旅行と父子と毅生の受難



「てめぇが何でこんなとこにいんだよ」
ランチが怒った声は恐い。
ただでさえ普段から何もしなくても結構低めの声なのに、
それをもっともっと低くして、大きな犬が怒って牙をむいて低く唸ってるみたいで、
自分が関係ないってわかっててもびくっとする。
…せっかくの旅行なのに。
「冗談じゃねぇ。俺は帰るぜ」
ふすまが外れるんじゃないかってほど乱暴に、食堂と記された大部屋を出て行くランチ。
「…っランチ!」
さすがに慌てたリーダーがランチを追い、
それに続いて、何の役に立つつもりだかわからないユーイチが、
とりあえず二人を追いかけていった。
あ…しまった。置いてかれた。
しばらくの間、食べ途中の高野豆腐を箸でつまんだまま
開けっ放しのふすまをじっと見ていた。
しかしだれも帰ってくる気配はない。
ちらりと、ランチに怒鳴られた張本人を見やる。
その視線に気付き、軽く会釈をするので、こちらも慌てて頭を下げた。
「申し訳ない」
その男はそう言ったまま、しばらく頭を上げようとはしなかった。
別に彼が悪いわけじゃない事は、シックスにもわかっていた。
その短い言葉と、そこに含まれているだろうたくさんの思い。
すごく、良くわかる。
何だか好感が持てた。
「そのうち、帰ってくるでショ?…えーと…?」
「…北川、と」
ゆっくりと、頭を上げる
「うん。ランチの親父さんでしょ?えっと、じゃぁ…北川さん」
…変な感じだ。
「部屋で、待ってる?」
ひどく子供っぽい口調でそう問われ、思わず表情がゆるむ。
男は、少し微笑んで、
「では、お言葉に甘えて」
そう、言った。
低くて、少し乾いた声。
ランチの声に似てる…
それがなんだか嬉しくて。
シックスは箸を置いて立ち上がると、彼に手招きをして、
ひどく軽い足取りで、部屋へと戻っていった。

階段を上りながら、シックスは、後ろについてくるランチの父親に声をかけた。
「ねぇ、えーと…北川さん、何でこんなとこにいるのよ?」
どうしても、その呼び名に違和感がある。
「新規契約先の調査の帰りです」
…やっぱ、いい声だな…
「あのさ、北川さん…って呼ぶの、やっぱよそうよ。
 ランチの事呼んでるみたいで気味が…」
そう言って、気が付いた。
「あ、ランチって言うのは…」
「潤之介の事…ですか」
なんだ。知ってんじゃん。
「うん。何か、他の呼び方とか、ない?」
父さんとか?
そう思って、一人でおかしくなった。
「では、毅生…と」
「OK。毅生さんね」
ランチの知らない所で、ランチの父親と、
ランチの話ができる優越感で、最高に気分が良い。
そのふわふわした気分のまま、自分達の部屋のふすまを勢い良く開けた。
ビールと、徳利と、ワインと、ウイスキーと。
あちゃー…忘れてた。
中身の入っている物とそうでない物の見分けが付かないほど乱雑に散らばっている
その部屋に通された毅生に、シックスは慌てて言い訳をする。
その、何を言っているかわからないしどろもどろな言葉に、
いつもの厳しい表情からは想像できないほど穏やかな顔で、
「お気になさらないでください」
そう言って、片づけを始めた。
その片づけの仕方とか、ほんと、ランチと同じで、無意識に顔が笑ってしまう。
一緒に並んで片づけとかしてると、ランチと一緒にいるみたいだ。
ランチはいつだって邪魔になると言って片づけを手伝わせてくれた事なんて無い。
確かに邪魔かもしれないし、リーダーなんかはよく片づけながら散らかしていくから、
ランチがそう言いたくなる気持ちもわからないワケじゃないんだけど。
こうしてるのがすごく居心地良くて、最後の空缶を拾う手が思わず躊躇するほどだ。
真ん中に少し大きなテーブルと、
その上に、まだ残っている飲み物やおつまみを置いて、一息つく。
「…失礼」
襟元に急に手を伸ばされ、びくっと体をすくめるシックス。
その襟をぎゅっと内側に引っ張って、だらしなく開いた浴衣を正してくれる。
思わず、笑ってしまった。
父さんみたいで、母さんみたいで、ランチみたいで…
変な感じだ。
とにかく、さっき会ったばっかりの人だとは、思えなかった。
急に笑い出したシックスに不思議そうな顔をする毅生。
そんな彼を座らせ、目の前におちょうしを置いて、
ぬるいと言うか、もうほとんど冷たくなった徳利を軽く振って、
「ちょっとくらいなら、いいでしょ?」
そう言って、いたずらっぽく、笑った。

「ランチってさぁ、ほんっと、口うるさいのよ!」
明らかに酔っている口調に、少し戸惑う。
「そう思わない?毅生サン!」
烏龍茶を手に、毅生にまとわりつくシックス。
途中、顔色が変わりはじめたころからアルコールの入ってない物ばかり飲ませている
にもかかわらず、酔いが覚めるどころかエスカレートしていくシックスに、仕事で
酔っ払いの相手になれている毅生も、さすがに手に負えなくなってきたようだった。
未成年に飲酒を許してしまったのも自分だし、いまさら叱るわけにもいかない。
それに、ランチと呼ばれている実の息子の話を、聞きたくない訳がなかった。
「毅生さん、何であんなにひどい事言われてるのに、怒んないのよ?」
べったりとのしかかって、鼻が触れそうなほどすぐ近くで覗き込む。
「…私に言う事に関しては、怒るつもりはありません」
「そんなだから子供にナメられんのよ!なんかしゃべり方も他人みたいだし!」
指を差している手につかんている落ちそうなグラスを取り上げる。
それに気付かないほど泥酔したシックスは、毅生のひざの上に仰向けに倒れ込んだ。
まだ指を差している。
「だって親子でショ!?こんな風に行儀悪くしてたら怒るのが当たり前じゃん!」
あぐらをかいた上で仰向けになったまま急に顔を擦り出すシックスを抱き起こす。
足の間に座り込んで、毅生の顔をじっと見て。
「毅生さん、優しそうだよね」
そう言って、顔をぺたぺた触る。
「優しいのって、駄目だよ。だまされちゃうよ?俺んちの親みたいにさぁ」
いっつもニコニコしてて、いっつも誰かのために一所懸命で、
それでその誰かに裏切られる。
なんか優しいのって、馬鹿みたいだし、ずるいじゃん。
優しかったら、正しいって思えるもんね。
失敗したって、裏切られたって、自分のせいじゃないみたいじゃん。
だから俺、ランチの事好きなのかなぁ。
ちょっとだけ優しくて、強くて、あんまり正しくない子供だから、好きなのかなぁ。
だって優しくて弱くてそれを正しいって思ってる大人は、
他人を否定する事すらしてくれない。
「そうだよ…なんで、怒ってくんないのよ…」
シックスはそう言って、ぼろぼろと涙をこぼした。
子供が、父親に求める愛情のカタチ。
抱き寄せて、頭を優しくなでてやる。
その通りかもしれない。
そう思った。
潤之介に対する引け目。
これ以上嫌われたくないが為に、本来すべき父親の仕事を放棄していたのかもしれない。
自分が、父親として受け入れてもらう以前に、しなければならない事。
…優しいのって、駄目だよ…か。
確かに、その通りだ。
「…ありがとう」
そう思い、口にした。
あまり声とは言いがたい声。
ビリビリと震えて音を出しているアンプに触れているみたいに、
体が触れている所から、声が伝わる。
ランチと、同じ声。
「毅生さんて、ランチみたいで、好きだな…」
手を伸ばし、腕を首に回す。
「毅生さんて、怒らないランチみたいだ」
くすくす笑いながら、首筋に顔を埋める。
「…潤之介は、怒るんですか?」
「うん…すっごい怒るよ?」
だから、好き。
回した腕に力を入れて、よじ登るみたいに、耳の後ろの髪の生え際のあたりにキスをする。
耳と耳がくっつくみたいに、あごの骨に頬を付けて。
「…俺の名前、呼んでよ」
目をつぶって。
「何と呼べば…」
「…真悟」
「………真悟さん?」
後ろに流されている髪を引っ張る。
「真悟さんじゃなくて、真悟」
少しの躊躇。
息を吸って。
半音くらいいつもより低くて、響く、音で。
「………真…悟?」
あご、それから頭蓋骨の中で、広がり、響く音。
それをぴったりとくっつけた頬から吸収する。
「うん…。すっごく…気持ち…イイ…」
背筋がゾクッとするような、恍惚とした、艶っぽい声。
はだけた胸元が、直に鎖骨に触れる。
肌の、感触。
「もう…いっぺん…」
吐息のように、熱い感じ。
首筋から、鼻の奥に広がる、痛いくらいに、甘い…。
「………真悟…」
「…ん」
ぎゅっと、しがみついた。
体に力が入らない。
ひどく、しびれたような感覚。
腰とか、その内側の方にある、熱い、塊のような物。
そこから少しずつ浸透していく、むずがゆさみたいな痺れに、
いてもたってもいられなくなる。
「…ねぇ…毅生さん」
擦り付けてくる体を支えきれず、後方に手をつく。
「毅生…さん?」
「…ん?」
心電図みたいに、体に伝わってくる、音と言う名の振動。
その声に反応するみたいに、体中をぎゅっと縮こませて。
「っん……」
鼻にかかった声。
「ね…毅生…っさん……お願い…」
哀願する潤んだ瞳。
熱い体。
熱い指先で、頬や、耳や、髪や、首筋に触れる。
熱を持ち真っ赤になった震える唇で、何度も首筋に口付ける。
「私に…どうしろと…?」
その、声…。
もう、痺れなんてもんじゃない。
ふくらはぎ、太腿の裏側から、腰、脇腹、背中、首、後頭部まで…
ゾクゾクとすごい勢いで這い上がってくる物に、声を押さえ切れない。
「…っあ……っ!………もうっ…」
ガシャガシャン…
水分の入ったアルミの缶の音。
サーっと、血の気が引いていくのがわかる。
開いたふすまの向こうに立ち尽くす長身の彼は、
ドレッドをなびかせるほどの勢いできびすを返した。
「潤之介!父さんは何も…」
立ち止まり、振り返る。
まるで親の敵を見るような目でサングラス越しに睨み付け、
「てめぇなんか親じゃねぇ!」
そう叫んで、ドカドカと凄い足音を立てながら遠ざかっていくランチ。
「え?おいランチ!どうして…」
「ランチ何怒ってんのぉ?せっかくご機嫌なおったと思ったのにぃ!」
そんな声を聞きながら、毅生は、
幸運の神様に恨み言を言う以外に自分を慰める術のない現状に、
元から下がり気味の肩をさらに落とし、ため息を吐くのだった。



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