大人の答



どうしても、あの少年に渡したい物があった。
それは、酷く子供じみた仕返し。
大人だの、子供だのを気にするあの少年に、
自分の中にある少年の部分を見せたかった。
見せて、どのような反応を示すかを知りたかった。
ただそれだけの、全く深みのない好奇心なのかもしれない。
あの少年が甦らせた。
押し殺された自分の中の少年の姿。


◆◇◆



いつものパオフゥならギリギリでも通ってしまおうとする黄色の信号を
うららに教え、無理に車を止めさせ路上に出た。
歩道と道路の間に止めたバイクに跨り俯いた少年が、幾度かエンジンを吹かす。
空回りする音に溜息を吐き、
少年はバイクを隔て目前に立つ男に顔を向けた。
「………」
ただ黙って視線を合わせる少年は、再び俯く際に、吐き捨てるように呟く。
「手助けなら、いらない」
「助けるつもりはねぇさ。ただ…」
そこまで言って、言葉を切る胡散臭げな男に、少年は再び顔をあげた。
その動作に、あえて相手に解るよう嫌味な笑みを浮かべ、
パオフゥは銀の幾何学的な形をした針金のような物を放り投げた。
歪んだ針金に幾つかの小さな輪が付いたそれを
思わず反射的に受け取ってしまった少年は、
あからさまに眉をしかめ、それから、手の中の物に視線を落とす。
「…知恵の輪…?」
「あぁ。お前にやるよ」
パオフゥは笑いをこらえながら少年に背を向け、歩き出した。
「練習すりゃ、ちっとは器用になるかもしれねぇな」
言葉が終わると同時に振り返ることなく車に乗り込み、
バックミラーに目をやった。
信号が変わり車が走り出しても、少年はジッとこちらを見たまま。
だんだんと、その姿が小さくなっていく。
ミラーでそれを確認し続けるパオフゥは、
まるで目が合っているような錯覚を受け、
一度ゆっくりと目を瞑り、そして開けた。
ミラーに映るのは、後ろを走る何台もの車と、冷たい灰色の道路。
その風景に、少年の姿は無かった。


◆◇◆



「で? 言い訳くらい聞いてやろうじゃないの」
ハンドルを握る指先が一定のリズムで音を立てる。
苛ついている証拠だ。
解っているクセに、パオフゥは、あえて神経を逆なでするような言葉を吐く。
「言い訳なんざねぇよ」
ただ真っ直ぐにフロントガラスを見つめニヤつく横顔に、
依頼書の束が投げつけられた。
「…運転中に物を投げるな」
「次のクライアント、神経質そーなヤツだってのに
 遅刻して依頼破棄されたらどーすんのよ!」
「信号待ちが遅刻の理由か? 自分も話したかったってだけだろ」
「っ………!」
図星をさされたうららの手が大きくハンドルを叩く。
「あーそうよ! 私だって話したいに決まってるでしょ!? この自分ばっかり男!!」
開き直るうららに毒を抜かれたのか、低レベルな口喧嘩に飽きたのか、
黙るパオフゥに更に叫き立てるうらら。
「だいたい誰よ!? 接触は極力避けた方がイイとか言ってたのは!
 言った本人が一番最初に…」
「…信号」
「また黄色で止まれって!?」
「いや、赤だ」
急ブレーキの音が、車内にまで響く。
額にハンドルの痕を付けたうららが勢い良く起きあがった。
「パオ! 無事!? あんたベルト…」
「シートベルト以前に、予測できる急ブレーキで吹っ飛びゃしねぇさ」
助手席のダッシュボードに付いた片手を押し、シートに背を着ける。
その無事を知りホッと息を付くうららは、再び文句を言うために口を開いた。
「まったく、無事だったから良かったけど私が運転してる時は
 シートベルトくらいしてよね! 減点されるの私なんだから!
 あーベルト食い込んで胸が痛ーい! タダでさえ無い胸が〜…」
「…マズイな」
パオフゥが神妙な声で呟く。
「あらら珍しー。心配してくれてるワケ?」
「いや」
窓の外を、親指で指し示した。
うららは助手席のサイドガラスに目をやり、再び額をハンドルに付ける。
「あちゃー…サイアク…」
自分の声で聞こえなかったノックの音が、いまさらに聞こえてくる。
窓の外には、黒い警察手帳。
「なにぃ? 急ブレーキの音で寄って来ちゃったワケぇ?
 とりあえずシートベルトで減点でしょぉ…あと信号無視
 …は未遂だから…停止線無視とか…?」
一人呟くうららを無視するパオフゥの手が、静かに助手席のサイドガラスを開ける。
聞こえてきた声は、良く知ったものだった。
「助手席のシートベルトは法で義務付けられている。
 お前に知らないとは言わせ無いぞ?」
「うっそ…これって…地獄に仏…ってヤツ…?」
思いがけない偶然に、珍しくうららの言葉が止まった。
「やあ、芹沢君」
克哉はこの偶然の再会に僅かに表情を変え、言葉を続けた。
「とりあえず車を歩道に付けてくれないか」
外れた期待に、大きく肩を落とすうらら。
「やっぱ見逃してはくんないか…」
「この石頭が見逃すはずねぇだろ」
茶々を入れるパオフゥを後目に、
克哉はわざとらしく困ったような笑みを作り、うららに向ける。
「…と言いたいところだが、さっき緊急通報が入ってね。
 今現場へ向かう途中で、少し急いでいるんだ」
優しげな声で、そう告げた。
「え…!? それって…じゃあ…」
すがるような目で祈りを捧げる準備をし始めるうららに考えあぐねている様子を見せ、
それからフッと表情を消し、パオフゥに。
「…ところで、誰が石頭だって?」
「パオ! さっさと謝っちゃいなさいよ! 私の減点がかかってるんだから!」
必死にパオフゥを揺さぶるうらら。
しかし揺さぶられている本人に全くその気は無いらしい。
「急ぐんなら、とっとと行ったらどうだ?」
嫌味な口調に、克哉の背後から笑い声が漏れた。
「相変わらずねー」
「マーヤ!? あんた何で…仕事は!?」
大袈裟に驚くうららに臆することなく、舞耶は答える。
「ん? もちろん仕事中よ。取材の帰り」
「実は今向かう現場を通報してくれたのが、天野君なんだ。
 天野君、現場はすぐそこなんだろう?」
「ええ。ここをまっすぐ行けば、見えてくるわ」
舞耶はそう言ってパオフゥ達が来た道を指さした。
「解った。じゃあ、僕は先に失礼させてもらうよ。
 …パオフゥ、シートベルトは忘れるな。良いな?」
忘れずに釘を刺し、克哉は指さされた道を歩いていく。
それを見送るうららの横で、パオフゥが口を開いた。
「…アイツか」
あえて自然に振る舞い頷く舞耶に、うららは尋ねる。
「一緒に行って…会わなくて良いの?」
「うん、いいの」
微笑み、首を傾けて。
「デジャヴュの女になるワケには、いかないものね」
一度目の別れに、私のことは早く忘れなさい。
そう言った。
辛い選択を強いた罰として、今度は自分に、辛い忘却を強いる番だ。
まるで、そう訴えるような、切れそうな微笑みに。
パオフゥは静かに笑んで、正面を向いた。
「…信号、変わるぜ」
「あ…うん。じゃあねマーヤ!
 早めに仕事終わったら、今日こそ玄関掃除しとくんだぞ!」
舞耶は誤魔化すように笑って手を振った。
しかしその姿がミラーに映る頃には、
首を振り返らせ、遠くを見る後ろ姿になっていた。
その先に居るだろう少年の姿。
鮮明に思い出せる見えない姿を、目を瞑り、見つめるのだろう。
「…デジャヴュの女になるワケにはいかねぇ…か」
呟き、自嘲の笑みを浮かべる。
「自分で決めた禁制も守れない誰かさんとは正反対よねぇ」
「そいつは、場合によりけり…だ」
それこそ、大人の都合と言われそうな言葉を、選んで吐き出す。
その行為に、独り、苦笑した。


◆◇◆



「そういえば、何話してたの?」
「大した話はしてねぇ。コイツを、もらって来たってだけだ」
ポケットにしまった物を手のひらに広げ、うららに見せる。
「…何それ。指輪?」
小指がギリギリ入りそうな、小さな銀のリングを怪訝そうに見つめるうらら。
パオフゥは、手のひらのそれを再びポケットにしまうと、
「いや、キーだ」
そう、答えた。
「キー? それが?」
「あぁ。解けないパズルを解く為の…な」
少年が…キーが消えたおかげで解けなくなったパズルの仕返しに。
ささやかな、悪戯。
「…解けないパズルをどうやって解くか、知ってるか?」
「解けないのに解ける? それってナゾナゾ?
 …あ、そういえば昔買ったクロスワードパズルの本、
 ぜんぜん解けないから放っておいたの忘れてたわ…」
「…正解だ。要は、忘れちまえばイイのさ」

…まぁ、そいつが出来れば、の話だがな…。








例外回答




「…まーた赤?」
うんざりした声でブレーキを踏む。
「信号って、一個引っ掛かると続けて引っ掛かるのよねぇ。
 こりゃホントに遅刻かぁ?」
言いながら、うららはキョロキョロと辺りを見回す。
「首振ったって時間は変わらねぇぞ」
「違うわよ。さっきの信号もその前の信号も何かあったでしょ?
 今度の信号は何があるのかなーって」
その言葉に、パオフゥは抑えた音で笑う。
「そうそう何かあってたまるかよ」
「解んないわよー?
 車の横を100キロババアがビューって走って…200キロジジイかな?」
「時速4キロの呪のタクシーとかな」
「それってゆっくり走ってるから鈍いのタクシー。
 とか言うんじゃないでしょうねぇ?」
戯けて、それから笑い出すうらら。
その表情が、固まった。
「あ…アレ…後ろ…!」
「何だよ。引っ掛けようったってそうは…」
そう言いながらも、パオフゥは振り返る。
「………ッ!?」
驚き、息を飲んだ。
助手席の窓の外には、赤いライダージャケット。
そのハンドルを握る手が、ポケットを経由し、ゆっくりと窓に伸ばされた。
窓を、開ける。
「これを、返しに来た」
少年はフルフェイスのヘルメットの中からくぐもった声でそう言った。
焦りと期待の中、手を差し出すパオフゥ。
バイクのマフラーが震えるけたたましい音に雑じって、小さな金属の音。
まるで何枚ものコインを落とすような音と手の中の複数の感触に、
パオフゥは驚きの表情を露にする。
「…解いたのか…?」
「あぁ。おかげでバイクも直った」
少年は先程パオフゥが見せた嫌味な笑みを真似るように
ヘルメットの下にうっすらと確認できる目もとを歪ませ、
それから正面を向きバイクを走らせた。
その動きと、背後からのクラクションから信号が変わった事に気付いたうららが、
慌ててアクセルを踏み込みながら、パオフゥに問う。
「…それってさ、さっきのヤツでしょ?
 キーはあんたが持ってるから解けないって言ってた…」
「あぁ…。そいつを、解きやがった…」
理解に苦しむ表情で、パオフゥは手のひらの金属を眺めた。
「…信じらんねぇな…」
「あー、そっかそっか。解った」
何かに気付いたらしいうららが背筋を伸ばし、声をあげる。
「さっきのナゾナゾ、もう一個答えがあったわ」
パオフゥが続きを促すように顔を向けた事を確認して。
「解けないパズルを解く方法。ってナゾナゾ、言ってたでしょ?
 アレね、忘れるって答え以外の正解、見つけたわ。知りたい?」
「何だ?」
「ふふーん、答えは簡単。解けそうな誰かにやってもらえば良いのよ!
 どう? カンペキでしょ!」
実に優越感丸出しで胸を反らす鼻高々のうららに思わず吹き出し、
喉でつかえたような苦笑を続けるパオフゥ。
「な…何で笑うのよぉ!?
 忘れるって答えがアリなんだからこれだってアリでしょぉ!?」
「あぁ…ガキってのは、つまらねぇ事で意地になりやがる」
未だ笑いの止まらぬパオフゥの台詞に、うららはムッとする。
「何よそれ。私がガキみたいだって言いたいワケ?」
「いや…コイツ、まだ熱いんだよ」
苦笑に揺れる手の上の金属を見せて。
「マフラーで熱くして、無理矢理解いたんだろ」
つまらねぇ事で意地になって、ムキになって。
諦める事で生き延びようとする大人にゃぁ到底考え付かねぇ荒技で覆す。
がむしゃらになる事で生き延びて来た、少年時代。
「…良いんじゃねぇか? 人に頼ろうが頭に頼ろうが解けりゃイイんだ」
ルールだの、モラルだのに縛られ諦める事になれちまう事に比べりゃぁ、よっぽど。
「あぁ…悪くねぇ答えだな………」



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