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平日の動物園は空いている。 動物園で子連れなんてごめんだ。 ランチの主張にスプーキーは、黙って笑って頷いた。 パラダイムXに居るロク五郎さんのモデルとなった、 六子の五郎さんの番組を見ていたスプーキーが、 「シロテナガザルが見たいなぁ」 と、いきなり言い出したのだ。 「ナナちゃんって言うんだよ。 きっと五郎さんは5番目、ナナちゃんは7番目の子供なんだね」 ナナちゃんではなくロクちゃんだったら、六子の五郎さんは実はサルかもしれない。 とでも言いたいのだろうか。 スプーキーのマンションにある本棚には、 コンピューター、プログラム関係の専門書と並んで、 その五郎さんの著書も置いてある。 図書館以外に置いてある所は無いんじゃないか? そんなランチの心配も、いらぬお世話だった。 「…っしゅん!」 寒さで襟を立てたランチの隣から、くしゃみが聞こえる。 「おいおい…風邪引くなよ?」 「…っしゅん!…うん」 むずむずするのだろう鼻を擦ろうと、ポケットに入れた手を顔に近づけるスプーキー。 ランチは一瞬、慌てた。 「大丈夫。タバコはくわえてないよ」 猫が顔を洗うように手の甲を鼻にあてて、スプーキーは目を細める。 いつもタバコの存在を忘れて火傷を繰り返す。 ランチのそれは条件反射。 諦めるしかない。 しかも、スプーキーの行動パターンを学んだランチはもう一つ、学ぶべき事があった。 園内は禁煙。 「あ、見てごらんランチ。熊がいるよ」 「は?熊って冬眠するんじゃねぇの?」 熊の柵にふらふらと歩いていくスプーキーの背中に、ランチが問いかける。 高い柵の向こうは堀になっていて、たくさんの熊が幽霊のように立っていた。 「残念ながら皆起きてる。でも熊って4本足で立つ生き物だと思ってたよ」 「普段は4つ足だ。芸をして、餌を貰おうって魂胆だろ?」 「ふうん…芸ね…」 スプーキーは振り返る。 「でも、誰が教えたわけでもないんだろう? こうして進化していっているのかもしれない。 いつか2本足で生活する熊も出てくるかもしれないね」 人間の形態に近づくことが進化とは、言い難いけど。 そう付け足して、柵を離れ、歩き出す。 餌をやりたいと言い出すんじゃないかとランチは思っていたが、 そんなそぶりは微塵も見せなかった。 スプーキーに次いで柵を離れようとしたランチの後ろで、うなり声が聞こえる。 振り返ると、2匹の熊がにらみ合っていた。 1匹の熊が形容のしがたい声を上げて、向かいに居た熊に食い付く。 喧嘩が始まった。 「どうしたんだい?」 スプーキーが戻ってくる。 「ケンカみてぇだ」 しかしそれは、すぐに終わった。 食い付かれた熊は、黒く艶光りする鼻の先が半分、なくなっていた。 ランチはスプーキーの顔を伺う。 あまり、見せたい代物ではなかった。 「なわばり争いかな。ここは狭いから」 「かもな。…しかし、ひでぇな…」 「…彼らには彼らの世界とルールがある。僕らが関与するような事じゃない」 スプーキーは、少し悲しそうに笑うと歩き出す。 まるで熊達に迫害されたような笑み。 僕たちには関係ない。 そう言った彼が、「君は関係ない」と言われたような、顔だった。 彼らが異種なのではなく、自分たちが、異種である。と… 少し歩いた先には、ライオンの檻があった。 それはひどく狭く、たった1匹の雄ライオンが、前足を枕に伏せている。 近づいてきた二人に、片方の目を薄く開けると、どうでも良いように再び目を閉じた。 「寒そうだね」 「狭い檻だな。こんなに狭くちゃストレス溜まっちまうんじゃねぇの?」 ランチがそう言うと、ライオンは小さくうなり声を上げる。 「同情はごめんだ。って事か?」 苦笑するランチに、 「同情じゃないよ。だってランチはPCに向かっている時が一番生き生きしてるからね」 悪戯っぽくそう言うスプーキーは、目を閉じたライオンから目を離さない。 「あんただってそうじゃねぇか」 すねたように、ランチは言葉を返した。 「そう。広さなんて、たいして意味はないって事。だから彼は、目を閉じているんだよ」 目を閉じて、まぶたの裏の自由を満喫する。 五感は拘束をも認識する。 それを断つ事が、自由への第一歩なのかもしれない。 自由である事が不自由で無いかどうかは、解らないが。 「シロテナガザルは居ないね」 「そうだな…室内の方に行ってみるか?」 天井が高く、細長い平屋の建物の扉を開けると、暖かい空気が流れてくる。 かん高い鳴き声が聞こえた。 「鳥?それともサルかな」 「どっちも居るみてぇだ。サルは奥の方だな」 「見えるの?すごいね」 スプーキーは目を大きくする。 「あ?あんた、目ぇ悪かったっけか?」 「さぁ?視力なんて計った事無いからなぁ…あ、綺麗な鳥が居るよ」 奥へと向かう足を止めて、高い止まり木に居るカラフルな鳥を見上げた。 「すげぇ派手な鳥だな。オウムか?」 「オウムです」 古いカセットテープに吹き込まれたようなカスカスの声が、上の方から聞こえてきた。 「え?アナウンスかい?」 「オウムです」 「いや、こいつが喋ってるんじゃねぇの?」 「オウムです」 どうやらそれしか喋れないらしい。 「オウムって言う名前なのかな」 「オウムです」 「いい加減、聞き飽きるな。他に何か喋らねぇのか」 「オウムです」 何度と無く繰り返される茶々のような合いの手に、スプーキーは吹き出した。 「ハハ…プログラムすれば、喋るようになるよ」 「なんだ。夢も希望も無い言い方だな」 「そうかい?品種改良を夢見る動物学者だって居る。 それは結局、遺伝子のプログラムを組み替えてるんだ。同じだよ」 誰かに、いつの間にか組み替えられている生体。 その「誰か」が、たまたま今回は人間だった。 それだけのこと。 ランチが笑う。 「あんた、本当に好きなんだな」 「ん?何の話?」 「いや、今度はもうちょっとまともな動物園に連れてってやるよ」 「ハハ…どうしたんだい?期待してるよ」 冗談みたいに首を傾げて、解らないと言った顔で歩き出す。 それは誰に対する嘘なのか。 いつもランチは疑問に思う。 ランチにも、スプーキーにも無意味な嘘。 ここには存在しない第三者を、意識するような。 サルの檻は、少ししかなかった。 スプーキーが見たがっていたシロテナガザルは居そうにない。 「残念だったな。テナガザルは居ても、シロテナガザルは居ないみてぇだ」 「うん。本物と比べてみたかっただけだから、君が思うほど残念じゃないけどね」 スプーキーは、優しい顔をする。 「干渉できない本物と、干渉できる偽物の違いを、見たかったんだよ」 「偽物…ね。創設者が泣いてるぜ?」 「ハハ…ごめん。たしかに「作られた物が偽物」とは、言えないね。 別物ではあっても、偽物じゃないよ」 作られた物が偽物だとしたら、人類だって、偽物だ。 時が組み立てたプログラム。 きっと「誰にも作られていない物」なんて存在しない。 全てがオリジナルで、全てが、イミテーション。 「ここで、終わりだな」 ランチの言葉に、スプーキーはハッとする。 ランチが示す言葉とは別の事を考えていたのだろう。 少し先には、アーチ型のゲートがあった。 またのご来場を! 立体的に描かれたその文字に、スプーキーは残念そうな顔をした。 「あっと言う間だったね」 「時間制だからな。しょうがねぇよ」 二人はゲートに向かって歩き出す。 「追加料金払えばもう少し居られるぜ。どうする?」 隣を歩くスプーキーを、上の方から見下ろすランチに。 「いや、もう十分だよ。ありがとう」 そう言ってランチを見上げ、目を細めた。 ゲートのすぐ手前に、広くて低い柵がある。 スプーキーは、それに目を留めた。 「あ…メッチー?」 「好きなのか?触っても良いみたいだぜ」 「…良いのかな?」 そう言いながらも柵の中に手をさしのべるスプーキー。 ピンク色の球体が、ぽえぽえと弾むように形を変えながら近づいてきた。 「わ…軟らかいんだね」 照れくさそうな笑顔をランチに向けて、 その手を球体の頭と思われる所に乗せ、撫でてやる。 視界の右端の上の方に浮かぶデジタルな数字が、点滅を始めた。 「…時間だね。帰ろうか」 ランチは頷き、ゲートの内側にあるスロットに、IDカードを差し込んだ。 一瞬にして狭い部屋が視界に広がる。 目の前の扉を開けると、雑踏が聞こえた。 ようこそ!VR動物園へ そう書かれた3Dの看板の下には、様々なグッヅが並んでいる。 メッチーのぬいぐるみの背中には、大きなファスナー。 それを見て、スプーキーは突然笑い出した。 「…壊れたか?」 「ハハハ…いや…噂を思い出して…」 「あぁ、背中にファスナーがあるってヤツか」 ランチも、一緒に笑い出す。 「ヴァーチャルリアリティなんだよ? 中に何か入っている事を視覚で確認したところで、そこには何も無い。 もしそう言うプログラムが組んであるのなら気の利いたジョークだし…」 「ただの噂だとしたら…誰が言い出したんだろうな?」 「固有名詞は解らないけれど…きっと幸せな人だよ」 監視カメラのない広い売店。 カメラが無くとも100%の監視が可能だし、万引きなんかも起こらない。 触れることは出来ても、持って帰ることは出来ないのだから。 ヴァーチャルリアリティ。 偽物ではないけれど、別物の世界。 僕たちは今、誰かのまぶたの裏側に居るだけ。 それに気づく事の無い、幸せな人。 気付いても見なかった事に出来る、幸せな人。 バグを消去する機能を持っている高性能な僕らの死角。 せっかく目をつぶっているのに、何を見る必要があると言うのか。 「帰ろうか」 「そうだな。あんまり遊びでメインのPC占拠するのも、何だしな」 催眠術をかけられた人が指を鳴らされ目が覚めるように、 二人の視界はユーザーズカウンターからトレーラーハウスのいつもの風景に移動する。 スプーキーは、まだ、笑っていた。 「なんて…言うべきかな」 「何の話だ?」 「…ただいま?…それとも、おはよう?」 |