氷点からの逃げ道


ウイルスの侵入を知らせるエラー音。
いつ聞いても嫌な音だ。
「…え……?………あっ…あ!」
PCの前でニヤニヤしながらキーボードをたたいていたスプーキーが
珍しく慌てて、コンセントを引き抜いた。
「…どうした?」
ドライバーといくつもの基盤の塊を両手に、
落ち着いた口調でランチが問い掛ける。
顔を上げ、何かに気付き、眉をしかめ、
手にしたそれをソファーに置いて駆け寄った。
「あつっ…」
遅かった。
何度目かのやけど。人差し指と、中指と。
落としたタバコを拾い上げ灰皿に放り込むと、
スプーキーの右手首を痛いほど掴んだ。
「あ…大丈夫だよ。たぶん間に合ったと…」
「そんなこた知ってるよ。大丈夫じゃねぇだろ」
いつも「こんなに短くなるまで吸うな」と
口をすっぱくして言っているのに、全然懲りていない。
短くなりすぎたタバコを、そうと気付かずに掴んで、
いつもいつも同じ場所をやけどする。
やけどの治りかけた痕。
重なるやけど。
「大丈夫だよ?」
「…冷やさねぇと」
そう言ってあたりを見回す。
やけどの薬は先日きらしたままだ。
不機嫌そうな顔をさらに不機嫌に歪め舌打ちをする。
「我慢しろよ?」
その二本の指を、口に含ませた。
「つっ…」
ヂクヂクとした痛みと、やわらかい舌の感触。
指の間を何度か舌が行き来して、思わず目をつぶりたくなる。
「…っいいよ。自分で、するから…」
慌てて引き抜き、傷の近くをランチの歯にぶつけ、
また、じわじわと痛みがよみがえった。
指の間に舌を挟んで、さっきのランチと同じ所を、同じように、舐めて。
なんだか息苦しくて、息を吸いたくて、顔を上げた。
じっと、ランチが見下ろしていた。
苦しい。
大きな手が耳を覆うみたいに髪に差し込まれて、
その手とは逆の頬に、唇を落とす。
「痛くなくなるおまじないなんだと」
はにかむように目をそらして、
「氷、取ってくる」
と、早足で冷蔵庫に向かった。
その背中。
息苦しい。
振り返り、ソファーの上に放置された基盤の塊に目をやる。
…少なくとも、これよりは大事にされてる。って事かな。
それがどの位の位置に値するかは知らないけど。
…女の子みたいだ。
女の子みたいなわがまま。
でもどうしようもないほど苦しくて。
ここで泣いたらきっともっと大事にしてくれるんだろうなって思ったら、
絶対泣けなくなった。
ビニールに入れた氷をタオルで包んで指の間にあてがってくれる。
痛みが少しずつひいていって、ほとんど痛くなくて、でも苦しくて。
その表情に
「まだ痛むのか?」
って聞くから、ふてくされたみたいに、笑うみたいに、
「君のおまじないは、あんまり効果無いみたいだね」
って言ったら
「悪かったな」
そう言って腕の付け根を掴んで、強引にソファーに座らされた。
額を押され、上を向いて開いた唇に、吸い込まれそうな勢いで、
噛み付くみたいにキスをする。
こんな事が出来る人だとは思わなくて、驚いた。
こらえきれなかった。
涙があふれた。
…何でこんなに好きなんだろう。
性別とか、年齢とか、今までの、そしてこれからの生活とか。
全部が粉々になって、何もなくなって、無にかえって、不安で、でも幸福で…。
こんな事されたら、僕はいつまでだって、痛みを訴え続けちゃうよ。
冷たさで麻痺した痛覚。
熱さでよみがえる痛覚。
僕の思いも、彼の行為も、僕には熱すぎて。
痛みばかりが、あふれてきて、いつか溶けて無くなっちゃうんだ。
この形の無くなった氷みたいに。
…僕は、いったい何時まで僕のカタチを保っている事が出来るだろう…?



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