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いつからこうしていたのか判らないが、銀河は深い深い森の中をただひたすら歩いていた。 目的は無く―――いや、あるのかも知れない。 この先で声も無く呼ばれているような感じがする。 その場所に向けて膝くらいまで伸びる下生えのなか足を進めていく。 進むにつれて足元の草がだんだん少なくなり、周りの木もまばらになっていった。 (この先に……一体何があんのかな……) 正体がはっきりしないモノへの恐怖とそれを少し上回る好奇心。 怖いもの見たさ…それだけが前へと歩みを進ませている。 周囲には生き物の姿も無く、緑一色に染め上げられていた。 木々の隙間を縫って先を見渡せばただぼんやりとにじんで見える。 (……ここ、何処だろ…) 今いるところが何処なのか、何故ここにいるのかもはっきりとしない。 周りの風景のごとくあやふやな記憶。 どれくらい歩いたのか知れないけれど、何時しか緑色の空間が切り取られた場所に出た。 ぽっかりと開いた場所にとても大きな桜の古木。 ごつごつとした太い枝が見えなくなるほどの満開の花が辺りを埋める。 そっと木の幹に手を触れ上を向いて見る。 近くから見上げてみればその木は空すら見えないくらいに花をつけ枝を広げていた。 ごく薄く色の付いた花びらがちらちらと降りそそぎ、剥き出しの地面を覆い隠すように積もっていく。 降ってくる花びらを追って遥か先の梢に目を向ける。 (呼んでいたのは…この場所だけど…ここじゃない) そう感じると、さ迷わせていた視線をゆっくりと下に下げた。 木の幹にそって歩いていると、木の根元の地面に散った花びらに覆い隠されながらも一部色の違う場所がある。 そこにしゃがみ込むとおもむろに素手で地面を掘り返し始めた。 (―――駄目) 頭の中で自分のしていることを静止する声がする。 それでも知りたいという思いが身体を動かす。 (―――これ以上は、駄目) でも…きっと呼んでいる。……この先で。
(あのね、さくらがきれいにさくのは)
………この先? 思考が上手くまとまらない。 掘り進んでいるうちに指先が切れて血が滲み出してしまった、それでも土を掘る手は休めない。 (―――木の下には)
(……がうまっているからなんだよ?)
―――――そんなこと、一体誰が教えてくれたのだったか。 目的のものを見つけ地面を掘りかえしていた手が止まる。 そのままの姿勢で静かにそれを見下ろしていたが、そっとかかっていた土と花びらを払いのけた。 白い肌と柔らかそうな茶色の髪、何時も隣りに見るその顔。 気持ちよさそうに眠っているようなその表情。 土を払った拍子についたのだろう、紅い色が彩りを添える。 何か喋ろうと口を開いたが言葉にならず、意味をなさないかすれた声が出ただけ。 結局そのまま口を閉じた。 信じられなくて、信じたくなくて。 見なかったことにしたいけれども、そのままにもして置けなくて。 先程まで掘っていた穴を広げにかかる。 その時、それまでそよとも吹いていなかった風が吹き始めた。 渦巻くような風に乗ってちらちらと降っていた花びらが量を増していく。 ぴしぴしと勢い良く花びらが顔に当たる。 あまりの強さに目を閉じたがそれでもその勢いは増していく。 腕で頭を庇ってもその勢いは止まず次第に気が遠くなっていった。 (―――ぎんが) 微かに聞こえる声と周りに差し込み出す光。 意識を失えば濃くなるはずの暗闇が、薄くなるのも妙な話だが。 (――――ぎんがってば) ゆらゆらと揺さぶられる身体に覚醒していく意識。 でも何か暖かくてまた深く沈みこみそうになる。 ぺちっ! 深みに落ちそうになる意識を軽い衝撃が引き戻した。 ゆっくりと目を開けると見なれた顔が視界一杯に映る。 「大丈夫?うなされていたよ?」 「…ほくと」 自分の上に影を落として北斗が覗きこんでいた。 寝ていたのか、と思うと共に置かれている状況が徐々にわかってきた。 霧が晴れるように去っていく眠気と共に、先程まで見ていたものも抜けていってしまった。 顔に触れている北斗の手から先程の衝撃は軽く叩かれたのだと理解する。 銀河は目元をごしごしとこすりその場で寝転んだまま伸びをした。 「んーっ…」 はぁ、と息を吐いて全身の力を抜く。 ベッドに肘をつき、その様子を眺めていた北斗が言った。 「怖い夢でも見た?」 銀河はその言葉に動きを止め、視線を宙にさ迷わせる。 「変な……夢を見ていたような…」 見ていなかったような、と首をひねっているとそんな銀河の様子を見て北斗は笑い出した。 「何それ。ま、内容はともかく夢を見ていたことは確かじゃない?」 まだ考えこんでいる銀河を見ながら笑いを収めきれずにいる。 北斗はベッドの隅においてあったノートと教科書を手に取った。 「とりあえず、さっさと宿題済ませちゃおうよ。」 「おー…」 のろのろとベッドから降り、机に放り投げてあったカバンからノートや筆記具を出す。 一式抱えて足元のミニテーブルの前に座りこんだ。 まだ少しぼんやりとしている銀河を見ると北斗は苦笑して階段の方を指差した。 「顔、洗っておいでよ。」 「んー、そうする…」 銀河は少々危なっかしい足取りで階段を降りていった。 ごち。 「……付いて行った方が良かったかなぁ……」 見送った先から聞こえた音に北斗は思わず呟いていたのだった。 冷たい水で顔を洗うと、最後まで残っていた眠気も吹き飛んだ。 「はーっ…」 乾いたタオルで顔をふいて大きく息を吐く。 洗面台に手をついて顔を上げると鏡の中の自分と目が合った。 (さっきはどんな夢を見ていたんだったっけな…) 思い出そうとするが、思い出せない。 指先の冷たい感触で何か浮かび上がってきそうだが……形になる前に消えてしまった。 「うなされてたって事は、思いださねー方が良いのかなー」 考えていたことが口から滑り出る。
『……そのほうがいいよ。』
微かな声が聞こえたようで、銀河はきょろきょろと辺りを見まわす。 「銀河ぁ?まだ寝てるのー?」 階段から呼ぶ北斗の声が聞こえる。くるりと振り向くと叫び返した。 「寝てねーよ!今行くっ。」 とりあえず今一番の敵と戦うために、銀河は自分の部屋へと戻っていった。 誰もいなくなった洗面所では遠くなっていく銀河の姿を小さく映していた鏡に、薄い桜色の陰が滲んで消えていたのだった。 |
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