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間幕茶話。 薄い雲の間から時折さし込む光が、程よく手入れされた庭の青々とした葉を照らしている。 色の変わりかけた紫陽花の茂みを視界の端に止めて、もうすぐ夏だなぁと緋勇龍斗はふと思った。 桜の花が咲き誇っていた頃にここへきて、色々あったが結構すんなりとこの中へ溶け込む事が出来た。 更に今では完全に馴染んでしまったようで、姿が見えないと他の人に所在を聞かれている始末。 ……出会った時には逃げようとすれば殺すなんて言われていた事なんて、今となっては笑い話かもしれないが……。 今度酒の席の時にでも話題として振ってみようか、と空の高みを飛ぶ小さな影を眺めながら足を動かしていた。 そして今緋勇がいるのは九角の屋敷、座敷を囲む廊下の端の日当たりの良い所。 村から戻ってきて屋敷内へはあがらず、そのままそこへ腰掛けている。 特に時間を気にせずぼんやりとしていると、そこへ足音を殆どさせずに桔梗が歩いてきた。 「おや、龍斗。こんな所にいたのかい。」 桔梗は同じ鬼道衆の一人で妖艶な女性だ。方術を使い、その手には戦いの時には武器ともなる三味線を抱えている。 もちろん三味線の腕もなかなかのものだ。 「ねぇ、今手が空いているならさ。ちょいと御茶に付き合っとくれよ。さっき、茶菓子を買ってきたんだ。」 一人で食べてみるのも味気ないしねぇ、と桔梗は言った。 「俺は良いですけど……九角様達はどうされたんですか?。」 何時もならば真っ先に誘うであろう、鬼道衆の若き頭目やその右腕の破戒僧の槍使いもここには居るだろうに。 ……後緋勇と同じような技を使う元気なこど……もとい少年も。 「天戒様は見回りに行かれてるんだよ、九桐は…また王子の骨董品屋だろうね。」 九角の日課の見回りは村の中を一周するだけでなく、村近辺も含まれるので何時戻るのか判らないと言うことらしい。 そして残る一人は朝からその姿が見えないらしいが彼は頭数には入れられていなかったらしい。 快諾した緋勇にちょいと待ってておくれね、と奥へ引っ込むと盆に急須や湯のみやらを乗せて戻って来た。 緋勇の隣に座りゆっくりとした仕草で湯のみにお茶を注ぐ。ふわりと良い香りがその場に広がった。 程よい温度のお茶を一口啜り庭を眺める。桔梗も自分でいれたお茶を飲みお茶菓子に舌鼓を打った。 天高く鳥が歌い、薄く雲が浮いた空へと響く。気持ちの良い雰囲気に和んでいれば桔梗が三味線を聞かせてくれた。 目に喜ばしい光景と美味しいお茶と綺麗な音色、心地よい空間。 静かに流れるそんな時間を邪魔する前兆が現れた。きし、と後ろの畳がわずかに沈む。 <気>をわずかなりとも押さえる事や隠す事をしないその人は、どうやら背後から攻めてくるつもりのようだ。 緋勇は隣りにおいてあった小皿に残っていた饅頭をさりげない仕草で手にとった。 大体の位置を探り、見当をつけた方向でそれに向かって饅頭を投げた。 「――――――わっ!?」 飛んできたものに驚いたらしい声を聞いて、相手が射程内に来ていることを確認すると行動を開始した。 だん、とついた両手を軸に投げ出していた足を勢い良く水平に回す。 伸ばした足が半円を描き、狙いたがわず相手の足を勢い良く払う。 低い位置からの回し蹴りにしっかり足を払われたその人物とは、風祭澳継。 同じような古武術を使い、緋勇が鬼道衆に――と言うよりこの村に来たときから何かと突っかかってくるぼう…いや少年だ。 「だっ!」 わずかな浮揚感のあと、風祭は畳に叩きつけられた。 すぐさま跳ね起きてみれば、緋勇はちゃっかり元の位置に戻ってお茶をすすっている。 「おやおや坊や、返り討ちかい?」 先程まで三味線を弾いていた桔梗は顔をこちらへ向けて笑っている。どうやら彼女も風祭が仕掛けて来ようとしていたのには気付いていたようだ。 むかっ腹が立ったがとりあえず風祭は手の中の饅頭を口に放りこみ食べてしまった。 そして口の中のものを飲み下すと同時に再び背を向けている龍斗に向けてかかって行った。 が、風祭のその行動も緋勇には予測が付いていたらしく上半身を捻って 迫り来る鋭い突きを左手で受け流す、それを接点に腕を掴み即座に身を翻し立ちあがっていた。 その時右手は既に着物の奥襟にかかっている。姿勢を下げて体重の移動、そして相手を跳ね上げた。 「うわあっ!?」 掴んだ澳継の右手を抱えこむように、流れるような一連の動作で投げ飛ばした。 放物線を描き風祭は庭のほうへと飛んでいく。 そうたいした飛距離ではなかったのだがなんとか空中で態勢を立て直し、足から着地する。 それでも勢いは殺しきれずに幾らか地面を滑ってから止まったのだが。 「……あ。」 綺麗に投げ飛ばした後で緋勇は小さな声を上げた。 「御免なさい、すっぽ抜けてしまいました…。大丈夫ですか?」 どうやら本来は地面に向かい投げる予定だったらしい。そちらの方がされるほうとしては痛そうなのだが。 真面目に確かめてくる緋勇の後ろでは桔梗が声を殺して肩を振るわせている。 「てっめー、ぶっ殺す!」 びし、と指差して風祭はすっかり頭に血が上ってしまっていた。 「ふふ、かまうことはないよ龍斗。坊やの相手しておやりよ。」 怪我したら治したげるからさ、と笑って桔梗が緋勇をけしかけている。 だがどう見てもそれは風祭を煽っている様にしか聞こえなかった。実際、風祭は更にいきり立っているようだし。 それらを聞くと苦笑を浮かべて緋勇は風祭に向かい構えなおした。 「っりゃあ!!」 まずは一撃、とばかりに風祭は鋭く前蹴りを放つ。予測が付いていたのか緋勇は難なくそれをよけていた。 躱されたと見るや風祭はそのまま身体をひねって踵を当てにきた。 回避が間に合わず緋勇はそれを腕で受ける。威力はなかなかのものでじんとした痺れが走った。 受けた腕を軸に半回転し、お返しとばかりに肘打ちを放つ。しかしそれは上体を逸らし躱されてしまった。 かわした風祭は勢いのまま後方へ手を付きとんぼをきって間合いをとる。 離れる前に蹴り上げていくことも忘れていなかった。まぁそれは龍斗には避けられてしまい当たらなかったのだが。 距離を置いて二人は睨み合う。 「ほう、澳継と龍斗か。」 仕合いを見物していた桔梗が背後からの声に振り向けば九角天戒と九桐尚雲が立っていた。 「お帰りなさいませ、天戒様。九桐も一緒だったのかい。」 「いや若とは村の広場でばったり会ってな。」 そう言いながら九桐は手にした包みを渡す。桔梗がそれを開けば中から串に刺さった団子が出てきた。 「おやおや、珍しい事だね。今お茶を準備しますから待っていて下さいな。」 「うむ、頼む。」 そう言うと桔梗は用意の追加をしに炊事場へと歩いていった。 縁側に並んで腰掛け黙ったまま眺める二人の前で、手合せはまだ続く。 どちらかが根を上げる――と云うより風祭が飽きるか、此方が止めるまでそれはきっと続くのだろう。 大怪我に発展する前には止めねばなるまいが、緋勇が其処まではしないはずだ。 そのうちに桔梗が新たなお茶の用意を持って戻って来た。 緋勇と風祭の対戦を前に三人のお茶会は長閑に始まる。 時折交わされる会話以外に聞こえる音と云うのが、掛け声や鈍い打撃音というのが 普通とは違うような気もするが、それを気にする者はこの場には居なかった。 「……どちらが勝つか……。」 ちらりと皿の上を見れば一応二人の分は分けてある。 それは確認した上で改めて残った団子でも賭けるか、と九桐は呟いた。 わずかな沈黙の後三人が口にしたのは同じ名前だった。 『龍斗。』 かな、だな、ですねぇ、と口調と語尾はそれぞれ違ってはいたのだが。 「賭けになりませんねぇ。」 ころころと桔梗が笑い、頷きながら九桐も笑う。九角は湯のみを口元に運んでいた。 風祭も日々強くなっているが、更に緋勇も強くなっているので未だ敵わないのだ。 拳を当てられたり、当て返したり。蹴りを放ってみたり防がれたりと、めぐるましく立ち位置を入れ換えて二人の攻防は続いている。 一応場所を弁えているのかどうなのか解らないが発勁や奥義などは使っていない。回りに被害がいかなくて良いことだ。 じっと二人の攻防を見守っていた九角が言った。 「……そろそろ終わりそうだな。」 緋勇から踏み込んで放った突きは肩口を掠めるにとどめ。 頭上から繰り出される踵落としを両腕を交差させて受け止め、その足を掴み全身で捻り落とす。 風祭は頭だけ庇い背中から地面に叩き付けられていた。衝撃で息が止まり、即座に起きあがれない。 その前に緋勇の拳が眼前で寸止めされてその勝負がついた。 「ああっ、くそっ!もう一回だ!」 「やるのは構わないが、少々一服したらどうだ?」 勢い良く起きあがり拳を突き上げ、がなり立てる風祭に飄々と九桐は言う。 声をかけられてようやく気付いたのか驚き顔で縁側の方を向いた。ずらりと揃った面々に叫びそうになったのをかろうじて堪える。 「御帰りなさい、九角様、九桐さん。」 対して緋勇は何時もの通りに応対して縁側へと戻っていた。 一応ぱたぱたと服を叩いて砂を落とし端に腰掛ける。直ぐに桔梗が湯呑みをすすいでお茶を淹れなおしてくれた。 一口すすって和んでいる緋勇に残してあった団子も出した。 「有難う御座います、桔梗さん。」 「どういたしまして、こっちの団子は九桐の土産だよ。」 「おう、ここのは中々美味いぞ。」 和気藹々としている三人の横でのんびりと九角はお茶をすすっている。 一同の雰囲気にすっかり置いてきぼりな状態になってしまった風祭は、さりとて九角に当たるわけにもいかず九桐へとがなりたてた。 「何時から見てたんだよ!!」 「途中からだな。」 もぐもぐと口を動かし中のものを飲みこんでから九桐は言う。 其処へ桔梗が割と最初からだよ、と口を挟む。 「良いじゃないか、減るものでも無いだろう?」 「良くねぇ!ああくそ、何が悲しくて負けた所見られねぇといけねぇんだよ……」 がっくりと項垂れる風祭を見て機嫌の悪い理由はそれか、と一同は思い至った。 「しかし随分と強くなったな、澳継。」 村へ来た頃より遥かにな、と腕を組んで九角が言えば途端に風祭の表情は明るくなった。 ……単純だな。 それを見ていた九桐と桔梗は期せずして同じことを考えていた。 懸命にも声に出す事はしなかったのだが。 緋勇は一応聞いているのだろうが口は挟まず、ゆっくりとお茶を飲んでいた。 「よーし、此れ食べ終えたらもう一回だぞ!龍斗!」 「……それは駄目だな。」 何で!と風祭が勢い良く吠えればニヤリと笑み浮かべ九桐が言った。 「もちろん、次は俺と手合せするからだ。」 「時間があるなら俺ともしてもらおうか。」 何時の間にかよくある流れになってしまい、当事者の緋勇は目を見開いたままだ。 というか、二人と手合せするとは言っていないのだが。 もはや二人の間では決定事項なのか、九角の援護も得て九桐に風祭が言い包められるのも時間の問題だ。 「まぁ、頑張りなよ?龍斗。怪我したら治してやるからね。」 そんな緋勇の様子を見て桔梗は口元を押さえ笑って言ったのだった。 |