この教会では、行き場を失った子供たちが足早く通っていた。教会には人の良いシスター・杏がいて、子供たちの面倒を見ながら説教をして、毎日を平和に過ごしていた。そんな中で、教会の門のところに一人の子供が座っていた。
「あら、どうしたの?こんな所で座ってないで、中に入りなさい。」
「ママをまってるんだ。」
「でも寒いでしょう?中で温かいモノでも飲んで待っていたら?」
「・・・ママがここにいろって。むかえにくるからって・・・。」
杏は少年の姿を見て、ここに置いていかれた子供だと気がついた。少年に本当のことを告げるかどうか考えた。だが、ショックで倒れてしまう事をも考えて言うのをやめた。杏はもう一度、中に入るように薦めた。すると少年は少し戸惑ったが、杏が自分を本当に心配している事に気がつくと、おずおずと中に入っていった。杏は後から中に入って、自分の部屋に少年を案内した。薪を焚き、部屋を暖め、少年に紅茶とクッキーを出した。
「どうぞ、身体、暖まるわよ。えっと、貴方のお名前は?」
「・・・。」
「どうしたの?」
「・・・なまえ・・・しらない・・・。」
「知らない?」
杏が鸚鵡返しをすると、少年は頷いた。名前もない事があるのだろうか、と杏は考えた。少なくとも、今、教会に来る子供たちには名前がある。見た目、小学生の子供に名前がないのは、おかしかった。両親はこの子共に、名前すら付けずに、育てる事を放棄したのだ。杏はクッキーを無言で貧るように食べ、紅茶を水のように飲んでいる少年の姿に目が引き着けられた。少年の身体には無数の傷が見え隠れしていた。児童虐待を受けていたのだろう。杏は少年をこの教会で引き取る事にした。
「蒼也というのはどうかしら?」
「・・・ソ・・・ウ・・・ヤ?」
「えぇ、ここにいる間だけ。名前を知らないと不便でしょう?ここにはたくさんの人が来たりするから。」
「ソウヤ。」
「いやかしら?草冠に倉に也と書くのよ。」
杏は近くにあった余っている紙の余白に蒼也と書き、振り仮名も振ってから少年に渡した。少年は紙を受け取ると、その名前を繰り返し呟いていた。杏は気に入ったのだろうと思い、にっこりと微笑んだ。
「アン!」
扉が突然開いた。入り口に一人の少年が立っていた。
「シスターと呼びなさいと何回も言ってるでしょう。まったく・・・それにノックもしなさい。教えたでしょう。」
「へぇ〜い。あっ!ずるっ!!カシくってる!!!」
「貴方たちにもあげるから、手を洗ってきなさい。」
「あっ、知らないヤツだ。名前は?」
「ソウヤ。」
「ソウヤか。俺は甲斐。よろしくな。」
「ほら、包んだからみんなで食べなさい。蒼也も一緒に行って遊んでらっしゃい。」
「行こうぜ、ソウヤ。」
「うん。」
蒼也と甲斐はクッキーを持って、部屋を出ていった。杏はそんな二人の姿を微笑みながら見送った。

蒼也と甲斐は仲間のところにやってきて、さっそく杏からもらったクッキーを仲良く食べた。食べている間、それぞれの持ちよった話をしていたが、蒼也は聞くだけだった。話についていけなくなると蒼也は迎えに来ない母親の事を考えた。自分が捨てられていった事も気がつかずにいた蒼也は、母親が恋しくて仕方がなかった。
「・・・ヤ、・・・ソウヤ!」
「・・・へっ?ボク??」
「ソウヤってお前しかいないだろう?お前はどうしてここにいるんだ?」
「どうしてって・・・ママがここにいろって・・・。」
「”ママ”だってよ。いろってことはすてられたんだ。や〜い、すてられっ子!」
「ちがうもん、むかえにくるっていったもん。」
蒼也は握り拳を作って、胸の前で上下に振った。何度も「いったもん。」と繰り返している間に瞳に涙を浮かべた。甲斐たちは蒼也の涙に驚きあわてふためいた。その中でも甲斐は素早く正気に戻って、蒼也にハンカチを渡した。
「・・・悪かったよ。もうなくなよ。アンにおこられる・・・。」
蒼也はハンカチを受け取ると流れて来る涙を拭いた。
「みんな、うらやましいんだ、お前の事。母オヤ・・・リョウシンに愛されてるお前がさ。ゆるしてくれよ・・・。」
「うん。ボクのほうこそ、ないてゴメン。」
蒼也はハンカチを下ろして、泣き顔でなく笑顔をみんなに見せた。一瞬、その笑顔に全員が戸惑った。
「えっと・・・さてと、何してアソぶか・・・。」
「サッカー!」「やきゅう!」「スリ!」
「・・・スリはだめだって言ってるだろ。それにそれはアソびじゃねえよ。”ヒツヨウサイテイゲン”でしかやらねえって、言っただろ。」
「・・・スリ?」
蒼也は甲斐の服を掴んで、首を傾げた。甲斐は普段されない行動にうろたえた。
「サッ・・・サッカーするぞ。ボール持ってこい。」
「ねぇ、スリって・・・。」
「きっ・・・気にすんな。サッカーしようぜ、サッカー。」
ボールを蹴っている仲間の中に混ざろうと甲斐は、蒼也の腕を引っ張った。蒼也はにっこりと笑って頷き、少年たちの中に混ざった。蒼也はサッカーをする事に慣れてはおらず、時々、ぽつんと置いてきぼりを食らう事があった。それでも甲斐たちが気付き、輪の中に入れて楽しく遊び、夕方、陽が赤くなっていた。
「あ〜、楽しかった〜!」
「みんな〜!夕食にするわよ、手伝って!」
「あっ、アンがよんでる。行こうぜ。」
甲斐たちは真っ黒のまま、食堂に行き杏に怒られて、綺麗にしてから食事の用意の手伝いを始めた。
教会に住んでいる子供たち以外は自分達の住処に戻って行った。蒼也にいつ置いていかれた事を話そうかと、杏は悩んでいた。蒼也の母親の事を近所の人たちから、ミサのあとに聞いて回って、真実を知る事になった。蒼也は学校にも行かず、一人で家にいる事が多かった。母親は蒼也を家にいさせ、自分は外で遊び回り、借金を抱えているという。父親は現在おらず、たまにやって来る若い男性がいるが、同じ人物ではなく毎度違う男性がやってきていた。その時蒼也は何時間も玄関の所で座って待っていた。部屋にいると男性が蒼也を殴りつけたり蹴りつけたりして外へと追い出しているという事を口々に蒼也の近所に住んでいる人々は杏に話していった。杏は蒼也が大きく育った時に伝えようと今の姿を見て思った。楽しく遊び、食事をして疲れて眠る姿は、まるで天使の様だった。

蒼也が教会に来て数年が経った。未だに迎えに来ない母親を思っては、蒼也は毎夜、涙を流していた。杏は未だに伝える事が出来なかった。蒼也の母親は夜逃げしてからは行方が判っておらず、連絡も来てはいなかった。蒼也は教会の寄付金で学校へ通っていた。教会の子供たち以外の友達を作ってもらおうとの配慮だった。蒼也は少しずつだが、外の世界で自由に生きる事を学んでいった。甲斐と同じ学校に行かせた事が蒼也にとって安心出来た。姓名もなく、両親もいない蒼也は苛めの対象になるはずだったが、甲斐が近くにいる事で、そういうこともなく、毎日を楽しげに過ごしていた。
「杏!今日、学校のテストで100点取ったよ!」
「シスターと呼びなさいと何度も言ってるでしょう!まったく・・・変な所で甲斐のマネをしないで欲しいわ。」
「判ったよ、杏。」
「まぁ〜たぁ〜!!いいわよ、言うことを聞かないと夕飯抜きですよ。」
杏は拳を振り上げながら蒼也が謝りだすような事を口にした。
「ごめん、ごめん、シスター。」
蒼也は両手を頭の上に置いて、謝っていたが顔は笑っていた。」
「まったく・・・貴方達ときたら・・・。仕様のない子供たちね。」
蒼也はテスト用紙を置いて部屋を出て行った。廊下では子供たちが騒ぎながら、外へと出かけて行った。杏は蒼也のテスト用紙を見ながら、満足げに微笑んだ。勉強をしたことがなかった蒼也に、将来の心配を説いた事を杏は良いことをしたと思っている。蒼也の知識は真っ白からいろいろなことを書込んでいった。色々な事を吸収して今では、学校内の秀才となっている。蒼也は生徒会長になって欲しいと周囲から望まれていた。だが、蒼也本人は全く興味を持たず、甲斐たちと一緒に遊ぶ方を選び取っていた。”悪がき”として近所では有名である蒼也と甲斐は、杏の手には負えないほどだった。杏は今の間だけ、自由にさせたいとも思っている事もあり、強く怒ることもできなかった。
いつもと変わらない日々が続き、蒼也が高校2年へと進級した時だった。少しずつ赤字が加算でいた教会は、とうとう大赤字を出してしまった。寄付金だけでは堪え切れずに来月には取り壊す事になった。
「ごめんなさいね・・・。私の力が足りないばかりに・・・。」
杏は聖堂に住んでいる子供たちを集めて、取り壊される事を話した後に謝罪した。
「貴方達の事を養子で引き取ってもらえるようご近所に頼みました。出られるように用意をしておいてくださいね。本当にごめんなさい。」
杏は外で遊んで来るように子供たちに一言付け加えると、自分の部屋に戻っていった。しばらくの間、子供たちは呆然と話しを聞いていたが、時間が経つにつれ実感を持ち始めた。外に出る事もせず、暗い顔で部屋に戻っていった。蒼也は杏の部屋に走っていった。
「杏!」
「・・・蒼也・・・そうだわ。貴方には伝えておかなければいけない事があるの。」
「僕に?」
「えぇ、そうよ。そこに座って。少し長くなるから。」
杏は蒼也をソファーに座らせ、紅茶とお菓子を出してから自分も目の前に座った。
「話しって・・・。」
「貴方のお母さんの事なんだけど・・・。」
「僕のママ・・・。」
「・・・。」
杏は少し黙って蒼也の顔を見詰めた。幼い蒼也の成長を今まで見守ってきた。幸せそうにしている蒼也にいつまでも伝える事ができず、この教会が潰れるというのにもかかわらず、母親の事を話さずに自分の心の中に留めておけば良かったかもしれないという後悔に苛まれていた。この教会が潰れる事で多少はショックを受けている蒼也に追い打ちをかけるようになるのではないだろうかと杏は思った。
「・・・杏・・・?」
「こういうときでも杏って呼ぶのね。まったく、困ったな子ね。」
杏は苦笑いを浮かべてから深呼吸をしてから決心したように口を開いた。
「蒼也、貴方の母親は貴方をここに置いてから、どこかへ行ってしまって連絡も居場所も判らないの。」
「なんとなく判ってた。ママは・・・僕をここに捨てて行ったんだって。初めてここにきた時に他の子たちに捨てられっ子って言われて・・・。怒ったけど、でも信じるしか僕にはできなかった。小さいながらも僕はママがしてた事、覚えてる。邪魔になったんだって思った。」
「違うわ、貴方のお母さんは確かにここに置いていったわ。でもね、貴方が暴行をされているのを見たくなかったのよ。それにここなら温かい寝床も食事もできるわ。だからここに連れてきたのよ。」
「・・・ママに聞いたの?」
「いいえ。これは私の考えよ。そうあって欲しいの。子供をいらないなんて悲しすぎるわ。」
「僕、ここを離れたくないっ!」
「蒼也・・・貴方はここを離れる事になるわ。貴方の事を養子にしたいと言ってきてくれるご夫婦がいるの。」
「やだっ!僕はここにいたい!!」
「いずれ甲斐も他の子たちもここを離れて行くわ。貴方だけここに残る事は出来ないの。お願い聞き入れてちょうだい。」
「やだぁ〜。」
蒼也は幼子のように駄々をこね、泣き始めてしまった。杏は蒼也に近づき抱き締めた。
「私にもう少し力があれば・・・。ごめんね。ばらばらにしてしまって。貴方が過ごした場所を奪ってしまう形になってしまって、ごめんね・・・。」
蒼也は杏の服に捕まってイヤだの一点張りで、それ以上を口にしようとはしなかった。杏も蒼也が泣きやむのをただじっと待っていた。
ドアがノックされて杏は蒼也を抱き締めたままで、ドアの方を向いた。
「どうぞ。」
「シスター・・・。」
ドアが開くとそこには甲斐が立っていた。他にも数人、後ろに立っていた。
「俺達さ、ここを出ていくよ。俺達、帰る家があったのにここに居座ってただけだから。だからさ、ここを離れないでくれよ。俺達、働いてここにいっぱい寄付金いれるから。」
「甲斐・・・。貴方達から、お金を貰う事は出来ないわ。」
「なんでっ!」
「だって貴方達は私の可愛い子供たちですもの。子供からお金を取る親なんていないわ。そうでしょう?」
「・・・でもっ・・・。」
「取り壊されてしまうけれど、貴方達の心の中にはいつもこの場所があるわ。時々思い出して幸せに暮してほしいの。」
「シスター・・・。」
「さぁ、貴方達の未来に向かって羽ばたきなさい。すでに貴方達には能力があるのだから。だから蒼也、貴方も未来に向かって歩み始めなさい。立ち止まってばかりではダメ。男の子でしょう。強く生きなければいけないわ。」
杏は蒼也を立たせて涙を自分の服で拭き、甲斐たちがいる方へ歩かせ、胸の前で両手を組み祈りの形をとった。
「貴方達に神の御加護がありますように。」
「シスターにも神のご加護がありますように。」
「ありがとう。さあ、羽ばたきなさい。自分の羽根で・・・。」
ドアをしめて甲斐たちはゆっくりと廊下を歩き始めた。杏はドアの方を見ながらただ祈る事しか出来なかった。彼女の手から彼らは巣立って行ったのだ。



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