命の名残



猫が死んで、一晩がたった。
「知らない人の手で燃やされるのなんて、嫌だなぁ」
助手席で、空っぽのバスケットを抱えて寂しそうに微笑むスプーキー。
こちらを向いて話しかけているのに、
その濁ったような目が、ランチをとらえる事は無く。
コンクリートに囲まれたこの都市には、
こんな小さな猫が眠れる場所すら、存在しなかった。
道路で息絶えたまま干涸らびて、皮だけを残す哀れな、
過去に生きていたモノたちを、何度も、見た事がある。
そのような姿にならなかった事を幸福に思う以外に、今、救われる術は無い。
「…動物ってのは、たとえ死んでも飼い主が忘れない限り飼い主を見守ってるんだと。
 飼い主が覚えている限り天国へは行けないから、早く忘れてやれって。
 昔、言われた事がある」
「そうなのかい?」
抱きしめていたバスケットに、半分ほど、顔を埋めて。
「優しい、言い伝えだね」
目を、細める。
「努力するよ」
そのまま、目を閉じて。
あの子の匂いがして、あわてて、目を開けた。
閉じたまぶたの裏には、ひどく鮮明な、あの子の、最後の姿。
苦い、笑みがもれる。
「…努力、しなくちゃね」
バスケットの底に、言葉をこぼして。
「あぁ。そうしてくれ」
何よりも、ランチ自身が、見ていられなかった。
過去に母親の最期を看取って、その時の辛さを、悔しさを、
今この人が味わっているのかと思うと…
今は我慢してるに違いない。
早く一人にしてやろう。
一人で静かに、泣かせてやろう。
人前で弱音を吐く事の無いスプーキーに対する、一番の、思いやり。
その、寂しげに笑う頬に触れようとして、やめた。
ほんの少しの肌の温かさが、その温もりを思い出してしまう事を、思い出して。
スプーキーは、全く温度の無いバスケットをを強く抱いたまま、窓の外を、眺めていた。


携帯の音で目が覚める。
スプーキーをトレーラーハウスに送ってから、5時間近くが経過した。
彼のマンションの後片付けをして、猫がいた形跡をすべてなくして、それから、眠った。
何をした訳でもないのにひどく疲れていて、携帯に出る事をためらったが、
スプーキーからの連絡である可能性もあると思い返し、掠れた、寝起きの声で対応した。
スプーキーだった。
「…やっぱり、マンションに帰るよ」
照れたように笑う声色に、すぐに車を出した。
どうしたら良いのか、わからなかった。
どうしたって、痛みが消える術は無い事。
どんな言葉も、どんな行動も、無意味な事は、痛いほど知っていた。
だからせめて、彼の口から絞り出された願いは、きいてやりたい。
スプーキーは、トレーラーハウスの外で立ったまま、消えそうな月を眺めていた。
「リーダー!」
思わず、声が大きくなる。
そのまま放っておいたら、倒れそうな気がした。
辛うじて、トレーラーハウスにもたれて、体を支えているスプーキー。
「こんな時間に呼び出して、悪かったね」
向けた顔には、やはりあの希薄な、笑み。
「…背中、汚れるぜ?」
気の利いた言葉の言えない自分に腹が立つ。
「え…?あぁ…」
少しぼんやりとした感じで軽く背中をはたいて。
助手席に乗り込む。
車を走らせながら、
「帰ったら、寝た方が良いぜ?」
「…そうだね。そうするよ」
そんな、意味の無い言葉を交して。
そのまま黙って、黙ったまま、マンションの扉をくぐった。
いつもと変わらない部屋だった。
いつもと変わらないくらいに汚れていて。
猫が来る前と同じ、いつもの風景だった。
スプーキーは、少しうつむいて笑って、
「ありがとう。すこし、キレイになったかな?」
そう言って、ソファーベッドに倒れ込む。
猫の匂いは、消えていた。
「上着くらい、脱げよ」
うつぶせたスプーキーの上着の袖をぬいて、ハンガーにかける。
スプーキーは、体を丸めながら靴を脱いで、
「…ランチ。ここに、いてくれないかい?」
丸めた腹の当たりを、指し示した。
猫を抱き込むように、身体を丸めて寝ていた時の、猫がいた位置。
「何も無いと、変な感じなんだ」
「…あぁ」
そこに、腰を下ろした。
体に腕を回して来る。
丸めた身体の内側を、ぴったりとつけて。
くすくすと笑う。
「大きいなぁ」
そりゃぁ、猫を抱きかかえるのと比べりゃ、大きいだろ?
そう言い返せなくて、黙って、髪を撫でた。
「…おやすみ」
「あぁ。おやすみ」
目を閉じたスプーキーの髪を、ずっとずっと撫でて。
聞こえ始めた寝息に、スプーキーの顔を覗いた。
涙がひとしずく、流れていた。
目が覚めたら、乾いているだろう、わずかな、痛みのカタチ。
ただ、髪を撫で続ける事しか出来ない。
肩代わりできない痛みが、耐えられないほどの、痛みで。
窓の外には、月は無く。
遠くから、微かに、猫の鳴き声が、聞こえた。



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