倭歌<ヤマトウタ>


セリ、ナズナ。
「ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ…それから…」
「スズナ、スズシロ。ゾロも食べたでしょ?」
獣道は、くいなの道。
勝手知ったる裏の山を、くいなはざくざくと歩いていく。
その後ろを、ついて行った。
「スズシロは食った」
「ハハ! 大根のお味噌汁、ゾロ好きだもんね」
獣道の途中に、キイチゴがなっていて。
それを見せてくれると、くいなは言った。
見たことのない、木の実。
「スズナはカブなんだよ、知ってる?」
「カブは酸っぱかった」
「それ、お漬け物のカブでしょ」
笑うくいなの息は切れない。
自分だけへばっているのが悔しくて、無理をして、声を張った。
太陽は、だんだんあったかくなっていって、たくさん歩けば、汗をかくほど。
気付かれないように額の汗を拭いて。
引っかかった木の枝で、ひじを切った。
「…つッ!」
その声に、くいなは振り返る。
傷を見せないように、慌てて腕を背に隠した。
「見せて」
「なんでもない!」
後ずさるその腕を取って。
「毒のある木もあるんだよ? どの枝で切ったの?」
取られた腕から目をそらすように、腕を切った枝を眺めた。
「これ?」
「痛くないから大丈夫だ!」
腕を引っ込めようとしても、手を離してくれない。
「これなら、大丈夫だとは思うけど」
くいなは手拭いを取り出して、血のにじむ傷口をしばる。
「前に山で手を切って、それで熱が出たことがあったんだ。
 小さな傷をバカにしちゃダメだよ」
しばった傷口を軽く叩いて。
「行こ! 痛くなったら、すぐに言うんだよ?」
「痛くない!」
「嘘つきは閻魔様に舌を抜かれるんだからね」
「痛くないから嘘じゃない!」
本当は、少し痛かった。
でも痛くない痛みだと。
痛いとは言えない痛みだと思った。
だから、痛くない。
「本当だぞ!」
「うん。ゾロは強いからね!」
歩き出すくいな。
強いと言われて、少し、嬉しくなった。
切れた息も、元に戻った。
元気になった。
だから、走った。
「遅いぞ、くいな!」
「よぉし! 迷子になっても知らないからね!」
くいなも、走り出す。
すぐに追い抜かれた。
真上に登るような急な山道も、くいなは草を掴んで登っていく。
真似をして掴んだ草は、すぐに抜けて。
何度か落ちそうになった。
くいなの掴む草は抜けない。
同じ草を掴んで登っていくうちに、抜けない草を覚えた。
くいなは、いろんな事を知っている。
七草だって、くいなに教わった。
でもまだ、スズシロしか見分けがつかない。
覚えようとして畑から引っこ抜いて、先生に怒られた。
だから覚えた。
くいなは母さんがいないから、抜いた大根はくいなが料理した。
別に、大根の味噌汁が好きなワケじゃない。
でもそれは、うまかった。
山道は少しなだらかになって、風は少し、湿っぽかった。
「もうすぐだよ! 頑張れ!」
前を行くくいなとの距離が、少し離れてきている。
もう汗を拭く余裕のなくなった疲れた身体で、無理をして走った。
「…疲れてなんかッ…ないぞッ!!」
くいなは笑う。
「うん。もう、すぐそこだよ!」
指を指した先には、細い木に絡まるツタが見えた。
開いた葉っぱの間から、赤い実が見える。
「疲れてるから、甘酸っぱい実がすごくおいしいんだ!」
「疲れてないぞ!!」
「そう? 私は疲れちゃった」
そう言って、くいなは走る。
疲れたと言いながら、まだ元気のあるくいな。
悔しくて、毎日もっと走ろうと思った。
重たい足でベタベタと走って、止まったくいなに追いつく。
くいなはいくつか赤い実を取っていて。
その実を一つ、差し出した。
カラカラの喉から唾が出るほど、その実がおいしそうに見える。
「食べても大丈夫だよ」
くいなはそう言って、実を口に運ぶ。
食べたことのない実だったから、少し怖かった。
梅干しみたいに酸っぱいかもしれない。
干し柿みたいに甘いかもしれない。
どんな味がするのか、全然わからなかった。
でも、くいながおいしそうに実を食べているので、目をつぶって口に放り込んだ。
プチンと弾けた実から、酸っぱい味が、口に広がる。
驚いて、肩が跳ねた。
でもそれはすぐに甘さに変わり、驚いた顔のまま、残った粒を噛み砕いた。
その顔に、くいなは笑う。
「おいしいでしょ」
おいしかった。
首を大きく頷かせて、くいなが立っている所の反対側にある実を
いくつか掴んで、口に入れる。
疲れがとれていくことに気付かないほど、夢中で食べた。
手が赤く染まり、だから、ひじに巻かれた手拭いにシミがついていることに気付いた。
くいなの手拭いだから、汚しても大丈夫なのか心配になって、振り返る。
「くいな」
呼べば、すぐに振り返った。
「なに?」
「こ…れ………」
顔に、血が上るのがわかった。
急に照れくさくなる。
唇が赤く染まったくいなが、妙に大人びて見えた。
気恥ずかしくて、そっぽを向た。
「どうしたの?」
横から覗き込んでくるくいな。
慌てて、両手で押しやった。
くいなの両肩には、真っ赤な手形が二つ。
自分の手を見て、しまったと思った。
手のひらから、くいなに目を移す。
くいなは指をさして笑っていた。
「あっははは! ゾロ、山姥みたいだよ!!」
自分の口も真っ赤になっていることを言っているのだと気付き、口元を拭った。
「今度は口裂けになった! 口裂け!!」
腹を抱えて笑い転げるくいなは、自分の手で服を真っ赤にしている。
「くいなだって山姥だぞ!! 服だって真っ赤じゃねぇか!! 赤マントだ!!」
「ゾロだって…!」
真っ赤な手をゾロの服に擦り付けた。
「あぁッ!!」
「ゾロだって赤マントだよ!」
「クソッ! やったな!?」
手に持っていた赤い実を、くいなに投げつけた。
「こっちにだって…!」
手に山盛りのキイチゴは、ゾロに向かって飛んでくる。
「いっぱいあるんだぞ!」
「こっちだってまだまだ…」
慌てて実を摘む背中に、くいなは次々と実をぶつける。
「ハハ! 背中の傷は剣士の恥だよ!」
「背中にぶつけるなんて卑怯者だ!!」
両手いっぱいに摘んだ実を投げつけ。
顔に向かって飛んできた実に目をつぶるくいなに、さらに追い打ち。
「どうだ! 二刀流だぞ!」
「いっぱい投げたって当たらなきゃ意味ないよ!」
両手で防いで、足下に摘んであった実をすくい投げる。
「ぶっ…!」
「ほら! 眉間に当たった!」
「クソッ! おれだって当ててやる!!」
気が付けば日が傾く頃まで飛び交うキイチゴは止まず。
勝負はひとまず晩御飯の時間により、引き分けに終わった。
真っ赤になった服は、キイチゴで染めようと、くいなが言った。
「その手拭いも染めよう! キレイに染まったら、ゾロにあげるよ!」
ゾロのシャツの下の方をしばって袋にして、キイチゴをたくさん摘んで。
山を下りた頃には、太陽はほんの僅かしか見えなくなっていた。
道場では先生が待っていて。
真っ赤に染まった二人を見て、いつものように眉を寄せて笑って。
染め物用の道具も、全部使わせてくれた。
でも、大失敗に終わった。
「ハハハ…すごい色になったねぇ…」
「もう! ゾロが草なんか入れるからだよ!」
「なんだよ! 赤と緑の両方だったら良いって言ったのはくいなだぞ!!」
「だからって同じ鍋に入れるから真っ黒になっちゃったじゃない!」
「まぁまぁ、乾いたら少しは色も変わるから、きっと良い色になるよ」
…乾いたら、もっとすごい色になった。
また、くいなとケンカした。
でも手拭いは、もらうことにした。
嫌いな色ってワケじゃなかった。
好きな色に、なるかもしれない。
すこし、キイチゴの匂いがした。



桜の花が咲いた朝に、くいなと出会って。
桜の花が散った晩に、くいなは死んだ。
竹刀で叩けば毛虫が落ちる、緑一色になった桜の木。
キイチゴの、なる季節。
海に出ることを、決めた。
だから最後に、あの山道を行く。
まだ酸っぱいだけのキイチゴを、口いっぱいに。
頬の内側がツン…とする。
酸っぱいんだから、仕方がない。
誰に言うともしれない、自分だけの言い訳。
手のひらでつぶしたキイチゴを、額に擦る。
冷たい感触。
…ほら! 眉間に当たった!………
遠くから聞こえる声。
耳は貸さない。
静かに、山を下りた。
もう、息は切れない。
ぜんぜん、疲れてなんかいない。
だけど。
三本の刀は、小さなゾロが背負うには、重たかった。
その約束は、小さなゾロが背負うには、重たかった。










顔を上げなきゃ、地平線は見えないよ

そう言って、くいなは、笑う

山に沈む太陽に別れを告げて

海に沈む太陽と、旅に出る

息を切らして追い掛けた

もう追いつけない、影に

約束を果たすまで帰らない

そう、誓って


海はキイチゴを潰したみたいに 赤く 赤く染まる



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