京都に行ってきました...その1
1月22日、午後京都着。
ダンナは、会議のため、ホテルに荷物を預けるなりすぐさま宝ヶ池方面に向かった。
いきなりの自由行動!(^○^)
まずは壬生方面へと迷わず突き進む。
現存しているのは芹沢鴨一派が寝泊まりしていた建物。普段は内部を公開していないのだが、今年3月末まで特別公開中なのである。
門の下あたりで、京都市から派遣されたらしいガイドさん(人のよさそうなおじさん)が受付をしていた。
見学のあと、抹茶とお菓子がついて1000円だとのこと。”土方餅”とか、”近藤もなか”とか、”沖田パイ”とか、”局中法度サブレ”(どんなんやねん^^;)とかを想像しつつ、1000円を払って邸内に。
少しあとから来た二人の男性と共に、先ほど受付にいたおじさんに案内されるままに上がってみる。
たたきを上がるとすぐに3畳ほどの部屋があり、その奥の10畳の部屋が、芹沢鴨が寝泊まりしていたところらしい。
正面の縁側越しに庭が見える。石灯篭などは当時そのままにものらしいが、幾分狭くなっているとの事。
したたかに酔って寝ていたところを襲われ、深手を負いつつも脇差しで応戦した芹沢局長が躓いて転んだという机も当時の位置に置かれてあった。 八木邸(新選組 壬生屯所跡)入り口 阪急京都線 大宮駅から徒歩8分
一緒に見ていた男性のひとりの方と、八木邸入り口にある「鶴屋 鶴寿庵」(土方らはこの辺りで生活していたらしい)で、「屯所餅」と抹茶をいただきつつ、なかなかディープな話しに花が咲く(笑)
なんとなくその男性と壬生寺、光縁寺へと行動を共にする事に。
名前は聞かなかったのだが、永倉新八フリークだという事で、仮に永倉さんと呼ばせていただこう(笑)
永倉さん(仮)は、友人の結婚式のために京都にいらしたという。なんと、埼玉の朝霞の方だった。
「ぱぱらぱぁ」のみっきぃの脅えた目を思い出しつつ(笑)芹沢鴨、平山五郎らの墓のある壬生寺へ向かった。
奥まったところにある墓の横に、全国の新選組まにあが思いのたけを書き込んだ絵馬が並ぶ。
その下には、やはり”濃い目”のメッセージが詰まっているものと思われるノートの入ったプラスチックの半透明の箱があった。
それにしても、芹沢も平山も俗名のままとは...。 壬生寺 屯所跡より徒歩1分(...かな)
コスプレくんも見える^^;
光縁寺と新選組の縁がいかにしてできたかというのは、謎らしい。山南敬助の家紋と寺の紋が同じ「丸に右離れ三つ葉立葵」だったことから、彼が親しみを覚えたのがきっかけなのではないかと言われている。
ここの墓には、山南敬助はじめ、27人の隊士の名が刻まれている...のだが、たった3基の小さな墓石に、まさにひしめき合うように書かれていた。
ここの本堂にも、壬生寺にあったようなノートが置かれていた。
ノートのページをめくり、他人のメッセージに突っ込みしまくり^^;
「永倉さんが好きです」というメッセージを見つけるたびに「僕もです」と書き添える永倉さん(仮)...。(笑)
もう、お土産を買って帰るという永倉さん(仮)と、四条大宮で別れ、私は木屋町へと向かうべくバスに乗り込んだ...。 光縁寺 壬生寺より徒歩3分...くらい?^^;
その2‐木屋町・河原町方面
その3‐伏見・寺田屋
その4‐霊山・清水寺・丸山公園[HOME][幕末メイン]