祈り

「リー…ダー………?」
倒れた人影を条件反射で受け止めたランチは、その白い息を吐く人影に問い掛けた。
「おい…どうしたんだよ………リーダー…?おい、リーダー!!」
押し付けられた体から伝わってくる、高すぎる体温。
…熱があるのか…!?
「………ランチ……?…はは……僕は幸運だな…」
雨にぬれて冷たいはずの体から、淡く立ち昇る水蒸気。
…かなり危険な状態だと、素人目にも判断できる。
まるで犬笛のような呼吸音。
「と…とにかく、中に…」
つかんだ腕の下をくぐる。生きている人間とは思えないほど重い体。
自分の力で立つ事すら困難な、決して丈夫そうとは言えないリーダーを
極限まで曲げた背中で支え、ランチはトレーラーハウスへと姿を消した。


§



「…母さん…母さん?…」
「大丈夫…大丈夫よ。いつもの…ただの発作…だから…」
「ごめん…ごめんね…母さん…僕、静かにしてるから…大人しくしてるから…!」

………お願いです神様、この人を僕から奪わないで………


§



ぬれた服を着替えさせ、ソファーベッドに寝かせる。
拭いたばかりの体が見る見る湿っていくのを、ただ見守るしかない。
解熱剤は投与した。しかし、額のタオルはその冷たさを秒刻みで失っていく。
何もできない。
その、滅多な事では見せない苦しげな表情を、声が漏れるほどに荒い呼吸を、
今のランチにはどうする事もできなかった。
病人の看病は、慣れてるつもりだった。
…いや、俺には病人の看病なんてできやしない…
だってあの人は俺の看病の末、死んでしまったのだから。


§



「母さん、頼むから…頼むから無理しないでくれよ…」
「…ごめんなさい…あなたの事を…考えると…体が勝手に…」
「俺の事はいいから!あんたは自分の事だけ考えてりゃいいから!」

………お願いだ神様、この人を俺から奪わないで………


§



「ちょっと出かけてくる」
そう言ってトレーラーハウスを背にしたリーダー。
ポケットの中にフロッピーを何枚か入れていた事を思い出す。
…また、何かやらかしてくるつもりか…?
それは、いつもと何も変わらない、日常のうちの一つ。
そしてランチは、決してそれを追いかける事はしなかった。
同行してくれと言わないのは、その作業に俺の力は必要無いからだ。
必要な時、リーダーはきちんとそれを伝えてくれる。
危険な作業だけど、一緒に来てくれるかい?…と。
俺は、あんたのその率直な物言いが好きだった。
くだらない遠慮なんて相手に失礼だと思えるほどの信頼関係。
正直、嬉しかった。
それに対して、後悔はしたくなかった。
後悔は…したくないんだ…。


§



「ごめんなさいね…あなたには…心配ばかり…」
「いいから静かに。楽に呼吸して。…俺はここにいるから」
「いいえ…あなたを縛り付けるつもりはないの…あなたはあなたの事だけを…考えて…」
「……………」

………お願いだ神様、この人を俺から奪わないでくれ………


§



祈りが通じない事は知っている。
通じるのならば、あの人は死ぬはずはなかった。
わかっている。
わかっているけど、祈らずにはいられない。
何かにすがらなければ壊れてしまう弱い生き物。
あの人が死んで、あんたを信じなくなった俺の頼みを聞いてくれ、と言うのは
ムシの良い話だと思う。
わかっているけど、祈らずにはいられない。
もう誰も、俺の大切な人を奪わないでくれと言うのが、
いかに不可能かぐらいは知っている。
でも、今だけは…この人だけは…。

………最後のお願いだ。神様、この人を、俺から、奪うのだけは………!


§



「母さん…母さん?……お願い、死なないで………!」
「母さん…頼むから…死なないで………」
「………母さん………死なないでくれ………」
「母さん……」
………ごめんなさい………潤之介………愛しい我が子………
優しいあなたに甘えてばかりいた、弱い母さんを
何も言わず許してくれた、あなたに対する感謝の祈りを。

………お願いです神様。あの子に…愛の光を………


§



握り締めた手のひら
死んでも暖かだった母さんの手
…今、この人の熱さが、嘘でありませんように…


§



…雨の音が聞こえない。
時計を見る。
朝。
穏やかな寝息。
湿った手のひら。
ずれて落ちかけた額のタオル。
リーダー。
…助かったのか…?
タオルを額に戻そうと、手を…
しっかりとつながれた手は、ほどけそうにない。
苦笑。
この人が目を覚ましたら、どう言ってからかってやろう…
それまで、少し眠ろう。
目が覚めたら、あの人の話を、聞かせてやろう。
俺が敬愛して止まない、母さんの話。
だからそれまで…少し…


§



「きみがっ…眠ったまま僕の手を放さないなんて…信じられるかい!?」
声がひっくり返るほど笑いながらそう言うリーダー。
「ふっ…ふざけんな!!あんた昨日俺がどれだけ大変な思いをしたか…」
真っ赤になって叫ぶランチ。
「おっはよぉ〜!…あれぇ?なに騒いでるのぉ?」
「どうしたのよ?リーダーがそんな大声出してるなんて」
「良い所にっ…聞いてくれよ!ランチが…」
「だあぁぁぁ!!!違うって言ってんだろ!?昨日リーダーがっ!!」

いつもと変わらない日常。
その幸せな当たり前が、今日も始まろうとしている。



………神様、あなたの存在に、感謝します………




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