私のところへ、彼等が訪れたのは、夏の暑い日だった。
3.今日の渋沢は、ホントの渋沢だったか?
「み〜かみ先輩ッ!!」
「ぐわッ!!〜〜〜バカ代!耳元で大声出すなよ!!」
耳元で思いっきり叫ばれた。キンキンと鳴る耳を押さえて、俺が先輩だってのに遠慮のないこの男の頭を殴る。
「いてぇっ!酷いッス!!何度も呼んでんのに返事しない先輩が悪いのに〜〜っ!!!」
「ああ〜?なんだよ、何の用だよ・・・」
机に向かって座っていた俺は、椅子を回転させて藤代に向き直る。
叔父さんの診療が、まず1回目を終えて俺達は寮に帰ってきた。
と言っても帰ってきたのは俺とコイツだけで、渋沢は診療を終えた足で手首の傷を診てもらうために病院へ直行した。
俺等も行くと言ったが、一人で大丈夫だからと無理矢理帰らされた。
(大丈夫・・ねぇ)
はぁ〜と溜め息が漏れた。
(アイツはこんな時でも、俺を寄せ付けねぇんだよな)
「キャプテンの事、考えてるンすか?」
俺の溜め息に、藤代が敏感に察する。・・・こういう時だけ勘がいい。いつもはアホの付くほど何も考えてないのに。
「・・・どうしたもんかね、アイツは」
「キャプテン、俺達の話、聞こうとしませんもんね。ん?違います、聞いてるけど聞こえてないんです。・・・アレ、おんなじ?」
藤代が首を傾げた。
・・・コイツが言っている意味は分かる。要するにアイツは俺らの話を“流してる”。ムカツクくらい自然にな。
夜中、渋沢が泣いていた、尋常じゃなかったあの夜の事を話しても、憶えていなかったらしく「何の事だ?」と言いやがった。
後になって「心配かけたな、もう大丈夫だ」の一言で、その事について話すことを頑なに、そして“自然”に拒んだ。
「・・・そういやお前の顔の跡、まだ治んねぇのな」
藤代の左頬には、殴られて青じんだ後が残っている。俺はその現場には居なかったが、後から聞いた話ではあの渋沢に殴られたらしい。
『左』頬の跡。
渋沢は『右』利きだ。なら右頬に跡が残るはずなのに。
その話も今日、渋沢の目の前で叔父に話した。
電話でも渋沢について叔父には一通り話していたのだが、叔父にもう一度と催促されたからだ。
なんでも本人に聞かせるのも大事な事らしい。
藤代は、全く多重人格の知識もなかったので叔父に説明してもらった。
俺はだいたいの事だったら分かっている。叔父とは結構仲はいいし、元々そういうのに興味もあったから。
多重人格。簡単に言えば人格が変わる事。
自分だけど自分じゃない。
本で読んだ話だと、もとは女なのに男の人格で、しかも年齢も生まれた国まで違う人格もいたり。
本来の人格がアトピーだというのに、他人格は全く異常はないとか。
食べられないはずの、大嫌いの食べ物を平気で口にできたり。
“本来は右利きなのに、左利きになったり”
「まだ痛いンすよ!・・・にしても『アイツ』思いっきり殴りやがって!!」
『アイツ』とはもちろん渋沢克朗の事だ。本来、藤代は絶対渋沢に向かって(いや、コイツは他のヤツに渋沢について喋るのだって、
先輩とかキャプテンとかで、決して『アイツ』なんて言い方はしない。俺についてはどうだか知らんが)言う事はない2人称。
「・・・やっぱり、分かるわけ?『アイツ』が渋沢じゃないって」
「全っ然違いますよ!!わかんないんですか、先輩!?」
藤代はやっぱりその野生の勘みたいなもので、渋沢じゃないと分かるらしい。
しかもコイツはそれを以前から訝しく思っていたと言う。
多重人格という知識は全くないのに、この藤代誠二は感覚で理解している。・・・恐ろしいヤツだ。
「・・・・・・今日は・・・、今日の渋沢は、ホントの渋沢だったか?」
ホントもウソもなんにもないのだが、そう藤代に聞いた。
「はい!『アイツ』でも『演劇野郎』でもナイっすよ。最初から最後までホントのキャプテンでした!!」
「・・・・・そっか」
俺は胸を撫で下ろす。
藤代が言った『演劇野郎』というのは、なんでも渋沢克朗を演じている違う人格らしい。
そう、藤代の直感を信じれば、本来の渋沢の人格を含めて3つの人格が存在している。
1年の時から藤代には奇妙な違和感があったらしく、何度か俺に意見を求めたりした。
だがコイツは感覚で理解はしているが、うまく言葉に表せず要領を得ない藤代の言葉に俺は全く取り合わなかった。
俺が渋沢の異常に気付いたのは(気付かされたのは?)、あの夜の事からだ。といっても2ケ月程前の事なのだが。
そうしてこの2ケ月間、俺等は渋沢に振り回された。
あの!
あの渋沢が、いきなり授業中立ち上げって何も言わずに教室から出ていったり
(教師は呆気に取られていたし、あの後サッカー部で、1軍から3軍まで「どうしたんですか?」「なにかあったんですか?」なんて俺に聞かれるし、
果ては何の関係もない教師にまで「何かあるなら、聞いといてくれないか?」とかなんとか。
ちなみに渋沢は早退の扱いになった。担任教師が“自主的”に書類に記入をしたのだ。人徳って怖ぇ!)
かと思えば、教師に質問をされても全く返事をせず無視を決め込んだり
(その教師は具合が悪いと解釈して、渋沢を保健室へ連れて行った)
サッカーを終えて寮の自室に帰ったまでは普通だったのに、いきなり大声で喚いたり
(周りは俺が渋沢を本気で怒らしたと思われた)
そして、抱き付いてきた藤代を“左手”で殴ったり。
―――――― そうしてその後日、心配した周りの人々に聞かれてたら、決まってこういうのだ。
『すまない、迷惑をかけたな。もう大丈夫だ、心配するな』
と。
(・・・・心配くらい、させろよッ!)
無意識にぐっと、拳を握る。
渋沢の明らかな変貌に、俺は心底驚き、そして戸惑った。だがその状態を渋沢に聞いても“大丈夫”の一点張り。
それか、俺の言葉が聞こえていないかの様に無視をする。
・・・俺を無視する。決して渋沢がとった行動とは思えない。
そうして夜になると、子供のような泣き声が部屋に響く。
もう何がなんだか分からない。
そう、俺は混乱してる。
渋沢がおかしくなって一番影響を受けているのは、この俺だ。
この状況をどうにかしたくて、縋るような気持ちで叔父に助けを求めた。
渋沢が自殺未遂を図った事は衝撃を受けたが、さすがに当の本人も自殺を覚えていない事に危惧したのか、
やっと俺の提案を受け入れた。
「先輩、大丈夫ッスカ?顔色悪いっすよ?」
藤代が俺を心配そうに見つめていた。
頬に痛々しい殴られた跡が目に付く。
そうだ、こいつが誰より一番に渋沢の異変に気付いていた。
俺が叔父に伝えた渋沢の病名も、藤代が確信を持って“渋沢じゃない”と断言したからこそ、俺も疑わしく思ったんだ。
実は今だに俺は、藤代の言う『演劇野郎』と渋沢克朗の違いさえ見分けがつかない。
俺が分かっているのは、あの夜泣いていた渋沢が、まるで幼い子供のような錯覚を感じるだけだった。
だから渋沢が叔父に言った“三上は嘘をついていないと思う”と言った言葉も実際は疑った。
渋沢じゃない、違う誰かが台本のように【渋沢らしく】を演じた、ただの感情の入っていない形式ばった台詞のようで。
そう思う事自体、渋沢にもの凄く失礼だと思う。渋沢は本心で俺を信頼して言った言葉のはずだっただろうに。
「・・・先輩?」
俺は疲れてるんだ。
だから、そんな余計な事を考えてしまう。
「藤代・・・」
「ハイ?」
殴られた跡が痛々しい藤代の顔。
渋沢といる時間は、藤代よりどうみても俺の方が長い。
1年から同じ部屋で同じクラスで、同じ部活して。
それなのに、俺はあいつの事、何一つ知らなかったんだ。
藤代が何かを感じていたのに、俺は何も思う事はなかった。
ただ、あいつに甘えていただけだった。
「・・・藤代」
何を言おうとしているのだろう、俺は。藤代に。
俺を差し置いて、渋沢の事を知ったような事言うなって?
小学生並か、俺の頭は・・・。
どうしようもなく馬鹿らしくて、俺はくくっと笑う。
そんな俺に藤代が怪訝な顔をする。
ああ、俺は疲れている。
「・・・渋沢、もう帰ってくるんじゃねぇか?」
「アッ!そですね、もう帰ってもいいころですね!俺、玄関見てきま〜す!!」
そう言うと藤代は、さっさと三上を置いて部屋を出ていく。
バタン、とドアがしまってパタパタとスリッパの音が遠ざかっていく。
犬っころよろしく、ご主人様の帰りを尻尾振って待ってる藤代の姿が容易に想像できて、思わず笑いが洩れる。
その笑いは、どこか乾いた笑いだった。
俺の頭の中に、渋沢の、あの悲壮な泣き声が、こびり付いて離れなかった。