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「そのための、スプーキーズだろ?」 ディナーはそう言った。 おまえはおまえの居場所を見つけた。俺は俺の居場所を探すよ。 そう言う、意味なのだろうか。 段ボールの山の向こうから聞こえる話し声。 その中に自分のハンドルが聞こえて、寝袋をたたむ手が止まる。 スプーキーの気の抜けた笑い声が聞こえて、何となく、腹が立った。 現在ディナーの父親は取調中で、いつ帰ってこれるかわからない。 帰ってきたと同時に引っ越すらしい事を、 たぶん母親だろうと思われる人からの携帯での会話の後、それとなく告げられた。 どうしてディナーだけが…。 俺がディナーから離れていた時間なんてほんのわずかで。 そのわずかな間に、…俺がゴキブリ呼ばわりされた挙げ句 なんの真相もわからぬままアジトまで暴露しなくてはいけないハメになっている間に、 あいつは一人でアジトを守り、それすらかなわず、権力に負けた。 あいつに一番味わって欲しくなかった屈辱。 確固たる権力。 いわれのないぬれぎぬ。 答えの決まっている尋問。 黙って受けるしかできない暴行。 ジーンズについていた靴の裏の痕。 白い胸に残された足形の痣も…。 …悔しくて、涙が出そうだ… 「…あんたそれ、あいつにやられたのか!?」 バカみたいに笑う、ディナーの大声が聞こえた。 向こうにいるのは現在ディナーとスプーキーだけで、 そう滅多な事では感情を表に現さないディナーが そんな風に大声を上げる事なんて、数える程度しか無く。 「どうしたんだよ、でかい声出して…」 と、不振な顔で段ボールをかき分け覗き込むと、 文字通り腹を抱えている二人が振り返った。 ランチの顔を見て、再度肩をふるわせるスプーキーが、 ランチに殴られふくれた頬をさする。 「あの勇姿。、ぜひともディナーに見てもらいたかったなぁ」 ギクリとするランチ。 「確かに手の早い男だけど、普段はもうちょっと加減してやるぜ?」 ディナーは、笑いすぎて力の入らない指でスプーキーを指さした。 「あんた、何やったんだよ」 「僕はただ、君の…」 「…っスプーキー!!」 慌てて駆け出して、段ボールの山を崩す。 潰された段ボールと一緒に転がる情けの無い姿で、 でもキツイ目で、スプーキーの言葉を止める。 「…だってさ?」 「これ以上殴られちゃかなわねぇって?」 こらえきれない可笑しさを喉で殺している二人の間で対照的に眉を寄せ、 ゴロンと転がってひじをつくランチ。 ディナーは、組んでいた足をわざわざほどいて、 ランチの肩のあたりを靴の爪先でつついた。 いつもみたいに口の端だけ笑わせる。 ふてくされているような顔のまま、ランチはその足を手で払い、 でも、いつもの表情に戻っているディナーに、少し、安堵した。 取調べから帰ってきたディナーは、凍って濁った氷のような目をしていた。 押さえつけられた両腕の間でうなだれる顔には余裕を装う笑みがあって。 それが逆に彼らを刺激する事を知っているくせに。 不器用な反抗。 髪を掴まれ、上を向かされる。 「…髪は掴むなよ…ハゲちまったらどうすんだよ」 細められた目には、氷のようなガラス玉。 「色男がウリなんだぜ?アンタみてぇな頭じゃ、外、歩けねぇ…っ!」 肋骨の一番下の中心から少し下のあたりに、右足の爪先をねじ込まれる。 一瞬、息が止って、鼻の奥から嘔吐感が込み上げるほど。 こらえて、小さく、むせるような咳をした。 結局それは取調べと言う名の暴行でしかなく。 何も喋らずにすんだ事を幸運に思う以外、なす術はなかった。 痛む身体に無理に体重をかけ、何事もなかったかのように、 後ろ手につながれたひじを押され、薄暗い建物から釈放される。 「…少し背中が汚れているようだね」 そう言って、わずかに残った靴のあとを掃われる。 走る痛みを、歯の奥の方で噛みこらえた。 きしむ首をゆっくりと振り返らせ、口の端だけ、持ち上げた。 「…今日は、暑いな」 「おかしくなったか?こんな真冬に」 勝ち誇ったようなその男に、 「いや、暑いよ」 そう言って、襟にボアのついた皮のジャンバーを脱いで、 黒いTシャツに手をかける。 「…おい!」 シャツの襟から頭をくぐらせた。 青白い身体に残る、生々しいアザ。 「…肉体労働向き…ってタイプじゃねぇんだよな…」 丸めたシャツを、投げ捨てた。 その素肌に、ジャンバーを羽織る。 ふうっと一息ついて。 「帰って良いんだろ?」 ぼそりと。 「あ…あぁ。もう来るなよ」 先ほどの勝ち誇った顔とは裏腹に、ひどく、落着きのない声。 ディナーは、ククッと喉の奥で笑うと、 「それはアンタ達の都合次第だろ?」 そう言って、サングラスをかけ、その建物をあとにした。 しばらく歩き、なじみのある通りのあたりで、 呼吸器官の不自然さに、小さく咳込んだ。 ボリ…っと言うような音とともに、胸のあたりを激痛が走る。 苦しさに咳込もうとするとさらに痛みが増し、 こらえきれず、狭い路地の裏に駆け込み、吐いた。 ゴミ袋をあさっていたネコが何匹か、走って逃げていった。 「…ってぇ………」 薄くアバラの浮いた胸のあたりを押さえて、呼吸を整える。 しばらくそのままでいると徐々にではあるが痛みが引いて行き、 後ろの壁にもたれたまま、ずるずるとしゃがみこんだ。 しばらくしゃがんだまま肺を落ち着かせる。 自然と、苦笑がもれた。 自分の無力さ。情けなさ。それから… 「…まぁ…あいつじゃなくて、よかったよ…」 逆ギレされたら、こんなもんじゃすまないだろう。 コツンと、後頭部を壁にぶつける。 「…損な役回りだな……」 そう言って、また、苦笑する。 冬独特の曇った空を、背の高い建物の隙間から、眺めていた。 もう、立てそうになかった。 「…っくそ…みっともねぇな…」 ジャンバーの内ポケットから携帯を取りだし、アンテナを口にくわえ、引き出す。 はじきなれた番号を打ち込むと、すぐに聞きなれた声がした。 『…っおまえ、今どこにいんだよ!?』 「そっちはどうした?」 『こっちは何とか落ち着いた。スプーキーって男が事の説明を…』 「あぁ…あいつか…」 俺の目も、あんがい節穴だったみたいだな… 取り返せない逃したチャンスを、悔やむ気力も、もう無い。 「とりあえずシャツ持ってきてくれよ。このままじゃ風邪ひいちまう」 喉の奥で漏れる苦笑が、声をおかしく震わせる。 先ほど散ったネコが、無害を理解したのか、近寄ってきた。 『今、どこだ?』 「…ネコがいる」 『…は?それじゃわかんねぇよ!』 「そんなに焦ってどうすんだよ。こっちも終わった。いつもの裏通りだ」 『わかった。すぐ行く』 慌てたように切られた携帯を眺めて。 「…あいつ、シャツ忘れて来るんじゃねぇだろうな…」 そうつぶやいて、ネコを眺めた。 ぼろぼろの毛並みの汚い黒猫は、先ほどディナーが嘔吐した物に、舌を寄せていた。 空を、見上げた。 相変わらず薄汚い色をした雲が、先ほどとは違う形で、停滞していた。 「…野良猫って言うのも、思ったほどカッコ良く生きちゃいねぇんだよ…」 数分後にやってきたランチは、 ディナー本人よりもよほど辛そうな顔で、 その有り様を、眺めていた。 スプーキーが唯一のソファーベッドに腰掛けたまま寝息を立てていた。 それを起こさぬようトレーラーハウスから抜け出して、外へ出た。 立ち並ぶ倉庫と並ぶように、海がある。 埋め立て地の先端で、そこからは、都市の明りが見えた。 「…どこに引っ越すんだ?」 背の高い柵に腰掛け、たいしたことでもないように、 日常的な会話のような、言い回し。 ランチなりの気遣いだと言う事は、痛いほどわかる。 「…さぁな」 吐き出されたタバコの香りが、潮風と混ざる。 「良い、アジトだな」 ニヤリと笑ってランチを眺めると、目が合った。 声とは裏腹に、深刻そうな顔だった。 まぶたを下ろし、それを開いて、海に映る明りを眺める。 「俺は、元々独りで生きてきた。別に、どうって事ない」 「…っそう言う…」 「お前は、ランチなんだろ?」 上っ面だけの瞬き。真っ暗で、底の見えない海。 「なら、それで良いじゃねぇか」 短くなったタバコを、海に投げ捨てる。 火種が赤く光るそれが一瞬水面を照らし、海へと、吸い込まれる。 …お前は、ランチなんだろ? だから、俺はディナーなんだよ。 俺がディナーだから、お前がランチなんだろ? なら、それで良いじゃねぇか。 その意味に、ランチは少し目を大きくした。 ディナーの犬歯が、唇の端を持ち上げる。 「野良を語る野良猫なんて、所詮は飼われてる事に気付いてない飼い猫なんだよ」 バッと、正面から潮の味のする風。 目を、細めた。 「スプーキーって言ったっけか?」 風に消されぬよう、声を張るディナー。 「あんな奴、滅多にいないぜ?…しっかり捕まえとけよ!」 「…なんだよ?それ!」 「お前には、必要な人材だ!じゃぁな!!」 軽く手を振るように上げて、突風に背を向けた。 ランチは柵から飛び降りて、同じように風に背を向けると、 今まで座っていた場所に、背をもたれた。 少しして、建ち並んだ倉庫の向こうからあいつのバイクの音が聞こえ、 やがてそれは、小さくなって、消えていった。 結局どうしてやる事も出来ない悔しさに噛んだ唇に、 少し揺るやかになった潮風がしみる。 背中からは、朝日が、昇りはじめていた。 |