エゴイスト


 妙なる音楽が、辺りを包んでいた。
 最初、それは幻聴かとも思えた。こんな場所、こんな時間。このような音楽が聞こえるにはあまりにも不釣り合いだった。昼日中、皇太子の執務室。かの皇太子殿下は時間の規律にうるさくて、彼が執務のそれと決めているこの時刻、音楽などが聞こえていくるというのはなんとも奇妙な話だった。
 それを聞きとがめ、シオンは眉を顰めた。しかし、それは紛う方なき現実だった。漏れ聞こえる音は高く澄んで、ともすれば眠りに誘われてしまいそうな心地よさ。時折低く、囁くように流れる旋律。そうかと思えば、階段を駆け上がるように音が引き上げられて、まるで背中を柔らかい手ですらりと撫で上げられたような快感。その音色を奏でているのが誰なのだとしても、間違いなく、腕のいい音楽家であるはずだった。
 そう、それは、この上もなく見事な曲だった。全ての呼吸には無駄がなく、音楽に彩りを添えるためにだけ行われている。確かに、非の打ち所のない、素晴らしい腕前。文句のつけようのない、絶妙の語り手。
 しかし、歩みを進め、それを間近に聞くごとに、シオンは嫌な予感を感じた。あまりの完璧さ、そして、あまりにも算定して作り上げた、というような効果のほど。そんな演奏の仕方をする知り合いが、昔いた。彼のことをよく知らないうちは、そんな効果には気がつかない。しかし、彼と付き合いを深めれば深めるほど、その音楽と彼の性格が、あまりにも似通ったものであること、さもあらん、と納得できるようになることを、シオンは知っていた。
 しかも、この音色は笛だった。その昔の知り合いだった彼は、確かに笛の名手だった。笛の音色一つで生計を立てていた。それは、彼の音楽の腕前のみならず、その非常な美貌にも拠るところは大きかったが、しかし彼は巧みにその持ち前の容姿までを武器にして、世を渡って行くのに長けた人物だった。
 彼は、職業を吟遊詩人と称し、例えばこうやって、貴族や王族の召しに応じて曲を奏でることもあったのだ。
 深い湖の色の髪をし、目は深紅だった。肌は抜けるように白く、笛を持つ指はあまりにも華奢だった。すらりとした肢体はいつも幾重ものベールと宝石で覆われており、その、あまりにも奇妙で鮮やかな容姿は、自然人目を引いた。そして、それは彼の音楽をより神秘的に、妖しいものに変えるのに成功していた。
 シオンは、嫌な予感に背を震えわせた。願わくば、自分の予感が当たっていないように。そう願いながら、音楽の漏れ聞こえる皇太子の執務室の扉の前に立った。
 それは、ちょうど曲の終わりだった。糸がだんだん細くなっていくように曲は緩やかに終わりを告げ、しばしの沈黙ののち、手を打ちあわせる音がした。それは、どうやら一人だけのものではないようだった。
 その扉を開けるべきか、シオンは戸惑った。嫌な予感が的中するのを見たくはない。しかし、自分の予感が外れていることを確認したい気持ちもあったのだ。
 漏れ聞こえる声に耳を澄ませた。しかし、シオンの耳に入るのは皇太子、そしてその妹姫の声だけで、それに答えているはずの笛の主の声は聞こえない。恐らく、とても低い声で話しているのだろう。シオンの知っている彼は、やはりそのような話し方をして、それによって自分の神秘性を高めることを計算する男だった。
 いつまでもここに立っていても埒は明かない。それに、中にいるものが出てきてシオンが立ち尽くしているのを見、覗き見をしていたなどと思われるのも心外だ。シオンは、意を決した。背筋を走る予感が間違っているように。自分の直感が、外れているのだと願いながら。
「邪魔するぞ」
 自分を奮い立たせるように、シオンは乱暴に扉を蹴った。そこに広がる光景が、今思い描いているのとは違うものであるように、願いながら。
「シオン」
 真っ先に耳に入ったのは、セイリオスの声だった。彼は、今は執務用の椅子には腰掛けておらず、窓の際に置いた長椅子に、くつろいだ様子で座っていた。その、彼の意外なほどに緩やかな声に、シオンは拍子抜けしたほどだった。
「今来たのか?残念だったな」
「そうですわ、シオン」
 彼に同調するのは、傍らに置いたクッションに身を埋めるように、床に座ったディアーナ。彼女の目はきらきらと輝き、両手を組んで満足の体を示していた。
「今さっきまで、吟遊詩人の方が、素晴らしい音楽を聴かせて下さっていたのですわ」
 二人の前に、シオンに背を向けて座っていた影がこちらを向いた。シオンは、息を飲んで、吐いて、そしてまた吸った。
「……こちらは?」
 彼は、言った。わざとらしいほどに、そう言った。
「シオン・カイナス。筆頭魔道師だよ」
 セイリオスはシオンを手招きする。
「どうだ、お前も来たことだし、もう一曲所望しても良かろうな」
「お望みとあらば」
 吟遊詩人が、重々しくそう言った。
「お見知り置きを。イーリス・アヴニールと申します」
 目が笑っている。シオンは、セイリオスの側に歩み寄ることも忘れて顔を引きつらせた。
「……シオン?」
 セイリオスが、訝しげに彼の名を呼んだ。同様に我を忘れていたシオンは、慌てて彼の方に居直る。
「まぁ、シオンったら」
 ディアーナが、鈴の転がるような笑い声を立てた。
「いくら綺麗な方ですからって、そんな見つめちゃ失礼ですわよ。それに、その方は男の方ですわよ」
 分かっている。シオンは、それだけには頷きそうになりながら、慌ててイーリスから視線をそらせる。セイリオスが、不審な顔でこちらを見ているのに気づき、慌てて彼の元に歩みを寄せた。
「どこで、拾ってきたんだ?吟遊詩人なんて」
 シオンは狼狽が滲み出ないように、ほとんど囁くような声でそう言った。
「わたくしの、お知り合いですのよ」
 ディアーナが胸を張った。
「この子の、お忍びの癖だけはどうしようもないが」
 セイリオスが、ため息を大袈裟についてディアーナを見る。
「たまには、役に立つこともあるようだね」
 肩をすくめて、ディアーナが小さく舌を出した。
「姫のおかげで、私もいい商売ができましたよ」
 吟遊詩人は、にっこりと微笑んでそう言った。微笑みかけられて、ディアーナが小さく頬を染める。シオンは、それをため息とともに見た。変わっていない、こういうところも。
「シオンもどうだ?何か、要望はないのか?」
「いや、俺は……」
 歯切れ悪く、シオンはそう言った。いささか残念そうな顔をして、セイリオスは答えた。
「そうか」
 セイリオスが、目で合図すると、イーリスはうっすらとした微笑みを浮かべて立ち上がった。ゆらり、彼の体にまとわりつくベールが波を打った。
「では、またの機会に」
 セイリオスのねぎらいの言葉に慇懃に会釈をし、イーリスがその場を辞す。その時、彼がさりげなく振り返り、シオンに向かって意味あり気な笑みを残したことに、気づかないシオンではなかった。



 「シオン」
 声をかけられて、驚いて振り返った。声をかけられたことそのものよりも、その声の主に驚いたのだ。
「……イーリス」
 シオンは、息を殺してそう言った。
「そんなとこに立つな。人目につく」
「おや、ずいぶんと親しい口をきいて下さるのですね、筆頭魔道師様」
「お前……」
 歯噛みして、シオンは辺りを見回した。
「ちょっと」
 イーリスが抗議の声を上げた。
「乱暴にしないで下さいよ」
「いいから、こっちにこい」
 彼の腕を引いて、人目につかない木陰に移動する。こうやって、この男と共にいるところを誰かに、特にセイリオスに見られるわけにはいかなかった。
「……ずいぶん」
 廊下を通るものからは死角になる場所に引き込まれて、イーリスはシオンを非難に満ちた瞳で見上げた。
「乱暴ですね」
「お前、どういうつもりだ」
「なにがです」
 涼しい顔をして、イーリスはシオンを見上げた。
「こんなところに入り込んで。お前、王族とかそう言うのが嫌いなんじゃなかったのか?」
「嫌いですよ」
 さらりと言ってのけるイーリスを、シオンは呆れた顔で見つめた。
「それとこれは、話が別です、仕事となれば、王族だろうが、犯罪者だろうが」
「……相変わらずだな」
 呆れた声で、シオンは言った。
「どうして、またクラインに戻ってきたんだ」
「別に、意味はありませんが」
 ちらりとシオンを見上げたその視線に、嫌な予感が再びよぎった。
「あなたに、会いたかったからかもしれませんね」
「……嘘をつくのも、相変わらず上手いな」
「お褒めにあずかりまして」
 イーリスは高い笑い声をあげた。
「噂の皇太子殿下に、拝謁することも出来ましたしね」
 シオンは、唇を強張らせた。そして、機械仕掛けのようにゆっくりとイーリスを見る。
「お前、分かってるだろうな」
 引きつった口から、声が溢れた。
「絶対、言うなよ」
「なにをですか?」
 その口調とは裏腹に、イーリスの顔は笑っている。
「分かっているくせに、聞き返すな」
 苛々とシオンは言った。
「絶対言うな。絶対に」
「だから、なにを」
「お前な……!」
 肩を怒らせたシオンの背中にイーリスの手が回された。それから逃げる暇もなく、イーリスの冷たい唇が、シオンのそれに重なった。
「……っ……」
 それがゆっくりと離れるまでに、いささかの時間があった。イーリスはシオンを見上げ、その、気味の悪いほどに艶めかしい唇を小さく舐めた。
「さぁ、どうしましょうかね」
 イーリスの微笑みが、シオンを震えさせた。
「あなたのお話し通りの方ですね。なるほど聡明で、利発で、竹を割ったような方だ。王族というものは好みませんが、個人的には、とても感心できる方ですね」
 意味あり気に、イーリスはシオンを見上げた。
「そして、何と言っても、お綺麗だ。あなたの好みそのままに」
「お前、全然変わってない」
 そう言い捨てて、まるで子供のようにシオンはそっぽを向いた。
「その、根性悪いところ。全然変わってない!」
「それはそれは、光栄なことで」
 吹きだした笑いに身を任せたまま、イーリスは肩を震わせた。
「でも、どうやら殿下は私をお気に召して下さったようで」
 イーリスは、片手を上げて見せた。そこにはまった指輪のうちの一つに、王家の紋章が施されている。
「いつでも殿下の元をお邪魔できるように、いただいたものですよ。これを見せれば、門衛も問答無用で通してくれるとか」
「……!」
 言葉もなく、シオンは歯を噛みしめた。
「嫌いだよ、お前なんか」
 イーリスのくすくす笑いが耳を刺す。
「私は、好きですよ」
 優雅に会釈して、その場を去る彼の作法はあまりにも完璧で、その隙のなさが、シオンの胸に滾るような悪い予感を植え付けた。



 「あ……」
 掠れた声を上げて、大きく身を震わせると、セイリオスの体が寝台の上に落ちた。荒い息が漏れる唇を震わせて、瞼を閉じたその姿を見やり、シオンはその頬にくちづけを落とした。
「……っ……」
 そのようなとき、もう何度も繰り返したはずの行為を恥じるように傍らを向き、拗ねたような表情を見せる彼の姿が、シオンの気に入りだった。もっとも、そんなことを口に出せばただではすまないことを知っている彼が、おくびにも出すわけはなかったのだが。
「こっち、向けよ」
 手を伸ばし、彼の頬を挟んで無理矢理のように自分の方を向かせた。頬が紅潮して、薄く濡れている。唇が緩んで、その薄い赤さが際立つ、湿った色をしていた。その唇を指先でなぞり、セイリオスの肩を引き寄せて、くちづけを落とした。
「んっ……」
 いつもそうだ。情事のあとのくちづけに、彼は過剰なほどに反応する。まるで、もっと薄い皮膚に包まれた敏感な神経を刺激されたかのように、肩をのけ反らせて眉を顰めて。深く重ね合わせて、舌を滑り込ませ、口中の粘膜を吸い上げるようにすると、薄く声が漏れた。
「……っ……んっ……」
 逃げようとする肩を押さえつける。体を起こし、肩に添えた手に力を込めて、そしてまるで征服するようなくちづけを幾度も繰り返した。
「は、や……ぁ……」
 手を、先ほどの執拗な愛撫の跡の残る胸に這わせると、体中が跳ねた。胸の突起を指先で弄ぶと、新たな声が唇を破った。
「やめ、も……っ……」
 セイリオスが、細い声を上げた。
「もう、いい加減に……!」
「足りない」
 囁くと、セイリオスの体温が跳ね上がる。
「お前だって、そうだろう……?」
「ちが……!お前と一緒に、するな……っ……」
 振り上げた手をつかんで、寝台に押し付けた。そして、その指先を唇に含む。
「……ん……」
 それだけで、甘い声が上がるのは、先ほどまで彼の体に落とされ続けた愛撫の余韻。それがセイリオスの体から去る前に、一本一本を含み、舐め上げ、そして手のひらに舌を這わせた。
「だから、やめ……!」
「じゃ、本気で抵抗してみたら?」
 シオンが、意地悪い口調で囁きかける。
「その気になれば、逃げられるだろう?俺を蹴り上げてでも」
「……っ」
 そんなことを出来るはずはない、と分かっているのに、シオンはわざとゆっくりそう言った。無理矢理彼を組み敷く手をほどく。
「逃げる……?」
 すでに施された愛撫が、彼の体に及ぼした波を知っていて、そう言うのだ。セイリオスが唇を噛みしめた。
「そうしたければ、すればいい」
 傍らを向いて、唇をとがらせた。するりとセイリオスの体を這った手が、彼の体の中心に触れる。
「シオン……っ……」
 セイリオスが小さく歯を鳴らすのが聞こえた。しかし、シオンは彼から体を離してしまい、ただ、視線だけで彼に触れた。
「なぁ?」
 その眉が顰められるのを、薄笑みを浮かべながら見つめていた。シオンの視線を追い、そしてそれがどこに注がれているのかに気づいて、顔を引きつらせるセイリオスの姿があった。
「……どうして欲しいのか、言えよ」
 シオンは小さく囁きかける。
「触って欲しいんじゃないのか?」
「っ……」
 何一つまとわないまま寝台に体を横たえて、シオンの視線だけを体に浴びて。セイリオスは、恨みがましく彼を見つめた。しかし、その唇からは何も漏れ出すことがない。シオンは微笑んだ。
「言ってみな?」
 セイリオスは、じっとシオンを見た。その菫の瞳が潤みを増し、彼が皇太子の執務用の衣装を着ているときの姿からは想像も出来ないほどの、艶めかしい、扇情的な色だった。
 そうやってセイリオスを攻めながらも、実のところ、彼のたたえる魔性の色に逆らえずに身悶えするのは、シオンの方だったのかもしれない。
 セイリオスが、体を起こした。何を、とシオンが咎めるまもなく、彼はシオンの体に己のそれを擦り付けた。そして、唇へのくちづけに始まって、シオンが彼に与えたような、執拗で熱い愛撫を落とし始めた。
「お前……!」
 シオンの胸に、セイリオスの舌が這った。シオンが彼に教えた通りの、緩やかで、偏執的なまでの愛撫。シオンの胸の突起を舌先で舐め上げ、唇に挟み、そうしている間にも空いた手が、もう片方をつまみ上げている。
「ん……」
 その、性感を刺激する動き、そして、何よりもセイリオスが己を愛撫しているのだという、その自虐的な快楽が、彼を先に追いつめていった。
「は、ぁ……」
 セイリオスの手が、体の脇に這った。何度も撫で上げられて、唇を落とされて。せり上がる快楽にこらえ切れずに、シオンは体を起こす。
「やめ、ろ……」
 口元を拭って、セイリオスが目に笑いを浮かべながらシオンに視線を合わせた。濡れた唇が艶めかしい。それに重ねるだけのくちづけを落として、シオンも微笑んで見せた。
「さっきと、台詞が逆だな」
 セイリオスが笑った。
「お前の、そう言う声が聞いてみたかった」
「お前な……」
 肩を掴んで、再び落とされたのは深いくちづけ。咽喉の奥までをも犯そうとでも言うような、深遠までをも弄る、濃密なそれ。二人の唇の間に銀の糸が伝い、セイリオスの口元からも一筋、それが滴り落ちたが、そのあまりの濃厚さにセイリオスが逃げようと腰を浮かせても、シオンはもうそれを離さなかった。
「聞かせてやるよ、いくらでも。……だから、お前のも」
「は……っ……」
 寝台に座り込んだ格好のまま、シオンの手が、片方はセイリオスの腰に、そしてもう片方は、その更なる目覚めをあらわにしている、彼自身に向けられた。
「あ……!」
 セイリオスの声が、天井を伝った。シオンの首に手を回し、与えられ始めた直接的な刺激が、彼の腰を浮き立たせる。
「は、ぁ、ぁ……」
「さっき、いったばっかなのに」
 シオンの唇がセイリオスの耳に押し当てられ、かすかな声が囁きかけられる。
「……また、こんなにして」
「く……」
 その、からかいの声に抗おうとしてか、セイリオスは唇を噛みしめる。
「駄目だ」
 唇が耳から頬へ、そしてセイリオスのそれに這い、引き結ばれたそれをほどくように深く押し付けられる。
「……聞かせて、くれ」
「あ……っ……」
 セイリオスの腕が、シオンの背に絡んだ。その強さが、セイリオスの押し殺した声以上に、シオンの彼の快楽を伝える。
「……腰、上げて」
 両の手を添えて、シオンがセイリオスの体を持ち上げる。それに、無意識に抵抗するようにセイリオスは息を飲み、そこに入り込んできた彼自身にもう一つ、大きく声を吸い込んだ。
「ああっ……」
 先ほどまでの情事に馴染んだ体は、わずかな軋みを上げるだけでシオンを飲み込んだ。セイリオスは、ほんの一瞬眉を顰めたものの、それはすぐ、シオンの突き上げにほどかれた。濡れた唇が開かれて、そこから、シオンの求める艶やかな声が漏れ始める。
「…ぁ…っ…」
 のけ反らせたセイリオスの咽喉に、シオンが唇を押し当てた。彼の激しい呼吸と、飲み込みきれない喘ぎが直接伝わってくる。
「や、ぁ、ぁぁっ……!」
 シオンの背に、セイリオスの爪が立てられた。無意識のうちであろう、そんな行為にシオンは眉を顰めて見せたものの、すぐ、それもセイリオスの甘い声、そして彼の伝えてくる強烈な快楽に破られる。
「はぁ……ぁ、っ……」
 膝の上に抱え込んだ彼を、何度も突き上げた。最奥に達するたびにセイリオスが悲鳴にも似た声を上げ、背中に爪を立て、二人の下腹部に隠されたセイリオス自身がその限界を訴えて震え始める。
「……セイル」
 耳元でささやいた。それに、セイリオスがびくりと反応した。
「いくときの顔、見せてくれよ……」
「な、にを……っ……!」
 こういう言葉を囁きかける時のセイリオスの反応が好きだった。初めてではないはずなのに、まるで今までそんな言葉など、聞いたこともないかのような含羞みと、情欲と、羞恥に染まった頬。
「ん、んっ……」
 シオンの手が、セイリオス自身に絡み付いた。セイリオスの声が一際高くなる。
「や、ぁ、ぁぁ……っ……」
 それに与えられる刺激に反応する体が、シオンにも直接響いてくる。
「く……っ……」
「う、ぁ……っ……」
 セイリオスの背がのけ反って、シオンの指に搦め捕られたそれが大きく反応を見せた。と、唇がかすれた声に彩られ、下腹部に熱いものを感じる。
「……ぁ……」
 声を奪われた唇がわななくのを見つめながら、その媚態がシオン自身にも、それを直接掴まれたような刺激を与える。瞼を固く閉じ、唇を開き、薄赤く頬を染めたその顔はシオンの背筋をぞくりとさせた。大きく息を飲み、そして、セイリオスの中に埋め込まれた彼自身も爆発を見せた。
「っ……」
 シオンは、手を伸ばした。そのまま縺れあって寝台に倒れ込む、セイリオスの手を取って指を絡ませると、緩やかに、同じ反応が返ってくる。
「ん……っ……」
 重なり合った濡れた体が、心地いい。目を閉じて、その暖かさに身を寄せる。セイリオスが頬をすり寄せてきたのが分かった。
「……相変わらず、無茶をする」
 恨みがましい声でそう言うのも、決して本心からではなく、照れ隠しなのだということがシオンには分かっている。目を開くと、驚くほど近くにセイリオスの顔があって、何をも言う間もなく、くちづけられた。
「……嫌か?」
 答えはわかっているのにそう言うことも。そして、彼の腕を引き寄せて濡れた体を絡み合わせるのも。シオンは微笑んだ。
「嫌なんだったら、やめる」
「また、お前はそんな……」
 セイリオスの紫の瞳が揺れている。その目元に唇を落とすと、セイリオスがくすぐったそうに目を閉じた。
「……私に、言わせる気か」
「言わせてみたいな」
 睦言を繰り返す、至福の時。情交のあとの疲労が羞恥を忘れさせるのか、セイリオスがシオンの甘い言葉に応えてくるのはこのときだけだ。普段、すれ違いざまに落とす愛語には、頬を染めて睨みつけるような顔で反応してくる以外、決して応えを見せないセイリオスの、優しい言葉が聞けるのはこのときだけだ。
「愛してるよ」
 そう言うと、唇を噛んで、それでもにこやかな笑みを浮かべる。手を差し伸べて、シオンを抱き寄せるとその耳元で決して彼以外には聞こえない声で囁き返す。
「……私も、だ」
 忍び笑いと、投げ掛けられる淡いくちづけ。絡み合う指と、触れ合う視線。それら全てが、シオンを幸福にした。
「……あのさ」
 どういうきっかけだったのか。シオンが気になって仕方ないあのこと。それに触れる糸口を与えられたのは。
「あの、吟遊詩人のことだけど」
「ああ」
 屈託ない声で、セイリオスは応じた。
「お前も、聞いたか?あの音色は、素晴らしい。なかなか常人には出せるものではないぞ」
「ああ、まぁ、そうだな」
 それは、シオンもわかりすぎるほどに分かっていた。音楽を解さないというわけではない。ただ、彼はその音色の主との後ろめたさゆえ、それがまっすぐに聞こえてこないというだけのことだ。
「お前には、気に入らなかったのか?」
「そう言うわけじゃ、ない」
 不審の瞳で見上げてくるセイリオスに、シオンはかぶりを振って見せる。
「ただ、ああいう、その……身元もよくわからないものを王宮に入れるのはどうかと思うだけだ」
「お前らしくもないな」
 途端、セイリオスの視線が疑惑に彩られる。
「お前が、そう言うことを言うやつだとは思わなかった」
 それは、非難の色を秘めていることに、シオンはぐっと言葉に詰まった。
「身分とか身元とかにこだわるようなやつだったか、お前は?」
「いや、そう言う意味じゃなくて」
「どういう意味だ」
 すでに、先ほどまでの甘い表情など消し飛んでしまっていた。セイリオスは体を半分起き上がらせ、シオンを睨みつけている。
「仮にも王宮だぞ?しかも、執務室なんぞ、もし、あいつが他国からの密偵とか、暗殺者だったらどうするんだよ?」
「そこら辺の調べは、きちんと付けてあるさ」
 不機嫌な顔で、セイリオスは言った。
「その程度の見定めなしで、私がおいそれと執務室に呼び入れるわけがあると思ってか」
「いや、だから」
 口を開けば開くほど、八方ふさがりになっていく。シオンは頭を抱えた。
「お前は、私のたまの楽しみさえ束縛する気か?」
「そういうつもりじゃない、ただ……」
 シオンの脳裏には、墓穴、という言葉が回り始めた。そしてセイリオスはといえば、シオンの一番扱いづらい表情をしてそこに座っていた。
「お前が何と言おうと」
 そして、シオンにとっての最後通知とも言える、決定的な言葉を投げつけた。
「私は、あの者を側に呼ぶことはやめないからな」
「ああ……」
 シオンの声は、セイリオスにどういうふうに届いたのか。シオンはがっかりと肩を落とす。こう言ったときのセイリオスが、決してその言葉を違えることも、自分の意志を曲げることもないことを誰よりよく知っているのはシオンだったからだ。
 セイリオスが、その瞳を常ならぬ色に燃え上がらせている。シオンはこの先の、最悪の展開を想像して、顔を引きつらせた。



 皇太子の執務室にしばしば顔を出す吟遊詩人のことは、すぐに宮廷に広がった。シオンの言葉通りの邪推をするものもないではなかったが、それは、全てイーリスの礼儀正しい物腰と柔らかい言葉、そして世辞の一つも与えるのを忘れない臈長けた態度に消えていった。
 その吟遊詩人は、今や喜ばれこそすれ、決して疎まれる存在ではなくなっている。
「……一体、何が目的なんだよ?」
 そんな彼に、一人毒づいた言葉を投げつけるのは、皇太子の腹心たる、筆頭魔道師だった。王宮にしばしば出入りする身となった彼を、顔が割れないように初めて訪れる酒場に連れ込んだ。
「俺は、信じないからな。お前がここまで徹底するのには、絶対何か裏がある」
「私も、ずいぶん疑われたものですね」
 悲しそうな顔をして見せるのも、シオンにはそうとは映らない。彼の、わずかに持ち上げた唇の端が見えるようだ。
「ただ単に、私は仕事としてやっているだけですよ」
 首をかしげて、シオンを覗き込む。
「私は、本当に何も知らなかったんですって」
 手に持ったグラスを揺らして見せながら、イーリスは言った。
「まさか、あなたが筆頭魔道師なんかになって、あの皇太子殿下のお側に侍っているなんてね」
「……」
 痛いところを突かれて、シオンはそっぽを向いた。グラスに満たされた琥珀色の酒を、話を誤魔化すように一気にあおる。
「あなただって、宮仕えだの筆頭魔道師なんていう大層な座だの、そう言うものを軽蔑しこそすれ、まさかそれを甘んじて受け入れることがあるとは思ってもみませんでしたが」
「……いろいろ、あったんだよっ」
 シオンが今の地位に付く、そもそものきっかけは、シオンがセイリオスの秘密を知ったことからだった。それゆえに、国王がシオンを手元に置いておきたがった、という面も少なからずある。そうでなければ、実力のほどはどうあれ、筆頭魔道師などという座にはもっと、年の行った魔道師が任命されてしかるべきだったのだ。
 イーリスが、意味あり気にこちらを見ている。しかし、まさかそのきっかけを口にすることも出来ずに、シオンはただ彼を睨みつけた。
「お互い、別れてからいろいろあったみたいですね」
「お前もな。どこで、その根性の悪さを磨いてきた」
「それは、あなたにお教えを受けたからに決まっているではありませんか」
「……」
 口の減らないやつだ、とシオンは唇をとがらせてイーリスを見た。
「まぁ、それが何なのか、聞き出す趣味はありませんが」
 こともなげにイーリスは言った。
「あなたと皇太子殿下の間には、もっと別の秘密もあるようですね」
 今口に含んだばかりの酒を吹き出して、シオンは盛大に咳き込んだ。それを、イーリスは涼しい顔を保って見せながらも、眉を顰めて見せる。
「汚いですねぇ」
「ばっ、お前が余計なことを言うからだろうがっ!」
「良かったじゃありませんか、満願成就ってことで」
「いや、それは……」
 それをさっさとイーリスに見抜かれて、あまつさえ、このように話題に出されるのはシオンとてあまりにも不本意だった。
「でもねぇ」
 言いにくいことを口に乗せるというように、イーリスはシオンに身を寄せて、小声で続ける。辺りのざわめきが、彼の声を吸い取って聞き取りづらい。
「あの方は、お世継ぎでしょう?」
「……ああ」
 体を寄せられて、シオンは眉根を寄せる。漂う香りも、昔のままだ。
「ならば、いつかはお妃をお娶りになるということで。そうなれば、あなたはどうなるんでしょうね。あの方は、同性の恋人をもちながら、同時に結婚も出来るような、器用な方だとは思えませんが」
「……」
 イーリスを睨みつけることで、シオンはそれに返事した。
「だから、何なんだよ」
「私は、ただ昔なじみのあなたの心配をしているだけですよ」
「そう言うのを、おせっかいって言うんだっ」
「そんなつれない言い方を」
 頬杖を突いて、見上げる視線にシオンはどきりとする。アルコールのせいか、いささか潤んだそれは、そこらの女などはよほど艶めかしい。それを計算してやっているのだろう、と理性が訴えはしても、昔、体に擦り込まれた本能は、危ういほどにそれに魅了される。
「あなたに、辛い思いをして欲しくないだけなんです」
「……そう思うなら」
 シオンは、グラスに残った液体を干す。
「これ以上、セイルにちょっかい出すなよ」
 イーリスの答えは、ただ、低い笑いのみ。
「私は、綺麗なものが好きなんです」
「お前……?」
 イーリスのテンポは変わらない。ただ、シオンのみが彼の言葉に振り回されるだけだ。
「……はい、分かりました、と言う私だと思います?」
 これほどまでに自分が感情をむき出しにするのは、彼を昔から知っているこの男の前だけだ。その気安さが、自分をここまで無防備にするのか。それとも、馴染みゆえに、彼が自分の感情の急所を知っているだけなのか。シオンは、己の逆上に眩暈を覚えた。
「あの皇太子殿下は、興味深い方ですね。王族の威厳と高貴さは保ちながらも、そう言う方にありがちな、奢ったところがない。時折、驚くほどに気安くなられますしね。ご本人は、自覚されていないのでしょうが」
 思い出すように、イーリスが空を見つめながら言う。
「私のことはお気に入って下さっているようだし。お付き合いを深めてみるのも、悪くはありませんね?」
「お前、俺を二重に脅迫するつもりか?」
 シオンが、出来るだけ声を抑えてそう言う。
「何が、目的なんだ」
「脅迫なんて、とんでもありませんよ」
 イーリスは大袈裟に首を振った。
「それに、あなたは私の目的が何か、とっくにお分かりなんでしょう?」
 つと、イーリスが身を寄せてくる。決して婀娜っぽい感じも、性的な感じも受けはしない。しかし、シオンがそれを理解していないわけはなかった。
「……私がどうするかは、あなた次第なんですけどね」
 がたん、と派手な音がした。それに、回りに座っていた客が驚いて振り返ったのを知っている。しかし、それにもう構ってはいられなかった。
「……お前の期待には、応えられないよ」
 声だけは低くして、それでもシオンははっきりとそう言った。
「悪いけどな、俺は、欲しいものを手に入れちまったんだ。今は、それを守ることしか考えてない」
「あなたらしくも、ないですね」
 本気で驚いた顔で、イーリスが言った。
「変わったんだよ、俺も」
 いささか照れ隠しのように、横を向いてシオンは吐き捨てた。
「お前がここに来た目的が俺だってんなら、悪いけど諦めてくれ。俺は、昔に戻るつもりはない」
 シオンはそのまま踵を返した。勘定を待つ店の主に幾つかの硬貨を投げて寄越し、そのまま、イーリスの方には振り返ろうとはしなかった。
「でもね、シオン」
 だから、イーリスがその背中に投げた、小さな囁きにシオンが気づくはずもなかったのだが。
「どうあっても拒否されると分かっていても、それでも諦められないものってのもあるんですよ」



 「セイルっ!」
 執務に充てた時間の終わり、夕暮れの空が色を変え始める時分だった。皇太子の私室に踏み込む、荒々しい足音がした。
「……シオン」
 衣装を替えている最中だったのか、室内着の胸元を乱したまま、驚いたセイリオスが振り返った。
「どうした、騒がしい」
「お前……!」
 彼の衣装の着付けを手伝う侍女を押しのけて、シオンはセイリオスに駆け寄った。そして、彼女たちには聞こえない声で、セイリオスの耳元に囁きかけた。
「お前、イーリスに何された?」
「……」
 セイリオスは、黙って右手を挙げた。それに、侍女たちが何も言わないままに会釈して、その場を辞した。私的な諸用に召し使われるこれらの侍女たちは、こういう局面には慣れたものだ。
「何された?」
「何、って……」
 部屋に入ってきたときの勢いをますます高めながら、シオンがセイリオスの腕をつかんだ。
「別に、何も」
 セイリオスが視線をそらせた。
「……何の、ことだ」
 明らかに、セイリオスは一瞬言葉を失った。そんなふうにセイリオスが口ごもるなど、めったにない。シオンは激高した。
「こっち、見ろよ」
 セイリオスの顎に手を置いて、無理に自分の方を向かせる。
「……何か、されたんだな?」
「シオン!」
 セイリオスがきっと瞳を釣り上げて言った。
「つまらん邪推をするな。お前には、関係なかろうが」
「……なに?」
 普段の彼なら、セイリオスのそんな言葉にいちいち目くじらを立てたりはしなかっただろう。しかし、ことがイーリスに関し、明らかにセイリオスが彼の名前に反応を示していること。そして、関係ない、とまで言われて、シオンはすっかり度を失った。
「俺に、言えないのか?」
「……馬鹿馬鹿しい」
「セイル」
 シオンの声が、低くなった。
「こっち向けよ」
 乱暴に腕を捕まえて、引き寄せた。顎をつまみ上げて、上を向かせると唇をとがらせたセイリオスの顔がそこにあった。
「離せ」
「いやだ」
 セイリオスは、硬い声で言った。
「……シオン」
 変に意固地なところがあるセイリオスは、いったんこう言う態度を見せると、もう収拾がつかない。皇太子として接しているときは人当たりもよく、物分かりのいい聡明な男だが、いったんそれを脱いでしまうと時折駄々っ子のように利かん気で、わがままなところが表れる。そんな面を彼が見せるのは、自分の前だけだと知っているシオンにとって、それは優越感をくすぐられるもの以外、何でもなかった。しかし、今は、それが火種になって、一触即発の状態で二人の間に火花を散らしている。
 イーリスは、穏やかな顔に似ず、こうと決めたら譲らないところがある。そんな面があることを、彼の表しか知らないものは気づくことはないだろう。しかし、シオンの知るかぎり彼は一度決めたことを覆す男ではなく、そして、シオンにああ言って見せた以上、自分の想像も決して間違っているわけはないはずなのだ。
 セイリオスの、衣装をはだけかけた肩を見た。そこにある薄赤い跡をつけたのは、自分だ。その記憶は確かにある。しかし、それがまるでイーリスが彼につけたものであるかのような錯覚を抱く。イーリスの、セイリオス以上にきゃしゃな手が彼の肩を掴み、そこに唇を当て。
 シオンは、慌てて首を振って妄想を払った。
「……離せ」
 シオンの瞳の色に気づいたのか、セイリオスが掠れた声で言った。
「離せ、下らん邪推をするな」
 セイリオスが、いつになくむきになっている、とシオンは思った。それは、シオンの想像が的を得ているからではないのか。まさか、行くところまで行ってしまったとは思いたくはない。しかし、イーリスの、あの意味あり気な笑みは。
「……シオン!」
 セイリオスが悲鳴を上げた。シオンにつかまれた腕を振りほどこうとした。
「……!」
 声にならない悲鳴が、部屋に響いた。
「や、めろ……!」
 セイリオスが身悶えする。その背を乱暴に押して、傍らの寝台の上にその体を突き倒した。
「シオン!」
 体を転がされ、乱れた衣装を引き上げながら、セイリオスが発した声は本気の怒りを含んでいた。振り返り、背中越しにシオンを睨みつけ、その目に怒りを湛えて叫んだ。
「いい加減に……!」
 それが、真実なら。シオンはセイリオスの手を取り、それを寝台の上に押さえつけた。痛みにセイリオスが声を上げる前に、彼の背に体を寄せてくちづけた。抗議の声を唇に吸い取られて、セイリオスが身悶える。
「ん……っ!」
 セイリオスがもがいた。しかし、その前にシオンの手はセイリオスの両腕を取り、寝台に縫い付けるように、背後から自らの体を押し付けた。
「……や、め……」
 体の中心に体重をかけられて、セイリオスが身動きできずにもがいた。首を無理に後ろにねじ曲げられ、背後から体を押さえつけられ、体の自由と呼吸を奪われて、セイリオスはシオンの体の下で足掻くだけだ。
「シ、オンっ!」
 ほどかれた唇に、やっとのことで呼吸を取り戻して、セイリオスは荒い息をついた。
「いい加減にしろ、本気で怒るぞ」
「……怒ってみろ」
 自分の声が上ずっていることに、シオンは気づいていた。目の前の、怒りに頬を紅潮させたセイリオスが、彼の衝動を突き動かした。暴れたことで乱れた衣装は彼の上半身を露にしていて、そこに散る赤い跡が自分のつけたものであることをしっかりと自覚しながらも、それでも、シオンはそれに狂った。
「怒って、どうするんだ?俺を殴るか」
「シオン!」
 本気で拳が飛んで来兼ねない勢いではあったが、シオンはそれを顎を反らして見下ろした。そして、寝台にうつぶせになったまま、首だけひねって自分を睨むセイリオスの上から動こうとはしなかった。
「どけ」
「いやだ」
 先ほどの口論と同じ調子で、シオンは言った。
「……いやだ」
 そして、剥き出しの肩に口づけた。
「ん……っ……!」
 噛みつくように降ったそれに、セイリオスが呻きをあげた。そこに、性的な色はあったのか。そうやっていきなり直接の肌に触れられる刺激にセイリオスが弱いのは知っていた。いつもなら、せめてもの労りを見せて優しく、ゆっくりとその肌を蹂躙するところだった。しかし、今のシオンは、彼に快楽を与えようと思っているわけではない。その唇から、ともすれば知りたくない真実を知るために。そのために、シオンは手を尽くして、セイリオスの体からそれを引き出そうとした。
「……あぁっ……!」
 残った衣装を引き剥がすと、目の前には、しなったセイリオスの背中が表れた。骨の窪みに唇を押し当て、舌先を這わせるとそれが震えた。
「……っ……」
 こういう状況下でも、快楽を得るための神経は尖ったままなのか。馴らされた体が、先走って快楽を得ようとするのか、それとも、シオンがセイリオスに本当の意味での危害を加えることはないと、セイリオスがその体で知っているからなのか。シオンが的確に要所をついてかけてくる体重から逃れようとする呻きと、肌に与えられる刺激が生み出す喘ぎとが相まって、セイリオスは寝台の敷布をつかんで低く声を立てた。
「どう、された?」
 その耳元に唇を寄せて、シオンは囁く。
「ここ……?」
 項に唇を当て、吸い上げて舌を這わせると、セイリオスが大きく震えた。歯を鳴らし、体に力を入れる。そうすることでセイリオスの体はぴんと伸び、シオンの体の下で生け捕りにされた動物のそれのように震える。その腰を片手で抱き上げて、寝台の上に膝を突かせ、舌と唇を這わせる項をさらに執拗に攻めあげた。
「は、ぁ、ぁ……!」
 セイリオスが固く目をつぶり、唇を噛み、声を漏らさないようにしているのを見届けて、シオンはその髪を引いた。一つに結わえられたそれを手の中に収め、軽く引っ張るとセイリオスが顎をのけ反らせ、大きく息を吸った。
「は……っ……!」
 ぎり、とセイリオスの歯が鳴る音がした。シオンを振り返って睨みつけ、項と髪に落とされる唇にいちいち体を震わせて見せながらも、その視線に力を込めて、シオンを見た。
「ふざけるな、なぜ、私が……!」
 セイリオスの言葉は、シオンの手の動きにかき消された。腰を抱いた手が、そこに息づくセイリオス自身に触れ、それが新たにセイリオスに悲鳴を上げさせる。
「ぁ……ぁっ……!」
「動けないだろう?」
 耳元に、シオンは囁く。
「……言うか、本当のこと……?」
「本当、も、何も……っ……」
 セイリオスの息が荒くなる。シオンは、手を伸ばした先に明らかに反応を示しているセイリオス自身にほくそ笑んだ。
「セイル……」
 その囁きに、セイリオスは肩を震わせる。同じように、彼自身もびくりと震えるのが、シオンの唇を持ち上げさせた。
「や……」
 セイリオスの下肢を覆う衣装をかき分けて、シオンはそこに顔を滑り込ませた。上半身の戒めは解かれ、セイリオスは自由に動けるはずだった。しかし、彼はそうしない。出来ないのだ。腰をあげて、頬を敷布に埋め、指先を寝台に食い込ませて、セイリオスは新たな声を上げた。
「は、ぁ、ぁ……っ……!」
 かき分ける先に現れた彼自身を、シオンは口に含む。その瞬間、その質量が増し、シオンが絡みつかせる舌に応えるように、小刻みな震えを見せた。
「ん、ぁ、ぁ……」
 彼の手から逃げようという気をセイリオスが起こす前に、彼の分身を全て包み込んでしまう。舐めあげ、軽く歯を立て、知り尽くした彼の急所を容赦なく全て突いていく。セイリオスが身悶え、声を途切らせる。逃げようとする腰を押さえつけて、深く飲み込んでは乱暴なほどの愛撫を加え続ける。
「ああ、ぁ、ぁ……!」
 セイリオスが、その荒々しい攻めに限界を訴え始めた。びくり、と彼自身が震える。その小刻みな動きは、シオンとてよく知ったものだった。口の中に広がる薄い液体が、濃度を増していく。それを吸い上げると、セイリオスの腰が跳ねた。
「あ、ぁ……っ」
 シオンは、ざらりと舌を這わせると、それを最後にセイリオスを解放した。セイリオスが体を強張らせる。彼の下肢から体を離し、その体を背後から抱きしめて彼の頬に自分のそれを寄せると、セイリオスが荒い息を投げてきた。
「ど、うして……」
 頬にくちづけると、それだけでまた新たな性感を刺激するのか、セイリオスは身を震わせる。腰を善がらせるのを片手で押さえ、彼が自ら刺激を得ようとするのをわざと止める。
「ああ、シオンっ……!」
「これは、罰だぞ」
 シオンは囁いた。
「お前が、俺に、隠し事なんかするから」
「していない、と言っているだろうが……!」
「イーリスに……」
 シオンの言葉に、セイリオスが小さく息を飲んだ。
「何も、されていないって、言えるのか……?」
「……あっ……!」
 シオンの手が、セイリオスの下肢に伸びた。彼が刺激を求めている部分ではなく、そのさらに奥、シオン以外の誰も見たことのない、秘められた個所。
「……ぁ……」
 寝台の上についたセイリオスの膝が震えた。
「こんなことも……?」
「……は、ぁ」
「……こんな、ことも……?」
「シオン……っ……!」
 自分の指を唾液で湿し、そこをまさぐる。指先を差し込むと、それを拒むかのような締めつけが襲った。
「ああ、や、め……」
「やめて、いいのか?」
 耳元に囁く。その頬が染まるのに意地の悪い微笑みを浮かべながら、その周辺をくすぐるように弄んだ。
「いきたいんじゃ、ないのか?」
「……っ」
 セイリオスが唇を噛んだ。体を捩るのを、腕を押さえて制し、更なる囁きを注ぎ込む。その度に紅潮が彼の顔を襲い、落とす小さなくちづけにまで、明らかに反応した。
「シオン……!」
 懇願するようにセイリオスが呻いた。シオンの指が差し込まれると、意識的にか無意識にか、それを飲み込み、その最奥にある、性感の泉にそれを誘い込む。自分の欲望を訴えることにひたすら羞恥を見せ、頬を染める一面とは裏腹の、そんな淫らな動きに、シオンはその目的を忘れて、大きく息を吸った。
「は、ぁ、ぁ……」
 埋め込んだ指は、軋みをあげてセイリオスの中に吸い込まれる。それに、セイリオスは苦痛の色を見せはしたが、それがすぐに最奥にまで飲み込まれ、シオンの指先がそこにある悦楽の源に達したとき、掠れた高い声を漏らした。
「あぁ、ぁ、ぁ……んっ……」
 ひたすらに声をこぼす、緩んだ唇からは透明な液が伝い始めた。彼を拘束するシオンの腕など、もう必要ない。そうしなくても、セイリオスは逃げはしない。ただ、シオンの指一本に与えられる快楽におぼれてしまっているのだ。そんなセイリオスは、シオンの体の奥をも刺激した。ぞくり、と快感が這う。息を飲み、そして自分の体をセイリオスの下肢に寄せても、セイリオスは気づいているのかいないのか、固く閉じた瞼をわずかに開いた。
「ん、ぁ、ぁ……ぁ……」
 いったん指を引き抜くと、セイリオスが我に返ったような、意識を取り戻したような、はっきりした声を上げた。しかし、それが二本に増やされて再び彼を襲ったとき、それは前以上に崩れた、甘い声となってセイリオスの唇を破っただけだった。
「……ぁ……っ……!」
 敷布を握るセイリオスの指が、白く変色している。それを取り、くちづけると、シオンの口にセイリオスの指が入り込んできた。意識的にではないのだろう。セイリオスの指が、何かをねだるようにシオンの体をまさぐり始める。
「俺を……愛してるよな?」
 シオンが聞いた。セイリオスがそれだけ乱れた姿を見せてもなお、シオンの心中には不安が走った。イーリスが何を言おうと、それを心の底から信じていられるのなら、こんなに激高することはなかったのだ。セイリオスが心変わりするなどと思っているわけではない。それは、彼の性格だ。裏切りや背徳からはもっともほど遠い男だ。しかし、シオンを不安に駆り立てるのは、こうやってセイリオスを抱いている瞬間が幻なのではないかという衝動。セイリオスが、自分を受け入れたことへの懐疑が、時折、こうやって頭をもたげるのだ。この男が、同性に身を任せるなど、心の底からの気持ちがなくては決してするはずのないことだったのに。
「……ああ……」
 それは、シオンの問いに対する返事だったのか。こじ開けられた秘門に押し当てられたシオン自身を感じての嬌声だったのか。
「あ、ぁ、ぁ……!」
 それを確認しないまま、シオンは自身をねじ込んだ。セイリオスが声にならない悲鳴を上げる。指二本よりも大きく、熱い塊に最奥を刺激されて、セイリオスが咽喉を枯らした。後ろから攻めあげられる衝撃に不安を覚えるのか、何度も背後を振り返ろうとするが、その度にシオンに突き上げられて、それは叶わぬまま、首をもたげる。
「うぁ、っ……」
 寝台が奇妙な音を立てて軋む。それが生み出すのと同じ鼓動で、シオンはセイリオスの体を犯した。突き上げて、奥まで抉り、引き抜いてはまた叩き込んだ。その度に、小さな囁きを注ぎ込むのを忘れない。
「セイル……」
「は、ん、ぁっ、っ……」
「俺のこと、好きか……?」
「あ、な、にを……」
 セイリオスは答えを綴ろうとするのだが、それを阻むのはシオンだ。返答を求めながら、セイリオスがそれに応えようとするとそれをかき消してしまう。
「ああっ、も、う……」
 セイリオス自身に手を伸ばすと、それは先ほど放置されたまま先端が濡れそぼり、シオンの指が触れただけで今にも爆発しそうなほどに熱を持っている。シオンはそれを握り締めた。
「あ!」
 声は、どちらのものだったのか。締め上げられ、シオンは眩暈のするような熱の中で、おのれの限界を感じる。
「セイル……」
 彼自身を手の中で愛撫し、囁きかける。
「一緒に、いく……?」
「う、ぁっ……」
 声にならないながらも、セイリオスは必死に頷いた。ほどけかけた髪がそれに合わせて揺れ、汗で背中に貼り付いたそれは奇妙な模様を作り上げる。
「……セイリオス」
 囁きは、言葉にならない、合図だった。
「……ぁ……っ……!」
 手のひらに、熱いものが広がった。それは己の解放の瞬間と同じで、セイリオスの中が、今までに感じたことのないほどにきつく、強く締め上げられるのに、シオンは満足と悦楽の向こうで、微笑んだ。



 晩餐にいつまでたっても表れない王子を、訝っているだろうか。しかし、緊急の所用でもないかぎり、執務時間の終わったあと、私室にこもる彼を呼びに来るようなものはいない。セイリオスは深いため息をつき、シオンに乱された衣装を調えた。
「で」
 それをいささか罪悪感とともに見つめながら、シオンが言った。
「結局、何もされてないって言うんだな」
「当たり前だ」
 セイリオスが頬を紅潮させて言った。
「何を言っている、馬鹿者」
 いつになく高ぶった調子でセイリオスはシオンをなじった。
「お前自身がよこしまな気持ちでいるから、そのような邪推をすることになるのだぞ」
「……」
 セイリオスはため息をついたが、それが情事のあとの気だるさゆえだと分かっているシオンは、彼の横に腰を下ろし、その背を撫でた。
「……痛むか?」
 彼が動けないようにと押さえつけ、締め上げた手首をさすると、セイリオスは首を振った。
「別に」
「……悪かったな」
「……」
 セイリオスは、シオンを見上げる。
「なぜ、そんなに神経を尖らせるのだ」
 首を振って、呆れたようにセイルは言う。
「私のことを、疑うのか……?」
「違う!」
 シオンは慌ててセイリオスの肩をつかむ。それにセイリオスが眉を顰めたのに、弾かれたように手を放すと小さく謝った。
「……不安になるんだよ」
 シオンは、セイリオスをその腕に抱き込んだ。先ほどまで彼を包んでいた情欲の匂いがして、シオンは身を震わせる。
「お前が、どっか行っちまうんじゃないかと思って」
「……私が?」
 セイリオスは笑いを浮かべてシオンを見た。
「私が、どこに行くと?ここ以外、私の居場所はないのに」
「そう言うことじゃなくて」
 腕をほどき、セイリオスが見上げてくるのに視線を絡め、シオンはため息をついた。
「……俺の側から、いなくなっちまうような気がして」
「馬鹿な」
 セイリオスは笑った。
「それで、あの吟遊詩人を?」
「……」
 そこに漂う後ろめたさには口をつぐみ、シオンはかすかに頷いた。
「お前が、あいつを気に入っていたみたいだから」
 セイリオスの顔には、まるで彼が妹姫を見るときのような、穏やかな、それでいて呆れたような微笑が広がった。
「……つまらんことを、気にかけるな」
 伸ばされたセイリオスの手は、シオンの頬に触れ、そしてそれを引き寄せて、くちづけを落とした。
「私は、嘘はつかないよ」
「……分かってる」
 勘繰る自分が愚かなのだ。セイリオスには一転の曇りもあるはずはなく、それを疑う己がおかしいというだけなのだ。
「愛してるよ、セイル」
 照れ隠しのように抱き寄せて、そう囁くと、セイリオスの低く笑う声が聞こえた。
「……私も、だよ」
 抱きしめられた腕の向こう、シオンの背の向こうで、セイリオスの手が動いたのを、シオンは知らない。それが、自分の唇に伸ばされて、セイリオスがためらいがちにそれに触れたのを。
 真実を知るのは、その唇のみ。







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