〜1〜
いつも喧嘩ばかりしている問題児相楽左之助の担任教師、マル左。
校長や教頭をはじめ、生活指導の先生方にも、「何とかして下さい、担任のあなたがしっかりしてくれなきゃいけませんよ。」と言われ、毎日頭を抱えていた。このままでは、相楽君は退学になってしまう。どんなに素行が悪くても、やはり自分のクラスの生徒、退学させてしまうのは忍びない。教師としての意地もある。相手はたかだか18歳、怖がってなどいられるものか。マル左は、ある日意を決して、問題の相楽君を呼び、面接用の個室で、お説教をすることに。
相楽は、「へェへェ」と、面倒くさそうに返事をしたが、それでも面接室には黙ってついてきた。自分の後ろに相楽を連れて歩くマル左、廊下をすれ違う生徒達が、「ねえねえ、相楽君にお説教でもするつもりかしら。」「え〜、嘘でしょ。マル左先生ってば恐いもの知らず〜。」等と、ひそひそ声で囁き合っているのが耳に入ってくる。途中から、そんなひそひそ声が全く聞こえなくなったのは、後ろの相楽が、生徒達を一瞥でもして、その口を黙らせたのだろう、とマル左は思った。・・・そして、面接室。
マル左は、部屋に入り、ソファに腰を下ろすが、相楽の方は、面白くなさそうな表情で、ドアに背を凭せ掛けて立っている。ついてきたはいいが、「やってらんねェ。」とでも言い出しそうな様子だった。
「相楽君、どうぞ、腰掛けて頂戴。」笑顔を作ってそう言う。
この少年が、恐くないと言えば嘘になる、彼は、この辺りでは、他の不良生徒のみならず、その筋の者にまで、一目置かれている人なのだから。
彼は、しかし、他の不良連中とつるむことはなく、いつでも単独行動であり、それも、他の連中のように悪事を働くわけではなかった。何の罪もない生徒に乱暴を働いたり、盗みをしたり、そんなことは、彼とは関係の無いことであった。ただ、喧嘩に強いと言う理由から、良からぬ連中が、彼にちょっかいを出し、それに応じてやっているまでのこと。自分からは喧嘩を売らないが、売られた喧嘩は買う、といったところであろうか。そういう訳で、マル左は、相楽君は乱暴だけれど、悪い子じゃないのよ、と思う。無茶ではあっても、その行動は一つ筋が通っていて、彼女はそんな相楽に、何処となく好感を持っていた。とはいえ、暴力沙汰を犯して、怪我人を続出させていることに変わりはない。彼の将来のためにも、何としても止めさせねば、マル左はそう考えていた。
相楽は、意外に素直に彼女の前に腰を下ろした。
「で?何の用なんでェ。先生よぉ。」
とっとと終わらしてくれとばかりにそう口を開く。
「ったく、暑いぜ、今日は。」
そう呟き、シャツのボタンを2つほど外すと、パタパタとシャツで仰いだ。
「分かっていると思うけれど、相楽君、このまま喧嘩を続けていればね、あなた、この学校にいられなくなるのよ?それじゃあ、困るでしょ?」
軽く身を乗り出し、心配気な表情で問うマル左。
「あなたが、自分から喧嘩を仕掛けていないことは知っているわ。いつも相手からだってことを。そりゃぁ、仕掛けられた喧嘩を避けろっていうのは難しいかもしれない。でも、あなたほど喧嘩が強いんだったら、相手に怪我をさせずにあしらうことだってできると思うのよ。違う?」
真剣な眼差し。本気で心配しているのが見て取れる。
相楽は、黙ってそれを聞いている。
マル左先生は、他の馬鹿な先公とは違う。相楽はずっとそう思っていた。
他の連中は、自分をとんでもない不良と見なし、まるで言葉も通じないかのような扱いをする。馬鹿には何を言っても無駄、関わらないに越したことはない、とでも言わんばかり。しかし、彼女は違っていた、自分を一人の生徒として、いや、一人の人間として、他のものと同じように接してくれた。それが何故か照れくさくて、いつも、「うるせェ。」だの、「放っておけ。」だの言って、彼女の顔を曇らせていたしまっていたが・・・。
いつだか、物凄い数の野郎に囲まれちまって、顔に大痣つくって登校した日。俺の怪我に驚いた先生は、慌てて保健室へ連れて行くと、泣きそうな顔をして、自ら手当てをしてくれたっけな・・・。
いつも、あんたに辛い思いをさせていたんだな、俺・・・。このままじゃ、いけねェ・・・。
「だからね、私は、喧嘩を止めて欲しいのよ。あなたのためにならないじゃない。私が協力できることがあれば、何でもしてあげるから・・・。」
すっと、相楽は立ち上がった。ソファから離れると、驚いてこちらを見ているマル左の後ろに移動する。
「相楽君?どうしたの?ねぇ、まだ話が終わっ・・・!!」
後ろからいきなり抱きしめられ、言葉を失うマル左。
突然のことに一気に心臓が高鳴る。背中に彼の温もりが伝わってき、耳元で、彼の息遣いが聞こえる。彼女は固まったように、腰掛けたソファから離れられなかった。
「先生・・・。」
囁くように、そう声を漏らす。
「俺が退学して困んの、先生の方じゃねェの?」
浅く笑う。相楽は更にマル左に身を寄せた。彼の唇が、彼女の首筋に触れる。マル左は、抗えなかった。たかが18歳の肌に、禁じられた陶酔を覚える。
「まあ、俺も退学はしたくねェし・・・。喧嘩の方、善処してみるぜ。」
彼はそう言うと、彼女の肩に、頭を凭せ掛けた。その黒髪が、彼女の頬を掠める。マル左は、何故だか、この状況が自然に感じられて、クスリと笑った。一寸は戸惑ったが、経験はものを言う。
「そう、良かった・・・。」
手を伸ばし、彼の包帯の巻かれた右手に、それを添える。
「頑張ってね。」
大人の女の表情だった。
「おう!任しとけって。」
クッと笑うと、相楽は身を起こした。両手は、彼女の肩に置かれたままである。
「先生、俺に協力してくれるって言ったよな。」
「ええ。それが?」
「先生に頼みたいことがあるんだ。・・・分かってると思うけどよ、俺がぜってぇ喧嘩しねぇように、これからも、今日みたいに説教言ってくんねェ?この部屋で。」
マル左は、目を見開いて、後ろを振り返る。
「これからも?しょっちゅう、なの?」
「俺は毎日でも構わねェけど・・・。それは難しいんだろうな。まあ、先生も頑張ってくれよ。な?」
ニッと笑った。いたずらっぽい笑みが、年令に相応しく感じられて、マル左は爽やかな気持ちになる。やっぱり、結構悪いコなんじゃない、先生にちょっかい出すなんて・・・そう思って失笑する。
「分かったわ、善処します。」
「いい返事で結構結構!」
相楽は、マル左の頭をよしよしと撫でる。己の信念が込められた、その、包帯に巻かれた右手で・・・。
〜2〜
「痛っ!」
「ちょっとは我慢しなさい。あ〜あ、こんなに怪我しちゃって、喧嘩
は駄目って言ったじゃない。」
* * *
ある朝、痣だらけの相楽が登校してきたときはびっくりした。
もう喧嘩はしないと誓ったのは、つい先日のことなのに・・・。
マル左は表情を曇らせる。
「とにかく、来なさい。」
言って、相楽の腕を掴むと、例の部屋に連れて行った。何か言いたそうな彼をその部屋に残し、救急用具を取りに保健室へと向かう。
「もう。いつも心配ばかりかけるんだから・・・」
決して憎く思っているような口調ではなく、そう彼女は呟きながら、まだ人の少ない朝の廊下を早足で歩く。と、
「マル左先生!」
聞き覚えのある声が彼女の足を止めた。
「あ、白先生。お、おはよう御座います。」
国語科教師、白。優しく誠実な人柄、丁寧で分かり易い教え方で、生徒の受けもよく、そして、まだ若いながらも他の先生から信頼されている彼である。
「この間は、突然あんなことを言って済まなかったね。びっくりさせて悪かったと思う。でも、俺は本気だから。真面目にあなたとの・・・」
「先生、今、ここでは、学校では、そのお話は・・・」
慌てて小声で白の話を止めさせる。誰かに聞こえるやもしれない。
「そ、そうだね・・・。ああ、よかったら、国語科研究室に来ないか?まだ他の先生は登校していないし、この間の話で、言い足らないことがあってね。」
申し訳なさそうにそう言うと、軽く微笑む。
「あ、今ですか?ごめんなさい、今用事があって・・・。」
怪我だらけの相楽の顔が思い浮かぶ。
「ああ、いや、そうか、なら仕方がないな。ごめん、引き止めってしまったね、用事があったのに。」
と、また後で、と軽く手を挙げて立ち去ろうとする。マル左は声を抑えながらも、彼の背中に呼びかけた。
「白先生!」
「え?」
「私の方こそ済みません。あの、あれのお返事ですが、もう少し、もう少し考えさせて頂いて宜しいですか?こういうのって、あまりお待たせしてはいけないって判ってるんですけど、でも・・・」
結婚。全く考えていなかったわけではない。そろそろそんな年齢であるし、白とは付き合い始めてもう3年が経った。当然の成り行きなのだが、いざプロポーズされると、どうしても尻込みしてしまう。
このまま安易に受け入れてしまってよいものだろうかと・・・。もう少し、独り身の気楽さを満喫したいという気持ちもあるし・・・。
「そんなこと・・・。気にしなくていいんだよ。一生の問題なんだから、ゆっくり考えてくれて。」
心の和むような、穏やかな声が心地よい。この人とだったら、いい家庭が築けそう。うん、きっと・・・。じゃあ、何故、私はこんなにも迷っているんだろう。この人と一緒になることを望んでいたのは、私も同じであったのに。
遠ざかって行く彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、暫しその場に立ち尽くしていたマル左であった。
「ああ、もう、ダメダメ、今はそれより救急箱だったわ。」
* * *
「先生、不器用だな・・・っ、痛ってぇ〜!」
「どこが不器用なのよ。こ〜んな優しく手当てしてあげる先生なんてまずいないわよ?喧嘩した自分が悪いんでしょ、文句は言わない!」
クスクス笑いながら、手際よく手当てをしていく。
「・・・俺は喧嘩してねえよ。」
「えっ?!」
「だから、俺は喧嘩してねェって言ってんだよ。じゃなけりゃ、俺が雑魚相手にこんな怪我なんてするかよ。」
不貞腐れたような表情が、何故か可愛らしいとマル左は思う。教室ではそうでもないのに、二人になると、相楽はいろんな表情を見せてくれる。
一昨日だったか、思いの他会議が長引いて、約束の時間を一時間近くも遅れてこの部屋にやってきた時の事。待ちくたびれて昼寝をしていた彼を見て、悪戯心が起きた。ゆっくり起こさないように彼に近づき、その耳元に唇を寄せると、フウッと息を吹きかけた。その時の、びっくりして目を覚ました相楽君の顔といったら・・・!!我知らず、笑みが零れる。
「な、何笑ってんだよ。」
「ううん、別に〜。それより、喧嘩してないって?じゃあ、どうしてこんな怪我を?」
「べ、別にいいじゃねェか。」
「え?いいって、どこがどういいのよ!」
「いいってったらいいんだよ。とにかく、マル左は心配しなくて大丈夫だからよ。」
まだ治りきっていない右手を伸ばし、マル左の頬を軽く撫でた。
包帯の感触が心地よい。頬に触れられているだけなのに、身体全体が包まれているようだった。
この空気にずっと浸っていたい。そう思うと、これ以上質問の言葉を投げかけることはできなくなった。彼女のそんな気持ちを読み取ったか、相楽は僅かに口角を上げ、親指で彼女の唇をゆっくりとなぞった。
そして、静かに窓の方へ顔を逸らし、朝の光に目を細める。
その相楽の表情は、妙に切なく感じられた。
愛おしさが込み上げてくる・・・何故だろう。
マル左は、自分の口元で遊んでいる彼の親指に、唇で軽く挟むようにキスすると、彼の手を握り、それを自分の胸の上へと持っていった。
驚いて振り向いたところに、
「ねえ、どうしよう、あなたのその表情、なんかとっても・・・・・・好きなの。好きなのよ。」
熱のこもった声で言う。涙が零れてしまいそうな瞳をして。
彼女の胸の高鳴りは、腕を伝って彼に届いた。
そして、二人の音が重なった時、
「どうすればいいって?それを俺に聞くわけ?」
黒い瞳が形容し難い色に煌く。
「先生なのに生徒に聞くのかよ。」
右肩に手が添えられる。
「いいぜ、今日は俺が先生に教えてやるよ。」
掠れた声が近づいてくる。
「な、マル左。」
それは、息もできないほど激しい、貪られるような接吻だった。
息をしようと口を大きく開くと、彼の舌が入り込んできて、中をすっかり陵辱していく。時々歯と歯がぶつかってカチカチと音を立てていた。
「ね、ねぇ、苦しい・・・。ちょっと待っ・・・っ・・・」
「俺の方がもっと苦しい。」
言って唇から離れると、顎の線を辿って首筋へと移動する。
「え?・・・ん、んんっ、ぁ・・・。」
「白と・・・奴とはどうなってるんだ?」
思いもかけない言葉だった、というと間違いになる。校内の人間で、白とこのことに気付いている者がいないわけではない。相楽が知っているという可能性はあったのだ。そして、知っているのならば、彼の疑問は当然のものだ。しかし、一番聞かれたくないことでもある。
「それは、だから・・・。あの・・・っ。」
どう答えたらいい。彼に、どう応えたらいい。
「私・・・彼に・・・ね・・・っぁん・・・」
答えの言葉は相楽の唇で塞がれた。今度は、自分の思いを染み込ませるようなしっとりと優しい口付け。
(少し、震えてる?)
そして、すぐに唇を離すと、相楽は身を起こしてドアの方へ向かった。
「今日は俺、なんか変だな。殴られた場所が悪かったのかもしんねェ。はは。」
乾いた笑い。
「悪ィ。今日は帰る。」
鳴り響く始業のベルも、マル左には届かない。
相楽のこと、白のことが彼女の頭の中をぐちゃぐちゃに掻き乱していた。
はっきりしなければいけない。そんなことは分かっている、そんなことは。でも、どうしようもできない時もある。どうすればいいのか分からない。どうしたいのかということも。
そんなあやふやな中で、肩に付けられた接吻の跡だけが、くっきりと赤色に染まっていた。
つづく・・・ |