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いつも、今にも死にそうな動物を拾ってきたような顔をして、 がらくたみたいなパーツを拾い集めてくるリーダーが、 今にも死にそうな、年老いた猫を拾ってきた。 動物を飼う知識も、ましてや寿命を全うしそうな老猫を若返らせることもできない、 無知で無力な人間が今出来る事、と言えば、 保険の一切効かない動物病院へ知識を請いに行く。その程度だった。 時折、喘息のような呼吸困難を起こす。 その度、今、ここで死ぬんじゃないか?そう言った恐怖に駆られる。 それほどまでに、そいつの命が追い詰められている事を医者に促され、 一分一秒が長すぎる時間を、しばらく過ごした。 「先のない動物に愛着がわくといけないからね。この子の身体にも良くないだろうし」 そう言って、決して喘息まがいの呼吸困難をおこす老猫の体には良いとは言い難い、 ペット禁止のスプーキーの部屋に連れ込んでから早一週間。 苦労の甲斐あってか、まだ辛うじて生き延びている。 薬を飲ませているせいか、呼吸困難をおこす回数も、心なしか減ってきていた。 「少し、太ったんじゃないかい?この子」 スプーキーの隣でいつも寝こけているその猫の背を撫でながら、機嫌の良い声。 明日死んでもおかしくない。 そう医者に言われてから一週間以上が経過した。 「お医者様の言うことも、案外あてにならないもんだね」 立ち上がり、歩くことの出来ない老猫は、歩けない足で、スプーキーの後をついてまわる。 フラフラと立ち上がり、二、三歩、よろめいたように歩き、へたり込み、 何かを問うように、スプーキーを見上げる。 どうして歩く事が出来ないんだ?どうしてこんなに苦しいんだ? そんな表情。 それでも、スプーキーから片時も離れたくないらしい。 命の恩人。まるでそう言う意志が有るかのようだ。 ゆえに、スプーキーは動くこともままならず、猫につきっきり。 …と言うか、ランチがそうしてくれと情けない顔をして珍しくお願いなんかするから、 断れないでいるだけなのだが。 御猫様のためとは言え、かいがいしく、 ソファーから離れられないスプーキーの面倒を見続けるランチに、 ご機嫌なのは当たり前。 「ランチー。あと一箱でタバコきれちゃうんだ。買い物、お願いしても良いかい?」 「病人の前でそんなにタバコふかしてて良いのかよ?」 うんざりとした受け答え。 一週間以上こんな状況が続けばうんざりするのも当たり前。 言い出しっぺは確かに自分。今更文句の言える立場じゃない。 だけど元を正せばリーダーが面倒もみれないくせに こんなやっかいなもん拾ってきたから…。 「病人じゃなくて、病描だろう?」 そう言ってさもおかしそうに笑うスプーキーに、その類の自覚症状は見られない。 「この子、タバコ好きみたいだよ?タバコに火をつけると、じっと見て喉をならすんだ」 「珍しいな。普通、動物はタバコ嫌がるもんだぜ?」 「この子の元の飼い主が、タバコ好きだったのかな?」 元の飼い主。 と言うことは、捨てられたのだろうか? こんなに年老いてから? こんなに年老いたから? 悔しくなる。 そんな、弱者に対してのみ高慢な奴らを理解できないし、理解しようとも思わない。 すべてを救える訳はないけれど、出来ることなら全てを救いたい。 そう思う事が、高慢でないとは言い切れない事は、わかっていても。 「ランチ」 穏やかな声で、覚まさせられる。 「あまり情を移しちゃ、いけないよ?」 「…わかってるよ」 どうせ死ぬんだ。しかも、さして遠からぬ未来に。 明日かもしれないし、数分後かもしれない。 わかってる。 わかってるよ。 わかってるけど。 こんな姿であろうとも、いま、こいつは、生きてるんだぜ? 「腹に水がたまってるんだって」 医者から帰ってきたスプーキーは、 彼に決して似合うとは言い難いバスケットから、ぐったりした猫を引っぱり出す。 医者に行くのはやはり猫でも嫌なようで、どうもご機嫌ななめらしい。 ここ二、三日で、拾ってきた時の倍以上の大きさになった猫。 ただの肥満とは思えず心配になって医者に連れて行ったスプーキーは、 ひどく、情けない顔をしていた。 「水がたまるようになったら、もう何日もないって」 「最初から、明日死ぬかもって言われてたんだろ?保った方だよ」 「…そうだね」 そんな顔をして笑わないでほしい。 まだふてくされたままの猫は、スプーキーと少し離れて、 そっぽを向いて、知らんぷりを決め込んでいる。 スプーキーは、少し微笑んで、 「嫌われちゃったかな?」 と、手を伸ばした。 いつもならすり寄ってくる猫は、微動だにしない。 苦笑して立ち上がると、猫は振り返り、小さく、鳴いた。 「大丈夫。どこにも、行かないよ」 猫のすぐ隣に腰かけ、身体を丸めて、猫を覆うように、抱きしめる。 「ずっと、一緒にいてあげるよ。最後まで」 …泣かれるかと思った。 今にも涙のあふれそうな、そんな空気だった。 誰の表情も変わらない。いつもと、同じで。でも、空気だけが、ひどく、湿っていた。 「もう少しの、辛抱だから」 それは猫に対する言葉なのか。 苦しそうな猫に対峙する自分への励ましなのか。 どちらにしても、解放される日を待ち望んでいる。 そしてその日を、恐れている。 時間はいつも一定のスピードで流れていて。 それがひどく、苦痛に思うことだって、時には、ある。 そんな風に、時間は、過ぎていく。 物を一切食べなくなった。 水は溜まるから与えるなと医者に言われ、ミルクをやっていたが、 それにも口を付けなくなった。 いよいよか…。そう、思っていた。 「もうそろそろ、連中を騙すのも限界だぜ?」 トレーラーハウスから帰ってきたランチは、低い玄関に座り込み、 重たいブーツを脱ぎながら、リビングに座り続けているだろうスプーキーに声をかけた。 「あっちに十日も顔出さないなんて事まず無かったからな。言い訳のネタも…」 「もう、言い訳する必要ないよ。明日から、行ける」 「………」 ブーツの金具が、音を立てた。 倒れたそれをそのままに、リビングへとかけこむ。 いつもソファーの上で何様と問いたくなるほどの態度で寝こけている猫が、 フローリングで、横になっていた。 まだ、辛うじて息のある状態。 喘息のような呼吸音を、何秒かに一回くらいの割合で、響かせる。 何かを問うような眼差し。 どうしてこんなに苦しいんだ?どうして助けてくれないんだ? 「窓まで、歩いたんだよ。この子」 冷めた目。なにも見ていないような目で、猫を見下ろして。 「窓まで歩いて、窓の外に向かって鳴くんだ。出してくれって言う風に」 痙攣する、猫の身体に触れてみる。 心臓の音が、もう、していない。 口の端から、血がにじんできた。 「…舌を!」 こんな痛み、死ぬことに比べたらどうって事無いかもしれないけど、耐えられなかった。 あわてて口を開かせ、舌を歯の間から引き出す。 猫が、ちらりと、こちらを見た。 心臓は、もう止まっているのに…。 その、問うような眼差しで。 「…っそんな顔、しないでくれよ…」 呼吸音の間隔がひどく長くなってきて、何度目かの痙攣のあと、 息を吸ったまま、吐き出すことが、出来なくなった。 体温は、あいも変わらず温かく。間接も、柔らかく。寝ているような姿で。 ただ、開かれたままの目は、その眼球は、動くことなく。 ようやく………終わったんだ。 そう、思った。 もう、あんな苦しそうなあの子の声は、聞くこともない。 あんな痛々しく鳴く声は、物言いたげな眼差しは、身体をすり寄せる感触は、 温もりは、匂いは、あの子と共にいる時間は、もう、どこにも、存在しないんだ。 「猫は、死ぬ姿を人に見せたがらない生き物なんだって。 だから死期が近づくと、飼い主の元から、姿を消すらしいよ」 スプーキーは、そう言って少し首を傾けると、 ひどく痛々しげな、辛そうな笑顔を浮かべた。 「僕は、ひどい事しちゃったのかなぁ」 笑みの形をしたその目の中には、動かなくなった猫と同じように、 生きているような、動かない、潤んだ眼球が、入っていて。 「…違うよ」 思わず、何の根拠もなく、そう言った。 「ひどい事する奴に、あんなになつくわけねぇだろ? …少しの間だったけど、幸せだったって、そう思うぜ?」 「…だと、良いね」 笑顔は、痛々しくなる一方で。 スプーキーは、足下の猫に、しゃがみこんで、触れて、まぶたを閉じさせた。 手を伸ばせば勝手にすり寄ってくる猫に、初めて、自分から触れた。 小さく、声を出して笑って。 「ぬいぐるみ…みたいだ」 そう言って、生前と同じように、指の甲で、撫でて。 「こんなに、好きになるつもりじゃ、なかったんだけどなぁ…」 ぼそっと、独り言のように。 返事の仕方が、わからなかった。 ただ、ずっと、二人で猫を撫でていた。 「昔、思ったんだ。 誰かに先に死なれて、残されて、辛い思いをするのは、もう嫌だ。って」 ひどく、穏やかな声だった。 「だから、次に死ぬのは、僕が良い…って」 …どうして今、僕はこんな所でこの子の死を嘆いているんだろうね? 込み上げて来る、熱くて、冷たい物を、飲み込んだ。 「バカ、言うなよ」 それだけ、どうにか絞り出して。 猫は、まだ、暖かくて。 まだ、柔らかくて。 スプーキーの方がよっぽど生死を問われるような顔色をしていた。 「ノストラダムスの予言が当って、本当に世界が滅亡してたら、 きっと誰も残されなくて、辛くなくて、よかったのにね」 「だけど…」 声がかすれて、上手く言葉にならない。 だけど…。 「わかってるよ。」 顔を上げるスプーキー。 「僕だって、そのくらいは知ってる。生きている物は、必ず死ぬんだ」 …どうして、そんな風にしてまで、笑顔を作るんだろう。 スプーキーは、ずっと、微笑んだまま。 「だから、かな?」 「…ん?」 「だから、こんなに、好きになっちゃうんだろうなって」 その言葉に、記憶がよみがえった。 十日間の記憶が、秒刻みで、数十万コマにわたる、スライドのような、映像。 あくびをしたり、毛繕いをしたり、ミルクを飲んだり、 スプーキーと一緒に丸まって寝たり。 「………そうだな」 スプーキーと同じように、微笑んでみる。 俺も、好きだったよ。 言葉の通じない、異種の生き物に、送る、言葉。 穏やかに、微笑んで。 それが、最後の、別れの。 さよなら。 |