|
藤 最近の寒さも和らぎ、陽射しも緩やかなその日。 頭上の緑の天井を見上げれば茂った葉の隙間から薄紫色の房が覗いていた。 ここは小さな公園の片隅に有る藤棚の下。休憩所も兼ねているそこには背もたれの無いベンチが並んで居る。 そのうちの一つに銀河は寝転んでしばらく上を眺めて居た後そっと目を閉じた。 街中特有の雑音とは別に聞こえる細かな音、きっと目を開いて凝らせば房の間を飛びまわる金茶色の小さな虫が見えるのだろう。 日向に出ていれば上着を着たままでは暑いくらいだが日陰に入るとそうでも無くて。 逆に少し強い風が通り過ぎれば少し寒さを感じるぐらいだった。 下が固いので枕代わりに敷いていた自分の腕を外して僅かに体を伸ばす。 ん―――。 ぱちっと目を開いてそのままの体勢で視線だけ動かせば垂れ下がる房が日を浴びて揺れていた。 花弁の端の方が日に透けて白っぽく見えるが、空に浮かぶ雲を背景にするとその色は溶け込まない。 通りすぎた風に乗っていた甘い香りは果たしてこの花のものなのかそうではないのか――― 傍で土を踏む音がしたと思うと次の瞬間には首筋にひんやりとした物が押し当てられ、思わず飛び起きた。 「うひゃあっ!!」 寝転んでいたベンチから転がり落ちるのはぎりぎりで免れた。 こんなことを仕掛けて来た長身の影を軽く睨みつける。その人は笑みを含んだ口元でこちらを見下ろしている。 隙間から漏れる光を浴びて若草色の髪が淡色に透けていた。 「寝ていたのか?」 「寝てねえよ、寝てねーけどそれはねえじゃん……」 落ちたらどうすんだよ、とぶつぶつ言いながらも銀河は礼を言って飲み物の缶を受け取った。 そのまま少し横にずれてアルテアが座れる場所を作る。 「丁度良い時期だな、もう少ししたら散ってしまうか。」 桜も散り、八重桜も散り始めている今の時期、緑色が多くなる樹木から覗く薄い色の花房。 そろそろ見頃だという情報を得て、ぽっかりと空いた時間あまりの天気の良さに近場散策を実行中の二人だった。 「本当に良い天気だな。」 「そうだよな、こんなに暖かいのは久しぶりだよな。」 そう応えながら飲み物に口をつける、自分が思っていたより喉が乾いていたらしく半分ほど一気に飲んでしまった。 「あ〜、気持ち良い〜。」 缶を置いてぐいんと両手を伸ばして反り返る。ひっくり返りそうなギリギリの所まで反ると元の体勢に戻った。 ほう、と一息ついて隣を見てみれば何時もなら背筋を伸ばして座っている人物が足を投げ出してくつろいでいた。 吹きぬける風に緩やかに外側へ伸びた蔓がゆらゆらと揺れる。一緒になって花房も揺れた。 ぼんやりと見るとも無しに頭上を眺め、心地良い沈黙の時間が流れる中、 さやさやと葉がすれる音を聞き銀河はゆっくりと口を開いた。 「さっきから良い匂いがするんだけどさ、これって藤の香りかなぁ……」 「藤自体も香りはするが……今辺りに漂うのはきっとあれだろう。」 指した方向には低い樹木の茂み一杯に咲き誇る花が見えた。淡色に濃色の絞りの入ったものと赤紫一色の躑躅だ。 離れた所の躑躅は真っ白で花で枝葉が見え無いくらいに咲き誇っている。まるで白い鞠の様だった。 ひょい、とベンチから飛び降りて近い場所の茂みに近寄ると花に顔を近づけた。 ふわりと香る強い甘い匂い。先ほど風に乗って来た香りと似ているような気がした。 「ああ、本当だ。」 納得して戻ってきてみればアルテアは垂れ下がる花房にそっと指を添え、顔を近づけていた。 「こちらの方は……そんなに香りはしないな。」 ちょこちょこと戻ってきてベンチの上にまで飛び乗って、腕も目一杯伸ばしてみるが矢張り背が届かない。 藤の香りを楽しんでいる所を恨めしげな目で見上げられたので、抱きかかえて肩くらいの高さまで持ち上げてやった。 花房の方へと抱え上げたその身体を寄せる。ようやく届いた花に銀河は支えていた片手だけ放して支え香りを確かめた。 「……何か…植物っぽい?」 花から香る匂いとは別に植物特有の香りがする。躑躅とは違う瑞々しくあっさりとした感じ。 「それは……植物だからな。」 銀河のあんまりといえばあんまりな言い方にアルテアも苦笑するしかない。 そろそろ降りるか?と聞いてみれば腕の中の当人はもう少しと応えてきた。 この年になると余り他人に抱っこしてもらうことは頻繁に有ることではないので、もうしばらくそのままでいようと思ったらしく。 何時もと違う視点の高さを十二分に満喫してからおろしてもらって、銀河は笑顔でお礼を言った。 向こうも笑顔を返してくれて、更に頭を撫でられた。子供扱いされているなと思いながらも、撫でてくれる手は優しかったのでその辺りは気にしないようにする。 どちらからとも無くまたベンチに戻り、太陽が少し移動するまで二人は並んでそこに居たのだった。 |