「彼氏彼女の事情」のページ

最終更新日(h18.6.25)

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Contents of this page

第1話を見て

彼女の事情

彼氏の事情

浅葉 秀明という人物

仕切る女・暴走する女

幸福ということ





エヴァンゲリオンの庵野秀明監督&ガイナックスの作品

テンポが良くて元気なアニメです。

津田雅美さん原作の漫画は、白泉社月刊ララに人気連載中の作品です。

〜休み時間の呟き〜 過去ログ
≪Act18をみて≫
 雪野 :「ルンルン♪」
 浅葉 :「よ、宮沢、ごきげんじゃん」
 雪野 :「あ、あさぴんじゃない♪」
 浅葉 :「お前、なんかあったのか?」
 雪野 :「ふ、ふ、それは有馬とね・・」
 浅葉 :「ああ、俺の有馬になんてことすんだよ〜、それに世間がうるさいぞ〜」
 雪野 :「俺の有馬って・・あんた(^_^;)」
 有馬 :「二人の事だ、お前には関係無いだろう」
 浅葉 :「有馬まで・・」
 雪野 :「大切なのは二人の気持ちよ・・そりゃ世間はうるさいけど関係ない事よ!」
 有馬 :「うん、そうだね、こうゆう行為は本来神聖なものだと思うよ、そういった意味で歪んでいるのは世間のほうかもしれない」
 浅葉 :「・・・そうかもな」
 有馬 :「価値観そのものの堕落が世の中蔓延してるよね、・・誰が悪いってわけじゃないけど」
 雪野 :「自分というものを失わない強い意思が必要だよね、流されちゃダメって気がする・・・。」
〜お気になキャラ〜 浅葉 秀明
    通称「あさぴん」
    「天真爛漫」ってこうゆうのをいうのかなって性格である。
    メリーゴーランド化計画って発想もおもろいし♪
    本編では、自然に間をはずすという感じの役割を持ったキャラクターであるが、彼の出てくる場面はその意味以上にどれもとてもおもしろくてたまらないです♪
    いつまでもイージーに生きて欲しいキャラです♪

     ⇒あさぴんな♪お部屋

〜お気になキャラ〜その2 井沢 真秀
    この方も愛すべきキャラクターです。
    カレカノのキャラの中で、もっとも人間くささを感じるのも彼女です。
    冷静に自己を分析しながら、それでいて自分の激情に負けてしまうあたりや。
    いやいや言いながら結局付き合うあたりが・・
    ほんとは、自分に正直なんでしょうね♪
 第1話を見て
    エヴァンゲリオンの監督の作品というだけで、別に期待はしていなかったというのが実際のところである。もっとも、少女漫画のアニメで、気に入ったのは今までに「花より男子」ぐらいなのだというバックグランドがあるが・・。

    しかし、第1話を見てかなりいけてる作品だと感じた。主人公のキャラクターがかなり面白いし、ノリがよくそれでいてドタバタとした感じは受けないし、内向的な心理描写とのバランスがとれている。なるほど、エヴァンゲリオンから、重苦しさとロボット?ものであることを差し引いたらこんな感じの学園のもになるだろうな、と冷静に思い返すと感じる気がします。
    つまり、この作品を見たら、感受性の強い人なら監督はエヴァンゲリオンと同じだという事は、知ってなくても薄々感じるんじゃないんでしょうかね?!(僕は自信ないけど)

    庵野監督の作品では、特に間の継ぎ方が好きだ、なんとなく意味のない景色(あるかもしれないが)を自然に流す感じがいい、こういったやり方は、他では押井 守監督の作品(こっちの方が、個人的には、そうゆう部分の使い方はもっと上手いような気がする。でも心理描写は庵野監督のほうが上手いけど)ぐらいでしか見かけないし、その両者も基本的にはぜんぜん違う気がするけど・・。

    話がそれたけど、ともかく、この作品はなかなかいけてます。これからも、見てなにか感じることがあったらどんどんこの document は拡張するつもりです。

 彼女の事情
    人は、特に幼いうちは、純粋に誉められることが努力の源になっていることは周知の事実であり、そしてそういった誉められることによって正しい精神の発育が進むのである。よほど酷い家庭に(あまりこんなこと言って良いかは分からないが)育った人で無い限り誰もが経験してきたプロセスであろうと思う。
    誰もが人に認められたい、人より優れた存在でいたいと願いそして努力したことがあるだろう。
    そして、自分の限界に気づいたり、自分を作ること(向上させること)に疲れ果てたときにその努力を止める。そしてそんな自分に妥協する。
    「努力することも才能」とはよくいったものである。宮沢 雪野にはその才能があったのである(本当に優秀なやつはこれを持っている、決して頭が良いだけではない)だから、ただ誉められたいという欲求だけで走り続けられた彼女を見て凄いとしか言えない。
    家で、気を抜いていて何が悪いのだろうか?
    外面と内面が違うことがそんなにいけない、そんなに恥ずかしいことなのだろうか?

    僕は、自分の経験から思う、
    僕は過去にやはりそう思っていたそして努力し続けることに疲れたとき、自分を作らないでいいように努力して作り上げた自分に普段の自分を同一化しようとした。当然そこには妥協も生まれる。だから自分を切り取るようにして無理の無い自分の姿を作ったような気がする。
    たしかに、裏表の無い自分がそこに生まれた。そしてそれは、がむしゃらに努力することを忘れてしまった自分でもある。

    ちょっと極端な例だったかもしれない。でも、宮沢 雪野みたいなキャラクターの人がいれば凄いと思ってしまうだろうし、その凄さから見たら外面と内面が多少違っていること自体些細なことだと思う。(すぐにとり返せるようなことでしかない)
    自分を自己肯定できる人間は強い、その上で自己嫌悪し自己批判できるのだから宮沢 雪野はさらに強い人間である。 彼女の事情、それはある意味贅沢な悩みかもしれない。

 彼氏の事情
    彼氏の事情・・・、これは僕の予想を遥かに越える重いストーリーだった。
    両親が世間的に見てどうしようも無い人だったという事実。子供だからわからないと思って、総一郎もろくな大人にならないと面と向かって言うような親戚。そして養子であるという事実。
    彼が、なぜ「良い子にならないといけない」と自分を追い込んだかは容易に想像できる。総一郎の今の両親はすばらしい人物である。でも、すばらしい人物であればあるほど彼は努力して立派な人物にならなければ家族でありつつけられないような気がしていたんだと思う。彼は本当に今の両親を愛しているのだろう。・・・そして、心の底では本当の両親も(何と無くそう思うだけだが)
    総一郎が、雪野に「ろくでなしに成るわけにはいかない、父のためにも!、母のためにも!」と叫ぶ場面がある。その言葉には彼の今の両親への気持ちがあふれている。そして、その裏に実の両親に対する気持ちもあると思う。(想像だけど)だって、実の親だもの!どんなに人から馬鹿にされても、自分自身がその血をひいている事を憎んでいても、自分自身が立派に成ることでその両親の血に対する偏見を振り払いたかったんだと思う。

    総一郎は、雪野と会って、今までの自分自身と信じていたものは本当は、作られたもので本当の自分では無いのかもしれないと感じている。では、自分自身って何なんだろう?僕らが何気なく、自分てこうゆう人間だと思っていられるのも、何と無くもう一回人生をやり直してもやっぱりこう行った人間(多少の差違はあるが)になるんではないか?と感じてるからじゃないでしょうか、それは、僕らを取り巻いていた成長環境は安定したものであることがあたりまえで、環境こそが人の人格を形作るものだからである。だから彼が、そう感じていたのは、彼の育った環境が安定したものでなかった表れだと思った。

 浅葉 秀明という人物
    浅葉 秀明という人物は、本質的に自分に素直な人物なのであろう。
    でなければ、あのように目的に対して短絡的な手段を用いたりはしないであろうし、その目的に邪魔な雪野をあからさまに攻撃したりはしないだろう。
    彼は、有馬を利用しようとした。利用できるものは利用する、その事自体彼にとっては至極当然の手段であると彼は思っていたのだろう。
    人の思考はそれまでの人生の歩みを映すもの。彼自身いままで誰かに今の有馬のように利用される人生を送ってきたのであろうと考えられる。彼には本当に利害なしに彼の側にいてくれる友人ってのがいなかったのだろう。(本当はいたのかもしれない。でも人は、嫌な思いをした時、それまでの何もかもが信じられなくなるものである。彼は、本当に掛け値なしに友達でいてくれた人まで否定してしまったもかもしれない・・なんかもしそうだったら悲しい事である。)
    どうして人は自分を解ってくれる人間の存在を望むのであろう。確かに人が人間たりうるのはその漢字が示すとおり、相手があってのことである。でも、そんな根源的な事がこの問いの答えであるのだろうか・・・?(僕には難しすぎてわからない。)
    ただ、偽りの友達(付き合いと言うべきか?)と、本当の友達の間はほんのわずかな隙間の違いでしかないのではないだろうか?別に遠くにいたら友情が育めないと言うわけではないが、やはり人は近くにいる人と友情を育むのが自然であろう。たとえ打算があって友達になったとしてもそれが本当の友情に変わるこの方が多いんじゃないかと思う、だって近くにいれば相手のいいとこも悪い事も見えてくるものなのだから・・。
    彼は打算を持って有馬に近づいた、でも彼は有馬に突き放されたとき(いや、有馬から彼と雪野の関係を聞かされたとき)打算ではなく本当の友人としてありたい自分に気づいたのではないだろうか。
    そう本当は、彼もずっと本当の友人ってものが欲しかっただ。そう考えればその後の彼の雪野や有馬に対する態度の変化も解る気がする。
 仕切る女・暴走する女
    僕は男であるから女の世界はよく解らない。でもこの2つのキャラクターは、僕の人生の中では、両方とも出会ったことはない・・と思う。
    だだ仕切るだけなら、本当に大変な事だろうしなんでそんなことしてくれるのかな〜ってほんと感謝するのみなんですけど、「井沢真秀」はどうも違うようですね♪(なんか漫画ではお約束のキャラクターなんですけど・・)
    ただなんとなくですけど、自分を作ってるときの雪野に似ている印象を受けました。(ってことは本当はいいやつだ、なんていったら物語は続かないんですけどね・・まあそうゆう展開にお約束的にはなっちゃうかもしれないけど)
    聖人は、名誉や権勢を求めないものですが、そうゆう人は稀ですし、実際、一般社会において名誉を求めて努力することは、社会的にも認められていて、一方で権勢や利益のみを求めるものは蔑まれます。(このことが正しい認識とは思ってませんが)そういった意味で雪野は「陽のキャラクター」で、真秀は「陰のキャラクター」であると言えるので、似ていると感じたのは当たり前かもしれません。
    まあそうゆうキャラクターは、恥も外聞も捨てて目的に対して突っ走れるから、そういった意味では脅威ですけど。

    一方、暴走するおんな「芝姫つばさ」も突っ走っていますが、冷静じゃない分考えがないですね♪(だから、有馬から妹扱いされるんでしょう。)全然憎めないです♪
    凄い美少女って設定にあの声はちょっと合わないかと出て来た時は思っちゃいましたが、話すすむにつれて実にキャラクターに合ってるな〜って感じました。とても素直な性格ですよね♪あれじゃ有馬や中学の友達もかまっちゃいますよね♪
    彼女にしたら、暴走したくなる気持ちもわかりますし(^_^;)

    「つばさ」、「真秀」ともに雪野を敵視してるって意味では共通してますが、いやはや正反対な印象を受けちゃいますね♪

 幸福という事
    人は何をもって幸福だと感じるのか、難しい事である。ほんのちっちゃなことで幸福だと感じる事が出来る人もいるが、逆に十分幸福だと感じておかしくない状況にいても不幸だと感じている人はたくさんいる。
    要は意識の持ち方である。どんな不幸な事象でも、それを経験として前向きに捉える事ができれば不幸ではないのである。これは精神活動における昇華であり、逃避反応の一つであるが悪い事ではないと思う。
    つばさちゃんの『幸せになってみようか』という前向きなセリフが印象的だった。
    そしてこの回の話は、もうひとつ大事なことを教えていたと思う。つまりいままでの自分が不幸であったことを受け入れるという事も重要な事だということである。前にも書いたが不幸という捉え方に一般的なボーダーラインは存在しない。・・そう自分でそれを設定しなければ、自分が幸福か?あるいは不幸であるのか?判断する事は不可能なのである。ゆえに自分の状況を素直にとらえることも重要な要素なんだろうな〜と感じた。

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