ウ
1999年7月29日(木) 午後4時22分
ゼフェルはむすくれたまま学校の屋上で寝そべっていた。
夏だ。
とてつもなく暑い。このままこんな所にいたらひからびてミイラになって御陀仏だ。だからと言って、教室に戻ってカバンを取ってかえることができないのである。
理由はあの金髪オンナにあった。
要は―――喧嘩だ。
理由は、言うのも馬鹿らしいほどのこと。というか、言うのが恥ずかしいようなことだった。
ゼフェルがキスをしようとして。それをアンジェリークが拒んだのだ。それが彼にはどうしても許せなかった。今まで一度として彼女はキスを許してくれないのである。聞けば「イヤじゃない」と答えるくせに、イザするとなると厭がるのだ。どういうわけだろう。
いいかげんゼフェルのかなり短い堪忍袋の尾が切れてしまったのである。おそらく教室にはゼフェルを待つアンジェリークがいる。4度目の「キスイヤイヤ作戦」のオトシマエをアンジェリークが付けてくれるまで、ゼフェルは帰らない気でいるのだ。だからと言って教室以外にいく所などない。隣の教室には男どもだったり女どもだったり、ぎゃあぎゃあうるさいのがいる。そんな中で独りでたたずんでいるわけにはいかないのだ。仕方なく、このクソ暑い屋上で寝っころがっているしかなかった。
アンジェリークが来るまでこのまま。
自分でも馬鹿だと思う。女が初めてのキスを怖がるらしい、ということは知っていた。知っていた、けど、自分の女にはそれをしてほしくないのだ。始めのうちは、そりゃあ、「かわいい」とか思って黙って我慢していたけれど、4回目ともなるといいかげん我慢も限界なのだ。
今日だって自制するのが大変だった。
今日は二人が日直で、戸締りの点検なんかをしていたのだ。それからアンジェリークが日誌を書いた。その机の向かい側にゼフェルが座った。アンジェリークが一瞬匂わせたシャンプーの香りがゼフェルの鼓動を随分と速めたけれど、それを何とか抑圧する。でも、アンジェリークがちょっと赤い顔をして顔を上げた瞬間に、ゼフェルの左手が力強くアンジェリークを捕まえたのだ。
それから、今度こそキスをしてやると意気込んで顔を近づけたのに。
やっぱり、ダメだった。
ゼフェルは「バッカヤロウ」と叫んで独りで勝手に教室を出て行った。
そして、今に至るというわけだ。独りで勝手に怒って出て来ただけだから、喧嘩にはならないかもしれないけれど、ゼフェルにとってこれは立派な喧嘩だった。
思い出しただけでもゼフェルは真っ赤になった。
―――オオカミじゃねんだからよ・・・。
でも、限りなく近い存在である。
ゼフェルの目に入るのは、バカみたいな青空だ。いい風が吹いているけれど、やっぱり暑い。ぼんやりと、またゼフェルはアンジェリークを思いだしていた。
今日の授業中に消しゴム忘れたとか言って、隣のゼフェルが貸したこと。掃除の時に一生懸命ほうきを持って掃いていた姿。学食でもみくちゃにされていたアンジェリークをゼフェルが救いだしたこと。
今日一日だけでも、頭がおかしくなりそうなほどのアンジェリークがいる。そしてそれは全部ゼフェルの宝ものだ。
―――しなきゃよかった。
本当は、すごくアンジェリークに会いたくなっていた。頭の中も、胸の中も、体中、全部アンジェリークで埋めつくされているのだ。一刻も早く、アンジェリークをいれ直さないと、不完全燃焼で死んでしまいそうだった。
喧嘩なんか、しなきゃよかったな。
もう一度ゼフェルはぼやくと、よっと起き上がった。
何だかクラクラする。暑い所にずっといたからだ。
―――もう、帰ってるか・・・。
屋上のドアに手を掛けた。
ドアを開いて、真っ暗に見えるその階段を下りていく。それから3階の自分の教室へと向かった。
何となく、アンジェリークを探す目になっていた。
教室に入ると、そこには誰もいなかった。
アンジェリークはもう帰ったらしい。
仕方なく、ゼフェルは自分の鞄をとりに席に近づく。アンジェリークのとなりの席だ。とっても大好きな席。いつでもアンジェリークの息づかいが聞こえそうな席だ。何だかあったかい気がする。
左側にかけてある鞄に手を延ばした。
―――あぁ??
鞄が・・・ないのである。
何度探しても、何度目をこすっても、鞄はない。
どうしたことか。
犯人は、アンジェリーク以外にはいなかった――――
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