| 「風のライオン 〜逃亡者〜」 彼、カール・リヒテン・シュバルツがその廊下を通り過ぎようとした時。 「あのさ、シュバルツだっけ?」 無遠慮にかけられた声に思わずその歩みを止める。 声の主が誰なのかと言う事は見なくても分かる。そして子供でありながらあれだけの戦いを目の前で見せ付けられて無視できる存在ではなくなっていた、という事もあってシュバルツはゆっくりと声の方を向いた。 「バン・フライハイト」 バンは外から窓に頬杖をついてシュバルツを見ていた。そしてシュバルツに名前を呼ばれると気付いて貰えた事が嬉しいのか片手を上げて笑った。 「こんな所で何をしている?」 シュバルツは窓へと歩みながら周囲を見回すといつも一緒にいるはずの面子がいない事に気付く。 「逃げてきた」 その問いにバンは悪びれもせずに言ってのけたのでシュバルツはこの少年の現状を思い出す事にした。 「ルドルフ殿下の戴冠式の準備はもう終わったのか?」 言われてバンは膨れっ面になった。 「だから逃げて来たんだって。シュバルツも硬いなぁ」 その子供らしい反応にシュバルツは弟を思い出す。年はそう違わなかったはずなのにえらく違うものだと思い、バンの硬いと云う表現に家に縛られているのだと気付く。 「だが他の者は皆準備しているのだろう。お前だけそのままと言う訳にはいくまい」 そうは思いながらもシュバルツは一応の説得を試みる事にした。 「う〜ん。フィーネはさ、やっぱり女の子なんだと思うよな。ムンベイに衣装がどうとか言われて興味惹かれてったし、アーバインは適当で良いとか言ってその辺の奴らのでサイズ合わせるつもりみたいなんだけど、こういう所って俺ぐらいの奴いないのな。採寸がどうとかって言われてさ……」 バンは溜め息をついた。 「逃げたと言いながら私に声をかけると云うのは『観念した』と云う事なのか?」 シュバルツはそのバンの様子に苦笑した。 「匿ってくれそうかなって思っただけ。見当違いみたいだし逃げるに決まってるだろ」 またもや膨れっ面でそう言うとバンはくるりとシュバルツに背を向けて興味を無くしたとばかりに歩き出す。まるで何かしてくれるから懐いて来たのに何もしてくれないならいいやと言っている猫の様で。 「これで『はいそうですか』と逃がしては今度は私が怒られるのでね、君には申し訳ないが連行させて貰うよ」 悪戯心が湧いたシュバルツは窓を飛び越えバンの腕を引いてバンの向きを変えさせると、軽く自分の体を沈めてバンの腰に腕を回す。 「うわっ! シュバルツ!」 驚いたバンを無視してシュバルツが立ち上がるとバンはシュバルツの肩に担がれていた。 「離せってば!」 バンはシュバルツの肩の上で暴れるが子供が鍛え上げられた軍人の力に敵う訳もなく、シュバルツはと云うとバンの騒ぎなど無いかの様に涼しい顔して歩き出す。 「シュバルツ、離せよ!」 「離したら逃げるのだろう」 バンからはシュバルツの後頭部と背中しか見えないが言ったシュバルツはどこか楽しそうな顔をしていた。 「当たり前だろ!」 バンはそんな事を言うから離して貰えないのだと気付く事もなく感情のままに反応する。そしてシュバルツはその反応が楽しいのだと思った。 肩の上で落ち着かないバン。子供の体重など苦にはならないがあまり暴れられて落ちても困るとシュバルツは声をかけることにした。 「バン、あまり暴れると危ないぞ」 「暇」 バンは肩の上で静かになる代わりにシュバルツの帽子を取った。 「バン?」 シュバルツは呆気なく静かになったバンが何をしているのかと様子を見れば、バンはシュバルツの帽子を被って辺りを見ていた。 「シュバルツの視点ってこんなんなんだな」 珍しそうに言うバン。 「そうだな。だがそのうちお前もこれくらいにはなるのではないか?」 「だと良いけどな」 「どうした?」 シュバルツにはバンの声が元気がない様に思えた。 「面白くない」 返ってきたバンの答えはたとえ不機嫌になっても素直なものだった。 「こうしている事がか?」 「それも全部ひっくるめて面白くない」 「どう、面白くないのか聞かせてくれないか?」 するとバンは暫らく黙り込んだ。言いたくないのだろうかとシュバルツはバンに声をかけようとした。 「バ……」 「子供扱い」 シュバルツの言葉よりも早く、遮るようにバンが言った。 「俺だって大人だとは言わないけど子供扱いばっかりされてさ、ちょっと嫌になった」 その言葉にシュバルツは苦笑するしかなかった。シュバルツ自身もこうしてバンを子供扱いしているのだから。 「それは悪い事をしたな」 「悪いと思ってないくせに」 バンは再び被っていた帽子をシュバルツに被せた。シュバルツは目深に被せられて足を止める。 「バン、この被り方では前が見えないのだが?」 「知ってる」 シュバルツは溜め息をつくと帽子を直す為にバンを上から押さえている腕を離した。 「よっと!」 シュバルツの力が緩んだのを見てバンは肩から飛び降り……ようとしたが残った腕だけでもしっかりと掴まれてしまっていて降りる事は叶わなかった。 「大人を見くびって貰っては困るな、バン」 その楽しそうな声、雰囲気がバンにもはっきりと伝わり、バンはシュバルツの肩で悔しそうにしていた。 「くそ〜!」 もし地面に足が着いていれば地団駄を踏んだだろう事は想像がつく。 「さて、到着だ」 シュバルツが1つの扉の前で声をかけるとバンは恨めしそうにシュバルツを見た。 「シュバルツの馬鹿野郎」 ぼそりと言ったバンの声だが、バンの頭はシュバルツの後ろ、しかも顔は近い位置にあるのでしっかりと聞こえていた。 「バンはもしかして降りたくないのかな?」 「誰が!」 シュバルツはその言葉を聞くと扉を開けて部屋の中へと入って行く。 室内へ入るとバンの足が床に着くように体を屈めた。バンは床に足が着くとシュバルツから離れ、シュバルツはバンが完全に降りたのを確認すると立ち上がって扉を閉めた。 バンは室内を見回した。そこは宮殿内にしては殺風景で事務的な部屋だった。 「なあシュバルツ、ここ、何だ?」 シュバルツはバンのその様子に疑問に思った事を理解した。 「以前私がルドルフ殿下の戦術講師をしていた時に使っていた場所だ」 「シュバルツの部屋?」 「いや、泊り込んでいたわけではないからね。休憩室と云った所だろう」 「勝手に入って良いのか?」 「ルドルフ殿下からは講師の礼としていつでも好きに使っても良いと言われてはいたが……前線に行くようになって久しく使っていなかったよ」 「ふ〜ん。てっきり、なんか官僚とかの所に連れてかれるのかと思った」 そこにはもう先程までの駄々をこねた様なバンはいない。いるのは新しい発見を楽しんでいる子供の姿だった。 「匿って欲しかったのではないのか?」 「そりゃまぁね。でもシュバルツの立場とかってあるしさ、本当に匿ってくれるとは思わなかったよ」 シュバルツにしてみればこの言葉は意外だった。掴まるのを覚悟で自分に声をかけたのだろうかと思う。 「なら、何故私に声をかけたのか教えてくれないか?」 バンは真っ直ぐにシュバルツを見た。 「シュバルツに、興味があったから」 バンはシュバルツの目を見てはっきりとそう言った。シュバルツにしてもバンに興味を持ってはいたがバンが自分に興味を示すとは思っていなかった。 バンはシュバルツの驚いている顔を見ながら言葉を続ける。 「レッドリバーで帝国軍の指揮をとっていたのはシュバルツだって聞いた。あの時、俺もシールドライガーであの場所にいたからあれがシュバルツだったのかなって云うのを思いだした」 シュバルツの中ですれ違ったキャノピーに映った影を思い出す。 「それからマウントオッサの噴火で帝国軍の被害を少なくしようとしてたってのも聞いたしプロイツェンに結構逆らってたとも聞いた。それから……エーベネ空軍基地でのルドルフとの通信、ブレードライガーからの映像は後部座席だけだったから見えなかったかも知んないけどさ、そっちからの通信は俺のモニターにも映ってたからシュバルツの事、あの時から知ってた」 それは何か大切な秘密を教えるような笑みだった。 「アイアンコングでデスザウラーの動きを止めようとしたり、どんな奴なんだろうって思ってたから話してみたかったんだ」 シュバルツはその言葉を聞いていた。バンの話が終わるとシュバルツは大きく息を吐いて何かを考える素振りをした。そして思い切ってバンへと尋ねる。 「それで話してみてどうだった?」 シュバルツの中で不安が生まれたのは、シュバルツ自身この少年に興味があり嫌われたくはないのだ。 「面白い奴。もっとシュバルツの事知りたいって思ったくらいには結構好きかもしれない」 バンがシュバルツに向けたそれは不安を払拭する笑顔だった。 「私も、バンの事をもっと知りたいと思うよ」 返す笑みはどんな感情を含んでいるのか、シュバルツは自問して出会ったばかりだと云うのにと呆れるしかなかった。 もっと英雄らしい人物であったならばこんな感情を抱かなかっただろうと。 それはシュバルツの中で英雄という偶像が色褪せてバン・フライハイトと云う存在が大きくなった瞬間。 戻る |