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この前のとある裁判の判決についてのコメントで

注目すべき物がありました。

それは

『私は当然死刑だと思っていたので,とても残念です』

と言う言葉です。

死刑については賛否両論でありますし

その事についてのコメントはここでは避けさせていただきますが

やはり,僕が気になったのが

当然死刑だと思っていたので

の部分です


『死んで当然』

この感情はどうなのでしょうか?


現在は「死」特に「人間の死」については

最も避けられるべきものとして扱われています

有る意味では『死』は普通の生活から見れば

最も遠いところに位置するものです。


前にミトラ式刹那主義理論で述べたように

遺伝子存続の本能から生まれる

殺人の欲望

これは,1つの答えでありますが

現代では淘汰されるべきである理論です

つまり

人を殺すと言う感情などと言うものは

持たぬように教育されているはずです

しかしながら,どこからか生まれてくる殺人の欲望

これは,現代と言う環境から見れば

突然変異的な扱いをされるのは仕方ありません

そして,そのような感情から,それを行動に起こしてしまった人物は

淘汰され,その遺伝子を後世に残す事は困難でしょう



このような環境の元で

ごくごく普通の精神の持ち主と考えられている人が

マスコミと言う公共の場で

殺人を肯定する言葉を発する


あまりの違和感に,僕は唖然としてしまいました

僕は,殺人欲求と言うものを否定しません

先にも述べたように,それは生物としての本能によって

引き起こされる答えとしては,当然あり得るものだと思うからです

しかし

僕のような考え方は

一般常識からは当然外れるものだと思っていました

そして

一般常識の中で生活し,一般常識を持つ人ならば

そのような殺人と言う感情は

当然,否定して然るべきだと思っていました

「どんな理由があろうとも殺人は許されるものでは無い」

これが,僕の想像していた一般常識でした

どんな感情が起ころうとも殺人に結びつけるのは

社会では認められていないものだと思いました


でも,よくよく考えれば

死刑制度が存在するということは

この理論は否定されるわけです

しかし

社会ではこの理論を正義として教えつづける

明らかな矛盾です

つまり,法で認められた殺人ならば善であるという

あまりにもこじつけ的な

例外の存在する理論

悲しいかな

この現象はよく見られることではありますが。


ところが,一般常識を持つ人は

この不自然な理論にたいしても順応しているようです

自分では殺人は起こせない

法で認められた殺人は善である

つまり,法での殺人を望む

と言う,現代の環境をフルに利用して

自分の殺人欲求を満たそうとする


この人間のずるがしこさがあったからこそ

人間はここまで進化してきたのかもしれません


僕もそんなずるがしこい本能を持つ人間の一種だと思うと

ちょっと悲しい気もしますが・・・


そんな,ずるがしこさを持って

この世の中で成功したいとは思いません


本当に心から思い,それが自分の中で善だと思えば

自分で実行すれば良いと思います


中途半端な思いで実行したり

他人の行動によって,自分が出来ない欲求を満たす

こんな事だけは絶対したくありません



強い意思を持って行動してみてはどうでしょう?

一般的な常識にとらわれずに


自分のその行動が本当に善であるならば

それは自分の遺伝子存続に大いに貢献するでしょうし

逆に悪であったならば

自分の遺伝子の存続は不可能となる,淘汰されるという

生物にとって,最も避けなくてはならない状況に陥るわけですから

そのような,かけひき的行動は僕は認めたいと思います


これが,生物としてこれまで歩んできた

そして,これからも歩まなければならない

進化と淘汰の法則だと思うからです



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