CUT OUT



半年に一度くらいの割合で、妙な男が出入りしていた。
そいつを最近、よく見かける。
三ヶ月に一度くらいから、一ヶ月に一度、二週間に一度と間が縮んでいって、
気が付いたら二日に一度くらいは見かけるようになった。
来る度ロクに挨拶も無しにジジィの部屋に直行して、しばらくすると帰っていく。
部屋からは時折、ジジィの怒鳴り声が聞こえた。
顔のシワの割には、やたら力強く歩く、年齢不詳の男。
眼帯をしているから海賊仲間だろうと、ずっと思っていた。
…気になっていた。
ジジィの過去に、興味があった。
でも、そいつが来ている時は、部屋に入ることは許されなかった。
だから、嘘をついた。
「大変だジジィ! 妙な船が…」
デマを叫びながら部屋に飛び込んで、その場で、足がすくんだ。
外された義足があった所に、乾いた赤い肉と、剥き出しの骨。
調理場でよく見るモノとは明らかに違う、生きた人間の肉が、そこにあった。
眼帯の男が、溜息を吐く。
「残念だったな、ゼフ」
男は困ったような、でも少し寂しそうな顔で、片方の眉を上げた。
ゼフは近場にあった細長いナイフのような物と、呻るような声を、投げつける。
「出て行け…」
それをきっかけに動けるようになった身体を慌てて反転させ、逃げるように表に出た。
後ろ手に閉めたドアノブを握る手に、
いつもとは比べ物にならないスピードで走る脈を感じた。
怖かった。
生きている魚をさばいたって、生きている動物をさばいたって怖いとは思わない。
だけど…あれは違う。
この店を守るために戦った中で、人の切り口だって見たことがある。
包丁で骨が見えるまで指を切った事だってある。
だけど違う…あれは……
あれはジジィが食った痕だ………
「サンジ!! お客様がクソお待ちになってやがんだ! とっとと運びやがれ!」
「でっ…デカイ声出すなよ!! ジジィが今…」
下からの声に、そこまで言って、慌てて、口をつぐんだ。
階段を駆け下りる。
「な…何運ぶんだよ」
「何だ? 今日はヤケに素直じゃねェか。
 ようやくウエイターしか出来ねェって気付いたか?」
「バカ言うな! クソ不味いメシをクソ不味い顔したてめェらが持ってったら、
 もっと不味くなるって事に気付けよな!」
いつもの調子の会話。
しかし紛れたイメージは、厨房で再び甦る。
肉と、血の匂いに、眉を寄せた。
「コイツを6番だ。落とすなよ!」
「落とすかよ!」
鼻の奥に来る何かを無視して声を荒げる。
早く厨房から抜け出したくて、早足で、6番テーブルへと向かった。
「…おまたせいたしました」
いつもなら確実に目に留まる女性客を見ることもなく。
その視線は、たった今テーブルに置いたデザートに釘付けになる。
白く揺れるタピオカが、まるで指を切った時に見た粒状の脂肪のようで。
目をそらせば、焼けた肉片。
滴る乾いた血の色をしたデミグラスソースを口に運ぶ瞬間。
生の赤身魚を断ち切ろうと前後するナイフ。
口の端に付いたイチゴのソースを舐める子供。
服に跳ねた何かのシミ。
揺れる赤い液体。
歯を何度も噛み合わせ、肉をすりつぶす。
筋をちぎる。
人の、匂い。
肉の………
…気持ちが悪い………
「ごゆっくり…どうぞ………」
一例をして、いつもの足取りで厨房へと身体を滑らせたサンジは、扉を閉め、かけだした。
「オイ! サンジ!?」
頭の中で響く生ぬるい声に返事をする余裕は無かった。
眉間にこみ上げてくるモノに、涙がにじむ。
厨房を、その奥の扉を駆け抜け外に飛び出すと、欄干の隙間から頭を出し、吐いた。
「サンジ!? どうした!!」
背中から聞こえる声。
頭が、視界がぼやける。
足音…聞き慣れた、片方だけ響く足音が聞こえた。
「ガキにかまうな。ヒマがあったら働け!」
「は…はい! オーナーゼフ!!」
たくさんの足音が遠離り、扉の閉まる音を背中で聞いた。
肩で息をするサンジは、口元を拭い、顔を上げる。
その頭を、片手で掴まれた。
「な…何すんだよクソジジィ!」
引きずられるように連れて行かれた先は、船着き場。
「はなせ! はなせよ!!」
大して力の入らない身体で、抵抗する。
掴まれた頭は、海へ。
思わず、水を飲んだ。
驚き、船着き場の縁に手をかけ身体を起こそうとしたが、
頭を押さえた手は、それを許さなかった。
足は宙を蹴るばかり。
何度目か、手を滑らせた時、海の碧は、空の青へと変わった。
「がッ…ガハッ…ハ…ッ!」
肺に紛れ込んだ水を咳き込んで吐き出す。
ゼィゼィと身体で息をする様に、ゼフの声が響いた。
「アタマは覚めたか」
「…ッフザけんなクソジジィ!! 殺す気…」
顔を上げたサンジの視界には、ゼフと、その奥にいる眼帯の男。
男は黙って、手にした大きな荷物を近くの小さな船に放り込んだ。
船に見合った小さなハシゴに手をかけて、ふと、こちらを向く。
「船、新調したんだ。妙な船で悪かったな」
軽くサンジに目配せをして、首を傾けた。
…部屋を覗くための嘘を、誤魔化してくれたのか…?
一度大きく瞬きをして、ゼフを眺めた。
隣には、喉で笑うゼフ。
「…まぁ、そう言う事にしておいてやる。邪魔が入って悪かったな」
「いや、俺は構わない。見られて困るのは、そっちだろ?」
男の言葉に、サンジは思い出した。
「そうだ! 何で隠したりするんだよ!?」
「…その度、海に頭突っ込まれてェか?」
「ッ………」
サンジは、言葉を詰まらせる。
海水を飲んだ時、鼻の奥に染みついた海の匂いで、頭はだいぶスッキリしていた。
まさか、あれほど気持ち悪くなるとは思っていなかった。
確かに毎回そんな調子じゃ、コックとしては致命傷だ。
だけど…
「ボウズ、そいつの足、見てみろよ」
船に乗り込んだ男が、ハシゴを引き上げながら言う。
視線を、降ろした。
義足は今までの簡単な作りの物から、半円の金属の付け根の物になっていた。
「今までの物でも、充分にやっていけたはずだぜ。この店には用心棒みてェな
 コックが山ほど居るしな。ゼフ自身だって、それに劣らず戦えた。なのに、
 わざわざ義足を新調したのは、どうしてだと思う?」
船から伸びるロープが解かれる。
碇を上げる音。
ゼフは、船の脇腹を蹴り飛ばし、怖い声で、でも笑いながら言った。
「次に来る時は、そのお喋りな口を縫って来るんだな!」
「ハハ! そいつが折れない限り来ねェよ! それで完璧だ、俺が保証する!」
帆が受けた風が、船を押す。
少しずつ離れていく船の上から、男は声を張った。
「ボウズ! しっかり鍛えてもらえよ!!」
…鍛える?
「鍛えるって…」
ゼフを見上げた。
「明日から始める」
ゼフはそれだけ言って、さっさと部屋に向かって歩き出した。
新しい、丈夫そうな、戦い易そうな義足。
鍛える…? 俺を…?
階段を上りかけているゼフの後ろに駆け寄り、覗き込む。
「…戦い方を、教えてくれる…って事…?」
「そうだ」
「だってジジィ…」
ゼフは、振り返る。
「妙な船が来る度、部屋に駆け込まれんのは面倒だからな」
嫌味に、笑う。
嘘がバレている事に、顔が熱くなった。
「すッ…すぐに強くなってやる!! すぐに強くなって…」
「強くなって…何だ?」
…ジジィを…この店を……
高い位置にあるゼフの目を見据えた。
「…っジジィなんかよりずっと強くなってやるんだからな!!」
顔が、笑ってしまっているのが解った。
「口先だけで終わらねェと良いがな」
部屋の前まで辿り着いたゼフは、ドアノブに手をかけ、ふと、振り返る。
「チビナス、いつまで付いて来る気だ。仕事に戻れ」
「わかってるよ! 明日だからな!! 忘れるなよ!!」
怒鳴るように言葉を投げて、サンジは階段を駆け下りた。
…強くなりたい。
強くなって、ジジィを、この店を守りたい…!
思考は、過去に向かわず、未来を見ていた。
この店の未来。
ジジィの未来。
ぞして、自分の…。
厨房の扉を開けると、そこには、いつもの仲間達。
もう、気持ち悪くはならなかった。
「邪魔する気かサンジ! 具合が悪いなら部屋に行ってろ!」
「平気に決まってんだろ! クソコックどもに任せられるかよ!」
不器用な気遣いに照れ笑いを浮かべ、悪態をつく。
この船と、仲間達と。
全部を守りたい。
その第一歩が、明日から始まる。
忘れられない過去なんかに…
「…負けてなんていられるかよ! オーダーとってくる!!」
サンジは、走り出した。
「オイ! 転ぶんじゃねェぞ!」
「転ぶかよ!!」
押し開けた扉の先には、たくさんの人の、たくさんの食事風景。
皆、楽しそうで、幸せそうで。
それが、ヤケに嬉しかった。
…この風景を、ずっと、ずっと守りたい。
心から、そう願った。
皆のために。
ジジィのために。
そして…
何よりも、未来の、自分のために。


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