熱状態にあったディストーションフィールド発生システムの緊急停止。
だがそれでも【ナデシコb】が抵抗する為の兵装を喪った訳ではなかった。
常識的に考えて如何に被害が大きいとは云え戦艦が同程度の損傷を被っている穏行艦──それも軽巡航艦程度の艦に沈められる筈は無かった。そう、【四不象】の第4射を被弾するまでは。
被弾。その時【オモイカネ】は幾つかの機能不全に陥った電子回線再構築の為、一時的に【ナデシコb】全ての指揮回線を予備のものへと切り替えた所だった。無論、【四不象】健在を確認してからは慌てて機能生存性の高い正規の回線へと戻そうとしたが、それよりも【四不象】の備砲、その速射性が上回っていたのだった。
装甲を易々と貫き、予備回線へと甚大な被害を与えた5吋の対機動兵器砲弾。
兵装の制御能力を回復する事は、時間さえ在れば不可能では無い。だが、今の状況はその時間が無いのであった。
最早【ナデシコb】は、只の標的艦と化していた。
〈ルリ、退艦を!〉
切羽詰まった調子で言う【オモイカネ】。
ルリはその勧告に一つ頷くと気密室の扉、その艦橋側の取っ手へと手を伸ばす。
〈ルリ!?〉
慌てる【オモイカネ】。
〈急いで退艦しないと手遅れになります!〉
艦橋部にも脱出艇は在った。そう、過去形である。環境上部に増加装甲も兼ねる形で張り付けられていた脱出艇は幾度目かの被弾時にその役割を果たし、本来の機能を喪失していたのだった。
軋音
度重なる衝撃で歪みが来ていたのか、扉は小さく軋みを上げながら開いた。
「駄目です。【オモイカネ】、貴方を置いては行けません」
蹴音
人工重力が喪われ通路を跳ぶルリ。
非常灯の薄明かりの下、長く伸びた銀糸の如き髪が舞っている。
〈私の事には構わないで下さい。ルリ、貴方の方が大事です〉
【ナデシコb】を司る中枢電算機【オモイカネ】。その重要度故に【ナデシコb】の船体が機能を喪失しようとも【オモイカネ】が喪われる事無き様に様々な用意が為されていた。
その一つが【オモイカネ】を収容している区画の緊急分離機能。区画自体を戦艦に使用されている装甲と同じもので保護している為、例え近距離で爆発──即ち【ナデシコb】が沈もうとも【オモイカネ】が傷を負うことは無い。
だが、その為には艦橋にて手動操作を行わなければならないのだ。
それは、以前に【オモイカネ】の引き起こした叛乱事件を原因とする措置であった。
人の手による制御。
だがそれは同時に、人の手を絶対に必要とする事を意味するのだ。
〈止めて下さいルリ〉
刻一刻と悪化する状況にあって、それは脱出を致命的に遅らせる行為に成りかねなかった。
【オモイカネ】が幾度と無くルリを反意させるようにメッセージウィンドウを展開するが、ルリは唇を噛みしめてその一切を無視して先に進む。
〈どうしてですか!〉
悲鳴のようなウィンドウを【オモイカネ】が開いたとき、今までとは比較にならないほどに強い衝撃が【ナデシコb】を揺らした。
叩音
空中を跳んでいたが為に抵抗の仕様は無く、背中より壁へと叩きつけられるルリ。
「っ!」
額が割れ、血が流れる。
〈止めて下さい、間に合わなくなります〉
「………………友達を………私にはアナタを見捨てる事は出来ません」
〈ルリ………〉
その身に強い衝撃を受けたが故、ルリの口調に強さはなかったが、その瞳には強い決意が浮かんでいた。
激震
更なる衝撃が連続して【ナデシコb】を襲い、ルリは壁の手摺にしがみ付いたまま身動きが出来なくなった。
「っ」
歯を食いしばり、悲鳴を漏らすまいとするルリ。
最早【オモイカネ】に出来る事は何も無く只、生き残ったレーダーやセンサーによって迫り来る敵艦──【四不象】の突撃を望む事しか出来なかった。
黒煙をたなびかせ来る【四不象】。
幾度もの被弾によって【ナデシコb】同様に兵装を含む大半の機能を喪失した【四不象】であったが乗組員達の闘志、否、執念は【四不象】の船体による突撃を選択させていた。
そう突撃である。
対艦攻撃に伴う一連の戦闘結果によって【サウス・ボア】航空中隊第2小隊が戦闘継続能力を喪失した今、その突撃を遮るものは存在していなかった。
【エーデルワイス】やサブロウタの駆る【エステバリス・Typ−S】ら、【ナデシコc】護衛へと配していた戦力が遮二無二【ナデシコb】の元へと戻ろうとするが、そもそもの距離が離れすぎており、到底、間に合う様なものではなかった。
被弾によって喪われゆく【オモイカネ】の目。
電子音
一つの情報が【オモイカネ】に示される。
〈?〉
それは幾度目かの衝撃によってセンサーの一つが機能を喪失する瞬間に捉えた最後の情報であり、その情報の意味を【オモイカネ】が理解しルリに伝えるよりも早く、状況は急転していた。
〈ルリ!〉
【オモイカネ】が示した映像。それは艦外状況を映し出したウィンドウであり、其処には【四不象】の船腹へと鋭い艦先端部を突き刺した【アマリリス】の姿が在った。
「なっ!?」
否、突き刺さっているだけではない。【アマリリス】の推進器は衝突後も全力で推進材を撒き散らし、艦前部がゆっくりと【四不象】の船腹部へと潜り込みゆく。
〈衝突軌道、逸れます〉
衝突の衝撃と、衝突後も稼働している【アマリリス】推進器の推力によって【四不象】の軌道は【ナデシコb】への衝突軌道を離れてゆく。【四不象】の推進器や、姿勢制御スラスターが推進材を撒き散らし、その勢いに抵抗しようとするが、機動力──推力こそを至上とする巡航艦のソレに抗せる筈もなかった。
ならば、残る選択肢は一つ。
射撃。
それまで【ナデシコb】を指向していた【四不象】の砲座群が凄まじい勢いで砲火を吐き散らす。
爆発。
距離が近すぎるが故にディストーションフィールドは無効化され、対空砲座群の低威力砲ですらも傷つきゆく【アマリリス】。健在であった右舷側すらも、手酷い被害を被っていく。
無論【アマリリス】も打たれるままでは無く、凶器としての本質を示していた。
応射。
凄まじい勢いで砲火を放つ【アマリリス】。例え傷つこうとも重巡航艦として建造された【アマリリス】の攻撃力は凄まじいの一言についていた。
数射で穴だらけになる【四不象】。
砲火は途絶え、推進器も沈黙する。だが【アマリリス】は射撃を止めない。
絡み合った2隻は、未だ健在な【アマリリス】の推進力によって【ナデシコb】を乗り越える形で進みゆく。そして破局。
「アオイ中佐!」
ルリがその名を叫んだ瞬間、【四不象】が火球となって【アマリリス】が巻き込まれ、そして【ナデシコb】へとも紅蓮の火球が達しようとした時であった。
光。暗さを持った破壊の赤ではない純粋な、白い光がウィンドウ一杯に溢れたのは。
「っ!?」
衝撃
その正体をルリが確かめるよりも早く、【ナデシコb】は爆発の余波によって激しく揺さぶられていた。
−
「何だと!?」
血相を変えて叫ぶリョーコ。
パイロットスーツ越しに首もとを絞められている相手はアマミヤ。
場所は日本国統合自衛隊所属の航空巡航艦【高千穂】艦内。機密格納庫脇の区画に併設されていた待機室であった。
襲撃後に推進材の殆どを使い果たしていた【ライオンズシックルス】航空中隊は、同様に推進材を失いすぎた──推進材庫に被弾し積極的作戦遂行能力を喪失していた【高千穂】に回収されていたのだった。
無論、【高千穂】の行動はルリの要請に従ってである。
「ああ? そりゃ一体どう云うこった!」
喚きつつ、右の片腕一本でアマミヤを振り回すリョーコ。比較的細身であるとは云え男性、それも鍛えられたパイロットであるアマミヤが振り回される様子はなかなかにシュールである。
男女平等、同権の則から軍と云う組織に女性が進出して久しいがこれ程に男よりも漢らしい人物と云うのも珍しかった。
そう、同じ待機室で休憩を取っていた【高千穂】乗り組みのパイロット達が引いてしまう程に。尤も、当然ながらも【ライオンズシックルス】航空中隊の面々にしてみれば当たり前な、或いは無ければ物足りなさを感じてしまうようなものではあったが。
「いや状況はいい。詳細は後でだ。それよりもルリは無事なんだな!?」
「まぁ何とか──」
吐息
その一言に盛大に安堵の吐息を漏らすリョーコ。
「ったくテメェ、もう少しだな……そうだ。本題──ってか結論を先に言え。先に。心臓に悪いぞ、全く」
手荒げに髪を掻きながら漏らす。
「で、ルリは退艦してんだな。【ナデシコb】からよ?」
「いえ。それがしてないんッスよ」
「何だとぉ!?」
アマミヤが聞いてきた情報。それは【ナデシコb】が敵艦との交戦で大破状態へと陥ってしまったと云う事と、その状態で大気圏へと突入してしまった事。そして、その艦内からルリが未だ脱出出来ていないと云う事であった。
「救出っ! 支援はどうなってる!?」
先程より更に激しくアマミヤを振るリョーコ。
低重力で在る事を考慮に入れても、その膂力の力強さは何とも暴力的であった。
「例の…【ブラック…ゴー……スト】が………」
振り回されながら、途切れ途切れに言葉を紡いだアマミヤ。
【ブラックゴースト】。
その短文が、更に激しくリョーコの手を動かさせる。
「アキトが? 間に合ったのか!?」
それは詰問、或いは拷問と呼ぶべき行動であった。
「どうなんだ!」
「えっ…ええ……」
「間に合ったんだな!!!」
首をリョーコが振るよりも更に激しく前後に振るアマミヤ。
「………そうか………………間に合ったか……」
唐突に静かになるリョーコ。
急に解放されたアマミヤは、恐る恐ると云う案配でリョーコを伺うが、頭を垂れていたその顔──表情を確認する事は出来なかった。
「間に合ったか」
小さく小さく呟いていた。
−
かつては鮮烈なる蒼と白とで塗り上げられていた【ナデシコb】。
其処へ被弾。爆発。火災等によって黒色が加わり、そして今、赤色が加わっていた。
大気との摩擦が熱を生み、船体を赤熱化させる。
所々、耐熱処理の施されている筈の塗装が融け、地金が剥き出しとなっている場所も在った。
振動
【四不象】爆沈。その余波──衝撃波にて完全に地球の引力に捕らえられた【ナデシコb】は、運行制御能力の大半を喪失した事もあり、只、重力に引かれるままに。
船体の崩壊も始まっていた。
細い支持架にて接続されていた左右両舷の機関部が脱落し、手酷い被害を被っていた右舷グラビティブレードは既に構造材を残すのみであり、強固な装甲に護られている筈の艦橋部すらも艦尾方向から融けるが如く細かく砕け散ってゆく。
最早【ナデシコb】が天駆ける船として地表へと辿り着く事は叶わぬであり、未だ完全に崩壊へと至っていない理由は、艦橋部ロック下部にて【ブラックゴースト】──【ブラックサレナ】が支えているが故であった。
支える理由。それはルリがまだその中──艦橋にて一つの作業を行っているからであった。
「全ブロック、回線パージ………中枢ブロック保護完了………ブロックパージ起爆ボルト、タイミングを専用電算機に………」
焦る事無く冷静な口調と動作で【オモイカネ】の射出準備を整えていくルリ。
支えてくれているアキトへの信頼もあるが、ルリとて人間。焦りや恐怖がない訳ではない。
床は異様な不規則振動を繰り返し、何処からともなく破壊音が鳴り響いてきている、余程に剛胆な人間であっても冷静では居られない状況。だが焦りは手元を狂わせ、一分一秒との貴重な時間を浪費させる事となるのだ。
その思い故にルリは心のざわめき、その全てを押し殺して指を走らせる。
電子音
小さな合成音が響いた。
それこそがルリの求めていたもの。【オモイカネ】の射出準備完了を伝える合図であった。
「また後で──」
〈幸運を〉
短い会話。それが別れの挨拶であった。
振動
起爆ボルトが中枢電算機──【オモイカネ】ブロックの装甲と天蓋とを兼ねる装甲板を吹き飛ばす。艦内全ての動力系が停止した状況でも離脱が可能な様に独立した電気系統の整備されているお陰で、艦が崩壊する最中にあっても離脱はスムーズに実施された。
視界。その全てが赤く染まっていた。
計器群も全てが機体状況に異常が発生している事を示していた。
警報システムを切っているお陰で甲高い合成音が狭いコクピットに響く事はなかったが、大気摩擦によって生じた凄まじいまでの振動そして轟音が吹き荒れていた。
聴覚を麻痺させる程の轟音。
尤も、〈火星の後継者〉によって行われたIFSの過剰投与によって5感が衰えてしまっているアキトにとってさしたる苦痛では無かったが。
感触。
IFSからの直接受信によって、【オモイカネ】が艦内から脱した事が伝えられる。
軋音
【オモイカネ】ブロックのパージによって【ナデシコb】の重量バランスが変化した事から、【ブラックサレナ】各部の間接が軋みを上げる。
微震
小さく姿勢制御スラスターを噴射してバランスを支えるアキト。
その額には少なからぬ汗が噴き出している。
実際、【ナデシコb】のバランスを維持し、完全な大気圏突入を遅らせると云う行為は口にするほど楽な行為ではなかった。
船体の崩壊による重心バランスの変化は何時発生するか予測出来ず、又、バランスの回復には即座に、そして極細心の注意を払っての姿勢制御スラスター使用が必要である為に些かも気を状態であった。
更に酷いことに、如何な【ブラックサレナ】と云えども背面からの大気圏突入──背部装備等へと大気圏突入時の耐熱能力を付与されておらず、機体制御能力の殆どが機能を喪失しつつあると云う事であった。
電子音
両肩部に設置された姿勢制御スラスターが機能を喪失した事が表示される。
残り8………
一度の姿勢制御につき2乃至3個のスラスターが機能を喪失していく事から単縦に考えて後3、4回の姿勢制御が精一杯であった。
否、姿勢制御だけではない。機体自体も限界が近かった。
艦橋下部から【ナデシコb】を支えている両手首は外殻装甲にめり込んでおり、両腕を動かすアクチュエーターは殆どが焼け切れていた。
背部。並びに両足に装備された推進器は、大気との摩擦と長時間に渡る全力駆動によって外装は半ば融けかかり推力偏向ノズルは可動不能へとなっていた。
関節各部や装甲、電装系にもかなりの熱が蓄積されており、機体基幹に関する機能以外。いわゆる【ブラックサレナ】と呼ばれている外殻装甲で生き残っている機能は数々える程度でしか無かった。
掻痒感。
吹き出した汗が肌を離れ、飛散していく様が衰えた触覚でもはっきりと把握出来る。
吐息
自身も自覚せぬままに漏れ出る小さな吐息。
綱渡りにも似た緊迫感は、如何なアキトとは云えども激しい消耗を強いられていた。
「………あと…少し──」
小さく唇が動いた。
【オモイカネ】ブロックの緊急分離は確認した。後はルリが脱出艇にて脱出するまでの辛抱である筈だった。
電子音
小さく合成音が鳴り、通信ウィンドウが展開された。発信者はルリ。背景から推測するに、まだ【ナデシコb】の艦内──艦橋に居るらしかった。
「?」
訝しげに眉を歪めるアキト。
今は素早く退艦すべき状況であるにも関わらず通信ウィンドウを開いたルリの真意が理解出来なかった。
『聞こえていますか、アキトさん』
【ブラックサレナ】が未だ双方向通信回線を開いていなかった為、解放回線でアキトへと語り掛けるルリ。
『離脱して下さい』
壁を背に淡々とし、或いは全てを悟ったかのような力まぬ表情を見せているルリ。
動く様子はいない。
何故?
言葉にならぬ声で問うたアキトに、ルリは答える。
『【オモイカネ】ブロックのパージで出来た隙間から高熱が艦内に侵入、生き残っていた隔壁全てが緊急閉鎖してしまいました。意外な欠陥ではありますけど、事前にこの様な状況を想定する筈もありませんから、仕方在りません』
力無く壁に身を預け、平素の様に淡々と言葉を紡ぐルリ。よく見ればその背の壁も緊急隔壁であった。
どの様な手段を使ったとしてもルリを救出出来る筈は無かった。
大気圏突入とその摩擦熱によって、凄まじいまでの高温に包まれている【ナデシコb】。
既に艦外そして艦内もまた、もはや人が生存できる環境ではないのだ。
ルリが未だに生存できているのは、密閉された艦橋が一種の気密ポッドとなっているからであり、その艦橋ブロックの構造材が際どいバランスで高温に耐えている他無い。
艦橋ブロックの何処かを破って侵入する事は容易い。だが侵入するのは救出者だけではない。
破孔からは、ルリの着込んでいる軟式宇宙服等では耐えられぬ程の高温が艦内へと確実に侵入し、同時に強度バランスの崩れた艦橋ブロックは崩壊するであろう。
侵入は即ちルリを殺すこととなるのだ。
救助される事は不可能。それがルリの下した結論だった。
軋音
噛みしめられたアキトの奥歯が異音を発する。
『ありがとう御座いました──さようなら』
何かを言いかけて口ごもり、全てを押し出すようにして最後の言葉を口にしたルリ。
其処で通信は途絶えた。
沈黙
一瞬だけの間。
逡巡。否、迷う余地など無かった。
小衝撃
起爆ボルトによって、艦橋下部の構造材と一体化してしまっていた【ブラックサレナ】の両腕を切り離し、アキトは推進器のみならず生き残った姿勢制御スラスターまでも使ったありったけの推力で機体を【ナデシコb】から離させていた
−
赤く染められた硬化テクタイト製の窓越しに外を望むルリ。離れゆく【ブラックサレナ】が見える。
美しき尾を引く姿。
吐息
言いたいことは在った。
伝えたいことも在った。
だがもう良かった。
支えであった【ブラックゴースト】を失い、本格的な落下を開始した【ナデシコb】。身が宙へと浮く。
燃え尽きるまでどれ程であろうか。
或いは、先に空中分解するのであろうか。
直ぐ其処まで迫った己の死。だがルリは、もうどうでも良かった。
「アキトさん………」
万感の想いを込めルリがもう一度その名を呼んだその時、唐突に【ブラックゴースト】が四散していた。
「なっ!」
何故!?
反射的に口元へとのぼる問い。だが、その言葉が発せられるよりも早く回答が与えられる。
光
全てをくるみ、満ち満ちる光の奔流。
それは力強き破壊の光ではない。繊細な優しき風巻く光。
「!」
呆然と魅入られた、永いようでいて短い時間。
幻想的な情景。
さして広くはない艦橋、その全てが光に満たされる。
轟音
耳朶を打つ爆音が光を吹き飛ばし、全てを現実に引き戻す。
軽打音
降り注ぐ水音。
それは、奇跡的に生き残っていた被害応急電算機が艦橋へと突如として現れた高熱源体を感知したが故の反応であった。
濛々と噴き上がる水蒸気煙。
その白い煙の向こうに見えるのは巨人。
両腕を失い黒く焼け焦げた、だが元は赤に近い暖色系の塗装を施されたと推測させる【エステバリス】であった。
「あっ!?」
言葉が出ない。
否、言葉を出せない。
濡れた長い銀髪が頬にまとわりつき不快であったがルリは、委細構わず呆然とその姿を臨む。
「アキト………さん?」
ルリは虚ろなるものの様に、その名を呼ぶ。
鈍音
油圧管作動音と共に圧搾空気音が響き、分厚い装甲の施されたコクピットハッチが跳ね上がる。
爆発音
乾いた炸薬音と共にコクピット内の機器──衝撃緩衝機構が煙と共に転げ落ちた。
鼓動
期待。
不安。
早鐘のように打ち鳴らされる鼓動。
夢想。
現実。
目の前に立つ【エステバリス】が現実のものであると思えなかった。
ルリは死を前にした人間の見る幻とすらとも思っていた。そう、その言葉が放たれるまで。
「来い!」
床へと落ちた機器の残響も鳴りやまぬうちに放たれた言葉。
差し出された手。
「はい!」
ルリは、その腕の内へと跳んでいた。
二〇〇一 3/10 三一型
【ケイ氏の独り言】
凄まじくおそくなってしまいました(爆)
いや、もう洒落にならないぐらいに(笑)
一応は一二月中を目処にしていた筈なのに、気が付けば一五月(藁
駄目ジャン(ぎゃふん)
接続詞の関連から11と12とに分割する事になるし………一番の難産でした、本章が。
まぁお陰で、戦闘シーンは割と満足のいくものが完成しました。が、今度は最後にシーンが気に入らない(藁
もっとこう、ねぇ?
盛り上がりって云うか、こう、燃えるものが欲しいノヨ(←出来ぬ癖にうるさい奴である(藁
因みに、大気圏突入シーンに関しては極めてご都合主義ですんで、突っ込みはいれんで下さいね(はぁと)。
ではでは(次回予告は怖くて出来ない(藁)。
艦長の独り言。
はい、艦長です。
更新遅れてごめんなさい×3。
さて。
最後キメるぢゃない(笑)
さて、自分が同じ状況でどう振舞えることやら。
命を賭けられること、ありますか?
さあメールを!
ここ!
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