君は誰だい?
 
 
私のところへ、彼等が訪れたのは、夏の暑い日だった。

  5.いやいや、名前は重要だね
 
 
 
  
渋沢克朗は、約束していた時間を2時間も遅れて私の診療所に訪れた。




亮君に電話を入れようとしたが、この時間はまだ部活動をしているのだと、電話をかけてから気が付いた。
部活を終えた甥が着信履歴を見た途端、慌てて私に電話をとる光景が容易に想像できる。
余計な心配をかけることになったかもしれない、と私は少々後悔した。
甥の亮は年頃の男の子のように、自分を持て余している感じを受けていた。
周りがよく見えず自分のことだけで精一杯になるのだが、あの落ち付いた渋沢君の事は酷く気にかけている。
(・・・・渋沢君は亮のことはどう思っているのだろう?)
ふと、疑問が湧く。
落ち付いた青年のような少年は、完璧な笑顔でさらりと私や亮の手をすり抜けていってしまう。



「こんにちは」
背後から声が掛かって、思考の渦からいきなり現実へと戻された。
驚いて振り向くと、そこにはその思考の中心となる人物が立っていた。
「・・・あ、ああ。こんちには」
慌てて返事を返す。
渋沢克朗は遅れた事を悪びもせず、スタスタと部屋へと入ってくる。私が何も言えずにいるのも構いもなしに、ストンとソファに座った。
「・・・・随分、遅かったね」
今、私の目の前にいる同じ少年は一度目に会った時とは態度がまるで違った。
昨日会った少年は礼儀正しく挨拶をしていた。そして勧められて初めてソファに座ったはず。
私は少々気後れしつつも、普段と変わらず接するようにそう言う。
「ああ、ごめん。でもお土産あるから許してよ」
まるで友達と話している気安さで謝られて、私はどう返事をしていいか分からずしばし固まる。
そんな私を気にも止めず、克朗は持ってきた紙袋の中からぬいぐるみを出して私に差し出した。
「・・・・何?」
「何ってぬいぐるみだよ、コレ気に入らない?んじゃ、コレは?」
次々とそのぬいぐるみを出してテーブルに置いていく。計4つ。
くまのプーさん、ドナルド、白い猫、サル。
「全部はダメだぜ。2つな?あとの2つは俺の♪」
「・・・・ありがとう」
私は仕方なくくまのプーさんと、ドナルドを手に掴む。
「アレ?絶対トロ取ると思ったに・・・。そうだ、サルゲッチュは藤代にやろうっと。あいつサルだし。んじゃこのトロは三上にだな。あいつは寂しがり屋〜♪」
克朗はサルのぬいぐるみを紙袋に戻し、トロ(白い猫)の手を持って上へ上げたり、下げたりして遊んでいる。
「・・・ええっと、克朗君?」
「おっさん子供いるだろ。幼い子」
目の前の克朗は年相応の少年に似合った、悪戯っぽい表情を浮かべて私にそう言った。
「・・・ああ、いるよ。2歳の女の子。でもどうして分かったのかな?」
「俺の持ってるこのぬいぐるみ、トロって言うの。こっちのサルはサルゲッチュ。ゲームで人気あるからそれが商品化したんだよな。 で、それ選ばなくてプーさんとかドナルド選ぶってのはソレを知らない証拠だろ?知らないものを手に取るような、そんな冒険心 アンタにあるとは思えないし。そんで知らないって事は子供がちっちゃいか、いないかだけどおっさんの年じゃ子供いないってのは一般的 に見ておかしいよな。普通は子供がいるって思う年だし。で、いるとなるとトロ知らなかったんだから、幼い子になるって事。」
ペラペラと喋る間も、そのトロのぬいぐるみを弄っている。
「そうか。なるほど・・・ちなみに僕は何歳くらいだと思う?」
好奇心でそう尋ねると、彼は即座に答えた。
「38才。しがない精神科。お客は一日2、3人。稼ぎは少ない。妻はパートに出たいが子供が幼いため内職。 アンタも帰ってから手伝ったりなんかして。んで、休日は3人仲良くお買い物。貴方、今日は焼肉にしましょう!スタミナ満点、夜も 元気に私を食べてね!!もちろん!さあ、いくよ愛子ッ!ああっ!!」
トロのぬいぐるみに抱き付いて、熱烈過剰に演じている少年を私はどうしようか、と見つめる。
「・・・って止めてくれよ。愛子じゃないるり子だぁーー!とか突っ込んでよ。空しくなるだろ?」
「いや、私の妻の名前なんてどうでもいいような・・・いやいや、名前は重要だね」
私は彼のペースにハマっていたのを戻すべく、今日彼が来てから一番に聞きたかった事を私は質問した。
「君は渋沢克朗君じゃないね?」
断言してもいい。彼が渋沢克朗じゃない事は彼を知っている者なら、誰が見ても分かる。
そうして多分、もう一つの私の考えも当たっていると思う。
「あったりまえ!克朗はこんなバカやんないしね。あっ、でもぬいぐるみは好きだし。このトロはやっぱ克朗へお土産〜♪」
トロを宙に投げて遊ぶ。
「じゃあ、君は誰だい?」
トロが彼の手へと落ちる。克朗の姿をした彼は、初めて他人に自分の名前を名乗った。
「克斗」
「かつと?」
聞き返す。
「そうだよ。覚えておいて」
そう言って彼は笑った。
何か楽しいものでも見つけた、子供のような純粋な笑みだった。