陽の当たる場所--「エリーのアトリエ」より

1・静かにパーティは幕を開ける

 「よろしくお願いします、イングリド先生」
 
 凛とした声が静かな研究室に響く。まだ幼さを感じさせるものの、はっきりとした決意を感じさせる声。
 
 「こちらこそよろしくね、ノルディス・フーバー君。あなたには素晴らしい錬金術士になれるよう、期待していますからね。」
 
 そう答えた女性はどこか神秘的な風貌をもってたたずんでいる。彼女の名はイングリド。このアカデミーで講師を務める女性である。研究室という環境に加え、その異なる両の瞳がより彼女を神秘的に見せているのだろう。
 
 「はい、これが私のゼミの生徒名簿よ。あなたのクラスメイトとなる人達だから、よく覚えておいてね。」
 
 まず自分の名前を探して、本当にこのアカデミーに入学できたことを一瞬だけ実感してから、彼はざっと目を通し始め、その中で一瞬目が止まった。名前の隣には部屋の番号が書いてある筈なのに、なぜか「職人通りの工房」とあったからだ。
 
 「先生、このエルフィール・トラウムって子は寮生じゃないんですか?」
 
 「ああ、エルフィールね。彼女は条件付き合格だったから、自分で工房を切り盛りして自活しなきゃいけないのよ。」
 
 「自活・・・大変そうですね。」
 
 「そうね・・・でもその苦労をバネにして成長できる子もいるわ。やはり最後は自分自身の努力、なのよね。」
 
 イングリドはそう言いながらマルローネのことを思い出さずにはいられない。あの劣等生が一人の命を救い、他人の目標になってしまうところまで成長したんだものね。と。

 
 
 
 
 

 一通りのガイダンスを受けたノルディスは一人部屋に戻ってぼんやりと考え事をしていた。
 
 「工房、か・・・」
 
 そこには何者にも縛られない自由さがあるような気がする。典型的な優等生として育ってきたノルディスにも、やはり他人に拘束されない生活はあこがれとして存在するものだ。
 
 「寮の生活も受験勉強よりは十分に自由かな。望みすぎだよね、やっぱり。」
 
 心の中でひとりごちて思わず苦笑してしまう。彼に学ぶことの素質があったとは言え、さすがに多少の受験勉強は重ねてきた。ザールブルグにアカデミーが設立した当時は錬金術に偏見があったためにさほどではなかったが、今ではアカデミー入学への門戸は広くはない。

 
 
 
 

 ふと周りを見渡すと、真新しい参考書とアイテム図鑑が本棚に並び、こちらも手垢すらついてない実験機具が目に飛び込んできた。
 
 「これでやっと錬金術の勉強ができるよ。」
 
 今のところこれがノルディスの最大の関心だった。彼の両親は決して裕福というわけではないが、さまざまなことに知的好奇心を向ける両親であり、そのおかげでノルディスも錬金術士の一見不思議な実験をよく目にしていた。その不思議な技術がこの手に修められることを夢見た少年ノルディスが実際に行動する少年になるまでそう時間はかかっていない。
 
 それでもやはり「工房」という名前がどうしても気になっていたので、とりあえず何も無い明日にでも訪ねてみようととりとめもなく思う。どのみちこれからクラスメイトとして一緒にやっていく友達なのだから、あいさつをしに行った方が良いという半ば建前もあったのだが。
 
 「エルフィール・トラウム・・・」
 
 一体どんな人なんだろうか。

 
 
 
 

 次の日、ノルディスはエリーの工房の前で考え込んでいた。その工房の扉には「調合承ります」の文字がかわいらしい飾り字で飾られたビラを張っている。
 
 もちろんかれはそのビラについて悩んでいたのではまったくなくて、どうやって入ったものか、という「きっかけ」が作れずに右往左往しているのだ。
 
 優等生の例に漏れず、彼は人と接することにあまり慣れていない。別に人間嫌いという訳ではないのだが。
 
 そうして暫く悩んだすえ、彼は意を決して入ってみることにした。ここにこうして馬鹿みたいに突っ立っていても何もならないことにようやく気づいたから。
 
 ノックして、少し待った。中から少しのんきな声が飛び出して来る。
 
 「はぁい、どうぞ、あいてますよぉ」
 
 少し不用心だな、と思いつつ彼は扉を押し開けた。その目に飛び込んできたのは自分の部屋にあったのと同じ、これから見慣れるであろう錬金術の道具と、そして、一人の女の子だった。
 
 「あれ、あなたは・・・?」
 
 「ええっと、僕はノルディス・フーパー。イングリド先生に教わることになったアカデミーの新入生だよ。同じイングリド先生に教わることになったクラスメイトで工房を経営する子がいるって聞いて、興味があったから来てみたんだ。よろしくね、エルフィール。」
 
 「あ、エリーでいいよ、私は。こちらこそよろしくね、ノルディス。どう、せっかく来てくれたんだからお茶でも・・・ちょーっと汚い工房だけどね。」
 
 初めはエリーの方に関心が向いて気づかなかったが、確かによく周りを見ると結構ものが散乱している。彼女もきっと引越しのごたごたでまだ片づけが終わってないんだろう。
 
 実はノルディスのその推測は半分も当たっていないのだが、まだそのことに彼が気づくはずもない。
 
 「ううん、まだたてこんでるみたいだから、今日は失礼させてもらうよ・・・僕は寮に住んでるから、気がむいたら遊びにおいでよ。」
 
 「うん。きっとお邪魔するね。」

 
 
 
 

 帰り道すがらにノルディスはエリーのことを考える。
 
 栗色でショートカットの髪と同じ色の瞳。利発な、というより元気なという形容が似合う子だったな。彼女一人であの工房を切り盛りするんだもの、きっと大変なんだろうなぁ。
 
 そこから先は言葉にならないような意識のたゆたいだった。はっきりしているのは何故かエリーの栗色の瞳が強い印象を彼に与えたことくらいか。

 
 
 
 

 寮に戻ってきたノルディスは手持ちぶさたになって「初等錬金術」というタイトルの付いた参考書を読むともなしに読みはじめた。
  
 自分の為すべき方向も固まった、そして周りの環境も整いつつある。突然彼は「新生活が始まった」という気づきと興奮、そして頭の片隅の冷静な一部分では一抹の不安を感じていた。
 
 「なんにしてもこれからだからなぁ。さて、頑張らなきゃ。」と心の中で自分自身に語った。誰に言うとも無く心の中でひとりごちるのは彼の癖なのだ。

 
 

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