GEAR


ポケットの中にはいつだって、歪んだ歯車が一つ、横たわっていた。

キーボードを叩く音が途切れる事の無い部屋。
この音を途切らせない事が、僕達の仕事だった。
その内容に、たいして意味はない。
最終的に求められた形を提示すれば良いだけの事。
あとは、自由だった。
目の前のモニターと睨めっこをしながら、タバコを取り出す。
会社のキーボードだからか汚す事に躊躇いがあるらしく。
著しく能力の低下を余儀なくされるキーボードカバーなんかを付けてみて。
仕事は遅ければ遅い方が良い。
ノルマぎりぎりで仕事をこなせば、少なくとも自分に余裕のある仕事が出来た。
だってそうだろう?
早く仕事をこなしてしまえば、また次の仕事が押し寄せる。
時給で働く契約社員は、拘束された時間が現金になる。
タバコに、火を付けた。
それを肺に招き入れて、必要な物だけを体内に取り込み、残りを吐き出す。
そんな事の繰り返しすら、拘束されている時間とみなされる。
喫煙すら、金になるんだ。
馬鹿げてるだろう?
そんな風に時間を潰して、平均を装う。
飛びぬけてスピーディーにかつ完璧に仕事をこなしてしまえば、人の目にとまってしまう。
僕はいつ捨てられるとも知れない錆びれた歯車になりたいんだ。
一定の時間を過ぎると、ともすれば見失いそうな小さな歯車はその大軍から離脱して、
一人ぼっちになる。
一人ぼっちの錆びれた歯車に、カチンと、真新しい歯車が、噛み込まれた。
三次元に複雑に影響し合う、5つの真新しい歯車。
それらの動力が何か、突き止める事は困難だった。
「…なんだ?そりゃ」
「ん?拾ったんだ」
「そんなに曲った歯車じゃ、使い物になんねぇぜ?」
「ハハ…僕には歯車の使い道なんて解らないよ」
「歯車の使い道なんて一個しかねぇだろ。でも、そりゃ真っ直ぐに伸ばしても使えねぇな」
「そうなのかい?」
「あぁ。そんなに錆付いちまってたら、他のパーツまで錆びちまうよ」
…他のパーツまで錆びちまうよ。
君は、錆びないんだね。
そう言おうとして、タバコを吸った。
たくさんの問いかけが、水星群のように流れて、煙と一緒に昇っていった。
一番最後に残った、煙となって昇りそびれた言葉を、口にした。
「それでも、拾っちゃったんだよ」
酸化した僕の体は、そのギアが壊れるまで、回り続けるのだろう。
その動力は、どこにあるのかなんて。
錆付いた僕の頭じゃ、考えも及ばない。
でも僕達はいつだってくるくると馬鹿みたいに回っていて。
何かに影響し、影響されなければ価値の無い存在として、ここにある。
ポケットの中の錆びて歪んだ歯車は、僕が必要とする事によって、その存在を認識する。
…救世主にでもなったつもりかい?
「…貸してみろよ」
ランチは錆びて歪んだ歯車を重たい灰皿の底で押しつぶし、真っ直ぐにする。
黄色い3連のウエストポーチから、古臭い錆びたパーツをいくつか取り出した。
中には見た事のあるパーツもある。
小さな凹凸が無秩序に並んでいる筒状の鉄板。
それにつながって細い板状の鉄板が小さな順に規則正しく並んでいる。
それはあまりにも古すぎる、過去の産物だった。
アンティークショップにでも行かなければ姿を拝めないような、小さく原始的なメカニズム。
錆びた歯車は、まるで元からそこにあったかのように、澄ました顔で、固定されていた。
無言でそれを差し出すランチから、無言でそれを受け取って、側面にある小さなレバーを回す。
もう記憶に残っていないほど古い曲が、小さな鉄板を弾く音によって、形付けられる。
金属から奏でられているとは思えない、柔らかな曲だった。
「それを母さんからもらった時には、もう錆付いちまってたんだ」
小さなメロディを殺さぬよう、小さく、つぶやく。
「でもな、錆付いた後の方が、柔らかな音がするって。笑ってたんだよ」
「…うん。優しい音がするね」
まるで肉声の歌声のような。
柔らかな、音色。
錆びた歯車は、くるくると、回っていた。
でも、それを馬鹿げているとは、思えなかった。
物の価値なんて、所詮、主観の違いによりいくらでも変化する。
君のフィルター越しに見える風景は、いつも何%かプラスされて見えて。
それがひどく、僕を落ち着かせた。
結局は同じなんだよ。
僕が歯車である事に、かわりはない。
でも、最新のメカニズムに組み込まれた錆付いた小さな歯車はあんなにもみすぼらしく。
この小さなオルゴールに組み込まれた歯車は、こんなにも柔らかく、暖かい。
何よりもその歯車がなければ、このオルゴールは動く事ができないんだ。
僕が錆れた小さな歯車でいたいと願ったのは、このためだったのだろうか?
「いつのまにか割れちまった歯車のかわりを、探してたんだよ」
「歯車のかわりなんて、いくらでもあるだろう?」
「いや、他のはどうもピンと来なくてな」
「これは、ピンと来たのかい?」
「あぁ。なんとなく…な」
…あぁ、そうか。
その「なんとなく」が。
その言葉にならないインスピレーションが。
僕達の。
スプーキーズと言う名の原始的なメカニズムの。
動力なのかもしれない。

ポケットの中にあった錆びて歪んだ歯車のかわりに。
ひどく小さく曖昧な答を、僕は、手に入れた。



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