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スプーキーは寝ぼけていた。 その髪型まで寝ぼけた頭の中は日常の回転数と比べはるかに下回っていて、 何の気無しにキーボードの前に座り込んでもまだそれに気付かないでいた。 モニターにはDLしたサマナーネットの最新データ。 …あぁ、彼が来ていたのか… 取り合えずそのモニターいっぱいのブラウザを小さくしようとキーボードに手を伸ばし、 ぎょっとして立ち上がった。 「なっ…!?」 何でこんな所に…!? それが何であるかくらいは、スプーキーも知っていた。 真っ白い布地。細いストラップ。半球体のパット。 そこから伸びる少し幅のあるベルト。先端のホック。 知らない事と言えば、羽…と言うより翼。と言った感じの物体が 斜め後方に広がっている事くらい。 しかし、知っている。とは、あくまでも知識にあるだけであり、 こうも間近に目の当たりにした事もなければ触れた事も無い。 「………」 とりあえず落ち着くためにタバコに火を付け、何度か吸い込み大きく吐き出した。 頭の中では先ほどよりは少しマシな程度だが考えが巡らせられる。 彼が来ていたと言う事はヒトミちゃんも来ていた可能性が高い。 スプーキーズでこれを必要とするのは 「そう言ったシュミ」が無ければヒトミちゃんだけのはずである。 …まさかシックスやユーイチが女性である可能性は…多分無いと思いたい。 ランチは論外だし… 「…なに硬直してんだ?」 背後からかけられた声に、文字通り飛び上がった。 「ら…ランチ…」 「よぉ」 ランチは、いつ落ちるとも知れないタバコの灰が気になるらしく、 タバコの先端ばかりをちらちらと眺めていた。 「あぁ…」 スプーキーが慌ててその灰を灰皿に落す様を目で追って、 その隣りにあるキーボードの上に乗っている物にようやく気付く。 「…リーダーのか?」 ランチはサングラスの下の目を細め、眉を寄せた。 「…っそんなわけないだろう?」 声が動揺している事が自分でも理解できる。 「…少なくとも、僕の物では無いよ」 自分が動揺している声に更に動揺して、 今度は意識して落ち着いて、ゆっくりと言葉をつづった。 でもたぶんその意識した声は、意識した声としてランチに届いている事だろう。 しかし、その内心慌てふためくスプーキーをたいして気に留める様子も無いランチは、 「じゃぁ、ヒトミちゃんのじゃねぇの?」 そう、当然行き着く簡単な予想を口にした。 それはスプーキーも考えていた事だ。 「でも、ヒトミちゃんは最近黒ばかりだよ」 そうだ。だからヒトミちゃんの物である可能性をあまり肯定できなかったんだ。 「…あんたも、そういう所けっこう見てんだな」 何かを含んだ声色に、パっとランチの顔を覗く。 男性特有のニヤつきを隠そうともしない。 「…っ見ようとして見ているわけじゃないよ!」 「なに焦ってんだよ」 率直に指摘されて、これ以上言葉を返すとさらに掘るだろう墓穴に、 タバコを深く吸い込んだ。 「まぁ、確かに最近のヒトミちゃんが付けそうなシロモノじゃねぇよな」 「なんだ、君だって見てるんじゃないか」 「そりゃ男ならだれだって目に入るだろ?」 全く悪びれる様子の無いランチ。 じゃぁ僕が見ていたって何もおかしな事はないじゃないか! そう言ってしまいそうな口元を、タバコで塞ぐ。 その言葉に次いでランチが何を言うかは容易く想像できたし、 それによって自分が更に墓穴を掘るだろう事も、容易く想像できた。 「…こんなものついてたら、下着にはなんねぇだろうな」 ランチは、ひょいとその翼の部分に手を触れる。 少しドキッとして、慌ててその言葉に返答した。 「水着…じゃないよね」 服の下に着込むには明らかに不便な翼に、下着としての用途は見出せない。 「水着って感じの生地じゃねぇよ」 躊躇も無くそれに触れるランチの手が、やはり気になる。 「あまり、触らない方が良いんじゃないかな」 「何でだよ」 ランチに顔を覗き込まれると、この不純な心中が暴露されているようで。 「…いや、意味はないよ」 少しうつむきぎみだった顔をあえて持ち上げ、ランチの目を見て、微笑んだ。 ランチは、喉につかえたような声を漏らす。 その歪んだ口元から、笑われている事が認識できた。 「全くの第三者がここに侵入し、これを置いて帰っていった… と言うのは、さすがにありえないだろうと思っただけだ」 実に言い訳がましいが、そう考えていた事も事実。 「イタズラじゃねぇの?」 イタズラ? これを発見した誰かが、それに対してどういった行動を取るかを見ようというのだろうか? だとすれば、それを仕組んだ誰かがこの様を覗き見しているのが当然だろう。 しかし、誰かが隠れている様子は無い。 とすると… 「俺じゃねぇよ」 ちらりとランチを目の端で見て、目が合いすぐに否定される。 確かにランチがこう言った非生産的なイタズラをするようには思えない。 「おおかたユーイチあたりじゃねぇの?」 「モニターいっぱいにサマナーネットを広げてかい?」 「でもあいつはそう言ったくだらねぇイタズラはしねぇだろ」 それ以前に、彼が仕組んだイタズラならモニターには別の物を広げるに違いない。 「…でもユーイチがこう言った…下品なイタズラをすると思うかい?」 「まぁ、な」 確かにユーイチはイタズラ好きだが、 育ちが良いせいかこの手のイタズラをするような感じはない。 日ごろからユーイチのイタズラを馬鹿にしたような言動をとるシックスも、違うだろう。 「…ヒトミちゃんか?」 「あぁ、確かに。最近のヒトミちゃんなら考えられなくも無いけど…」 女の子にこういったイタズラはあまりして欲しくない。 しかし、物品の購入は容易いだろうし、 最近のヒトミちゃんの行動は予測できない所がある。 …ヒトミちゃんか……… 「しばらくこのまま放っておこうぜ?疑ってかかってたらキリがねぇよ」 「え…でも……」 シックスやユーイチにはあまり見せたいシロモノではなかった。 「あいつらの方が、少なくともあんたよりは免疫あると思うぜ?」 憎たらしいイヤミに、スプーキーは少し顔をしかめる。 もっともなだけに反論したくなかった。 反論した所で、あげあしを取られるのがオチだ。 「じゃぁ、少し待ってみようか?」 タバコを揉み消し、ソファーベッドへと移動する。 体を投げ出すようにソファーに腰を下ろしてしまい、しまった…。そう思った。 「なに怒ってんだよ」 そう思われても仕方が無い。 げんにその行動で、自分の心中を自覚した。 「別に怒っているわけじゃないよ」 隣りに腰を下ろすランチに、出来るだけ穏やかに否定の言葉を述べた。 ランチはまた喉の奥で音を漏らすと、 「そうか?」 とだけ言って、ソファーの背もたれに身体を深く沈み込ませ、 軽く足を組み、目をつぶった。 何本目かのタバコが灰皿を埋めた頃、彼は現れた。 「忘れ物をした」と飛び込んできた彼は、キーボードの上にあるそれを鷲掴みにして、 そのままの勢いでトレーラーハウスを飛び出していった。 一陣の風だった。 片目を薄く開いてその様子を眺めていたランチは、 「…意外だな」 と独り言のような音を漏らす。 意外だった。 人のシュミにとやかくケチを付けるつもりはないけど… 「…まさか彼が……」 「まぁ、いいけどよ。あいつがどんな趣味を持ってようと、実害はないしな」 確かに実害は無い。 偏見を持つつもりも無い。 彼を温かく見守ろうと言う決心だけが、スプーキーに強い表情を作らせていた。 大きな誤解の中、小さな疑問が脳裏をかすめる。 …やはり彼はあれを身につけるのだろうか…? 物質的な想像力の無さが、今のスプーキーの唯一の救いだった。 |