他人に対する幾つもの思い



オーストラリア産、アルコール度50%のバーボン。
甘く溶けるようなねっとりとした舌触りと、焼けつく喉ごしを楽しむ。
音楽というよりは、さらにエフェクターにかけられたノイズ。
と言う名が最も相応だろうと思われる音の流れの中、
それとは対照的な無口なバーテンダーの斜向かいで、
ランチはうつむき、グラスを傾けた。
EL−115。
その音と、熱と、せわしなく移動する人工的でカラフルな光を遠くに眺め、
雑踏の中の孤独を楽しんでいるような、うっすらと微笑んだ口元。
「また、来てくれたのかい?」
サングラスに、定期的に幾度も反射する照明を遮る人影に、声をかけられる。
「まさかアタシに惚れて、毎日通ってる…って言うんじゃないだろうねぇ」
「…馬鹿言うな」
喉で、笑う。
その男臭い笑い方に、アルファは目を細めた。
やせた頬。細い鼻筋。そのシャープなシルエットで遠くを見るようにランチを見る。
高すぎるカウンターに背中をもたれ、視界の端にほんの少しだけ彼の姿を写すような視線。
ひどく、淫靡な感じで。
「…気に入ってんだよ…ここが」
黒く光るカウンターを、さして伸びてもいない爪で、軽くたたく。
溶けかけたグラスの氷の崩れる響き。
その透明な音。
ここだけ、違う世界のようで。
それを壊すようにグラスの中の香り立つ液体を飲み干し、
長身のランチでも地面に足が届かない、固定され、回転する
背もたれの小さなスツールから飛び降りた。
軽く回った酔いが、地面に付いた足からじんわりと浸透する。
「…もう少し、飲んでいけばいいじゃない。おごるからさ」
アルファはその位置から微動だにせず、ふせたまぶたを薄く開け、
ランチが羽織ったコートの裾を、濁ったような生気の無い目で眺めた。
「…待ってるヤツが居るんだよ」
その表情のない声に。
「ずいぶんと嫌われたもんだねぇ」
そう、おどけて見せる。
自分がサングラスをかけているにもかかわらず、
決してアルファの目を見ようとしないランチ。
ランチがサングラスをしているにもかかわらず、
決してランチの目を見ようとしないアルファ。
「…下手に期待を持たせるくらいなら、その方がいい」
少し、ぎょっとした。
この子の目には、いったい何が、どこまで映っているのか。
「…また、来てくれるんだろう?」
「…あぁ」
またな。
そう言って、コートの裾をはらませ、後ろ姿で手を振った。
初めて、視線を上げるアルファ。
彼が振り返らない事を、良く知っているから。
あっと言う間に人波に飲まれていく背中に、
まるで後ろ姿にすら視線を送る事を許されないような。
決して求められる事の無い、悪く言えば、拒絶されている、実感。
「馬鹿よねぇ」
後ろから腰に手を回される。
「…そうだねぇ」
ひどく大切そうに背中から抱きしめて。
「人の世話ばっかり焼いちゃってさぁ。いざ自分の事となるとこれでしょぉ?」
スプーキーの思い。ランチの思い。
「もうちょっと、自分の事ばっかり見なさいよぉ」
アルファは、ランチが消えた一点を見詰めたままだった。
その、冷たいまでに冷めた目のまま。
「ホント、器用じゃないんだからぁ」
ホント。
誰一人として器用な人間なんかいない。
アルファの思い。そしてベータの…。
肩に乗せられたベータの、自分と同じに痩せた頬に、手を伸ばす。
視線は、そのまま。
「…自分の事しか見てないから、不器用なんじゃないのかい?」
可愛い坊やと、愛しいあの子と、そして最愛の…
「まったく。双子って、嫌よねぇ」
その手のひらに口付けて。
独り言のように。
「ホント、嫌んなっちゃうわよ」
人も、明りも、音楽も届かない、カウンターの最も奥の席。
彼が、いつも居る所。
そこに立って、彼の目線で、必死に共感できる物を探らなければ何も共感できない、
愛しい愛しい赤の他人。
遠くの物ばかりを追いかける事が馬鹿げた行為だと思えれば、
こんな思いはしなくてすむのに。
「少し、飲む?」
その問いかけに、アルファは首を横に振り、
どんよりとした目と同じ種類の声で、こう、言った。
「…50度のバーボンでも、酔えない時だって………あるだろう?」



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