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その痛みは、本物だった。 傷口からたくさんの血が流れていくのが解った。 心臓の音と同じタイミングで、あふれる血の、苦さが解った。 心臓の音と同じタイミングで、それはだんだんゆっくりになっていった。 オルゴールが止まる寸前のように、ゆっくり、ゆっくりと…。 そうして、心臓は、止まった。 もう、音は、聞こえない。 ひどく眠たいのに、ひどく目が冴えていた。 温かだった血液が、風にその温度を奪われ、硬化していく様を感じていた。 ずっと………ずっと………。 …それなのに、何故…? ………なぜ僕は生きているんだ………? なんの気なしに、歩道の右側に歩きながら寄っていく。 そのランチの左肩をかすめて、長方形のコンクリートが振ってきた。 地面に降下し、砕けた破片が、むこうずねに飛んでくる。 それだけでも十分痛かった。 「…っぶねぇな……」 見上げると、ビルの屋上に人影。 しかしそれは、すぐに見えなくなった。 「イタズラにしちゃ、タチが悪いぜ」 しかし今から追っても、無駄に終わるだろう。 ただの偶然かもしれないし、事故かもしれない。 たいして気にもとめず、その場をやり過ごした。 しかし、そうしたのも最初だけ。 その後も幾度と無く起こる人為的な事故に、いい加減限界が来ていた。 その日も、あえて人混みの最前線で信号を待つ。 階段で背中を押されたこともあった。 ここにいれば、いつかそいつが現れるに違いない。 …今度現れた時には、必ず捕まえてやる…! ランチには、その陰険なやり口が我慢できなかった。 決して堂々と表を歩けるほど、何も悪いことはしていない。とは言えない。 しかし、一つの大きな事件が片付き、最悪人が居なくなった今、 命を狙われるほどの恨みを持つ者が居るとは…。 横切る信号が黄色に変わる。 今回も何も起きなかったと言う事実に、残念ながらも、ほっとした。 その時。 ………とん。 軽く背中を押され、前につんのめる。 気を抜いた一瞬だった。 右側から、信号の色が変わる前にとスピードを上げた車が向かってくる。 急ブレーキの音。 だめだ!間に合わねぇ…!! 身体を支えようと、軸になっていない足を慌てて出した。 しかし、そこから後ろに下がるよりも先に、車が…。 ぐいっと、腕を引かれた。 前のめりになった鼻先をかすめて、車が通り過ぎる。 ランチはそのまま、後ろの人混みに身体をもたれ、止めていた呼吸を解放した。 振り返ると、走り去る後ろ姿。 すぐにでも追いかけたかった。 しかし、助けてくれた人物にせめて一言…。 「っ今、腕を引いてくれたのは…?」 何人かが、走り去っていく人影を指さした。 …?逃げていくんだから、背中を押したヤツだと… 「でも、背中押したのもあの人だったよねぇ…」 近くにいた人が、ぼそりと、漏らす。 …どう言うことだ? ますます訳が解らなくなった。 解らなくなったが、身体が勝手に動く。 「…どうも」 お礼を意味する一言を残し、ランチはすでに走り始めていた。 人影は、まだ見える位置を走っている。 ヤケにぶんぶん腕を振っているが、全くスピードに加算されていない。 追いつける自信が、ランチにはあった。 人影は細い路地に入っていく。 足が遅いなりに、頭を使っているようだ。 が、ランチは知っていた。 この路地は建物の周りをぐるっとコの字に囲んでいるだけの道。 逆から走っていけば、そいつが引き返さない限り途中で鉢合わせする。 ランチは建物の正面を横切り、奥の路地から入っていった。 幸い、裏口はこちらにある。 途中で建物に逃げ込むこともできない。 ドタドタと足音が聞こえた。 ランチはそのまま走り続ける。 近付いてきた足音は、曲がり角の向こう側でぴたりと止まり、慌てたように引き返した。 「今さら遅いぜ!!」 ランチは角を曲がる。 逃げる男の後ろ姿がはっきりと見えた。 「…!?」 それは見覚えのある後ろ姿。 走っている姿など見た事が無いため、比較は出来ないが、明らかに、それは… 逃げる男は、急に倒れた。 どうやら自分の足につまづいたらしい。 ランチは駆け寄る。 「大丈夫か!?リーダー!」 思わず、そう声を掛けた。 スプーキーが死んだという事実は解っていても、口から勝手に出てきてしまう。 いわば習慣のような台詞。 人違いだったら、馬鹿だよな… ランチはそう思いながらも、倒れた男の腕を引いて、起こしてやる。 「…やっぱり、あんたか…」 「……ごめん………ごめんよ、ランチ………」 言葉と同時に、涙があふれ出す。 ランチは慌てた。 「い…いや、怒ってんじゃねぇんだ。ただ…どうなってんだか…」 「…僕にも、解らない。でも、僕は死んだんだ。それは、覚えている…」 「覚えてるって…解らねぇよ。ゆっくりでいい。順を追って、説明してくれ」 スプーキーは頷き、気を落ち着けるために息を吸った。 ふと気付いたランチが、服の汚れを払ってやる。 一瞬驚き、それから、小さくクスクスと声を漏らすスプーキーに、ランチはハッとした。 「あ…悪い。今はそれどころじゃなかったな…」 「…君らしいよ」 その涙目の笑顔に、ランチはホッとする。 「僕が死んだことは、知っている?」 「あぁ、話は聞いた」 「…その後、僕は自分の心臓が止まった事を、確認した。今も、動いてないよ」 そう言って、ランチの手を、自分の胸にあてる。 「…信じられねぇな…」 「でも、止まってるんだ。最初は、死んだものと思っていた。 僕はユーレイなんて信じてないけど、俗に言うそれと、同じ状態になったのだと思った。 どうやら他の人にも見えないようだったしね。 でも、移動するときは足を地に着けていたし、ドアノブだって握れた。 それって、おかしいだろう?もしかしたら、身体があるんじゃないかって思った。 …思ったら、見えるようになっていたんだ」 ランチは、眉をひそめた。 が、すぐに諦めた。 「あー…まぁ、それは…解らねぇけど…それでいい」 これは、誰がどう説明したところで理解出来ないだろう。 理解は出来ないが、事実であることは解った。 しかし、解らないことがもう一つあった。 「…あんたは、俺を殺そうとしたのか?」 その言葉に、眉を寄せ、唇を噛むスプーキー。 そのまま、深く、うつむいた。 「…違う…と言いたいけど…そう…だ…。君を、殺そうと…思った」 「なんでだ?」 「たぶん…君とこれ以上離れたくなかったんだ」 そう言って、息を吸う。 声が少し、湿気を帯びていた。 「良くない事だって、解っていた。でも、もう二度と君に会えないなんて…」 「…会えてんじゃねぇか」 「……は?」 どうって事の無い様にそう言われ、間の抜けた顔でランチを見上げる。 「俺が生きてたって、会えてるだろ?何がマズい事でもあるのか?」 「え…だって、僕は…」 「死んでんだろ?それは解った。だけど、ここにいるんだろ? 実際こうやって会話できて、触れて。俺が死なないと出来ない事でもあるのか?」 「だ…だけど…」 「だけどもクソもねぇよ。 俺が死んだ後、あんたみたいになれなかったらどうするつもりだ? それこそ、もう二度と会えねぇじゃねぇか」 一方的にまくしたてられ、スプーキーは小さな声で答える。 「…君の、言うとおりだ」 「だろ?考え込む前に、一言相談してくれ。訳 も解らず殺された日にゃ、俺だって浮かばれねぇよ」 狭い路地の壁に背をもたれ、疲れたように、しゃがみ込むランチ。 「…解った。今度君の命を狙う時は、君に一言ゆってからにするよ」 「あぁ、そうしてくれ」 ランチはそう言って、伏せた目をちらりとスプーキーにあわせた。 そうして、二人同時に口の端を持ち上げ、喉を鳴らした。 「なんだよ、これ。普通はもっと感動的な再会になるんじゃねぇのか?こう言うのは」 「ハハ…じゃぁ、今からでも感動的にしようか」 スプーキーは、そう言って、しゃがみ込んだランチのひざに、自分のひざを付け、 身体を折り曲げた。 「再び会えて、嬉しいよ」 軽く、唇を触れる。 「…セオリー通りだな」 文句を言いながらも、それに答えるランチ。 何度か、ついばむようなキスをして、それから、額を付け、笑った。 揺れる肩の振動が、額を伝って響いてくる。 「とりあえず、再会の晩餐でもするか」 立ち上がろうとするランチに手を貸して、スプーキーは言う。 「楽しみだね。何を作って…」 そこまで言って、二人顔を合わせ、同時に目を見開く。 「あんた…」 「僕は…」 二人同時に、声を出した。 「…物を食べる事が出来るのか…!?」 |