目次へ神崎 晃へのメール一つ前へ次へ

第8回 心法(1)


今回は武道そのものについてと心法についてです。
もっとも、心法というのは口伝するなら10年やっても伝えきれませんし、
知ることが出来ても識(し)ることができるかということは別問題です。
無駄だと思う人もいるかもしれませんが、知っておくにこしたことはないので
講義を行います。

まず、武道というものが精神修養でやるという人がいるかもしれませんが、
残念ながらこの武道、武術に限らず格闘技そのものが精神修養になるということ
はありえません。
なぜなら、武道を通して得られるのは力であるからです。
例えるなら刀を磨くために修練している。
刀で何を切るのか何かを切らないのかというのは習いませんからです。
では、なぜ武道が精神修養になると考えられているかとういのは刀を持っていて
もそれを振るうときは?振るわないときは?
というのをどうすれば良いのかを修養します。
一種の逆説的なものですね。
力を得たのでそれを振るわないですむために精神を修養しなければいけないとい
うことです。

どんなにがんばっても武から与えられるのは力であり、
強さでないというのも一因があります。
力と強さをイコールと考える人もいるかもしれませんが、全くの別物です。
力とは外と比べるものであり、強さとは内を比べるものである。
だから、力がなくとも強い人いるというのはこういうことです。
力が物理的な暴力や破壊とするなら強さとは心の力や思いの強さと思えば簡単で
しょうか。

それで、問題になるのが力と強さの統合です。
力と強さは武道家にとっては切っても切り離せないものです。
なぜなら、力だけがふるわれるときそれはだたの破壊と暴力しか生まないし、強
さなき力はもろいものだからです。
(何がもろいかも考えると良いかもしれません。)
 では、強さとは何か。
例えば、巡回班の強さとは犯罪者を許さぬ悪即斬という信念と自分たちは校内の
秩序を守るためになら人を斬ることも厭わないという強さです。それは組織の強
さともいえるでしょう。
 また、例えば、医研の強さを見ると怪我人がいるなら例えどのような世間的な
悪人でも命を助けれるためにその場へ向かうという強さです。
 では、武道家の強さとは何であろうか?
確かに力はある人は多いが強さを持っている人はいるのだろうか?
その強さとは何であろうか?

というところで、今日の講義は終りにします。
自分もつ強さについて考えるということ課題として終りにしておきましょう。

P.S.何処に心法があるのかわかった人がいるのだろうか…(ーー;


目次へ神崎 晃へのメール一つ前へ次へ