砂沢 皓
秋も深まりつつある夜のこと。
羅漢のねぐらである古妓楼にも平等に夜はやってくる。花路さえもが眠りにつく深夜、細い明かりをつけて窓から外を眺める者一人・・・。 「・・・眠れないのか? 葉林」 「羅漢大兄。起きていたのですか?」 他数人が雑魚寝する床から、長身がむくりと立ち上がって窓の方に歩いて来た。 「今、目が覚めた。・・・それより二人で話している時くらい『大兄』はよせ。・・・よけい、年をとったように感じる」 「すみません・・・もう、習慣なものでね。羅漢」 目の前の相手に椅子を勧め、葉林は小さく笑った。 「遠里どのがお亡くなりになられてから初の菊花の祭礼・・・やはり、ただでは済まなかったと・・・これからのことを考えていたら、目が冴えてしまいました」 どこか遠くを見つめている瞳の友人に、何と言葉を発したらよいものか迷った羅漢は・・・結局何も言わなかった。 「失念していたとはいえ、白龍屋敷にも警護を向けるのを忘れてしまいましたし・・・囲碁の達人に負けの手をそれとなくからめられていた感じがします」 「仕方のないことだろう。誰でもすべてを見通すことはできないものだ」 羅漢の言葉に葉林の空気が少しやわらいだ。 「そうですね・・・避けられた筈の罠も確かにあったのだと今ならば思うこともできるのですが、いかんせん、後悔というものは先にできませんし」 「・・・くやしいのか」 「頭があれほどまでに傷ついていなければ・・・自分をごまかせたのですけど」 二人の視線がほぼ同時に、飛の眠る寝台の方に向けられる。 「黒党羽か・・・。西に何の恨みがあるのだかな・・・」 正直、今まで気にもとめていなかった北里の組織が何の目的あってこの白龍市に騒動を仕掛けてくるのか、彼らにはわけがわからなかった。・・・わからないからこその不気味というものがそこには確かに存在する。 「遠里どのが生きておいでなら・・・何かを伺うことができたのだがな」 「・・・かつての大兄たちも・・・もう、どこにおいでだか・・・」 羅漢が亡き遠里から花路の頭を譲り受けたのが約四年ほど前。彼が葉林の助けを借りながらもなんとかやっていけるのを確認してほどなく、当時大兄と呼ばれていた者たちや同年齢の花路たちは次々と引退していった。龍も定まらず、不安定だった花路の心機一転をはかり、争いを避けるためと は知りながらも二人に心細さがあったのは言うまでもない。 「今更の話だが・・・葉林、何故お前が頭に立たなかった?」 羅漢の問いに葉林は一瞬けげんそうな顔をした。 「あなたが立つのが遠里どのの望みだったからです。かねてから『俺の後の頭は羅漢が一番向いている』と言っておられましたし・・・それに、私は花路の頭ができるほど度胸はありませんから・・・と昔言ったでしょう?」 「そうして頭の座を俺におしつけた・・・」 「人聞きの悪いことを。私は、私にできることはすべてやってきたつもりですが」 葉林の曇りを流すような風で羅漢はうなずいた。 「お前の助けがなければ、俺が頭などできなかったさ・・・葉林」 「・・・素直ですね。・・・まだ酔いが抜けてないのですか?」 その言葉を聞いて、ふいに羅漢が笑い出した。にこやかに微笑むというのではなく、ただ本当に楽しそうに。 「・・・初めて会った時の事を思い出した」 笑いをこらえて言われたその言葉を聞き、葉林の細い目がふと大きく見開かれた。 「な・・・あなたは、まだそんな事を覚えていたんですか?」 「だが、お前も覚えていたのだろう?葉林」 あの頃は、ずいぶんと痩せていたものだがとつなげると葉林の目が少し険しくなった。 「お互い、境遇の似ている割に性格が違うとあの頃はよくからかわれたな・・・」 娼妓の子として生まれ、花路で親の顔もよく知らずに生きてきた羅漢。親を早くに亡くし、夜市やあちこちをさまよいながら生きてきた葉林。今や花路の誰もが認める親友の二人が、出会った頃は頭であった遠里や他の花路を本気で心配させるほど喧嘩のし通しだったことを誰が想像するだろうか。 「出会ったばかりの頃・・・飛が俺とお前を花路の両親のようだと言っていたな・・・」 「私とあなたが夫婦ですか・・・?あまり、笑えない冗談ですね」 笑えないと言いつつ笑っているのは、彼の性格ゆえだろう。 お互いの笑いがひとしきりおさまった後羅漢が、なあと葉林に呼びかけた。 「何です?・・・羅漢」 「もし・・・の話だが」 「はい」 「そう遠くないことだと思うが・・・もし、お互い花路をぬける日が来たら・・・・」 「・・・気が早いですね。そんなに私を追い出したいですか?」 「・・・よく聞け。まだ当分先のことだが、もしお互い花路を辞する日が来たら」 「来たら?」 「・・・その時は、一緒に旅にでも出ないか?」 葉林は羅漢のその言葉にびっくりした顔で少し黙り込んだ。 かっきり三十を二回数えた頃、葉林は先ほどの羅漢に負けないほどの勢いで笑い出した。 「真面目な顔でいったい何を言うのかと思えば・・・」 「俺は本気だ。年齢を考えると、そろそろ花路を引退してもおかしくはないだろう?」 何度も考えていた、と羅漢は言った。 「結婚して花路で所帯を持つ、というのはなしですか?」 「・・・考えた。だが、そうしている自分が想像できない」 たいした定職も持たぬ男など女でも嫌がるだろうと続け、どうだろう?と彼は葉林の方を見た。 「ここまで花路に浸りきると・・・もう、花路として以外の生き様が考えつかん」 互いにここまでの人生半分近くを花路として過ごしてきた。糧を得るための仕事も何も、花路として生きやすいものを選んできた。これからの人生の方がさらに長いのだろうが、この生き方はすでに変えられない。 「やれやれ・・・まるで、求婚されているような気がします」 葉林は冗談めかして小さく笑った。眠る前に飲んでいた酒と気持ちの苦い後味がどこかに落ちていったのを感じている様子だ。 まったく、あなたといると退屈しない・・・と苦笑しつつ、つぶやかれた言葉の続きが夜風にのってふと羅漢の耳に届いた。 −やっぱり、あなたも私の「頭」ですね・・・− 今何が聞こえたのか、と葉林の顔を見つめる羅漢に葉林はにこ、と微笑みかけた。 「・・・考えておきましょう。お互いの気持ちが変わらなければ」 「葉林・・・」 「そういう人生も案外と楽しいかもしれません」 窓の外から菊花の香りが細く流れてきた。これからの未来に何が待ち受けているかはともかく、力の限りを尽くして走り続けなければならないのだ・・・彼等は花路だから。 だが、花路ではないただの一人の人間に戻る時間にはこういう夢があってもいい。 ひょっとしたらありえないかもしれない小さな夢が・・・。 花路の半月が聞いていた小さな話である。 花路夜話 了 Post Script
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