深海 紫更
「ね、ヨージ。私達って、ちょうちょみたいね。」
「ちょうちょ?」 綺麗な指で俺の髪を弄びながら彼女は囁いた。さっきまで、甘ったるい喘ぎを聞かせていたとは思えないような乾いた声。彼女は時々、こうやって俺を惑わすような話し方をする。 「そう、ちょうちょ。ひらひらひらひら、踊るみたいに、他のお花に寄って行ってしまうの。」 自分の言葉が何か、心に引っかかったのか、不意に彼女は微笑んだ。本当に、彼女は判らない。女は男にとって永遠の謎だと言うけれど、彼女ほど見えない女は、今までに一人もいなかった。 「どうしたの?」 「そう言えば、ヨージはお花屋さんだったわね。他の人は元気?」 「お前って、わかんねー…普通、こういう状況で他の男の話し、するかあ?」 もっとも、俺は彼女の判んない所に惹かれているんだと思うけれど。 不意に綺麗な顔が近付いて来て、唇が触れ合う。ちゅっと軽い音を立てる口付けを俺の唇に落して彼女は微笑む。 「私ね、貴方は本当にいい男だと思うの。…その背中を丸めて寝るクセさえなかったら。」 「背中を丸めて…?」 シーツを軽やかな仕草で身体に纏い付け、身体を起こすと、俺が一番スキな綺麗な指で肩をなぞる。自覚がないクセ。誰も、そんな事言わなかった。てっきり俺は女を抱え込んでいるせいで、身体が丸まっているのだと思っていたから。 「何か、苦しい思いをしたのね…?別に、聞きたくなんかナイわ。話したくないでしょ?…聞いたら、深入りするもの。」 口の中が急に乾く。俺はどうにか笑みを浮かべるのが精一杯だった。察しがいいとか、そういう問題じゃない。彼女は、色素の薄い茶色の瞳で何もかもを見透かしている。そんな気がした。 「私も、ヨージに隠している事があるわ、ヨージも私に隠している事があって当たり前よ。人は隠しごとがないワケがないのだから。だから、無理に聞こうとは思わないの。…お休みなさい、ヨージ。私、一つやる事があるの。」 「…独り寝するなら、帰るよ。」 「…しかたないヒトねえ…。」 彼女は瞳だけで微笑んで、ゆっくりと俺のとなりに見を横たわらせた。 「余計なお世話かもしれないけれど、真っ直ぐに前を見て、真っ直ぐに背中を伸ばして立っていられるようになったら、ヨージは誰よりいい男になれると思うわ。…私には、一番いい男だけれど。」 そう言って、微笑んでいる瞳を閉じる。 深入りしないで、甘えさせてくれる彼女は、俺にとっていい女だった。いつ連絡しても、いきなり会いたいと言っても、彼女は瞳の奥で微笑んで、我儘を許してくれる。もう、他の女とは比べられないほど長く続いていた。友人の様に、母の様に、彼女は許してくれる。酷く、それが不思議だった。いつ連絡が来るか判らない俺以外に、恋人がいるような彼女は、いつも俺を優先してくれる。俺の連絡先さえ聞こうとしない。いつだったか、一度だけ、店を訪れた事がある程度だ。恋人はいいのかと訪ねた時、曖昧な返事一つで誤魔化されてしまった。私は貴方が欲しいと思った時だけ、与えてあげられればいいのよ。それが口癖の彼女は、何も求めなかった。そして、その言葉通り、俺が欲しいモノを欲しいだけ与えてくれる。その優しさに、俺は甘える…それだけの関係だった。 久し振りに、ゆっくり休んだ、気がする。彼女は本当にいつの安らがせてくれるから、いつもの悪夢すら見ないですむ。本当に、不思議だ。
「なあ、アヤぁ。帰って来ないかもしれない人を待つのはどんな気分なんだろうなぁ。」
瞼の裏で、にっこりと微笑む彼女のぼんやりした面影に、誓った。 END |