「風のライオン 〜慈雨〜」



 低く暗い雲、雨音はしないのに濡れて続けている地面。彼の知る雨は激しい雨、降り出した事を気付かせない静かな雨は知らない。
「いつの間に降り出したんだろうな」
 バンは窓から見えるモノトーンの景色に惹かれて、知らない雨を知る為に外へと歩いて行った。

 シュバルツが書類の山から目を放し執務室の窓から外の景色を見る事は珍しくはない。しかし何故かその日は窓辺へと歩み寄って外を眺めた。
「雨が降っていたのか」
 薄暗い空の理由をそこに見つけて少し窓を開けて手を伸ばす。その手に触れる雨の粒は細かくて、雨が手に当たる感じがしないと思った。
 濡れてしまった手をハンカチで拭い雨粒を見ようと目を凝らした景色に中に見覚えのある人影が見えた。
「バン……?」
 この景色の中に、シュバルツは雨を受けて佇むバンの姿を見つけた。

 バンは雨を避ける事を忘れているのか、雨が降っている事に気付いていないのか、降りしきる雨の中で何もないかのようにそこにいた。
「バン」
 シュバルツは差していた傘をバンへと傾けた。
「いらない」
 バンは傘を押し戻すとまた雨に打たれようとしてシュバルツから離れた。
「バン!」
 自分を呼ぶ強い声にバンは漸くシュバルツへと目を向けた。
「いらないから……」
 バンはそれだけ言うと天を仰いでまた雨に打たれた。
 どのくらいそうやって雨に打たれていたのだろうとシュバルツは思う。そこにいるバンはずぶ濡れで、この雨でそこまで濡れるにはかなりの時間が必要だった。
 無理にでも傘の下に入れるべきだと思いつつも、バンのどこか嬉しそうな、穏やかな顔に躊躇いが生まれて出来ないでいた。
 そして先に口を開いたのはバンだった。
「ウィンドコロニーじゃこんな雨は降らないんだ」
 砂漠に囲まれた村を懐かしく思い出しながらバンは語り始めた。
「雨ってさ、もっときつく一気に降ってくるんだぜ」
 シュバルツはその気候を思い出す。雨自体降る事が少ない砂漠の村、降っても夕立程度で降り続く事はない。
「雨に打たれたら直ぐに濡れる、でも雨が上がったら直ぐに乾いちまう。水って貴重でさ、雨が降ったら雨水を貯めるんだ。だからウィンドコロニーじゃ雨が降ったら騒がしくなる」
 バンはシュバルツを見た。
「俺たちは雨に慈しまれてる……」
 バンはシュバルツに近づくとその手にある傘へと手を伸ばし畳んだ。シュバルツの金色の髪を淡い水滴が飾ってゆく。その光景にバンは目を細めて笑った。
「なんか、綺麗だな」
 バンの好きにさせるのは構わない。それでも、もっと違う言い方があるだろうとシュバルツは溜め息をついた。
「シュバルツってこの雨みたいだ。だから似合うかと思った」
「私が雨なのか?」
 シュバルツはどこか悪戯っぽい顔で言うバンの意味を掴みかねて聞き返す。
「相変わらず頭が硬いのか?」
 バンは思い出した様に少し笑ってまた直ぐに真顔に戻る。そこに存在するバンとシュバルツの違い。バンはそれを頭が硬いと言う。
 言われて、シュバルツは考え過ぎるからバンの言う意味が分からないのだと思う。バンは唯、感じた事を言葉にしているだけなのだ。
「自分に降り注いでくれているのに気付かないくらい優しく慈しんでくれている」
 バンは手を器にして雨を貯めた。
「それでも募った雨はこうして気付かなかった自分を気付かせるのに十分なものとなる」
 手の中に貯まった雨を握りしめるようにすると器を無くした雨は零れ落ちてゆく。
「掴もうとしても掴めない……この雨の中にいると、シュバルツが傍にいるような気がした」
「バン」
 シュバルツはバンを抱きしめた。それはまるで雨から庇うように。
「私はお前を太陽のようだと思うよ」
「シュバルツ」
 素直に寄りかかるバンの冷え切った体を温めるようにシュバルツは更に強く抱きしめた。
「それに、こんなにもお前を冷たくさせる雨でいたくない」
 バンはシュバルツの事を我儘な奴だと思う。それでもその我儘は自分に優しくしてくれる為のものだから良いとも思う。
 そんなシュバルツに自分は惹かれているのだと自覚して言葉を捜す。
「太陽と雨じゃ一緒にいられないもんな」
 幾ら探しても言葉は見つからなくて、別の例えも思い浮かばない。それだけ言うのが精一杯だった。
「ごめん、他に例えられない」
 申し訳なく見上げてくる漆黒の双眸にシュバルツは苦笑した。
「お前が雨だというのだから私は雨なのだろう」
 シュバルツはバンに微笑みかけると空を眺めた。雲は幾分か薄くなっていてもう雲の端が見えている。自分達の上の雲はまだ大きいが太陽を隠している雲はもう終る。
「バン、雨と太陽も一緒にいる事もあるのだよ」
 シュバルツの言葉と共に雲から抜け出した太陽が青空を背負って大地に光を届けた。
「うわぁ……!」
 バンは子供のような顔で感嘆の声を上げた。
 太陽に照らされた雨が反射しながら大地へと降り注ぐ、その神秘的とも言える景色に目を奪われる。そして恵の雨を受けた木々の緑が光を浴びて鮮やかな色を表した。
「やっぱりシュバルツは雨だな……」
 その光景を目に焼き付けるように見ながらシュバルツにそう言った。
 シュバルツはバンを抱きしめながら太陽と雨の邂逅は稀で、短くて、本当に自分達のようだと思う。
「バン。また任務に出るのだろう」
「シュバルツこそ直ぐにガイガロスに戻るんだろ?」
 お互い直ぐにこの基地から出発する。互いのその口調に名残を惜しむ響きはない。
 バンのGFの基点は共和国、帝国のGFにはトーマがいる。だから帝国の基地へと来る事は帝国から依頼が有った時だけ。シュバルツもその地位ゆえに帝都から離れる事は少ない。互いが出会おうとしなければその出会いは稀で……彼等は分かっていながらその奇跡にのみ出会う。
「この雨が降ったらまたシュバルツに出会えそうだ」
「そうかもしれないな」
 そっとシュバルツから離れたバンの顔は満足そうに笑っていた。
 言葉にしなくてもシュバルツはいつも慈しみの雨をくれるから、時折垣間見せる互いの想い、それだけで十分だとバンは思う。
 優しい雨が降るたびに、シュバルツを思い出して雨の中に佇むのかもしれない。
 時折見上げる太陽に、バンを思い出すのだろう。
 心の中に描いてしまった自分の行動に、相手への想いの深さを感じていた。










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