長く続いた雨が空気を冷やし、もう春が来たと思い込んでいた者たちを戸惑わせる。 やがて、それがやんでたちまち大気はぬるみ、人々に一息つかせたかと思うと、また冷たい風が吹きすさぶ。 季節の変わり目は、いつもこうだ。暖かくなったと思えば寒く、寒いと思えば暖かく。そして、本当に桃色の花が芽吹くその日まで、人々はその日まとう衣装に困らされる日々を送るのだ。 それは、今年もそうだった。 それが予想外のことではないはずなのに、と、目の前に横たわる姿に、遠慮のないため息が注がれた。 「この時期は、気をつけろ、と言うのに」 腰に手を当てて、情け容赦なくそう言って見せると、情けない声が返ってきた。 「だって、仕方ないだろう?」 「何が仕方ないんだ」 その、力の抜けた弱々しい声をはねのけるように、セイリオスはぴしゃりと言った。 「自己管理がなってないというのだ。いらないほうに気が回りすぎて、肝心なことがお留守になっているようだな」 「……うう」 いつもの毒舌はどこへやら、寝台の上で昼日中から夜着に包まれて、シオンは唸って見せた。 「病人を労るってことを知らないのか、お前は」 「不注意でなった病人に与える同情などない」 顎を反らして見せると、そんなつれない彼に、シオンは泣き声を立てた。 「それだから、早く治ろうと思ってお前に来てもらったんじゃないか」 「仮にも筆頭魔道師ともあろう者が、自分の病気ぐらい自分で治せないというのか?」 「自分で治しても、つまらんもん」 「……つまらんとかいう問題では」 口ごもった隙に、上掛けの間から素早く伸びた手が、セイリオスの腕をつかんだ。 「こらっ!」 引き寄せられて、シオンの発熱で潤んだ瞳に間近で見せつけられた。琥珀のそれは緩やかに湿り気を帯び、流れるような視線をこちらに送っている。上気した頬が、いつもの尊大な彼の印象を半分に削り取って、頼りなく、儚げな印象を植え付けた。 「……この、忙しいときに」 セイリオスは唸った。 「私を呼びつけたりして、どういうことか分かっているんだろうな」 「分かってる分かってる、重々な」 そういう声も、掠れていつもの彼らしくない。 「だから、そのお忙しい殿下のお手伝いをするため、早く治ろうと思って」 「……私に、何をしろと」 腕を引き寄せた手を放さないまま、シオンはセイリオスの瞳を覗き込んだ。 「治癒魔法、かけてくれよ」 「そんなこと、自分でしろ」 「人にやってもらったほうが効果が上がるんだって」 顔を背けるセイリオスを追いかけて、シオンはなおも言った。 「お前にしか、頼みたくないんだよ」 すがる視線、ねだるような声。セイリオスはため息をついて、シオンの方を見た。 「頼むよ」 これが、いつものシオンなのだったら、こんなふうに甘やかしたりはしないのだろう。こんな、子供のようなわがままを言う彼を一蹴して、さっさと執務に戻るところだったが、その、くすんだ琥珀の瞳で見つめられては彼もそう無情にはなれなかった。 「……どうして、欲しいんだ」 息をつきながらそう言うと、我が意を得たり、とシオンの瞳が輝いた。 「最上級の、治癒魔法。一発で治るようなやつ」 「そうやって、魔法に頼ってばかりいるからささいなことで体調を崩したりするんだ。人間の体には自然治癒能力というものがあって……」 「わーったわーった」 大袈裟に、空いた片手で耳を押さえて見せながら、シオンは言った。 「ありがたい講義は、またの機会に聞くようにする。今日は、とりあえず治してくれよ」 「……分かった」 話を遮られて、いささか憮然としたセイリオスは、それでも、シオンの願いをかなえてやらないつもりはなかったのだ。彼は、不承不承頷いた。 「目を閉じろ」 そう言って、手のひらをシオンの額にかざそうとするのを、シオンは止めた。 「違う違う、もっと効くやり方」 「……なんのことだ」 シオンが、掴んだセイリオスの手を引いた。 「シオンっ!」 病人とは思えないその強さにセイリオスが戸惑いの声を上げた、その刹那、彼の唇がシオンのそれにふさがれる。 「んっ……!」 先ほどの弱り切った声は演技か、とセイリオスが疑うほどの強い力だった。 「……シオンっ!」 唇を振りほどいて、セイリオスがシオンを突き放した。 「私を冗談の相手にするつもりなら、治癒魔法ではなく、もっと病を深くする術をかけてやるぞ」 「違うって」 抱き寄せたときの声とは裏腹な、またしても掠れたシオンの声がした。 「こうやって、口移しにかける術が一番効くんだって」 「……」 言葉を失って、セイリオスはシオンを見た。 「体の奥に浸透させる術だ。より薄い皮膚を通したほうが、効果は高いって」 「……」 セイリオスは、上目遣いにシオンを見た。 「理にはかなってるだろ?どうせ魔法を使うづくなら、より有効に使わんとな」 それが、いささか楽しそうに見えるのは気のせいだろうか。 「それか、もっと奥、試してみる?」 意味あり気な目配せを送ってきたシオンに、セイリオスは出来うるかぎりの力を込めてその視線を跳ね返した。 「分かった」 意を決した、と言うふうに、セイリオスは頷いた。 「分かったから、目を閉じろ」 「そんな、照れなくてもいいのにな」 余計な一言が、セイリオスの手を宙に舞わせた。 「いつも、あんなにねだるくせに」 そして、もう一発、セイリオスの拳に見舞われた。 「余計なことをいうと、一生このままにしてやる」 「それは勘弁」 シオンは本気の口調でそう言った。事実、これ以上からかうと、セイリオスなら本当にそうしかねないと言うことを知っているのだ。シオンは大人しく目を閉じた。 「こうやって、大人しくしておくから」 「……ああ」 戸惑ったように、セイリオスは薄くそう言った。 「……」 自らも薄く瞼を落とし、唇の中で、小さく治癒の呪文を唱え始める。それが形になって熱を孕み始めたのを見計らって、大人しく寝台に横たわるシオンの唇に、ゆっくりと自分のそれを落とした。 「……っ……」 セイリオスの唇から、呪文が熱になって流れ出す。シオンの唇を舌で開かせて、その先を阻む歯をも割り裂いて、彼の口膣の奥深く、それを注ぎ込んだ。セイリオスの口内に生まれた熱は徐々に逃げていき、それがシオンの中に吸い込まれていくのを感じる。それを確認し、シオンの歯の間に挟み込んだままだった舌を引き抜こうとすると、それを押しとどめるようにシオンのそれが絡んできた。 「んんっ……」 シオンの腕が伸びて、彼の方にかがみ込んだセイリオスの背を抱きしめた。逃げられないようにそうやって拘束しておいてから、シオンは音を立ててセイリオスの唇を貪る。逃れようともがくセイリオスの頬の内側を舐め上げて、吸い上げて彼の力を奪っていこうとする。 「シ、オン!」 それが、常の彼ならば、セイリオスもその腕の中に捕らえられてしまったのかもしれない。そのまま抱きしめられて、彼の愛撫を体中に受けるはめになったのかもしれない。 しかし、魔法は今シオンの体に広がり始めたばかりだ。さすがの彼とて、それ以上己の体を思うがままにすることは出来なかったらしい。セイリオスが力を込めてシオンの腕を振り払うと、シオンはあっけなくそれに敗北を認めた。 「全く」 セイリオスは唇をとがらせてシオンを憎々しげに見た。 「どうあっても、やることは変わらんやつだな」 「……期待してたくせに」 熱のある体でそんなことをしたせいか、シオンはいささか力ない声でそう言った。 「ご期待に沿えなくて、残念」 「誰が期待している」 セイリオスは一言のもとに言い捨てた。 「下らんことをしてないで、寝ていろ。しばらくすれば、体も楽になる」 「……ああ」 ため息のようにそう言って、シオンは目を閉じた。 「……」 その横顔を、しばらくセイリオスは眺めていたが、眠ってしまったかのようにシオンが静かになったのを見計らって、足音を忍ばせて彼の元を去ろうとした。 「セイル」 小さな声が、そう言った。セイリオスが振り向くと、目は閉じたまま、シオンが薄い声でささやいた。 「……ありがとな」 セイリオスは笑った。小さく、かみ殺すように笑った。 |