Chez Muramasaの夜の風景



シミ一つない真っ白なテーブルクロスが上品な客層を連想させる。
片づけられたテーブルから、マントを羽織るような仕種でそれを宙に泳がせ、
手の内にたたみ込んだ。
その向こうに、彼は立っていた。
「…おや?珍しい事もある物ですね」
手にしたクロスを優雅に広げ、流れるように腰に巻く。
ゲストを迎えるための上品な微笑。
背景には、たゆたう天海市の夜景。
型にはまったお決まりのポーズで、会釈。
「しばし、お待ちを…」

「邪魔をしてしまったようだな」
引かれたイスに腰をかけたヴィクトルは、
差し出された手に杖とマントを手渡し、夜景を眺めていた。
彼のために真新しいテーブルクロスを広げ、
とっておきの席に案内したムラマサが、
テーブルの中央に一輪挿しを置く。
「Non、ムッシュウ」
テーブルに置かれたグラスには白ワイン。
失礼…。そう言って、向かいの席に腰掛けたムラマサは、
「あなたがこうして話をなさってくれる時を、
 毎夜、心待ちにしているのは、私の方です」
と、グラスを差し出した。
同じようにかかげたヴィクトルのグラスに、触れるようにグラスを合わせる。
ひどく、透明な音が響いた。
わずかに色のついた液体で唇を潤し、それを開く。
「ここ最近よく来訪する若きサマナーの事だ」
「私の工房にも、頻繁に御出で下さっている彼…ですか」
「…そうだ」
グラスの中のワインが揺れる。
風が吹き、波が船を揺らすのだろう。
霧がかかり、霞んだ天海市の夜景も、緩やかに、揺れていた。
「彼の手によって、メアリに、変化が訪れた。感情を、持ちはじめたようだ」
「なのにあなたは心からそれを喜ぶ事が出来ないでいる」
「………」
グラスに映るその顔に、色は無く。
表情も乏しい。
彼がサマナーとなった理由が、イメージで、理解出来つつあった。
「…所詮、自分が創造出来る範囲は、彼には及ばない…と言う事か」
揺れる液体が、ヴィクトルの表情を歪ませる。
「機能を失った片足や、費やして来た歳月は、
 持って生まれた才能にはかなわないのだろう」
サマナーとなって、数ヶ月も経っていない彼に出来る事の多い事。
悪魔合体もさる事ながら、それらを従わせ、さらには心までも…。
「…ムッシュウ」
グラス越しに、ムラマサの目が見え隠れする。
直視するにはあまりにも強すぎる、自我の込められた瞳。
「わずかながらも、酔っていらっしゃるようだ」
唇にあてがったグラスから、ワインが喉を落ちていく。
「…誰かと競うための研究ではなかったのでは?」
それは自己への問答。
自己の疑問を解決するためだけの向上心。
純粋なる、問いへの思い。
無色な表情に、微かな笑みが浮かぶ。
「ずっと船に乗ったまま…と言うのも、良い事とは言えぬな」
夜景は、いまだ揺れたまま。
「夜景が揺れているのか、この船が揺れているのか、
 己が揺れているのか、解らなくなる」
グラスの液体を飲み干して。
「確かに、酔っているようだ」
ふらりと、立ち上がる。
ヴィクトルの不自由な片足が体を崩し、ムラマサは、音も立てずに立ち上がった。
カタン…
掴んだテーブルクロスがワイングラスと花瓶を倒す。
ヴィクトルの大きな身体を支えきれず、そのまま押され、テーブルに背を付けた。
染み込んで来る、ワインの香り。
「…すまない」
「Non、ムッシュウ…」
テーブルについたヴィクトルの両の手の間から、戸惑うような笑顔。
ヴィクトルは、自嘲の苦笑を漏らした。
「自分一人の身体すら、操れぬと言うのに…」
「…しかしながら…」
近すぎる距離に恐れる様子も無く。
「あなたの研究は私のそれの基本だと言う事を、御忘れ無きよう…」
腰に巻いたクロスがゆるみ、ほどけそうなそれを掴んで、宙で広げ、二人を覆った。
むせるようなワインの香りは、しばらく、消える事が無いだろう。
この船の物では無い汽笛が、遠くから、聞こえていた。



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