JAZZ 31   時間が戻れと思ったのはアンジェリークだけではなかった。 ゼフェルもそう思っていた。もう少し、一瞬前に。 アンジェリークが「好き」と叫んだ瞬間に。 それから、その一瞬がまた終わってしまったら、また巻きもどしてもう一度。 何度でも聞きたい。 確認を取りたいのだ。 そう思っている矢先に彼女が泣き出した。 なにが起こっているのか全くわからない。 どうして彼女が泣いているのかも。 どうして自分が彼女から体を 離してしまっているのかも。 何もわからなくて。         もう一度、時間を戻す。 あの、彼女が好きだといった瞬間。 いや、時間は確実に進んでいる。 太陽はさっきよりも傾いているし、唇の感覚も薄くなっている。 でも、それでも二人の時間を戻すのだ。  つまりは―――――もう一度抱きしめて、キスを。   ゼフェルの中にまた新しい感覚がやってくる。 新しいアンジェリークの唇の情報だ。   それがゼフェルを襲う。 もっとキスをしたくなる。彼女が言った言葉に返事なんかしても彼女は聞いていないのだから。 だったらもう。 ―――――――オレのモンになれ!   叫んだ。 心の中で。 それを唇の中に叩きたたきつける。 理性とかそういうものをすべてぶった切って、ゼフェルはひたすらキスをする。 時々目をあけると、ぎゅっと目をつぶったアンジェリークがいる。 彼女が腕の中にいる。 背中がゾクゾクと動く感覚。 下腹から太股にかけて移動するような、神経に電気が走ったような感覚。   ゼフェルが目をまたつぶった時、異変が起こった。 それはゼフェルのゾクゾクをもっと高める。 アンジェリークが、舌を動かしたのだ。 ゆっくりとだったけれど、さっきよりも、「ゼフェルに応える」キスをしてくるのだ。 ゼフェルの神経は、もうおかしくなってしまいそうだった。 ――――おめーは!   ――オレの   ―モンだからな!   くらくらする頭の中で、ねとりと動く唇の中で、絶叫する。 ここまで好きになるなんて予想外だったのだ。それから今のこの状況も。 好きだ なんて言われるとは思ってもいなかった。 ゼフェルの好きは、キスでしか――――キス以上の行為でしか、アンジェリークには伝わらないのだ。 だから。       二人とも。 ベッドに倒れこんだ。 JAZZ 32     熱でどうにかなってしまいそうだった。 ゼフェルの熱いキス。何も聞こえない空間では感触が、視力がすべて。 でも今アンジェリークは目をつぶっていた。だから、彼女のすべては感触だけなのだ。ゼフェルだけなのだ。   ―――ゼフェル! ゼフェルは絶叫マシーンだ。アンジェリークをぐちゃぐちゃして放りだす。それからまたアンジェリークを乗せてぐちゃぐちゃにする。   もう、口のなかがくたくただ。 顎がうまく閉まらないかもしれないくらい。 「ゼ!!」 叫んで、彼の胸を押した。自分の上に乗っているその体を剥がす。 ゼフェルの目はとてもじゃないけれど、近くでは見つめられない。アンジェリークは無意識に目をそらしていた。 ゼフェルはその空になった首筋にキスをした。 「アンジェ」 囁きながら。アンジェリークには吐息としてしか認識されないその声で。     ――――アンジェ! 抱く、からな! ここが病院だってかまわない。今ここで看護婦が入ってきてもぜんぜんやめる気なんてない。 アンジェリークの白い首筋にいくつもいくつも赤い花びらをさかせていく。それを見て、またゼフェルは背中をゾクリとさせる。そしてまた、こらえきれなくなってキスをするのだ。首筋を自分でいっぱいにしたい。それどころか、アンジェリークの体中、心中、ゼフェルで埋め尽くして溢れさせてやりたい。ゼフェルが今アンジェリークでいっぱいなのと同じように。 アンジェ! 好きだとか―――もうそういう界隈ではないのだ。溢れる。熱い。ぐつぐつと煮えたぎるみたいな気持ちでアンジェリークを。好きでたまらないという気持ちは次から次へと湧いてでて来てゼフェルを苦しめる。 「抱くからな!」 唇を少し離す。アンジェリークは硬く目をつぶったままだ。その頬にキスをして。 また首筋へ。 それから胸元へ。鎖骨へ。肩へ。 次々と。     二人の熱はどんどん上がっていく。   ゼフェルは、アンジェリークの背中をささえると、下敷きになっていたシーツをはぎ取る。乱暴なしぐさで。 それから靴を脱いだ。重たそうな靴の音が、落ちているホワイトボードとサックスのケースの上に落ちる。 その音で。 かき消されていた。   二人とも、気が付かなかったのだ。   ――――人が入ってきた、ということに。 ゼフェルは誰が来てもやめないと思っていた。 でも、アンジェリークはそうではなかった。 人の目の前でこんな状態でいるわけにはいかなかったのだ。 それに。   入ってきたのは、看護婦ではなかったのだ。   JAZZ 33     あの光景を見た瞬間に、扉を閉めればよかったのだ。何事もなかったかのように。彼等は気付いていなかったのだから。 アンジェリークが自分の存在に気付く前に、あの光景を隠蔽してしまえばよかった。   「チャ・・・・」 言葉が続いていない。 アンジェリークの声がきこえたか聞こえていないかの瞬間、ゼフェルがアンジェリークの上から動いた。 くしゃくしゃのシャツ。靴下の足。すさまじい眉間の皺。   そりゃあ、途中で止められるのは男としてはかなりツラいだろう。   だけど。   好きな女をほかの男に奪われているシーンを目のあたりにした彼はどうすればいい? チャーリーは持っていた花束をぶらんと下に下げた。その手に握りしめていた小さなケースも。 「アンジェ・・・」 呼んだのは、ゼフェルだった。自分以外絶対に使わないはずのアンジェリークの呼び名。 「ゼフェル!」 チャーリーは叫んで、ゼフェルの腕を強くひっぱった。アンジェリークのいる前ではけんかはできない。チャーリーがここでゼフェルを殴る言われもない。 「チャーリー!・・・待って!」 チャーリーは聞き入れてやらなかった。 聞きたくもなかったのだ。次に来るのはおそらく。 『私はこの人が好きなの』 どうしても。 自分のものにしようとしていたのに。今日、絶対手に入れてやると思っていた。むりやりにでも。   ゼフェルは急いで靴をひっかけたような状態でチャーリーについていく。彼も覚悟はできているようだ。   勝ち負けなんて決まっていた。ただ説明と、少しの同情がほしかっただけなのだ。 ゼフェルはそれにつきあってやろうと――――思った。 JAZZ 34   廊下は静かなものだった。看護婦も患者も医師もいない。二人の声が遠くまでこだましていく。 「チャーリー」 「何も・・・言うな・・・」 チャーリーは頭をかかえる。ゼフェルよりも随分高い身長なのに、小さく見えた。   体の中はまだ熱い。アンジェリークの唇の感触も残っている。 でも、今はそれどころではなかった。この男との決着をつけなければならないのだ。どれほどゼフェルがアンジェリークを好きかを、この男に知らせなくてはならない。どんなにゼフェルが口下手で、どんなに不器用でも。体を張ってでも。 「チャーリー」 「堪忍してや。もう、こりごりや。・・・持っていきや、これ。」 チャーリーは持っていた小さなケースをゼフェルに渡した。中味はわかっている。指輪だ。チャーリーが今日アンジェリークに渡すはずだった指輪だ。 「何だよ、これ」 中味を聞いたのではない。どうしてこんなものを渡したのか、と聞いたのだ。 「オレかてようわからんわ!!アンタがいきなりでて来てアンジェかっさらって!!もう出てけ!オレの前にもう現われんな!!そん中の指輪、売ったらどこん国でも行ける。そやから・・・・」 涙が流れた。絶対に泣かないと決意していたのに。振られても、笑顔でかっさらって行こうと思っていたのに。 この男の前だけでは涙を見せたくなかった。 「チャーリー」 握ったケースを。 チャーリーの閉じたまぶたを。 ゼフェルは目に焼き付ける。   そして、新しい一歩へと、動き出すのだ。   「チャーリー」     それだけで、十分だった。 ゼフェルは床にケースを置いた。 それから、ゆっくりと右をむく。アンジェリークの病室へ入っていった。 これで、彼とはお別れなのだ。アンジェリークにも会わせない。 二人の道は、今ハッキリと別れていったのだった。 JAZZ 35   病室の中は静かだ。 アンジェリークが不安そうな顔をして待っていた。 「アンジェ」 苦しい顔をしていることだろう。このことはきっと苦い思いでになるのだろう。アンジェリークにとっても、自分にとっても、チャーリーにとっても。 それでも。 アンジェリークは渡せない。   真っ白で汚れない決意がゼフェルを攻めたてた。 「ゼフェル」 もう、ゼフェルはここでアンジェリークを抱くことなんてできない。けれど、心ではしっかりとアンジェリークを抱こう。そしてもう二度と離さない。 決して。   アンジェリークに近づく。抱きしめたかった。その存在を確かめて。 靴はあいかわらずひっかけた程度で履いていた。かぽかぽと軽い音がひびく。 「アンジェ」 ゼフェルは何かに耐えるように頭をかいた。首に手をあてる。自分の手がやけに熱く感じる。 「ゼフェル?」 おそらく、アンジェリークはチャーリーのことを聞きたいのだろう。けれど答えることなどできない。そうすれば、アンジェリークはチャーリーを追うような気がしたのだ。彼女は自分だけの幸せなど大事にするわけがないのだから。 「次で最後だ。」 もつれるような口調だった。首にあてていた手を離して、アンジェリークの頬に触れる。自然と、心は穏やかだった。口だけが言うことをきかないのだ。 しかしそれがアンジェリークにはよかったようだった。 唇を読んだのだ。 「どうして?」 アンジェリークが二度まばたきをする。ゼフェルの鼓動が二度高鳴る。 「この国を出る」 アンジェリークの目に大量の涙があふれた。それから頬が急に冷たくなる。涙が手に触れたせいもあったかもしれないが、それだけではない。彼女の体温が急に冷たくなったのだ。 ゼフェルはけげんな顔をする。 「どうしたんだ?」 アンジェリークは無言で首を振るだけ。言ってはいけないと思うのだ。 アンジェリークは―――とてつもなく嫌な想像をしていた。 ――――おいて行かれる――――と。   JAZZ36    置いていかないで―――― 吐き気がするくらいに。 好きと言っただけではまだ足りなかった。好きで、一生そばにいたいのだ。 それなのに彼は、アンジェリークを置いて行ってしまうと。 頬がつめたくなる。ゼフェルが不思議そうな顔をしている。 「当り前だろ?」 そういう言葉が脳裏をよぎる。アンジェリークとの関係はその程度だ、と―――。   駆け出した。   思いっきり。足は遅いけど、思いっきり。 ゼフェルに追い付かれないように。   けれどゼフェルの方は全然意味がわかっていなかった。どうしてアンジェリークが泣きだしたのかも、どうして駆け出していってしまったのかも。 足は完治しているけれど、外に出られる体ではないのだ。 ゼフェルが我に帰ったのは、それから1分くらい経過したころだった。     *   「アンジェリーク!」 アンジェリークは走り続ける。呼ばれる声になど無反応で。聞こえないのだから仕方がないけれど。 「アンジェリー、クッ!!」 一瞬にして、世界が変わった。腕で腹を抑えられている。反動で髪だけが前になびいた。   この腕は、この白くてきれいな腕は―――セイランのものだった。 「セイラン・・・」 涙まじりの声で。 涙でぼやけてしまう視線をセイランに投げかける。 そしてまた、一瞬で、世界が変わる。   セイランは、アンジェリークの体をひきずるようにして、近くの階段の方へ消えていった。 まさに、ゼフェルには見えないところへと。 そのころゼフェルはもう3歩でアンジェリークとセイランを目撃する、という位置まで迫ってきていたけれど。 それを阻止したのは、他でもない、セイランだったのだ。   ―――おもしろそうだね――― セイランはその真っ赤な唇をぺろりと嘗めた。   JAZZ 37   さっきちらっと見えた金の頭はアンジェリークに間違いなかった。でもどうしてこんなところを走りまわっているのかわからなかったのだ。 それから彼女の泣きはらした目が見えた。     セイランはチャーリーを迎えに来たはずだった。いつもはそんなことはしないけれど、今日は特別に。   チャーリーが小さな箱を手に持っていたのだ。それは婚約指輪。今アンジェリークにわたしたとしても、音をたてて虚無に還ってしまう指輪だ。それをもってチャーリーが一人でアンジェリークのところに行ったということは、チャーリーはもうふられるのを覚悟で行ったということなのだ。 帰って来るだろうか――― いやな予感がセイランの胸をよぎる。 あれほど愛した女を手にいれることができないと知って、帰ってこなくなっても不思議ではない。 病院に迎えに行って、力ずくででも帰らせようとしていたのだ。 玉砕するのは別にかまわなかった。セイランにとってチャーリーの破談は特に重要な意味を持っていなかった。しかし、チャーリーがいなくなるということは大変なデメリットなのだ。 何としてでもチャーリーを、と思っていた矢先。   「アンジェリーク!」 少女が出てきた。予想だにしていなかった金頭が。 チャーリーとのことで泣いているのだろうか。チャーリーを追いかけているのだろうか。そうなると、セイランにはおもしろくない。ゼフェルの一件はただの挿話で、チャーリーとアンジェリークが無事にゴールインなんてことになってしまっては、セイランは本当におもしろくない思いをしなければならない。 「アンジェリー、クッッ!」 ひっ捕えて階段室へ。ゼフェルがその後ろに見えたから。そしてセイランはすべての状況を把握したのだ。アンジェリークはゼフェルから逃げている。理由はわからないけれど。 不思議な匂いのするそこで、アンジェリークは泣き続けていた。 よっぽど悲しかったのだろう。チャーリーのこと以上に。 ―――ゼフェルとも終わり、とか―――? それはそれでおもしろくないものがあった。セイランは次の言葉が続けられずに、アンジェリークが泣きやむのを待っていた。 「セイラン・・・・」 「どうしたの」 「ありがとう」 「何だい、一体」 「ありがとう」 さっぱりだ。逃げているアンジェリークをゼフェルから引き離したことに対してお礼をいっているのだろうが、本人もおそらくわけもわからず言っているのだろう。セイランはアンジェリークが落ち着くまで待つことにした。 「セイラン」 落ち着いた声が帰ってくる。 「どうしたの」 アンジェリークは真っ赤になった目をまっすぐにセイランへと向ける。強い女の目をしていた。 「私、もう歌えないの」 セイランにとっておもしろくない事実が増えてしまった。 アンジェリークが歌えない。 精神的に、という意味だろう。身体的には何ら問題はないはずだ。耳はきこえないとは言え、目もあるからリズムはとれる。 「ゼフェル・・・がっ」 ゼフェルという単語が発端となって、アンジェリークがまた泣きだしてしまう。それでもしゃべり続けた。 「ゼフェルが、終わりだって。ほかの、国・・・・・行く・・・て」 ついにアンジェリークは顔を覆って泣き出してしまった。 泣きたいのはセイランも同じだ。ゼフェルが他の国に行くくらいで歌が歌えなくなるほどやわな女だったとは。歌をしぬほど愛していたはずだったのに。それにセイランはひかれていたというのに。 「アンジェリーク・・・」 しっかりするんだ、と言いかけて。 ふと、セイランは頭の中に黄色信号があるのに気がつく。 ―――アンジェリークは、歌以上にゼフェルを愛してしまっている。 ―――ゼフェルも同じだ。 ―――チャーリーだって。 チャーリーはゼフェルにアンジェリークを奪わせるつもりでこの病院に来たはずだ。そのチャーリーの姿がない。そしてゼフェルがこの国を出ると言った。 こう考えてはどうだろう。   セイランはパズルを組み立てていく。 頭の中で。泣き続けるアンジェリークを腕に抱いて。 「ああ、そうか」 すべてのパズルは一つの絵になる。 それはいろんないろが混じりあった奇怪な絵だ。 ―――要するに、アンジェリークが勘違いをしているわけだ。 セイランはにやりと笑う。 アンジェリークが見ていないところで。 「アンジェリーク」 そしてアンジェリークに魔法をかける。耳のきこえないはずのアンジェリークにゆっくりと唇を読ませる。 「君はゼフェルがすきなんだろう?」 アンジェリークはひかえめにこくんとうなずいた。 「ゼフェルと一緒にいられるのは、次のコンサートまでだ。つまり、次のコンサートが最後なんだよ。その日君が歌わなければ、会うことはできない。そうだろう?」 ゆっくりと、アンジェリークがうなずく。その目にもう涙はなかった。 「だったら、歌うしかないよ。もしかしたらゼフェルの気が変わるかもしれないからね。・・・どう?それでも歌わないの?」 アンジェリークはふらっと立ち上がった。すべての言葉を読み取ったのだ。 愛、という魔法で。   セイランも立ち上がってアンジェリークの頭に手をのせた。 そして。 ――――――― 何かをつぶやく。 アンジェリークには、見えない位置で起こった出来事だった―――― JAZZ38   ゼフェルはそのまま病院の外に出てしまった。サックスも置いたままだから一度戻らなければならない。 アンジェリークもみつけなくては。   どうして彼女が泣いたのか。どうして逃げたのか。 理由を説明させて。 たぶん誤解しているのだろう。どういう風に誤解しているのかわからないけれど、アンジェリークが泣くような事実はゼフェルの手元にはなかったのだ。 「アンジェ」 つぶやいた。胸の奥があったかくなる。とたん、アンジェリークが目の前に現われる。もちろん幻想だったけれど、それでも背中に電気が走るのだ。 重症だ。手に入れてもなお、足りない。こんなに愛しいと思ったのは初めてだ。愛しいとか恋しいとかいう説明ではまだ言い表せない難しい感情がざわざわとゼフェルの中でかけめぐっている。   「ゼフェル」 うしろから声がした。 振り返ると、そこには――――天使が、たっていた。   やわらかく、微笑んで。       JAZZ 39     どくどくいう心臓の音が聞こえてしまいそうだった。自分には音が聞こえないから、どういう風なのかわからなかった。 目の前にはぽかんとしたゼフェルがいて、風が吹いている。外はいい天気でアンジェリークがいる病院の庇の下は暗い。 「ゼフェル」 もう一度名前を呼んだ。するとゼフェルはまっすぐにアンジェリークを見つめて近づいて来た。 アンジェリークのやわらかな微笑みが一瞬固まる。 少し怖かった。 セイランはああ言ったけれど、ゼフェルが「国を出る」と言ったのは事実なのだ。気が変わるかもしれないと言っていたけれど、どう説得したらいいのかわからないのだ。自分は耳が聞こえない。そのハンデがアンジェリークに思い鎖をまきつけていた。 風がぶわっと、瞬いた。 アンジェリークの金の髪が無造作に顔にかかる。 その髪を手で止めようとして。     「アンジェ」   聞こえたような気がした。   奇蹟が起ったような気がした。   もう一度言って。   「もう一回」 ゼフェルは首をかしげる。何をもう一回なのかわかっていないようだった。 「もう一回言って。」 ゼフェルは随分と難しい顔をしていた。 「アンジェ」     ―――――――――――――――――聞こえる!!   少しだけ、聞こえる! 声はやっぱりかすれていて、低くて!   アンジェリークは無意識のうちにゼフェルの胸に飛び込んでいた。 一方ゼフェルは頭中疑問符でいっぱいになっていた。   JAZZ 40     よくわからなかったけれど、ゼフェルはアンジェリークを抱きしめていた。 「アンジェ」 囁く声が低くアンジェリークの胸に届くように。 「離さないから」 アンジェリークの耳は聞こえないはずだった。 だから、どんな恥ずかしい言葉でも言える。 「好きだ」 どんどん腕に力がこもっていく。     「ほんと・・・?」 アンジェリークが。 よくわからないことを聞く。 「?」 ゼフェルがすこし体を離してアンジェリークに首をかしげてみせると、アンジェリークが困ったような顔をした。 「今、言ったこと」 ゼフェルの目は落ちるかと思われるくらいに大きく見開かれた。     「おめー、聞こえるのか!?」 病院の中に響くような、大きな声だった。