3・飛翔亭にて
ザールブルグに夕暮れを告げる鐘が鳴るころ、ノルディスとエリーは街中を連れ立って歩いていた。
「しっかし珍しいよね、ノルディスとこんな時間に街中で会うなんて。」
ノルディスはエリーの工房に行くために職人通りのあたりまでやってきたのだが、その道すがらにエリー本人ばったり出会い、エリーが用事を済ませに出かけるというので手持ち無沙汰なノルディスも一緒に行くことにしたのだ。
エリーはともかく、確かにノルディスは夕暮れ時に街中に出ることがあまり無いため、この二人がこの時間にいっしょにいることは珍しい。寮で勉強しているから・・・というのも一応あるが、実際のところはただ単に外に出ることが面倒なのと、人ごみにまぎれるのを嫌うだけ。ところがエリーは予想通りというかなんというか、
「やっぱいつも部屋で勉強してるの?私なんか全然なのに」
などと聞いてくる。普通の人なら嫌味を感じそうな台詞ではあるが、彼女の場合基本的に会話に嫌味が入ることは少ないので、おそらく純粋に興味を持っているのだろう。それが最近わかってきたノルディスはちょっと苦笑を浮かべて
「いや、どうも人ごみって苦手なんだ」と正直に白状することにした。
「どちらかって言うと一人でいた方が落ち着くからね。」
「ふぅん・・・でもたまにはほら、こういう所で楽しくやるのもいいもんだよ・・・ほら、着いた。」
二人が着いたのは「飛翔亭」と書かれた小さな木の看板がかかった店だった。夕闇が辺りを包み、店からは暖かい暖炉の光が漏れている・・・
「・・・ってエリー、ここ、ひょっとして酒場?」
「へ?そだよ。なんで?」
なんで、と聞かれても・・・ノルディスはすこし頭が痛くなるような感覚に囚われながら、やっと口に出して、こう言った。
「いいのかい?僕等未成年なのに・・・」
別に未成年の飲酒が法で認められていないわけではないのだが、モラルとしてあまり少年少女が酒を飲むのは歓迎されない。最もいかなる社会においてもそういったモラルは当事者達には無縁のものなのだが。当然エリーも頓着した様子はなく、
「気にしない気にしない。さ、入ろっ」
といってノルディスを引きずっていった。
初めて入る酒場は思ったよりも汚くなく、そして暖かい感じのする所だった。
エリーは真っ直ぐカウンターへ向かう。ノルディスもとりあえずついていく。カウンターには冒険者風のがっしりした体格をした男性とおよそ酒場には不釣合いと思われるほどに綺麗な女性が立っていた。
「あら、いらっしゃい」
「こんばんわ〜、あ、今日はフレアさんが店番やってるんですね〜」
エリーが挨拶する。ノルディスもつられて
「こんばんわ」
とだけ挨拶した。その綺麗な女性、フレアはおやっという顔をしてからにっこり微笑み、
「あら、エリーさん、こんばんわ。今日はお友達連れなのね。始めまして、えっと・・・」
「ノルディスです、ノルディス・フーパー。始めまして、フレアさん。」
「始めまして、ノルディス君。エリーさんのお友達っていうことは、アカデミーの学生さんなのかしら?」
「ええ、まあ・・・」
「まあ、じゃないよ。私なんかよりずっと優秀なんだから。ノルディスってアカデミーでもトップクラスの成績の持ち主なんだよ」
エリーが割り込んでくる。そして思い出したように、
「あ、そうそう、依頼品の中和剤持ってきました〜」
そう言ってエリーはバッグから緑色の中和剤の入ったビンを取り出し、フレアに渡した。フレアはそれを少し吟味した後破顔して、
「ご苦労様。またお願いね」
と言って報酬をエリーに手渡した。
「その依頼なんですけど、今どんなの入ってますか?ちょっと今お金ないんですよね〜」
「エリーさんも大変ね。はい、これが今ある依頼品のリストよ。」
ノルディスも覗き込んでみる。
「えっと、つまり・・・この品物をこの数量だけ持ってくればこれだけのお金が貰えるってこと?」
こういった類の仕事をしたことのないノルディスはエリーに尋ねた。
「うん、そうだよ。でも良いもの持ってくると高く買ってくれることがあるから頑張って作らないと。逆もあるけどね」
エリーは苦笑いしてフレアの方を見た。
「ごめんなさいね。だけど、やっぱり依頼主の都合があるからどうしても、ね。ノルディス君もどうかしら?錬金術を修めようとしてる人なら大歓迎なんだけど・・・」
「そうですね・・・」とノルディスはリストを見ながら少し考え込んで、
「じゃあ、これ持ってきますよ」
と、安眠香を指して、言った。作ったことのある品物だし、まあ、大丈夫だろう。
「ありがとう、じゃあ、よろしくお願いしますね。締め切りには気をつけてね」
「はい」
「私は蒸留水でいーや。もう揃ってるし。後で持ってきますね」
「ええ。助かるわ」
「さて、用事も済んだし、ご飯食べてこっか?」
とエリーが切り出した。ノルディスも別に忙しいわけではなかったので二つ返事でOKし、夕食を二人で食べることになった。
「しかしさ、エリーっていっつもここで仕事してるの?」
「そうだねぇ。とりあえず基本的な材料とか揃えるのにはお金が結構必要だから。条件付き合格は大変だよほんと」
エリーは寮制のアカデミーに入学したとはいえ、他の生徒のように寮生ではなく、アトリエで自活しなければならないという「条件」付きの生徒である。ある程度の材料、器具等が支給されるノルディス達寮生に比べて財政面での見劣りは避けられなかった。
「でも生活力は確実についてるかな。アイゼルには『所帯じみてる』なんて言われるけどね」
笑ってそう言えるエリーがノルディスは少し羨ましかった。きっと彼なら「条件付き」を気にして自ら話題に乗せるようなことはしないだろうから。
「でもお陰でアカデミーの授業の出席率が悪いのが問題なんだよね〜」
「うーん、確かにまず生活ありきみたいだからね。でもここで仕事取ってれば調合の機会には事欠かないみたいだし、なんとかなるんじゃないかな。アカデミーって、出席率が悪くても、実力さえあれば認められるところだからね。あ、あと、僕もちょっとここで仕事を探してみることにしようと思うんだ」
「ふーん。ちなみにねぇ」エリーはにやにやしながら小声になって、
「フレアさんは別に毎日いるわけじゃないからね」
と、ノルディスを茶化した。ノルディスは笑って誤魔化したが、まさかエリーのそのある種の強さが羨ましかったなって言えるはずもないので、何も言い訳はしなかった。
「そういえばさ、聞きたいことがあるっていってたよね。何?」
エリーが切り出した。それでエリーに会いに来た用事を思い出したノルディスは早速、
「ガッシュの薬湯って、知ってる?」
と話を始めた。
「うーん、名前は知ってる。『健康だいすき』に載ってるやつだよね」
「そう。それでさ、そのレシピの中に温泉水ってのがあるんだけど、寮生への支給品リストにもないし、どこに温泉があるのか判らなくて、調合に手がだせないんだ。どこかに温泉ってあるの知らない?」
「ふっふっふ。知ってるよ―。それって、きっとミュラ温泉のことだと思うよ―」
「ミュラ温泉?」
「うん。ヴィラント山の頂上あたりにあるんだ。私も最近見つけたばっかりなんだよ」
「へえ、よく見つけられるねぇ。そうか、ヴィラント山か。でもあそこって、モンスターが多くて危険なところだって聞いたことがあるけど・・・」
「うん。とりあえず王宮討伐隊が出た後じゃないと危なくて一人じゃ行けないかな。でも、カノーネ岩とかどうしても必要じゃない?だから、冒険者の人を雇って行かないといけないこともあるんだよね。」
ヴィラント山が危険な所だというのはザールブルグでは有名な話だ。以前は火竜が住んでいたのだが、騎士隊の隊長エンデルクによって倒されたという。その後は安全な場所になるのでは・・・との楽観的な観測もあったが結局モンスターの溜まり場になってしまっており、事態を重く見ている王国では年に2回、王宮を挙げての討伐隊を編成して掃討作戦を試みてはいる。が、その場しのぎにすぎないのではないか、というもっぱらの評判である。
「そっか。大変だよね・・・でも駄目だよ、あんまり無理しちゃ。まず命があってこその勉強なんだから。」
冗談ではない。まだアカデミーからは採取先でモンスターや盗賊に殺されたという生徒は幸いにして出ていないが、今後も出ないとは限らないのだから。
「うん。気をつけるよ。・・・そうだ、ノルディス、今度ヴィラント山行くとき、一緒に採取に行かない?時間があれば、だけど。護衛はハレッシュさんがいるから多分大丈夫だと思うし・・・お礼も出すからさ」 「それは全然構わないよ。温泉水も自力で採取できるし、その方が都合がいいくらいだよ。お礼なんていらないしね。でも、僕を連れて行くより、護衛の人を増やしたほうが良くない?」
ノルディスがそう聞くとエリーは情けないようなため息をつきながら、
「実はね、ヴィラント山で採取できるものって、何が使えそうで、何が使えなさそうかの区別がまだはっきりできてないんだ。アイゼルに頼もうかなぁって思ったんだけど、アイゼルは女の子だから・・・って私も女の子か。それはいいんだけど、女の子だから危険なヴィラント山になんて行かないでしょ?あと頼めそうなのノルディスしかいなかったんだ。ゴメン!お願いノルディス、協力して!」
最後はパンッ、と手を合わせて頼み込む姿勢になるエリーだった。
「だから、僕もその方が都合がいいんだってば。気にしないでいいよ。こちらこそよろしくね、エリー。危なくなったら僕も何とか守ってあげるよ」
そんなわけで、ノルディスはエリー、ハレッシュとヴィラント山へ採取に行くことになった。
「ところでさ、ハレッシュってどんな人?」
「あっ、ゴメンゴメン、まだ紹介してなかったよね。えっと・・・」
とエリーは店内を見渡し、目指す人影を見つけると手を振りながら
「ハレッシュ―、こっちこっち」
と手招きした。
呼ばれてやってきたのは茶色の髪を短く刈り込んでいる非常に大柄な男の人だった。服の上からは判らないがきっとその体に見合った筋肉が付いているのだろう。いかにも冒険者然とした人だった。
「よう、エリーじゃないか。・・・へえ、今日は彼氏連れか。真面目そうな子じゃないか」
「あ、いえ・・・」とノルディスが反応しようとするより速く、エリーが
「やだなぁハレッシュさん、アカデミーでの友達ですよ〜。大体、私なんかよりずっと真面目で頭も良いんですからね〜」
と受け答えする。
「はじめましてハレッシュさん、ノルディス・フーパーです」
「おう、よろしくな、ノルディス君。なあ、こちらのお嬢さんって、アカデミーでは真面目に勉強してるのかい?」
「ええ、まあ・・・」とノルディスは曖昧に答えた。
「へえ、じゃあここにいるときとは大分違うみたいだな。面白い話をしてあげるよ。この前、へーベル湖に採取に行ったときな・・・」
「あ〜〜〜〜〜〜ハレッシュさん、その話はしないで下さいよ〜〜〜〜〜」
と、大慌てで止めに入るエリー。ハレッシュは残念そうな顔をしながら、
「じゃあ、今度エリーがいないときにじっくりと、な」
とノルディスに耳打ちした。ノルディスも小声で
「はい、是非お願いします」
と、愉快な気分で答えた。面白そうな話なのできっと忘れない内に聞いておこう、とノルディスは心の中に留めておき、くすっと笑った。
「どうしたの?ノルディス?」
と、それを見とがめたエリーが尋ねると、ノルディスは本心から、
「いや、こんな風にあったかい酒場で気の置けない仲間たちとわいわいやるのってきっと楽しいだろうな、って思ってさ」 と微笑を残しながら言った。
その後は3人で暫く話していたが、寮の門限が(一応)あるノルディスが席を立った。
「じゃあ僕はこれで失礼します。ハレッシュさん、今後とも宜しくお願いします」
「ああ。護衛の仕事があったら遠慮無く声をかけてくれ。俺はたいがい毎日飛翔亭にいるからさ。」
「はい・・・じゃあエリー、今日は助かったよ。じゃあ、おやすみ」
「ううんこちらこそ。また明日ねー」
飛翔亭を出てからノルディスは少し考え事をしながら道を歩いていた。
本来人が集まっているところよりも孤独でいることの方を好むノルディスにとって、あそこで感じた心地よさは新鮮なものだったから。
自分の部屋に戻ってきて、着替えて、ベッドに潜りこんだノルディスは、今日出会った人々、そして自分の為に始めることを決めた飛翔亭の仕事に思いを馳せながら、眠りについた。