銀鎖狂乱・2
 
  シオンに初めて会ったのはいつだったか。馬上で、セイリオスはぼんやりと考えた。傍らに、やはり馬を駆るシオンにちらりと視線を送って見せ、それが気づかれないうちに慌てて反らせた。
 あれは、セイリオスが魔法研究院に入学した年だったはずだ。今から、もう何年前になるのか。まだ十をいくつも越えないころだった。北の離宮から王宮に移され、今までの自由な生活とは一変したあまりにも堅苦しい日々にうんざりし、それに少しでも逆らいたくて、客員学生、と言う、本来ならば存在しない身分を作ってまで研究院に入学した。それでも、朝から晩まで勉学に励み、より良き皇太子に、と言う圧力から逃れられるわけではなかったのだが、それでも、何か一つ自分の意志を通した、と言うことだけでもセイリオスにとっては喜びだった。
 そこで会ったのが、シオンだった。
 彼は王家に次ぐ名門の家の息子で、それなのにその家を勘当され、その時はただの研究院の一生徒という以上の何者でもなかった。自ら捨てたという名門の家名に似合わぬお調子者で、せいぜい、このふざけた態度が勘当の遠因になったのだろう、と密かに思っていたくらいだった。
 皇太子という身分ゆえに誰も近づこうとしなかったセイリオスに、唯一気兼ねなく話しかけてきたのはシオンだった。それを、現在の王家たるサークリッド家が、対立するローゼンベルク家ではなく、シオンの実家であるカイナス家と手を結んだ、と揶揄する者がある、と、いい顔をしなかったものがいた。
 国王直々の命を受け、北の離宮までセイリオスを王都に迎えに来たのは、騎士団で大尉の任を受けている、レオニス・クレベールだった。その縁あって、レオニスはセイリオスの護衛を任ぜられていた。侍女や従者はたくさんいたが、常に彼に付き添い、ほとんど生活を共にしている、と言ってもいいくらいなのはレオニスだけだった。
 しかし、その融通が利かないと言えるほどの実直さ、真面目さはいささかセイリオスをげんなりさせていたといえば言えないこともない。そして、二言目には王家のものとしての自覚、皇太子としての責任を問うレオニスは、まだ少年だったセイリオスには煙たい存在としてしか映らなかった。
 そんなとき出会ったシオンに、セイリオスが魅かれたのも、そんなレオニスに対比してのことだったのかもしれない。シオンがセイリオスをどう思っていたか、などということはセイリオスには計り知れないことではあったが、少なくとも彼が、自分が皇太子であるということを思い出せずに付き合えるのは彼だけだったし、そんなふうにセイリオスをくつろがせてくれる以上、シオンとてセイリオスのことを悪しく思っているわけではないことだけは分かっていた。
 そんなセイリオスに、レオニスはいい顔をしなかった。それは、偏にシオンがカイナス家のものだからなのだ。セイリオスは、レオニスに反発した。レオニスが彼から離れていったのも、それが最初の原因だった。
 やがて、政務にかかわることを許されたセイリオスが、最初にしたことは宮廷筆頭魔道師の任命だった。弱冠十八歳のシオンが指名されたことに、回りのものはみな驚いた。しかし、それが友人としてのひいき目だけだはなく、シオンにはそれだけの力があると知ったうえで彼を推したセイリオスに迷いはなかった。
 その時、初めてシオンが勘当されていたわけを知った。彼の生まれたカイナス家は代々軍人を排出した家柄だった。彼の父も、兄も、軍に籍を置いている。そんな中、ただ一人魔道に身を捧げた彼に対する風当たりはきつく、それが最終的に勘当という形になって現れていたのだった。
 今では、筆頭魔道師までに出世したシオンを厭うわけもなく、勘当は解かれてはいるが、それでもシオンが実家に足を向けることはほとんどなかった。そして、家の話をすることとて、非常に稀なことだった。
「どうした、セイル」
 かけられた声に驚いて、セイリオスは手綱を引いた。馬が小さく嘶いた。
「上の空だと、危ないぞ」
「分かっている」
 覗き込んでくるシオンから、セイリオスは視線をそらせた。結局、あれから十年以上が過ぎているのだ。シオンが宮廷に出入りすることを許されてのち、レオニスはセイリオスの護衛の任を解かれ、その代わりにシオンがその地位を受けた。それ以来、どちらかといえば神経質なセイリオスの緩衝役になり、何かと彼に尽くしてくれている。普段は何気ない態度で、何に関しても我関せず、一歩引いたところから眺めているような彼が、実は細かな神経を使って自分のことを何くれと気にしてくれていることに、気づいていないセイリオスではなかった。
「もうすぐ、最初の宿に着く」
 シオンが言った。
「そこで、馬を取り換えればあと三日は持つだろう。この調子で行けば、国境付近までは一週間だな」
「ああ」
 辺りは夕暮れが迫っている。王都を出れば、辺りは人家も見当たらない。ひと塊になって家々が群れをなし、小さな集落を作っている場所に日が暮れるまでにたどり着けなければ、このまま野宿にもなりかねない。まだまだ郊外には人の手の入らぬところも多い。野宿ともなれば、辺りを徘徊する未知の危険な生きものたちと対峙せねばならず、そんなところでは安全はどうにも保障しかねた。
「どうやら、間に合ったようだな」
 身分を隠すため、二人とも粗末な巡礼僧のローブを羽織っている。この格好をしておけば、夕暮れどきにふらりと立ち寄ったとしても、小さな村の住人が怪しむことはない。それどころか、村によってはこのような巡礼の僧をことのほか手厚く歓迎してくれるところもあって、彼らを偽っているという良心の呵責さえなければ、このような隠れた旅には非常に都合のいいものなのだ。
「ここまで来れば、陛下にも気づかれないだろう」
 村に入り、馬を降りると、二人に村人の視線が集まった。ひそひそと囁きかわされる声がする。
「……まさか、私たちの身分がばれたのではないだろうな」
 セイリオスが不安げにそう言うと、シオンは笑った。
「まさか。いくら王都に近いとはいえ、こんなところにある村の連中が、皇太子殿下の顔なんざ、知るわけがない」
「なら、いいのだが」
 馬を降りると、辺りに人が集まってきた。
「旅のお方」
 かけられた声に振り向くと、そこには初老の男がいた。回りを取り囲む者たちと比べると、一段身にまとうものの格が違う辺り、この村の村長か何かなのだろう。
「さぞ、お疲れでしょう。私たちは、巡礼の方々には是非、お慈悲を賜りたいと歓迎させていただいております。この村でお泊まりになるなら、是非私の家へ」
 な?と言わんばかりに、シオンが目配せを送ってきた。セイリオスは肩をすくめて、その老人の方へ向き直る。
「ありがたい言葉、痛み入る。そうしてもらえると、助かる」
「おい、セイル」
 シオンがそっと声をかけてきた。
「口調が皇太子になっているぞ」
「あ……」
 顔を見合わせて、笑った。そのようなしゃべり方をしないように、道すがら確認しておいたのに、癖というものは抜けないらしい。驚いた顔をしている村長に、代わってシオンが話しかけた。
「ありがたく、御好意頂戴いたします。ご覧の通り、我らは旅の巡礼僧。一夜の宿なりといただければ」
「もちろんです」
 村長は顔をほころばせた。
「こちらにいらして下さい。お馬は、こちらがお預かりいたします」
「かたじけない」
 手綱を、現れた馬飼い風の男に預け、二人は村長にならって歩き出した。その後を、物見高い女や子供たちがついてくる。
「何だか、すごいことになっているな……」
「まぁ、すげなく追い出されたり、変に詮索されるよりましだろ。そんなことに時間を使っていては、いつまでたっても国境に着けん」
「それは、そうだが」
 案内されたのは、村で一番大きな屋敷だった。屋敷と言っても、こんな小さな村の中での屋敷だから、大きさは知れている。離宮や王宮以外で過ごした経験のないセイリオスにとっては、こんな家に足を踏み入れるのは初めてのことだった。
「巡礼の方々をおもてなしできるのが、私たちの喜びです」
 そう言って、村長は愛想を振りまき、食事を用意し、本当は僧などではない二人を恐縮させるほどに手厚く二人をもてなした。
「お二人は、どこから?」
 食後に出された茶は薄赤い、透き通った色をしていて、口に含むと香ばしい味がした。それを興味深げに見ているシオンに、セイリオスは小さく笑って見せた。茶葉の焙煎は、彼の趣味の一つだった。
「王都の方です」
 すかさず、シオンが答えた。こういう場での機転は、シオンの方が適任だった。ともすればボロを出しそうになるセイリオスに代わって、村長との会話の主導権を握るのもシオンだった。
「ああ、そうですか」
 茶を注ぐ音が、心地よく響き渡った。
「王都は、どんな具合ですか」
 村長は言葉を切った。
「戦争が始まってから」
「……」
 口をつぐんだのはセイリオスだった。そんな彼を見て、シオンは小さく肩をすくめる。そして、何気ない様子を装って村長との会話を続けた。
「殺伐としていますよ。昼日中から騎士たちが歩き回り、魔道師たちがかけて回る結界のせいで物々しい。最近は、徴兵された街の若者も戦場に送り込まれているという話ですね」
「……そうですか」
 村長は、茶を注いだ茶器をかき回しながら嘆息した。
「どこでも、同じですね。この村にも徴兵の振れが回ってきましたよ」
 シオンが、ちらりとセイリオスを見る。彼には、何も言う言葉はなかった。その徴兵
命じたのも、徴兵された兵士の軍編成を考えたのも全てセイリオスだったのだから。
「若者が、次々と戦争に行ってしまう。果たして、生きて帰ってくるのか……」
「お父様」
 食後の茶を囲む三人の背後から声がかかった。
「僧侶様方の、お湯の準備が」
「おお、そうか」
 村長は、にわかに顔をほころばせた。
「どうぞ、お休みになる前にお湯を使って下さい。あちらに御用意が」
 三人の給仕をした若い娘はしとやかな仕草で会釈をし、その場を辞した。その、王宮の侍女と言っても通じるような礼儀に、セイリオスは感心のため息をつく。
「あの方は、お嬢様ですか?」
 村長の方に向き直り、そう尋ねると、彼は緩やかに微笑んだ。
「そう、娘、ですね。息子の嫁なので」
「ああ……」
 セイリオスは頷いて、ふと浮かんだ疑問を口にした。
「息子さんは?お姿が見えないようですが」
 村長は再び笑みを浮かべた。しかし、それは先ほどのそれとは全く違ったものだった。
「一番最初に、兵に取られていきましたよ。もう、一月も前になる」
「……そう、ですか」
 その時、自分がどんな表情をしていたのか、セイリオスには分からない。ただ、シオンがそっと背中を支えてくれた、その感触だけを覚えているのみだった。



 「それもこれも、全て…」
 セイリオスは、用意された寝床の中で吐息を付く。体を横たえるのに慣れた王宮の寝台とは違い、この村では寝床は床に作るものなのだ。厚めの敷布を用意してもらったとはいえ、いささか背に感じる固い床の感触に、セイリオスは寝返りを打った。
「私の採択の結果、と言うわけか」
 シオンは仰向けに敷布に横たわったまま、セイリオスの方に視線をやる。
「これが、お前の知りたかった真実だろう」
 その言葉に、セイリオスは小さく唇を噛む。
「確かにな、お前の言うことは正しいよ。お前や陛下が下す採決一つ一つに、悲しむものも傷つくものもいる。そんな悲喜こもごもは、お前のところまで届くもんじゃない。それを知りたい、体で感じたい、と思うお前の気持ちは大切だと思うよ」
「……ああ」
 セイリオスは、シオンの言葉に生返事を返す。
「しかしな、陛下のおっしゃることももっともなんだよ。お前は卑下するが、やはりこの国の皇太子はお前しかいない。陛下にもしものことがあったとき、誰がその後を継ぐんだ。誰が、ここの村長の息子みたいに、命令一つで戦争に行かされたものの跡を取ってやるんだ?」
「……」
 うつぶせに寝ころび、顎に手を添えるセイリオスを、シオンが覗き込んできた。
「それが出来るのは、やはりお前しかいないんだよ。それもあって、陛下はああおっしゃられたのに」
「ああ、そうだ。お前も、父上も正しいよ」
 いささか憤ったように、セイリオスは言い捨てた。
「それは分かっている。代わりがいる、などと言って見せたのも、所詮は私の強がりだ。そんな私の言葉を許してくれる、父上は、結局最終的には私のわがままを許してくれるからこそ、ああ言ったんだ」
「セイル……」
 シオンが起き上がった。
「それでも、一度でいいんだ。こうやって現実を体感する機会が、私は欲しい。それを知ると知らないとでは、私自身、自分のやることへの納得しようが違ってくるように思えて……」
「分かった、分かったよ」
 なだめるように、シオンが言った。
「それが、お前らしさゆえだということはよく分かっている。そんなお前だから、今までずっと付いてきたんだしな。それは、これからだって変わらない」
 シオンの手が、セイリオスの背を叩いた。
「今日は、もう休め。乗りかかった船だ、今回はお前の思うようにするさ。ここまで来て、今更王宮にもどれなどとは言わん」
「……よろしく、な」
 笑って見せると、シオンも同じ表情を返した。
「明日は、今日より多く進まんと。一週間で国境につくためにはな」
「分かっている」
 シオンの手にあやされるように、目を閉じた。その手のひらから、暖かい何かが体の中に沈み込む。慣れた、シオンの魔法の波動。恐らく、セイリオスの眠りがより深いものになるように、安息の術でもかけてくれているのだろう。セイリオスは体中の力を抜き、寝具に包まれた体をシオンの委ねた。明日は、もっと進まねば。そして、きっと今日よりもさらに深い現実を目の当たりにすることになるのだろう。しかし、それこそが己の知りたかったこと。それらの現実を糧に、決してシオンの期待を裏切るようなことはしないこと。それを、シオンの放つ魔法の波動に柔らかく包まれながら、セイリオスは誓いを新たにした。


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