知られざる物語


その島には、大きな湖があった。
「こんな島でキャンプとは…」
とミホークに言われるくらいには物騒な島だったが、その大きな湖が気に入って、
パラソルの下、毒蛇とにらみ合いながら長旅の疲れを酒で癒す。
誰もが恐れおののくグランドラインの中でも指折りの危険な島は、
しかし赤髪のシャンクス率いるこの海賊団にとって、楽園でしかなかった。
酔った勢いで、皆には内緒で湖に出かけようと
何時の間にかパラソルの下から姿を消したシャンクスは、
誰にも見付からなかった自分の行動に満足げな表情を露にし、
湖への道を行く。
実際の所、幾人かがシャンクスの行動に気付いていた。
しかし、行き先の見当も付き、
その後ろを気付かれぬよう付いていっている男がいる事もあって、
気まぐれで悪戯好きな船長の行動を、黙って見守っていた。
強制的に宴に付き合わされていたミホークは、
多くの酔っぱらいが寝静まったジャングルの中のキャンプ地にあるパラソルの下で、
鷹の目と形容される鋭い瞳をゆっくりと開く。
組んでいた腕を解き、自分のために用意された宝の一つであろう銀のカップに、
これも戦利品の一つであろう高級そうな酒をつぎ足し、喉に流して。
苦笑するように熱が通り過ぎた喉を震わせ、再び、目を閉じた。
閉じたはずの視界に差し込むほどの、月の光。
細いが、雲一つ無い空に眩しすぎるその月は、全ての水面に、写っていた。

湖にたどり着いたシャンクスは、勇む足のスピードをゆっくりと落とし立ち止まると、
途中から気付いた背後の気配に声をかけた。
「イイ所だなー…ここはー…」
気配は驚くこともなく、さも当然に返答を返す。
「あぁ、遠い昔、ここは海だったからな」
足音は、湖を眺めるシャンクスの隣で止まった。
煙草の匂いが、鼻孔をくすぐる。
「海か…どおりで、キレイなはずだ…」
「あんまり近付くと落ちるぜ」
その言葉に、何かを企むように僅かに口の端を上げ、
あえて湖の近くへと足を運ぶシャンクス。
いつ剥がれてもおかしくないような緑のコケに覆われた岩の上に立つ。
振り返り、湖に背を向けた。
「海なら、落ちても受け止めてくれるだろ。愛されてるからな、俺は」
言葉と同時に、身体は後ろへ倒される。
しかし、水しぶきの音は、聞こえなかった。
「な?」
自分の言葉に肯定の返事を求めてか、赤い髪を横に流すように、首を傾けるシャンクス。
その身体を支えるのは、幾重にも巻かれた腰帯と、僅かについた踵のみ。
腰帯を掴む大きな手から、逞しい腕を辿れば、無骨で、表情のない顔。
「海の浮力で慣れちまった酔っぱらいの身体は、真水の浮力を理解する前に沈むもんだ」
軽く引かれた腕に身体は地に垂直に。
足の裏で地面を感じ、その感触を目で確かめると、シャンクスは顔を上げた。
「海水の怖さも、真水の怖さも、しってるさ。だから…」
愛おしげに、湖を振り返る。
「惹かれるんだ」
水面に映る、波紋の上の風景。
波紋の下の風景。
「これだけ好きだって言ってくれてるんだぜ?
 俺もだ。って返事くらい、してやるモンだろ」
膝を付き、湖の皮膚に触れる。
波紋に口づけ、そして、飲み込まれた。
湖に落ちる水滴よりも。
同種である水よりも自然に、同化する。
長い潜水の後、湖の中頃に顔を出すシャンクスにより、湖と、星空は、縫い合わされた。
その存在が、全てを一つにする。
彼の手に、目に触れた物は全て、彼に惹かれ、彼の手に収まる。
それを解っていて、世界中を見て回る気なのか?
あんたは…。
笑い声が、聞こえた。
「何だここは! 湖なのに蛇が居るのか!?」
先ほどとはうって変わって水面を激しく波立たせるように叩いて。
「やっぱグランドラインだな!」
その豹変ぶりに、溜息を吐く。
「取り残された海蛇が独自の進化を遂げたんだろう。
 どう言った生体かは俺も知らない。気を付け…」
語尾は、大きく弾ける気泡で止められた。
さきほどシャンクスが居た場所に、
肺の中身のほとんどをブチまけたような大量の気泡が上がってくる。
シャンクスの姿は、無い。
舌打ちと同時に、飛び込んだ。
幸いにして、水は澄んでいる。
水に濡れた銃は役に立たない。
ブーツに潜ませた短剣を引き抜く。
空いた手を手近な岩に。
その岩を蹴り、加速を促す。
水に揺れ、炎のような頭部を視界に止めた。
蛇らしき姿は見あたらない。
揺れる陰に向かって深く潜り、地を蹴った。
力無く漂う一本の腕。
横になった身体への浮力に地を蹴る勢いを乗せ、シャンクスを水面へと押し出す。
息を、していない。
顔に張り付く黒く長い髪をそのままに、岸へと向かいながら、思考を巡らす。
…いくら酔っているとは言えこの人が何も無しに溺れることなどありえない。
確率的に高いのは、さっき言っていた蛇に噛まれたか、引きずり込まれたか…。
しかし、人一人溺れさせるほどの蛇に足を噛まれれば、その外傷はすぐに見て取れる。
巻き付かれれば足の骨が真っ直ぐであるはずもない。だとすれば…。
水を吸った服の重みなど関係無しに、シャンクスを地上へ放り投げ、自分も岸へ上がり、
足下に横たわる身体を見下ろす。
未だに息はしていない。
思考の結論を、口に出した。
「いいかげん起きたらどうだ」
足下の蒼白した顔が口元を歪ませた。
目を閉じたまま大きく息を吸って、そうして、肩を揺らす。
片方だけの腕を、持ち上げた。
濡れて張り付いた服が腹の隆起を露にする。
腹筋の力のみで起き上がるシャンクスは、その手で長い銃のグリップを掴み、引き抜いた。
「あーあァ…シケっちまって使い物にならないな、コイツは」
放り投げた。
チラリと銃の持ち主を見上げ。
「バーカ」
言うや否や、堪えきれぬ様子で笑い出す。
「いい加減その心配性なおせって! いつかハゲ…ッ…!?」
放り投げられた。
激しい水しぶきの中、水面に顔を出したシャンクスは、
水を飲んだらしく咳き込みながらも、笑う事を止めない。
表情の無いまま背を向けようとする地上の人に声をかけた。
「…一緒に、来ないか?」
笑う声は、ひどく真面目な声に、変わっていた。
まったくこの人は、その言葉の意味を知っていて、使っているのか…?
初めて彼にあった時、こちらの何を知るはずも無いのに、そう声をかけて来た。
その言葉に、声に、響きに。
ひどく惹かれた記憶を憶えている。
その言葉に全く表情を変えたつもりはないのに、
あの人は何かを見たように口の端を笑わせ、言ったんだ…
…一緒に、来いよ………
向けた背を振り返らせれば、その行動に笑みを返し、指を下へ向けたシャンクス。
その指の先には、別の世界が見えた。
波紋に揺れる水面の下。
攻撃的な波の無い、緩やかな流れの中で丸く、柔らかに削られた数々の岩と、水草達。
水面に写る、月。
その大きな存在すらも入る事のできない世界へと、彼は容易く誘う。
水に濡れ、煙の出る事のない煙草を吐き捨て、誘われるがまま、飛び込んだ。
その世界に、彼は居た。
ついさっき投げ込まれた銃が、
はるか昔からそこに生息しているかのように呼吸をくり返し、
小さな気泡を浮かばせる。
そこに燃える影を作る、存在するはずのない水中の炎を意識させる揺らめく髪。
その炎をごく当然のように流し、泳いでいく。
後を追った。
先程垣間見る事のできなかった淡水魚達が、水草の間から姿をあらわす。
体をひねらせ、魚達がたった今なした群れにまぎれて、彼は何かに手を差し出した。
指先をくすぐるように通り過ぎていく魚達に、笑みをかえして。
しかし切っ掛けも無く気紛れに群れを離れると、大きな水草に身を隠した。
隙間からこちらを眺めては、慌てて再び草の後ろへ。
おどけるようにくり返して、反応を求める。
呆れた表情を笑みに含ませ返答すれば、しかし彼はそれを見る事無く。
ふっと、何かに気付いたような顔をした。
視線の先には、大きな湖底洞窟。
中に住うは…
シャンクスの興味は、一気にそちらへ注がれた。
先ほどシャンクスが見たと言う、蛇の姿。
想像以上の大きさの蛇に、ブーツに戻したナイフをゆっくりと引き抜いて。
しかしシャンクスは恐れも無く蛇へ近付いていく。
外敵の存在を知らないのか、蛇は攻撃性の無い目をシャンクスに向け、
そしてスルリと横切っていった。
何かするつもりだったのか、シャンクスは少しつまらなそうな表情で、巨大蛇を見送る。
その尾に触れようと近付くシャンクスの頬に、蛇の表皮の感触。
左の頬を伝わり首、右の肩から触れようとのばされた腕を撫で、
蛇はどこかへ行ってしまった。
名残惜し気に腕をのばしたまま見送るシャンクスの肩を、軽く叩く。
洞窟は、湖と違い、わずかに濁っていた。
入り口付近は岩に囲まれている洞窟に、土独特の濁り。
水にも、かすかな土の味。
そして…
…金が含まれいるのか…?
シャンクスもそれに気付いたのか、にんまりと口の幅を広げ、水を蹴る力を浮力に乗せた。
息継ぎをして、洞窟を探検しに行こうと言う魂胆だろう。
…やれやれ………
息継ぎに上がれば、すぐ隣に顔を出していたシャンクスは、
こちらにお構い無しに水中へと潜っていく。
肺一杯に酸素を取り込み、水中へと沈んだ。
先を行くシャンクスは、こちらの姿を確認するや否や、
洞窟の天井に手を触れ、奥へ奥へと進んで行く。
同じように天井に手を触れ、岩の感触を確かめ進んだ。
いつしか硬い岩は柔らかな土に変わり、そして差し込む光を確認した。
振り返り上を指差すシャンクスを片手で制し、先に様子を見に行く。
壁に不規則に並んだ炎が見えた。
火が燃え広がらないところを見ると、ガスの心配は無い。
水面から顔をあげれば、人一人生活できる程度のわずかな空間。
壁から抽出されるガスが、炎を燃やし続けているようだ。
天井に空けられた幾つかの小さな通気口と、中央の大きな通風口から、
人工の洞窟と思われる。
突然、足を引かれた。
「…ッ遅いッ! 待ちくたびれ…」
顔を出したシャンクスの雰囲気が、一瞬にして変わった。
「………隠れ家か…」
「だろうな」
悪戯好きな子供の表情から、冒険を好む海賊の表情へ。
何一つ見逃すまいと尖らせた視線に、一つの大きな箱が写った。
腕一本で器用に地上へと体を乗り上げたシャンクスは、その箱に触れる。
「宝箱…じゃァなさそうだな…」
箱には、湖に繋がる管が出ていた。
「あァ…管の位置からして、水か、水より重い気体を湖に流す装置だ」
言いながら水中より脱し、辺りを見回す。
箱と、炎以外に何も無い。
その事実に疑問を持ちながら、炎の元へと歩む。
「見事な造りだ。
 本来足下に充満するはずのガスを抽出口で全て燃やし、通風口から換気を…」
そこまで言って言葉を止めた。
その視線の先を同じように見上げ、シャンクスは思った疑問を口にする。
「ありゃァ…何だ…? 雨どいか?」
「だな。他にアレで集められるような物はねェ」
シャンクスが雨どいと称した物は、
そこに集められた物が管を伝い、箱に流れる仕組みになっていた。
「ろ過機…か。しかし、雨は湖にも降る。コイツは…何のために…」
「やっぱこう言う場合、開けてみるしか無いよな!」
嬉々として手をのばすシャンクスの腕を掴んで止めて。
「俺がやる」
真剣な表情で、そう言った。
もしも万が一何かがあった時、この人に怪我を負わせるわけには行かない。
もう、これ以上…
その意志が通じたのか、不満ながらも手を引いたシャンクスは、一歩後ろへと下がった。
箱に、鍵はかけられていない。
代わりに、釘で打ち付けられていた。
ナイフを板の間に入れ、中に何かトラップが無いか確認する。
ただ打ち付けられただけの板だと言う事がすぐに解った。
それを告げようと振り返れば、目を輝かせ駆け寄るシャンクス。
その目の前で、板の上部を引き剥がした。
「は…あっはっはっ!? なんだこりゃ!! 無用心なヤツだな!!」
中には、色とりどりの…
「普通もっと頑丈な宝箱に鍵かけて置いとくモンだろ!? 宝石ってのは!!」
「偽物…でもなさそうだな…妙だぜ、これは」
手にとったターコイズは、赤ん坊の握りこぶし程の大きさ。
それと同じような大きさの各種宝石が敷き詰められていた。
「下の方に行くにしたがって、石の大きさが小さくなってやがる…」
下には親指の爪ほどの大きさに、あえて削ったような宝石。
最下層に敷かれた砂金を避けると、その下には布が張ってあった。
「本気か…? 宝石をタダのろ過装置として使うなんざ、正気の沙汰じゃ無いぜ…?」
問うように宝石から視線を上げれば、心なしか嬉しそうなシャンクス。
「これを作ったヤツにとって、宝石はその程度の価値しかなかったんだろ…」
好きだな…そう言うヤツは………
呟いて、目を細めた。
その表情に。
思わずつられたように口元を緩ませ、そして気付く。
「箱の大きさの割に、浅くねェか…? この布の位置は…」
箱を覗き込んでいたシャンクスは、片方しか無い腕を箱に入れ、指先を布に触れる。
箱の外側から横を覗き込み、そして目を大きくした。
「この箱、まだ下があるのか!?」
その場に置かれただけかと思っていた箱は、土を彫り、埋められている物だった。
二人顔を合わせ、同時に、口元を上げた。
考えている事は同じだった。
「こいつを剥がすぞ!!」
シャンクスの言葉に、大きな両手が宝石を片側に寄せる。
布を、打ち付けた釘から引きちぎり、めくり上げた。
「…これは………」
中には、黒く小さな魚が数尾…
それが見る見る深い青に変わり、そして、淡い青に…
「すぐに、閉めた方が良い」
低い音が響いた。
シャンクスも同じ事を考えていたらしく、開けた布を再び元の位置に戻した。
「この装置無しでは生きていけない魚なんだろう。これを作ったヤツは、よほど…」
「あァ…よほど、こいつらを守りたかったんだな…
 これだけの宝石を、ろ過機にしちまうほどに…」
シャンクスは、ひどく優しい目で、その装置を眺めていた。
そして。
「…なァ、釘、持ってるか?」
「俺も、そいつを考えていたところだ」
「一走りして、船から取って来ても良いか?」
「けっこう、重てェんだがな。こいつを支えてるのは」
そんな苦労を知ってか知らずか、
剥がした布を釘の打ち付けられた梁の上に宝石で固定させたシャンクスは、
「すぐに戻る!!」
そう言い残して、湖へと消えた。
腕の痺れは、気付かない事にした。

この島の、すぐ近くにあったもう一つの島…
廃虚の島に残された一冊の書物を思い出した。
その書物には、たった独りで無人島に渡った、生物学者の事が僅かに記されていた。
憶測の域ではあるが、多分その島に渡りついた人間達が、
その島をこの魚が住めぬ環境に作り替えてしまったのだろう。
その生物学者は、自然に出来上がったろ過装置の元でしか生きられない
魚の存在を知り、その水の成分を研究し、
これらの宝石によってろ過された水が最も近い物だと言う結果を出した。
変化しつつあるその島で、この魚が生存し続ける事は不可能だと悟った生物学者は、
近くの無人島へとその魚を移動させたのではないか?
すべての財産を注ぎ込んだ、このろ過装置とともに。
その書物には、数百年前の日付けが書かれていた。
この魚達は、その生物学者の死後も、繁殖を続けていたに違い無い。
その意志に、守られながら…

翌朝。
徹夜で作業を終えた二人は、日が昇る頃に、キャンプ場へと帰って来た。
全身びしょ濡れで。
パラソルの下に辿り着くや否や、
濡れた服を着替えもせず曝睡モードに入ったシャンクスを横目に、
現在、暖かな気候を保ち続けているこの島に、感謝する。
パラソルの下から、声が聞こえた。
「良い宝が、手に入った様だな」
ついさっき確認した時には腕を組み、目を瞑っていたはずの鷹の目の男が、
身支度を終えて立っていた。
「あァ。…帰るのか? 悪かったな、ロクなもてなしも出来ねェで…」
「いや、もてなしは…」
手元にある空のビンを、放り投げる。
「そいつと…そこで寝ている男の満足そうな顔で十分だ」
含んだ笑みで長い上着を翻し、彼の船へと歩む。
船に乗り込み、ふと、振り返った。
「銃は、どうした?」
その言葉に。
「生きてるぜ。湖の底で」
「…そうか」
僅かに目を細め、口元を上げると、ミホークは船を出す。
しばらく見送り、それから、大きな岩に腰掛けた。
朝日の半分が顔を出し、朱に染まりゆく海原に、思いを馳せる。
また一つ、知られざる事実が繋がった。
廃虚の島に残された書物と、この島に残された宝。
この船に乗っていると、いつも、思う。
今ここで、新しい『ひとつなぎの秘宝』が、生まれているのではないか…と………。


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