7/4、快晴。少し暑いぐらいだった晴れ渡った気持ちのいい初夏の日も、夜になり、涼しくなってきた。
いつもは、ただ、一日中座ってるだけでも崩してしまうこともあるような体調も、今日は久々に外に出たというのに夜になっても幾分か調子がいい。
それは今日は気分がとてもいいから、というのもあるのだろう。
宮乃伽子の――私の部屋の窓から、繁った木々とその合間に大きな樹の頭だけ見えている新宿御苑。
今日一日、久々の外出許可は丸々あの大きな公園で費やした。
こんな時間でも、うっすらと明るい新宿の夜の中で、繁華街の輝きを背景に、浮かび上がるように見えているあの大きな樹はユリノキだと、今日、その木漏れ陽の下で教えてもらった。
車椅子から見上げるユリノキは、部屋の窓から見えていたよりも、とてもとても大きくて、何処までも空に続いていそうに思えるほどに大きくて、だから私の横に立って一緒に樹を見上げながらその名前を教えてくれていた顔を、こっそり見上げていたのも気付かれなかった、と思う。
車椅子を押してもらっている最中は、ごく近くに居て言葉も交わしてもいるのに、背中で感じるだけでその顔は見えないから、気付かれてしまったらユリノキの大きさを言い訳にするつもりで、その樹を見上げて眺めているような振りをして、見つめていた。ユリノキのあまりもの大きさに感謝をしながら。
今日一日、御苑公園で車椅子を押してくれていたのは、先生だった。
それが嬉しくて、でも申し訳なくて、だから私はお話の話をした。
お話の話なら先生は喜んでくれる、私にはそんなことぐらいしか先生に出来ないから、一生懸命お話の話をした。
そんな最中、不意に、先生に名前を呼ばれた。
私の名前を呼ぶ声を、大切に反芻しながら呼びかけに応えた。
『今日はお話の話は無しにしよう。』
先生は、やさしい声でそう言った。――少し、寂しかった。
けれどそれは、『好きなように書け』ということだと、少ししてから気が付いた。
特に、その時、私が話していたのは、今書いているお話のエンディングに近い部分についてだった。
――先にお話のエンディングを言われてしまっては楽しみが減る。
そういうことなんじゃないかと思い当たった。
確かに、それは全くをもってその通りだと思うし、もしかしたら、それだけ、先生がわたしのお話を楽しみにしてくれているんじゃないだろうか、というほんの少しばかりの期待は、ひとりで勝手にそう思うだけでも、とてもうれしかった。
だから私は笑って言葉を転がした。
『おはなしの、はなし、は、なし』
先生も笑ってくれた。嬉しかった。
そうやって、ちいさく楽しむことも、先生が教えてくれたこと。
だから、とてもとても嬉しかった。
御苑は広くて綺麗で植物もいっぱいあって色んな人もいっぱいいて、静かでにぎやかで、それから、ダイナがいつもつけてくる葉っぱの木も分かって、とてもいいところだった。
だけど、そんなことたちよりも、先生と一緒にその場所に居られた事と、先生との、その少しばかりの言葉の交し合いが、なによりも嬉しかった。楽しかった。
幸せだと、感じた。だから、先生がしてくれているかもしれない期待に応えたい。
起動させていたノートパソコンのモニタに向かい、ひとつのファイルを開く。
私のお話が、「世界」が詰まったファイルを開く。
そして、私は私の想った通り、想像した通りに私の「世界」の続きを創造する。舞台は、――そう、いまのいまの新宿。私の住む街。あまり行った事は無いけれど、駅前のあの繁華街。
ここまでの、この物語の舞台は今の新宿とは違う、不思議の国だった。
舞台を代えるのは、「今の新宿」とは違った世界の住人だったかれらの、美しいエンディングを、美しい永遠を創造するため。
宮乃伽子の創造した「世界」を美しくするため。想像する。
創造する。
私の美しい「世界」を。――私には視える。その瞬間の新宿の街のすべてが。人がたくさんたくさん居る。
その中に、かれらもいる。かれらが、いる。
以前の、「あの頃」のことは、今のかれらは覚えているのかいないのか。
けれど、それとは関係なくかれらは、今、それぞれに新宿で楽しく過ごしている。そして、その新宿の中で、私の「世界」の中で、一番重要なシーン。
視える。視える。視えている。私だけに視えている。
その視えているものを、私が「物語」にして書き留めていく。彼はいつもの通り、多くの人が通り過ぎて行く街角でジャグリングをしていた、さっきまでは。
ジャグリングの途中、彼を輝く瞳で見ていた少年へ、ちょっと格好をつけるような真似をしてしまって、照れくさくなって新宿の街の中に逃げ出したのだ。
これといった行き先もなく、彼は歩く、人のあふれる今の新宿の街を。
その新宿のひとの森の中に、彼は彼女を見つける。
「あの頃」とは違う、彼女を。
彼女は凛々しく、人の群れの中をまっすぐに歩き、彼との距離は近づく。
その姿に「あの頃」の弱々しさは感じられない。彼女に「あの頃」の彼との記憶はあるのだろうか?
彼に「あの頃」の彼女との記憶はあるのだろうか?
仲間と共に、ここの今とは別の世界で孤独で絶望的な戦いを繰り広げ、彼は世界に怯える彼女を愛し、彼女の幸せを願い、願いつづけたあの物語の記憶は、いまの二人にはあるのだろうか?だけど、それは書かない。
彼女の視界には確かに彼はいた。けれど、彼女は歩みを緩めない。
それでも、一瞬、会釈をしたように見えた。
そして彼女はそのまま元の速度で歩き去っていく。
彼は、歩みを止めていた。振り返っている。その表情は――なんと表現したら良いのだろう、複雑な感情を抱いている。
喜び、悲しみ、寂しさ、嬉しさ、切なさ。畏れ。その全てでありどれでもない彼の感情は、どう表現したらよいのだろう。
適切な表現が思い当たらず、そこは後回しにしてその続きをまずは書くことにした。
――そうして、暫し彼女を見送ると、彼も、元の向きと速度で歩き出す。
彼の表情は揺れている、特に目と口元。
その表情は何かに似ている、なんだっただろうか――思い出した、旅立つ愛しい人を見送ったあの物語のヒロインの表情、その本を読んだ私の想像の中で、そのヒロインがした表情。
その表現を、自分なりの言葉に置き換えて数行前の彼に当て嵌めて書き加える。書き換える。
これで完全だ、続きを書こう。
そうして、彼と彼女は、いまのいま、ビルと人とが森のように溢れる街の中ですれ違って行く。それぞれの道を行く。
かれらが、ふたりが、いまのいま、新宿という世界でその後どうなっていくのかは、書かない。匂わせもしない。それを私は美しいと信じる。
ここで二人を再会させて、抱き合わせて、リインカーネーションを超えて、それでハッピーエンド、
というのも案としては無いわけではない――が、それではあまりにも決まりきった結末だ。
彼はあまり変わっていなくとも、彼女は変わった。彼がそう望んだから。
なら、このふたりは、輪廻の輪を超えない、繰り返さない。
ふたりはそういう「キャラクター」だ。
……もしかしたら、かれらが私にそう選ばせたのかもしれない、なんて事もふと浮かんだ。
残酷かもしれないけれど、私はそれこそが、この物語のエンディングとして、美しいと信じる。
かれらには、まだ、この先の物語がそれぞれにきっとあるのだろう。
けれど、このエンディングの後に彼らに何かがあったとしても、それはまた、別のお話。そうして、私のこの「世界」は美しく終わり、美しく永遠を得る。
永遠に。――永遠。
キーボードを叩く指先が、知らないうちにふと止まっていた。すれ違うふたりは、まだ書き終えてはいない。
文字を入力する代わりに、キーボードの右端のキーに指を伸ばす。改行、改行、改行、改行、改行、……そして、文字キーを短く、五つ、叩く。えいえん
そう入力したまま、変換も確定もさせず、入力を求めて明滅するポイントを瞬くままにさせておく。
こんな言葉は、私からは一番縁の遠い言葉だと思っていた。
けれど、こうして言葉にしてしまうだけで、物語にしてしまうだけで、私の「世界」として、簡単に手に入れられてしまう。先生は、「永遠」を信じてはいない。
私の「世界」の「彼」は、先生に似ている。別段、先生をモデルとして意識したわけでもないのに、つい似てしまっている。
だからなのか、「彼」も「永遠」を信じてはない。
けれど、彼らは「永遠」を手に入れた、私の「世界」として。物語として。
私のお話を読むのは先生ぐらいなものでも、そうすることで私の「世界」が「在った」ということは、私が死んでも、先生が死んでも、私の「世界」が「物語」として存在した、ということだけで「永遠」になるのではないかと、考える。
もし、その事を「彼」が知ったらどう思うのだろう? 先生に言ったら?
「彼」はそれは欺瞞だとでも言うだろうか? 先生はどうだろうか、また私を諭すように叱るのだろうか?
考えるだけで愉快だ。
先生が彼らの物語を、私の「世界」を覗くということで生まれる「永遠」。「彼」と先生にとっては噴飯ものだろう。
それでも、私の「世界」の「永遠」は「彼」と先生によって確かなものとなる。
――なんて、皮肉で矛盾しているのだろう。思わず口元が緩んでしまう。
私の「永遠」と先生の「永遠」は別の意味のものだったとしても、「永遠」は「永遠」。言葉は同じ。
これは私が先生に仕掛けた小さな悪戯。
先生がこの悪戯に気付いたら? 気付かれなかったら? 正直に言ってみたら?
考えるだけで、胸の鼓動がほんの少し早くなる。
けれど、胸の中の時限爆弾のことは気にせず、素直にこの瞬間とその瞬間の想像を楽しむ。
先生にとっては、幼稚で愚かな悪戯なだけかもしれないけれど、それでも。
――そうなると、「彼」はそれに巻き込まれた被害者なのかもしれない。
「彼」の事が気になって、ちらりとモニタを覗き込むと、ちいさな明滅と打ち込んだままにしておいた文字に目を惹かれる。えいえん
永遠。
私が思考している間にも、入力ポイントは律儀にその言葉の後ろで明滅を繰り返していたのだった。
一旦、Enterキーでその文字列をひらがなのまま確定させてから、バックスペースキーでその言葉と無駄な改行とをひとつずつ消していく。そしてエンディングの続くを書こうとキーボードに指を載せる、と、その前に、ちょっとした悪戯心からエンディングとは関係のないふたつのキーを同時に押す。
"Ctrl+z"
瞬時にして多くの改行と「えいえん」が元に戻る。
もう一度同じキーを押す。そして、また消える。消してしまっても、やっぱりそこに在ったということは残るのだ、永遠に、と、ただひとり、満足した。
私が、独り、モニタに向かってキーを打つだけでもこうして「永遠」は存在する。生むことが出来る。
私は、先生に会えた。先生に教わった。先生に私のお話を読んでもらった。
私が消えてしまっても、私の「世界」は「永遠」に残る。「物語」というかたちも成して。
だから、私は、もうたくさん生きた。
だからこそ、私の「世界」が私と一緒に消えてしまう前に、書こう、この物語の結末を。
完璧な結末を。
美しい永遠を。
私の「世界」をあのひとに、――先生に、「永遠」にしてもらうために。
end...…ってこれだと伽子ちゃん=星空めてお氏&ライアーライタースタッフってことになってしまいますが。ががが。(;´Д`)